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Ⅱ ドラゴンと道化師 ⅱ

登場人物

○水瀬

○クロウ

○ユノ

○マリアナ

 乾いた街。それがこの名もなき街の惨状(さんじょう)だった。

 その街の上空を鳥が――白い鳥が飛んでいた。

 純白の汚れのない羽毛はこの荒れ果てた場所で存在しているとは考え難いものだった。その白い羽根、赤い目はまるで鳥とは言えない何かだった。

 しかし、その鳥は鴉によく似ていた。

 鴉、といえば真黒な悪魔や不の象徴と言われている。反面、鴉は神の使えなど正反対の意味をもつ時もある。

 だから、と言う訳でもないがこの白い鴉は神の使いだと思わされてしまうほど素晴らしいものだった。白い羽を撒き散らし飛ぶ様子はまるで天使のようにも見えた。

――カーカーカー

 あの短調の鳴き声が響き渡る。

 まるで、天の使いのようにその鴉は荒れ果てた地の上を飛び回っていた。

 しばらくすると、疲れたのかその白い鴉は近くの止まり木にとまった。その細くて白い足で枝をしっかりとつかみ、鴉は胸を張った。そして、大きな白い(くちばし)を上にして一声、「カー」と鳴いた。白い羽根に埋め尽くされた赤い目はじっと空を見上げている。何もない、雲すらない真っ青な空を。皮膚がこげるほどの強烈な日光は光線銃のように鴉を攻撃した。しかし、鴉は微動だにせずただ、その枝にしがみつき空を見上げていた。

 ――その鴉、は白い。

 異常と言ってしまえば異常。

 それはただの遺伝子が異常だったからかもしれない。現にホワイトライオンなどが存在する以上、その仮説は否定できない。

 だから、鴉なのだ。

 真っ白の鴉なのだ。

 真っ白の羽を持った赤目の天使のような鴉なのだ。


  ✝


「お久だな、水瀬」

 聞き覚えのある声が水瀬の頭上から聞こえてきた。水瀬が振り向くと、そこにはクロウがいた。白くて長い髪をなびかせ、赤い瞳から光を放っていた。白い肌には赤い十字架、そして、真黒な修道服。ただ、それはさきほど(といっても最後に見た時)とはデザインが違っていた。露出度が高めなその修道服は、肩がほとんど空いておりスカートの丈も短め。黒いニーハイで細い足を覆い、頭には黒いベール。そのベールには白のレースがさり気なく飾りつけられている。何と言うか、コスプレをイメージしてしまうそれは水瀬の目を引くのに十分だった。そして、さり気なく胸元に光るロザリオ。

「ん、どうした。そんなにぼうっとして」

 赤い瞳が水瀬の顔を覗きこんできた。

 その時、水瀬の目線はクロウの胸元にあった。

 仕方がない、といえば仕方がない。というのも、クロウの胸元は見せびらかすかのように開け放たれ谷間が覗いていた。気になるなといっても無理な話だ。

「ん?」

 結局、クロウは気づく事はなかった。――鈍感とうことだろう。


「で、どうだ。ここは?」

「どうだ、と言われても」

 ふぅん、とクロウは呟いて、水瀬がいるベッドの上に座った。と、同時に柑橘(かんきつ)系の匂いが鼻につく。ふわんと香るその匂いに少し愛着が湧いた。人間味なないクロウに、少しだけ人間味を感じる事ができた、と水瀬は思った。

 クロウは、細い黒のニーハイで包んだ足を組み、そっと水瀬の顔を見た。そして、桜色の唇をゆっくり動かした。

「この世界をどう思う?」

 と、クロウは水瀬に問うた。

「と、言われても」

「質問が悪かったか。じゃあ、こう言えばいいか。この世界、変な所はないか?」

「変なところ・・・・・・?」

「たとえば、」

 と、クロウは続ける。

「君は、日常会話が普通に繰り広げられる?」

「え」

 と、水瀬は思わず口を押さえる。考えて見ればそれはたしかに変だ。熊猫もそうだが、彼らは少なくとも日本人ではないはずだ。水瀬は自分が日本語を話しているはずなのに普通に会話できた、てっきり、向こうも日本語を話していると思ったが、どうも違う気がしてきた。ユノ、の場合がとてもよく当てはまる。ユノは見た目から、英国系の少女だった。しかし、ユノは不自由なく水瀬と会話していた。てっきり、みんながクロウだと思っていたが、それは違うはずだ、と。よく考えればわかる。

