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Ⅰ 出会い

登場人物

○クロウ:謎の少女。修道服を身につけた白髪、赤い瞳を持っている

○水瀬:主人公。『救世主』


水無月 一日目 金曜日


 今日は雨。

 水瀬(みなせ)(たま)()は窓から外を眺めていた。

 昨日までは天気がよかったものの、今日はあいにくの雨。そして、それは今週いっぱい続くと朝のお天気お姉さんは言っていた。別に晴れだからと言って何かあるという訳でもないものの、雨だと気分が晴れない。貪欲(どんよく)な気分になるのは当たり前のなりゆきでもあるのだろう。そう思って諦めればいいものの、なかなか諦める事ができないのが人間であり、水瀬でもあった。貪欲の塊なので仕方がない、とクラスメート達は口を揃えてフォローでもないフォローをしてくれたが、それで気分が晴れるのは相当な天然だろう。残念ながら水瀬は天然ではない。

 水瀬は高校二年生だ。県内でも有数の進学校に通っている。しかし、それはただの記録でしかない、と水瀬は思っていた。

 贅沢かもしれない、と思った事は無い。

 そこそこ平均的に頑張っていれば誰でも辿りつける境地だし、別に天国でもない。しかし、親達は進学校にやたらと執着し、子供に英才教育を施そうと奮闘する。それが、親の境地なのかもしれない。しかし、子供には関係のない事だ。

 水瀬はそんなことをたまに考える。

 思春期真っただ中の水瀬にとってそれは普通のことであったが、親達はその考え方を否定する。それは図星なのだと水瀬には分かっていた。だから、何も言わない。

 要は、気に食わないのだ。

 何もかも全て、水瀬には。

「おい、水瀬。水瀬、水瀬っ!」

 周りの生徒達は笑っていた。

 教師は鬼のような形相になって水瀬を睨んでいる。

 あぁ、やっちまった。そう思っても何にもならないが、水瀬はため息交じりに立ちあがった。そして、緩んでいた襟もとを正すと「何ですか」と、その教師に噛みつくように吠える。

「余所見してるんじゃねーよ、水瀬」

 教師は悪態をつきながらも水瀬に英文の和訳をするように指示する。

「・・・・・・さぁ、僕には分かりません」

 水瀬はふざけた様な、ひけらかす様な態度でその教師を睨んだ。そして、椅子に足を引っ掛けて耳障りな音を立てて座る。

「おい」

 教師は水瀬に掴みかかろうとしたものの、丁度その時チャイムが鳴ったのでその話を打ちきる。そして、一度水瀬を睨むと教室から出て行った。


 居心地の悪い。

水瀬はここのところずっとこの調子なのだ。


 周りのクラスメート達は水瀬をハブにして水瀬の話題で持ちきりになる。それもそのはず。今、水瀬は孤立している。悪いのは水瀬。原因をつくったのも水瀬だ。

 ただ、水瀬はちょったした英雄だ。

 大人の顔に泥を塗った英雄。 

 そんな話題がこの学校を駆け巡っていた。


 きっかけは些細なことだった。


 水瀬があるものを庇って教師の一人を殴ったのだ、グーで。

 強烈なパンチだった。

 それだけ。

 この話を一方的に聞けば水瀬が悪いことになる。しかし、考えて見ればいい。何故、水瀬は教師を殴ったのか、と。

 簡単だ。

 水瀬は守ったのだ、男として、一人の人間として。

 物語は語り手がどっち側かに着くかによって話が変わってくる。この場合もそうだ。この話を水瀬の視点で見ると、水瀬には正統的な理由があったのだ。しかし、教師は一方的にそれを突っぱね、王道とされる若干盛った話をでっち上げ、生徒の前で言ったのだ。これは酷いものだった。罪の擦り付け会いというべき事柄でもある。

 そして、水瀬は荒れた。


「―――君、この世界を否定するか?」

 帰り道、雨が降っていた。水瀬は紙パックのジュースが欲しくなり家の近くのコンビニに寄っていた。そして、コンビニから出た時会ったのだ、少女に。少女は異様を放っていた。この雨の中、傘もささずにじっと水瀬を見上げていた。

