Ⅲ 双子の聖歌隊員 ⅰ
英国 都市外れの街 教会
日差しが暑い。
水瀬はぐっと汗を拭いながら、目を覆っていた前髪を手で避けて空を見上げた。真っ青な空。これはまるで、自分が生きていた二一世紀の寂れた日本とはやっぱり違うな、と思っていた。水瀬の上空では真っ白な鴉が羽を広げて飛んでいた。その優雅に飛ぶ姿は、鴉なのに美しかった。
あれから一ヶ月。
水瀬は、このイギリスにやってきてから一カ月が過ぎようとしていた。時が過ぎるのは早いものだ、と年寄りみたいに思ってみたりもしたが、そんなことはどうでもいい。とにかく、いつの間にか季節は七月、文月となっていた。
今日は初めて水瀬はイギリスの都市、龍動にやってきた。生まれて初めて来たのに、なぜか知っている建物がある。その知識は案外怖いもので、下手したらこの時代の人より知っていたりすることもあった。ただ、相変わらず言葉というものに慣れず、見た目西洋人から流暢な日本語が流れてくるのには抵抗があった。まぁ、それは日本語じゃないけれど。
今でもそう、ここが本当に一九世紀の龍動であることには抵抗がある。どうしても、作り物めいていて、本物という実感が無い。今頃、日本は諸外国からの脅威に晒されていて大変だなぁとか他人事のように思っているけれど、今、日本では教科書に名前が載る有名人達が切磋琢磨しているのだと思うと今すぐ日本へ行って会ってみたいものだと思う水瀬でもあった。
ただ、今、水瀬には重大な使命がある。
そんな悠長なことはしてられない。
水瀬はアーサー王の生まれ変わり、つまり、救世主なのだと『ホワイト・クロウ』の彼らから教え込まれた。それ以外にも数々のいろいろな黒歴史を。
黒歴史、と言われていてもそれは水瀬にとってただの普通の事のように思えた。別段変ったような事もなく、たいして関心の湧く内容でもなかったが、それらはすべて、水瀬が生きる二十一世紀の日本にはない歴史だった。まぁ、歴史家からすればそうとうな価値のあるものとなっただろうけど。
で、水瀬は今、巨大な門の前にクロウと一緒に立っていた。
水瀬の服装はただの十代の少年が着ているようなよれよれのスーツである。
クロウはというと、クロウもまた、そこらへんの少女が着ているようなワンピースとその上にポンチョを羽織っている。そして、ポンチョについているフードを目深く被っていた。白い髪と頬に刻まれた赤い十字架を隠すため、だと。白い髪は目だつ。だから、溶け込むためとでも言おうか。
――いわゆる、変装
まぁ、そんな感じだ。
今日、水瀬とクロウが龍動に来た理由。それは、ある教会への偵察。
もちろん、この偵察する教会はイギリス国教会である。カトリックでは決してない。
ただ、『ホワイト・クロウ』は聞きつけたのだ――彼らの存在を。
彼ら、それは、悪魔だ。クロウと同じ、悪魔。その悪魔がこの教会の聖歌隊にいると聞きつけたのだ。そして、ここまで来た。
この時代、聖歌隊とは孤児の寄せ集めだった。
といっても、ただの寄せ集めではない。歌が上手くないと駄目なのだ。聖歌隊は、国王の前で歌を披露する。だから、孤児の中でも選りすぐりのものが集められるのだ。それに、歳もばらばら。下は五歳から上は十八歳まで。水瀬もクロウも年齢はクリアしている。
となると、次は歌唱力の問題である。
水瀬は自信があった。
簡単に言えば、水瀬は中学から高校まで音楽の成績はオール5である。
ただ、クロウは・・・・・・どうなのだろうか?という疑問が浮かび上がった。水瀬はクロウが歌っている所を見た事がない。そもそも、聖歌隊に声変わりした自分は入れるのかどうかという疑問も水瀬にはあった。ただ、設定年齢は十八まで。年齢はクリアしている。
「ここだ」
クロウが止まった。
目の前には巨大な教会があった。水瀬達のアジトである教会とは比べ物にならないくらい巨大なその教会は、いかにも国営ってことが分かる。見ると、信者たちが朝の祈りの為にぞろぞろと入っていくのが見えた。
「行くぞ」
クロウはそっと水瀬の手を握り教会に入って行く列に紛れて中に入った。
「やぁ、来たね。アーサー王の生まれ変わりと悪魔さん?」
急に後ろから声がした。
そこには、金髪の少年と少女が立っていた。周りと纏っている空気が違う。周りから浮いているように見えた。二人ともレースのついた聖歌隊の服を着ている。その服がやけに似合っていてまるで西洋人形のようだった。
どうも、さっきの声は少年の方だったらしい。金髪でクロウと同じ赤い目を持っている。背丈は水瀬と同じくらい。年齢もそう変わらないだろう。ただ、この少年はずっと嫌な笑みを浮かべていた。まるで嘲け笑うようなその態度。馬鹿にしているようだ。
対する少女の方はというと、少女は緑色の大きな瞳で睫毛が長い。特に下睫毛が長かった。こちらの方が人形のようでずっと無表情で水瀬とクロウを見ていた。まるで、穴が空くほど見つめられているようで怖い。
ただ、この二人は物凄く似ていた。双子だろうか?そう、思えるほどに似ている。しかし、第一印象が何故かまったく違うのだ。正反対と表現するのにふさわしい。外見はそっくりなのに違う。何かが決定的に違うのだ。