「今頃気づいたか。そうだ、おかしいだろう?ユノ、とかね。彼女はれっきとしたイギリス人さ。日本語なんてできないよ。彼女は術式と大道芸さえできればいいのさ。自らもそう思っているだろうね。ま、言いたい事は分かるだろう?この世界は言語が歪んでいるんだよ。いや、言語だけじゃないね。すべてが、すべて歪んでいる。だから、ユノみたいな可哀そうな子が生まれるんだ・・・・・・」

「ユノ、が」

 赤い瞳は遠く過去を見つめるように細まった。長い睫毛でおおわれたその目は鳥が辺りを眺めるような目だった。

「彼女は、ドラゴンに(むしば)まれているんだよ。あの青いうろこはその証。見ただろう、彼女。彼女は病気だというのに世話焼きで、新人は基本大歓迎。それに、歳も近いしね。まったく、ベッドからは起き上がれるような体じゃないのに、道化師の仕事をやるんだから。「ピノキオ」が近いとは言え・・・・・・」

「ぴ、ピノキオ?それは、あの童話の?」

「いや?」

 クロウは疑惑の表情を浮かべた。そして、

「童話とは、何だ?」

 と、続けた。

「童話というのは、えっと・・・・・・」

 と、水瀬は考えて見るもののどこから童話なのか分からない。というのも、赤ずきんや白雪姫などはすぐに思いついたが、クロウがどうしても知っていなさそうに思えたのだ。直感、といえば直感で、だ。

「もしかしてそれは、『騎士道物語』も含まれるのかっ。円卓の騎士、アーサー王。あの素晴らしい最高傑作。君も読んだのだろうっ、そして、君はアーサー王の生まれ変わり。救世主様だ。そう、あの熊猫の変態野郎から聞いただろう?」

 水瀬は首を縦に振って肯定する。

「変態野郎、ね」

「ま、そうだ」

 そう言ってクロウは笑った。

「で、そのピノキオというのは・・・・・・?」

 あぁ、とクロウは息を漏らすと、

「このイギリスには有名なピエロに『ピノキオ』と名付けるのが決まりとなっていてね。ユノはその『ピノキオ』にこのイギリスのなかで一番近いんだ。だからといって、油断は禁物。一番期待されているからこそ、完璧な演技をしなきゃいけない。病気だからってそれは関係ない。一流のピエロは死ぬまで道化。それが、彼ら道化のモットーさ」

 で、とクロウは続ける。

「ただね、そのモットーもどうかと思うね、ボクは。現に、ユノみたいに重病患者もいる。道化というのはね、人間以上のことを求められるんだ。たとえば、鳥のように飛ぶ。そのために、体重を異常に軽くしたり、闇医者にかかって自らの手に羽を生やし、飛ぼうとする者なんてものもよくある話なんだよ。ユノもまた、しかり。彼女は、ドラゴンの細胞を体の中に埋め込んだんだ。で、その後遺症があれだ。青いうろこ・・・・・・彼女は、あと数日で本物のドラゴンになるだろうね」

 水瀬は耳を疑う事しかできなかった。それもそのはず。今まで自分が描いていた予想、一九世紀のイギリスは産業革命による貧富の差、新たな発明、先進国。そんなワードしか知らなかった。学校でもそれだけしか教えられないし、自ら知ろうとすら思わなかった。いや、これはどの資料を調べても出てくる事はないだろう。『歴史は勝者が作る』そう、言われているのだから。

 そして、水瀬のその思考に蹴りつけたのはクロウの一言だった。


「――このイギリスは崩壊したんだよ」


 と。

 この言葉だけでは理解できないさまざまななこと。しかし、それは同時に一九世紀のイギリスの歴史は作り物だという事が分かった。

「君には考えられないだろうね。こんなイギリス、君のいた時代では想像もできないだろうさ。あたりまえだ。ボクも君を探しに来たとき驚いたよ。君が生きる日本は英国領だと思っていたからね。君もこれくらいは知っているだろう、『列強』って言葉を。そうさ、その当時の先進国が貧しい発展途上国を支配、植民地にする。ま、そんなところだろう。で、その先進国が『列強』と呼ばれた。日本は、このころはただの発展途上国さ。イギリスには到底およばない。愚かだね、日本人は自信の塊なんだろうね。だから、鎖国とかいう馬鹿げたことを続けたんだろう?ま、それを壊しに国教会のやつらが日本に乗り込んだらしいが、ね」