「否定?」

「そうだ。否定、するか?」

 少女の問いは単純だった。しかし、反面、難しい。

「そりゃ、否定するよ。僕はこの世界嫌いなんでね。ね、もう行っていいか?」

 立ち去ろうとした水瀬の制服の裾をその時、何かが引っ張った。それは、その少女だった。

「待て、君」

「な、何だよ」

 急に引きとめられて驚いたのがほとんどだったが、水瀬にはどっちかと言うとその少女の異様に押しつぶされそうで逃げ出したかった。しかし、小さい子が引きとめる手には逆らえず、水瀬は再び少女に向き直った。

 その少女は見れば見るほど異様だったが、可愛かった。少なくとも、大人になると美人になると予想ができるほどに。まず、少女は日本人ではなかった。腰までの長さの白髪に透き通るような白い肌は露西亜人を連想させる。そして、猫のように大きく釣りあがった瞳は、赤く染まっており、その目の下には少しだが隈ができている。固く結ばれた桜色の唇は顔のバランスを均等に保っているように見える。一三歳ぐらいだろうか、小学生には見えない。ただ、中学生にも見えないという年齢が識別できにくい。それは、顔が幼いのに対して、身に付けている衣服は黒で固め、まるでシスターを連想させるような服装に包まれた体は結構完成されつつあった。胸元に飾られたロザリオはシスターなのだろう。そんな少女は雨に打たれ、濡れている。しかし、気にも止めず、あいさつがわりか十字架を切った。

「ボクと一緒に来い」

 そして、と少女は言葉を紡ぐ。

救世主(メシア)になれ、水瀬珠輝」

 見ず知らずの少女は、何故か水瀬の名前を知っているようだった。水瀬は疑問が浮かんだ。それもそうだ。見覚えのない少女が自分の名前を言ったからだ。しかし、当の少女は何の抵抗もなくじっと水瀬を見上げていた。赤い瞳が水瀬を睨んでいる。

「救世主?」

 水瀬は少女の言葉をオウム返しにしする。いまいち意味が分からなかったからだ。

「そう、救世主。君には特別な・・・・・・ボク達を救える能力がある、特別な・・・・・・そう、特別な。だから、こうしてボクが君という救世主を迎えに来た。水瀬珠輝君・・・・・・ボクと一緒に着いて来てくれないか?」

「来いって言われても・・・・・・どこに?」

 簡単な問いのはずだった。しかし、少女は難しそうに眉間に皺をよせ、その問いの答えを考えるべく黙ってしまった。一体どういうことなのだ、と水瀬は思ったが彼女を見守る事にした。

 その時、水瀬は知る。

 水瀬達を見る周りの目が冷たいということに。ここはコンビニの前。人通りが少ない住宅街とかではない。コンビニに出入りする客もいれば、その前を横切る者もいる。とにかく、人目につくところで、水瀬は幼い少女を雨が降る中に立たせている兄と認識されているようだった。どうも良い状況ではないのは確かだった。

「おい、えっと・・・・・・君」

「何だ?」

 ぐいっと少女の顔が水瀬に近づく。名前で呼べなかったのが酷だが、それは仕方のないことだ。水瀬は少女の名前を知らないから、だ。出会ってほんの数分。少女が自己紹介をしていないのだからしょうがない。


 水瀬の思考を覗いたのか、少女は名乗った。

「クロウ、という。クロウ・ジャックドー。クロウと呼んでくれ、水瀬」

 クロウは少し笑いながらそう言った。


 ✝

 

「へ、へ、へっくしょんっ」

 喫茶店内、客室に水瀬とクロウはいた。クロウはというものの、白い髪から水滴を垂らし肩を小刻みに震わせている。鼻の頭が赤い。ずっと雨に当たっていたからだろう。風邪をひいてしまったかな、と水瀬の良心は思うがそれはクロウのせいだと割り切る。それもそうだ。雨の中傘もささずに立っていたほうが悪い。