それは多分、性格だろうということぐらい水瀬には分かった。
「で、ここじゃ人が多いからこっちに来てね?」
舐めるように少年の方が囁く。そして、
「逆らわないほうがいいよ?オレの姉ちゃんが怒っちゃうからさぁ」
そう言いながら、少年は赤い瞳を水瀬達の後ろにいた少女の緑色の瞳に合わせた。そして、笑みを浮かべる。
そして、水瀬達は集団から抜けてある部屋へと案内させられた。
小汚い部屋。小さく、二段ベッドが二つ置かれていた。ただ、それだけの部屋。一応椅子があるものの、それは一つしかなく今にも足の部分が折れそうで危なっかしかった。そこに、少年はトスンと座る。椅子が揺らいだ。
「で、ここに来た理由。なんとなく分かるけどさ。にしても、急だね。っても、オレ達は君たちの事を待っていたんだけれどぉ。まぁ、そっちから来てくれたしね、この聖歌隊にさ。
あぁ、そうそう。
君たちはここから出られないよ。
この暗黒教会からはねぇ」
刹那、水瀬の後ろにあった扉が音を立ててしまった。そして、鉄格子がかけられる。これでは中から外には出られる様子もない。窓をさがすと、上の方に鉄格子をはめた小さな窓があった。
「逃げられはしないよ。せっかくの悪魔とアーサー王さまだ」
カカカッと少年は笑う。そして、続ける。
「ここは、悪魔育成専門の教会なんだよぉ。この国教会が嫌う悪魔のねぇ。無住している事は百も承知さぁ。でもね、仕方ないんだよ。諸外国と戦うために悪魔の力は絶大なのさぁ。もうすぐ、大きな戦争がある。それまでに力を蓄えなきゃいけないんだよ。だからね、悪魔を育成するためこの教会は国王から命令を承ったんだよ。今から育成しておけば、五〇年後の戦争、一〇〇年後の戦争にだって間に合う。たしかにイギリスは強い。でもね、それが永遠じゃないんだよ。だから、その永遠を勝ち取るために悪魔を使うのさ。あぁ、よかったね。今、君たちは必要とされているのさぁ。カトリックの汚れた修道女様よぉ」
クロウの赤い瞳が見開かれる。
「よかったじゃん、必要とされてぇ。ヒーローになってぇ」
水瀬は唇を噛んだ。なんだよこいつら、過去を、人の過去を引っ張り出して来て。その上、脅迫。いや、違う。これは脅迫ではない。試しているんだ。そう思った瞬間、水瀬はハハッと笑った。
「何笑ってるんだよぉ?」
三人の視線が水瀬に集まる。赤い瞳、赤い瞳、緑色の瞳。
「別に。たださぁ、馬鹿だなぁと思って。こんな幻想つくってさ、簡単に行くわけないじゃん。というかさ、僕は知っているんだよ。この後、イギリスがどうなるってことぐらい。それを忘れちゃいないか?僕は、未来から来た人間なんだ。だから、僕にとって今は過去。だから知っている。どうなるかをねっ。だからさぁ、何で頑張るの?答えは分かっているんだからそれに従って行こうよ。別に頑張んなくたっていい。なのにさ、何で君たちは頑張るんだよぉ?」
水瀬は狂ったかもしれない、と思った。ただ、この世界は自分が生きている世界じゃないから別に狂ってもいいやとも思った。どうなったっていい。どうせ、僕は必要ない人間だから。そう思った方が気が楽になる。
パチンッ
水瀬の右の頬が熱くなった。
あぁ、何だろう。
殴られた。
そう、思った時には手がその熱くなった頬を包んでいた。
「馬鹿か、貴様はぁっ。ぼ、ボクはそんな救世主なんていらない。つか、君は救世主じゃないっ。そんな諦めの早い奴、ボクは知らないし、そんなのはアーサー王じゃない。アーサー王は立派で、こんな諦めの早い奴じゃない」
「理想郷、ってやつかよ」
「悪いっ?理想を描いちゃ悪い?」
「いや、別に」
「まぁまぁ、二人とも。落着いてぇ・・・・・・」
少年が仲介に入るとするが、クロウは押しのけた。そして、両目いっぱいに溜まった涙を拭うと、
「うざい」
と言って、扉に手を掛けた。
「ボクはさ、期待してたんだよ君にね。でも、間違いだった」
そして、クロウは消えた。
「て、転生かよったく」
少年は唾をはくと、はぁと溜息をついた。そして、
「おまえさ、馬鹿じゃん。勝手に一人で盛り上がりすぎだって。あの、白い鴉ちゃん、起こっても無理ないんじゃないのかな?それにさ、」
「・・・・・・これ以上、言うな」
低い、声。ふと、少女を見ると、緑色の目が少し怒っていた。
「分かったって」
そう言って、少年は頭を掻くと、もう一度溜息をついた。
「で、名乗り忘れてたけどオレ、無心っていう。この無音と双子で、ええっと」
「元々は一人心音っていう個体だった」
「そう、で、今は分裂中ってわけ」
あぁ、だからかと水瀬は納得する。だから、似ていたのだと。
「んで、あんたどうするの?えっと、水瀬珠輝だったっけ?ったくよ、日本名は難しいったらありゃしないね」
「そう、だな」
「・・・・・・追いかけないの?」
低い声、無音が言ったのだろう。
「まぁな」
それだけ言って水瀬は近くにあったベッドに寝転がった。そして、むりやりあくびすると目を閉じる。
そして、すぐに夢の中に入ることができた。
今回は短いです。
というか、久しぶりの投稿!