 そこで、クロウは口ごもる。

「国教会?乗り込んだ?」

「あぁ、国教会。彼らは日本のような発展途上国に自らのその邪悪な教えを広めようとしているんだ。邪悪、って言ってもそれはカトリック側の見方だけれどね。で、それがイギリス国教会さ。あんな馬鹿げたキリスト教、ボクには同じキリスト教徒は思いたくないね。これも、ボクというカトリック教徒からの見方だけれど。ま、それだから、ボクたちがいるんだよ《ホワイト・クロウ》がね。ボク達はキリストの本来の教えを広めよう、普及しようとこの国教会とかいう王が勝手に作ったキリスト教を打破するために送り込まれた。そう、ヴァチカンから来たんだ。ま、救世主ってわけ。でも、国教会側から見たらただの悪、か。ま、でも結果はボク達が悪だったわけ。ま、結果として負けたし。そう、ただ、強かった・・・・・・負けを認めたよ。彼らは強い。そして、

――君が最終兵器」

 つまり、とクロウは言葉を紡ぐ。

「国教会にはヴァチカンと同じく、武装神父がいる。彼らの人数は異常だよ、まったく。予想外だった。だから、こんな端の方に追いやれれてしまったわけだ。で、最後の挽回のチャンスが・・・・・・」

 と、クロウの細くて白い指が水瀬の眉間に突き刺さった。

「君」

 すっと、その指が眉間から離れた。と、思ったらぐっと水瀬の着ていたシャツの襟をクロウが引きよせた。顔が近い。

「アーサー王さま」


 ✝


 ユノの目には涙が溜まっていた。

 嗚咽がもれる。

 我慢しないと、と思っても我慢できるものではない。一度泣きだしたら止まらない、そう言った感じだ。

 ユノは見てしまった。

 二人が、あの・・・・・・水瀬とクロウが愛し合っている姿を。

 悔しい、と表現してしまえばそこまでだ。

 ただ、その悔しさの憎悪がだんだんと増す。それが、ユノの奥で蠢いていたのをユノは分かっていた。そして、それを抑え込む事ができないことも。

 ユノは、水瀬を好いていた。

 一目ぼれ、だった。

 そして、水瀬はアーサー王。つまり、この荒れ果てた英国の神だ。

 今まで、一五年の人生を全て道化に捧げていたユノに、その感情は初めてだった。

 初めての恋――初恋。

 それが、今のユノを支える大事な(かなめ)だった。

 ただ、その相手は自らの親友の手の内にある。

 ユノは、奪え返せる自信などない。

 ただ、ぼうっと今まで通り見ている事しかできない。悲しみの色を服の上に垂らして。


 ふと、ユノの視界に何かが舞い込んできた。

 それは、醜い手の上に舞い落ちた。

 その青い醜い手は、その繊細で小さな物を掴む事はできない。その、グローブで包まれたては、自らの過ちの塊だ。こうなったのも自分のせい、ってことぐらいユノにも分かる。身にしみて分かる。

 そんな思いでまだうろこに浸食されていない方の手でそれを手に取る。


 ――ユノ様


 表にはそう書いてあった。

 それは、泥でいくらか変色はしているが、紙だった。紙の束だった。

「ユノ、様?」

 ユノは首を傾げながらその紙の束の一枚目を捲った。


 このころ、ユノ達が住んでいる場所――教会にはこういった投稿が多かった。ほとんどは処理してしまうものの、どうしてもユノは気になったのだ。

 まず、「様」と名前の後ろについていること。このころ、イギリスの識字率は、特に中心部から離れたこのような土地の識字率は幹部なれば上出来だった。そして、識字ができる彼らも全員が全員、幼稚な文章しか作る事ができない。「様」なんていう礼儀はもってのほかだ。しかし、この送り主は礼儀を知っていいるようだ。そして、紙。紙は基本、高級品。といっても、この頃はそこまで高級品とはいかなかったが、それでも高い。なので、ほとんどの投稿は葉の裏や木片の裏に書かれていた。