「だ、大丈夫かよ」

 しかし、水瀬は良心に逆らえない。こんな可愛い女の子がくしゃみをして情けなく鼻水まで垂らしてしまっているという様子を見ていると心配の一つぐらいしたくなる。いや、するのが普通だと言い聞かせる。それが、人間だとも。

「・・・・・・大丈夫、だ」

 見るからに大丈夫そうではないクロウを横目に見ながら水瀬はメニューを手にとって眺める。気遣いのつもりだ、ありがたく受け取れなどと生意気な事を思ったがそれは顔だけにしておこう、と水瀬は少し笑う。そんな水瀬を不思議がってかクロウは首を傾げた。

 ――可愛い。

 いや、気を紛らわせては駄目だ。そう、水瀬は自信に言い聞かせる。見ず知らずの何故か自分の名前を知っている不審人物なのだと。

「で、注文何にする?適当に頼んでいいか?」

 水瀬の質問にクロウは頷くだけだった。

 まあいいか、と思いながら水瀬は呼び鈴を押す。しばらくして来たウェートレスに水瀬は温かいコーヒーを二つとサンドイッチを頼む。そして、タオルも。

 紳士のたしなみだ、などと勝手な事を思いながらだった。

 やっぱり、ほっとけない性分だ。

 そして、二杯のコーヒーがやって来た。


「あったかい・・・・・・」

 クロウは頬を赤らめてコーヒーを両手で持つ。そんなクロウに水瀬はウエートレスから借りた白いタオルを頭に乗っけた。そして、わしわしと頭を拭く。白髪が乱れたが気にせずに。

「うわわわわわっ」

 驚いたのか一瞬、クロウは退いた。けれど、それが慈善のため自分の為だと知り、大人しく拭かれる。少し赤らめたその顔は、まるでお人形さんのようだった。

「これでいいんじゃないか」

 しばらくして、クロウの頭をタオルから解放する。乱れた白髪を無造作に整えながら水瀬はコーヒーを啜った。今日はブラックの気分なので何も入れずに飲む。さすがに苦かったが、今はその方が丁度いい。

 しかし・・・・・・と思ってクロウを見ると、クロウの前に置かれたコーヒーは減っていなかった。それどころか、クロウはそのコーヒーカップに両手を添えたまま放そうとしない。一体どうしたものかと観察していると、ふいに、色を失ったクロウの唇が動いた。

「ありがとう、水瀬」

 落着いたクロウの口調は、ゆっくりと紡がれた。

「ボクはクロウ。それはさっき名乗った。そう、このボクはご覧のとおり修道女だ。そして君という『救世主』に会いに来た。こんな餓鬼だからっていって油断しないでほしい。ボクはこれでも一五歳だ。水瀬、ボクは君に頼みごとがあってわざわざこの二一世紀・・・・・・の日本にやって来たんだ。あぁ、そうだ。変な顔はしないで。ボクは一九世紀のイギリスに生きる人間だ。つまり、ここまで未来を上って来た訳だ。ユノに繋いで貰ってね。ユノはボクの知り合いの道化師さ。まぁ、そこは気にしないでくれ。そう、趣旨を先に言った方がいいだろうね。そうさ、ボクは君をスカウトに来たんだ。はるばる過去のイギリスから。理由は順を負って説明していこう」

 そこで、クロウの唇は一端閉じられる。水瀬は疑心暗鬼だった。なんというか、信じられない。いや、否定した、クロウの言ったことを。しかし、その張本人であるクロウは両手を添えていた手でコーヒーカップを持ちあげ、音を立てずに飲んでいた。細い首筋が見える。まるでへし折れそうだ。

「苦くないのか?」

 思わず、何も砂糖すら入れずに熱いコーヒーを一気飲みしたクロウに水瀬は尋ねた。尋ねざる負えなかった。

「いや、これっぽっちも」

 クロウは澄まし顔でそう言った。

「苦みがちょうどいいな、これは。全然甘ったるくないね。ボクに合ったコーヒーだね、これは。何ていう名前なんだ?」

「ただの、インスタントじゃないのか、それ」

「い・・・・・・いんすたーと?」

 何故間違える、と思ったが水瀬は突っ込まずにただ、答えるだけにした。

「インスタントだよ、インスタント。細かく砕いたコーヒー豆にお湯を注ぐだけでできる便利なコーヒーだよ。多分、これは・・・・・・いや、分からないな。ただのコーヒーだと思うけれど、考えた事がないからな」

「考えた事が無いっ!」

 あたりまえだろう、と水瀬が思っていたがどうもクロウにとっては異常な事だったらしい。クロウは驚きの表情が隠せないようだった。ただ、口をあんぐり開けている。どうも、水瀬とクロウの価値観は違うようだった。そう、感じた。

「あ、ありえない・・・・・・ボクにはあまりコーヒーの(たしな)みはないけれど、ここまでとは・・・・・・ありえない、絶対ありえないぞ、それは。ということは、紅茶もそうなのか。い、いやいい。どうせ知らないのだろう、この顔はな。話すだけ無駄だ、そう、無駄だろう?」

「知らなくて、悪かったな・・・・・・」

 少し頬を膨らませたクロウを宥めるためでもあったが、水瀬は自粛した。こういうタイプはそうした方がいい、と人生一六年間で学んでいる。謝れるものは謝っておいたほうがいいとも。とはいっても、最近、水瀬は謝った事がなかった。それもそうだ。水瀬は只今反攻中だ。

 しかし、水瀬はクロウに頭を垂れたけれど。

「・・・・・・ま、いい。とりあえず、単刀直入に聞く。――この世界を否定するか?とね」

 同じ質問。しかし、それは水瀬に重くのしかかった。

 なぜなら、その質問の答えは――Yes。つまり、肯定。この世界を否定する、だ。


 水瀬はこの世界を否定している。


 だから、肯定。

 答えは・・・・・・分かるだろう?

「僕は、否定する。この世界を僕は否定している。それが、答えだよ」

「やっぱり、そうだね」

 クロウはさも当たり前かのようにその答えを受け流した。

「じゃあ、この世界を捨てる事ができるかい?」

「捨てる?」

「そうさ、捨てる。この世界を捨ててボクと一緒に来てほしいんだよ、君にね。そして、ボクたちの『救世主』になってほしい。無理にとは言わない。ただのお願いだ」

 クロウは「お願い」の部分だけやけに強調して言った。嘘だろう、と水瀬は踏む。お願いなんかじゃない、強制だ。「必ず」なんだろう。その通り、だった。そして、クロウは続ける。

「ボクと一緒に来てくれ、水瀬珠輝」

 すっと細い腕が差しだされる。黒い修道服で覆われているが、袖の先から覗く手の甲は白く、そして、刺青があった。十字架の刺青。といっても、ただの傷のようにしか思えないほどデザイン性がなく、ただの交差した二本の線だった。そして、その手が水瀬の手を握った。