 そのことを考えるととても信じられなかった。

 そして、興味が湧いた。


 ――我が名はマリアナ


 そう、手紙は始まっていた。マリアナ、聞いた事があるようなその名前はユノの心を揺さぶった。そう、マリアナ。このマリアナという名の女、イギリスで名を轟かす悪名高き女だからだ。ユノでも、いや、このイギリスに住む人間なら誰でも知っている。何といっても、莫大な財力で政府を操り、よもや裏の独裁者などと言われた人間だったからだ。特に、マリアナはイギリス国教会の莫大なる支持者であり信仰者だった。つまり、ユノホワイト・クロウにとっては敵ということだ。

 そんなマリアナがたかが貧しいピエロのはしくれに手紙を書いたなど大問題なのだ。政治的においても、だ。

 ユノはこの手紙を気づいたのが自分でよかったと思った。それに、これは自分宛だ。これが他人に見つかったらどういう目で見られるか分かったものじゃない。

 そして、


 ――はじめまして、ユノ。私はマリアナ。あの、マリアナですわ。

   突然のお手紙、ごめんなさい。これにはちゃんと訳があるのよ。それはね、後ろの資料を見てくれれ   ば分かると思うのだけれど、ね。


 資料、それは隙間なく黒インクで書かれた『ピノキオ』の情報だった。それは詳細な事まで載っていた。そしてそれは、ユノにとって信じられないようなものだった。

 そう、裏切り。

 その事が細かくその資料につづられていた。

 この荒れ果てたイギリスには当たり前のようなことだったが、サーカスにそれが侵入してくるのは初めてだった。

 サーカス、といえば民衆の唯一の遊びだ。政府の息もかからないその夢のような場所は、疲れ果てた民衆に夢を与えていた。しかし、それもいつまで続くのか分からなかった。そして、それはこの密告に等しいような資料で露わになっていた。


 ――信じられないでしょう?私も信じられなかったの。

   だからね、お願いがあるの。

   止めて・・・・・・そして、貴女がピノキオになって。これは、私からのお願い。

   信頼の証を立てるために明日、そちらに(うかが)わせていただくわ。


 最後には、マリアナとサインされていた。

 ユノには全く分からなかった。どうして、その自分と天と地の差があるマリアナが親しく手紙で語って来たのか。そして、どうして自分なのか。他にも『ピノキオ』の候補はいたはずだ。それに、ユノは・・・・・・病気だ。

 道化師にはたしかに病気はありがちだ。ただ、ユノはその中でも特別、悪かった。死を預言されている。だからこそかもしれない、恋などと言う邪魔なものを患ってしまったのは。邪魔な感情、それは道化師としてじゃなくて人間としての感情だということぐらいユノは知っている。たしかに、ユノは道化師という名の人間だ。しかし、それは道化師であって人間とは識別されていない。自らも、人間ではないと思って育ってきた――一五年間。自分はサーカスの中でしか生きられない道化師だと。そんな人形が人間と同等の感情を持つなど贅沢だった。そう、あんなに誓ったのに・・・・・・道化師に。

感情の揺らぎは、いままでなかったはずなのに、とユノはそっと呟いた。その変色した色のない唇は、クロウの桜色の唇とは大違いだった。



――青いうろこが体を包んだ


 ✝


意味不可思議なその光景に水瀬は絶句した。

水瀬の目の前には真っ白な鴉がいた。

毎日毛づくろいされているのだろう美しい白い羽、そしてその白い羽根の中にひときわ実に付く血のような真っ赤な瞳。そして、十字架。

その鴉がいた場所にはさっきまでクロウがいた。修道服を身に付けた真っ白な髪をもつ少女。水瀬を弄ぶかのように顔を近づけてからかったその少女。その少女、クロウはいつの間にか鴉になっていた。

そしてその鴉、カーと鳴くと白い羽を地面に撒き散らして飛び上がった。そして、水瀬の肩に掻き爪を引っ掛けて止まる。その掻き爪は鋭くナイフのように尖っていて水瀬の肩に激痛を走らせ傷つけた。そこから流れる鮮血はみるみる水瀬の肩を赤く染めた。

「痛い、だろう?」

「・・・・・・っつ」

 水瀬にはその鴉が放った問いにすら答える事ができなかった。それは、痛すぎてということもあったが、それより今、目の前で起こった事が信じられなかった。

 人間が鴉。

 そして、その鴉は人語を話した。

「カカカッ、面白いねぇ・・・・・・アーサー王さまぁ。まぁ、どうだろうか?ボクはクロウだよ。これが元の姿とでも言おうかな。まぁ、言いたい事はわかるだろう?そう、この国は狂っているのさ。

 そもそも、鴉が人間になるとかいうファンタジックなことなんて日常茶飯事。だから、言語も何を話しても普通に通じる。この世界はそう。まぁ、君が知っている・・・・・・認知しているイギリスとは違うだろうね、全く。そうさ、ここは確かに本物の一九世紀のイギリスだけれど違う。どこの記録にも残っていない世界さ。でも、こうやって存在している。変だろぅ?でも、空想じゃない、現実だ。ありえない、現実だ。

 だから、人間が鴉やドラゴンになるなんて普通さ。

 あ、そうだね・・・・・・残っているんじゃないのか?この世界を記した本たちが。あのファンタジーで満ち溢れた物語――あれは後世にこの世界を伝えようとしているんだよこの世界を。ま、信じちゃくれないだろうけれどね」

 そう言いながら、クロウこと白い鴉は水瀬から掻き爪を放し飛びあがった。掻き爪は赤く染まり。赤い滴を垂らす。そして、それはベッドに無残に飛び散った。

 激痛が走る水瀬のその肩は赤く染まり、だらんとだらしなく水瀬の体についていた。そしてそれは・・・・・・痛みが治まった。

 いや、治まったという表現はおかしいかもしれない。戻った、と表現すれば分かるだろうか。そう、戻った。今まで血が流れ捥げかけたその肩は戻ったのだ。掻き爪が食い込まれる前に。それは気味が悪い光景だった。辺りに飛び散った赤い液体が戻って行くのだ。まるでそれは殺される瞬間を巻き戻して行くような感じ。ずずずっと赤い虫が水瀬の肩を這って傷つけられた肩に戻って行った。

「え、えええっ」

 痛みをこらえていた肩に痛みがなくなる瞬間、水瀬は目を見開いてその様子を見ているしかなかった。痛みがなくなる、そして血が戻る。とても信じられる光景ではなかった。アニメとかだと何回か見た事はあったものの、(じか)に見ると信じられる部類ではない。いや、信じてしまう方がおかしい。信じられないのは当然のことだ。

 そんな水瀬の様子を鴉は笑いながら赤い瞳に映していた。そして、真っ白な嘴を天井に向けると、

「マリアナが動いたか・・・・・・」

 とだけ呟いた。そして、白い翼を広げ扉から出て行った。思わず、水瀬も追いかける。なんだかよく分からないが体が勝手について行った。



 そこは、ある個室だった。水瀬は初めて自分がいた部屋から外に出たが、その部屋は自分がいた部屋となんら作りは変わらなかった。ただ、扉の前には質素なプレートがかけられており、そこにはユノとローマ字で書かれていた。こうして見ると、ここはイギリスなのかと思ってしまう水瀬がいた。

 白い鴉、クロウは器用に足を使ってドアノブを回すが力が足りないようで開かなかった。そこで、クロウは水瀬にカーと鳴いて開けるように指示する。なんとなくそれを察した水瀬は扉を押した。


「珠輝、さん?」


 そのか細い声は部屋の奥から聞こえてきた。

「は、入って来ないで・・・・・・こんな姿、見られたくない、だ。お、お願いだすだ・・・・・・」

 そのつっかえつっかえの言葉は元々のようだったのか、と水瀬は理解する。と、同時にどうしてユノが部屋に入ってくるのを拒むのか分からなかった。しかし・・・・・・よくよく考えて見ると、ユノは女の子だ。普通、ノックもなしに入ったら重罪だ。しかし、この入って来ないではその意味ではないらしいことは水瀬にも分かった。

「マリアナ、じゃないのか?」

 ふいに、クロウが言葉を発する。

「く、クロウ・・・・・・いるの?」

「あぁ、いるね」

「そう」

 ユノの曇った声は何故か悲しそうだった。扉の隙間から覗くユノらしき影は悲しみの色で塗られていた。その、淡い色は今にも倒れそうに揺れている。

「マリアナ、様よ。本当、だとは信じないだろうけど」

 急にユノが会話を切りだす。マリアナ、と言う名前は何かあるなと水瀬は思った。その名前を口に出す時のクロウの声は少し震えていたし、ユノもまたその声は震えていた。恐ろしい人、と思わせるようなそのマリアナはどうしても水瀬には分からなかった。いや、分かりようがない。知らなくて当然だ。ただ、水瀬にはその名前が嫌な響きに聞こえてきてしょうがなかった。

「何を言われたのだ、ユノ」

 クロウは冷酷にその言葉を発する。

「・・・・・・なんにも」

「嘘なことぐらい、ボクにも分かる。舐められたものだね、君に。ボクは君を生かしている。今にも死にそうで本来なら死んでゴミとなっていた君を生かしてやっているんだ。人間と扱われない道化師に人間と同等の生活をさせてあげているんだ。なのに、君は裏切るのかぃ?」

 刹那、扉が音を立てて乱暴に開いた。そして、そこには怒り狂ったユノがいた。赤い髪が逆立っている。青い目には怒りの炎を燃やして、色のない唇を食いしばる。そして、その怒りに燃えた瞳はクロウを睨んでいた。

 ただ、そのユノの肌には青いうろこがびっしりと生えていた。見た目はまるで人間ではなかった。鋭く尖った犬歯を青い唇に食い込ませたその様子は人間ではない何かだった。本来、何もない所には尻尾が生え、それもまた青いうろこでおおわれていた。鼻はなく、ただ鼻孔が青いうろこに刻まれているだけ。

「――黙れ」

 その声はまるで地の底辺から唸るような低い声だった。ユノのものとは思えないその声には憎しみが込められていた。

 しかし、クロウは平然と白い羽根で包まれた胸を張るだけだった。そして、赤い瞳で情けを掛けるようにユノを見ると続けた。

「ボクは君の、瞬間移動能力を買っただけなのだよ。どの時代にも自由自在に行ける能力。素晴らしいじゃないか」

「わし、そんな能力なんて欲しくなかっただ。わしは、普通の道化師として生きて行きたかった。薬漬けになったのはわしのせいだけれど、そのまま死にたかった。こんな、醜い姿になるまで生とぉない。なのに、クロウは・・・・・・わしを生かした」

「それは、君が望んだ事じゃないか?」

 白い羽根が舞った。

 そして、そこには少女が二人いた。

 白髪を持った少女と赤い短い髪を持った少女。

 二人はそっと身を寄せ合っていた。

「だから――死にたくないんだろう?」

 ぎゅっと白髪の少女が赤髪の少女を抱き寄せる。

「《ホワイト・クロウ》の秘書として、ボクは君を死なせはしない。君はこの戦いが終わるまで死んではいけない。せっかく役者がそろったのに、役者を殺してたまるか」

「・・・・・・わかった」


  ✝


「あぁ、そうですか。分かりましたわ」

 厚化粧の女が笑いながら馬車の窓から外を見た。

 時刻は正午を回ったぐらい、丁度お昼頃。

 女は真っ赤のルージュで塗られた分厚い唇を扇子で覆った。羽根がつき、所々に宝石をちりばめたその扇子は日本人の職人に頼んで作らせたものだ。奥ゆかしさなどなく、それはただの飾りにすぎない。女はその扇子を長い付け爪で持って顔を隠した。そして、

「馬車を出して頂戴」

 と、言った。しばらくすると、なめらかに馬車はこの場所を発った。

「面白いわねぇ、《ホワイト・クロウ》って。気に入っちゃったわぁ、ねぇ、心音(シオン)

 と、女は馬車にいたもう一人の乗客に話しかける。しかし、その問いに答えは帰って来なかった。ただ、その乗客は無心に、そして無音にそこにいた。

「本当、信じられないわぁ。私。だって、まだご存命でいらっしゃったなんて。あんなに、あんなに・・・・・・死んでいたのにねぇ?」

「・・・・・・っつ」

「ん、なぁに?」

 しかし、もう一人は何も言わなかった。

「もぅ、シャイなんだからっ。つまんないなぁ。貴方がそんな風じゃねぇ。一応、私も政府側の人間ですから。本当は処罰対象なんですよ、貴方も、彼らも。国家を危険に晒す危険分子なんですからねぇ。でもまぁ、私を処罰できる人などこの世にはいませんけれどねぇ」

 ふふん、と女は笑った。そして、重たそうな睫毛をばさばさと閉じたり開いたりする。金色に染めあげた髪はまるでマリー・アントワネットみたいに結われ、顔と同じぐらいの大きさが顔の上に出来上がっていた。中には花瓶が隠してある。服もまた、目を見張るようなドレスでコルセットで締め上げたウエストは異常に細くなっている。女はこのファッションが好きだった。昔からの憧れ、だったがこの産業革命の時代には遅れた服だった。邪魔な事この上ないこの衣服はこの女ならではの贅沢だった。

 というのも、この女。名前をマリアナという。歳は十九。少女、と言われるはずの彼女は悪名高きマリアナ。政府を裏で操る、例のマリアナだった。


「ご主人様は何処(いずこ)に?」

 と、マリアナは歌うように聞いた。その、心音という名の子供はじっとマリアナの顔を見るだけで答えてはくれないが、マリアナはその子の会話をすることが好きだった。

 この心音には性別がない。いや、分からないと言うべきか。この心音はほとんど音を発さず、何もしない。ただ、じっとその赤と緑の瞳でただ一点を見つめているだけだった。マリアナはこの心音のことを名前しか知らない。どこで生まれ育ったのかも知らない。ただ、ある日自らが住む屋敷の前に捨てられていたのだ。そして、この子供は能力があった。マリアナはこの現実に存在しないものが好きだった。空想を頭が占めるロマンス少女とえいばそれでおしまいだ。しかし、マリアナはそれを追求した。そして、ユノに辿りついた。ここまでは簡単だった。マリアナの名を出せばたいていのものは出てきたからだ。しかし、その後が進まない。というのも、ユノは《ホワイト・クロウ》という犯罪者クループの一人だったからだ。装いはただの教会だったが、彼らはヴァチカンからの密者だと聞いた。そして、《ホワイト・クロウ》のほとんどはマリアナが追い求めていた能力者だと・・・・・・能力者というのは、カトリック教徒に多くいる。というのも、それは魔術や妖術によって人体実験の結果生まれたものという説が一番多かったのだが、マリアナはこれは自然現象だと思っていた。そう思っているのは、会った事があるからだ。能力者に。その能力者はマリアナの父が経営していた工場で働く少年だった。しかし、その少年は殺された。つまり、このイギリスは能力者というものを排除してきたからだとマリアナは考えていたのだ。そして、その能力者。彼らのことを悪魔と呼ぶことをマリアナは聞いた。悪魔だから殺すのだと・・・・・・勿体ない、そう思う。そう思ったからこそ、マリアナは探したのだ。

 マリアナの目標は世界征服などではない。

 そう、思われがちだが・・・・・・違う。


「・・・・・・世界征服、が目標?」


 赤と緑の瞳がじっとマリアナを見つめていた。

「どぉして?」

 ゆっくりと心音の口が開き言葉が紡がれる。

「どぉして?」

 突然の心音の発言に困惑するマリアナは何とか会話を繋げようと言葉を発する。

「ち、違うわ」

「へぇ、じゃあ。何で?」

 動かないその赤と緑の瞳がマリアナを閉じこめた。

「これが、貴方の能力?」

「・・・・・・そうかな?ボクはただ、聞いているだけだよ」

 えと、とマリアナは珍しく後退した。そして、

「守る、ためよ。貴方達悪魔を」

「悪魔?ボクたちは悪魔っていうんだ。へぇ~」

 だから、と心音は続ける。

「殺されちゃうのかぁ」

 なるほどねぇ、と心音は呟きながら黙った。そして、馬車が目的地につくまで一言も発しなかった。


 一八〇二年 水無月 




長い・・・・・・まぁ、意味不明が多いんでゆっくりと直していきます

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