「お願い、だ」

 赤い瞳がじっと水瀬を見た。見つめた。

「嘘、だろう?それは。どうせ、僕が断ってもクロウは連れて行くんだとう、僕のこと」

 少し笑いながら水瀬は言う。

「そうだね、じゃあはっきり言おうじゃないか。――ボクと契約してくれ、水瀬。『救世主』、だからってボクは甘くないよ。力ずくでもボクは君をボクの支配下に置く」

「いいね、それ」

「え?」

 クロウは水瀬の答えが意外だったのだろう。普通は、ここで拒否する。しかし、水瀬は肯定した。なんの躊躇(ためら)いもなく。

「そうだね、僕はこの世界が嫌いだ。というか、否定する。僕はこの世界に必要とされていないからね。どうだい、予想外、だったんじゃないか?」

「ま、そうだ。その答えは予想外だ。少しぐらいは迷ってくれてもよかったんだけれど。結果としてはボクは良かったんだけど、いいのか、それで」

「別に」

 水瀬は肯定する。どうでもよかった。そんな感じだった。


「じゃあ、話そうか。ボクが誰か、をね」


「――それは、とても面白くてつまらないモノガタリだよ」


 そう、クロウは水瀬に囁いた。


「ボクはただの修道女さ。この服装を見れば分かる通りだ。といっても、これは今の姿。今の、だ。まぁ、深い意味はないよ」

 クロウは笑いながらそう言った。嘘だろう、と水瀬は思ったが言わない事にする。多分それはダークゾーンだ。

「で、ボクは人間じゃない。――いや、信じなくていいよ。誰も信じないだろうからね。まぁ、そう思って聞いてくれると分かりやすい。これは、君にとって非現実的なことだから。

 ――悪魔って信じるか?

 そんな感じだ」

 そんな感じと言われてもよく分からない。一体どういう感じなのかと水瀬は気になったがこれも気にしない。――気にしない事多くないか?

「悪魔、そう、悪魔だ。君みたいな凡人のイメージは山羊の角が生えて蝙蝠(こうもり)のような漆黒の翼を持ち、それまた黒い尾を持った怪物だろう?なんとまぁ、乏しい思考だよ。いや、別に君の事を馬鹿だとか言っている訳じゃないからな」

 馬鹿にしただろう、と水瀬は思った。こういう事を言うこと自体馬鹿にしているだろう、と。

「つまり、こういう事を言う事は・・・・・・分かるだろ?悪魔、はそうじゃない。見た目、はだけれど。そう、見た目は人間とまったく同じ。区別なんてできないさ。だって――ボク悪魔だし」

「あ、悪魔・・・・・・君が?」

「そうだね、そう、言われてる」

 クロウはそう言われるのが嫌なのか水瀬を睨んだ。

「だから、言ったじゃないか。凡人のイメージは糞だとね。そういうことさ。今、この時代で『悪魔』と言われているものは全てボクみたいな人間さ。いや、人間という表記はおかしいね。カトリック教徒、とでも言おうか。弾圧され、虐げられていたカトリック教徒とね。いやぁ、でも、ボクはその一言では表せないよ。ボクはカトリックの中枢、ヴァチカンの人間だ。そこで生育されている殺人兵器だよ、ボクは。分かるか、この意味が。ボクは殺人兵器なんだ」

「それはどういう・・・・・・?」

「文字通り、殺人を専門とする兵器だよ。ボクは人間じゃないからね、悪魔、だからね。もう、この時代からあったのさ、ヴァチカンの秘密計画はね。ヴァチカンの目標は全世界の支配だ。つまり、この地球上にいる人間をすべてカトリック教徒にすればいい。で、そこで作られたのがボクみたいな殺人兵器、だ。日本にも来ているはずだよ。江戸、だったと思うけれど・・・・・・?合っているか、一八〇二年は、江戸か?」

 水瀬は日本史にあった年表を思い浮かべた。そして、

「江戸、だな。ちょうど、幕末の頃か・・・・・・。まだ、ナポレオンは生きているな」

「あぁ、ナポレオンか」

 再び、クロウは不機嫌そうな顔をした。何かまずいことを言ったか、と水瀬は思ったが、まあそうだろう。このころ、イギリスとフランスはあまり仲が良くなかったはずだ。それが影響しているかは分からないが。

「・・・・・・とにかく、そのころだ。そう、その一八〇二年にボクはいるんだよ、今ね」

「つまり、未来に来た、と」

「そうさ」

 クロウはコーヒーのマグカップを眺めながら続ける。

「これも、ヴァチカンだよ。今、この日本にタイムマシンはあるか?」

「ないね、映画にならある」

「えーが?なんだそれは」

 そっちを知らないのか、と水瀬は思わず驚嘆したが軽く説明した。

「あるお話を撮影機で撮ってスクリーンに映し出すものみたいなものと思ってもらえればいい」

「なるほど、それは、活動写真だな」

「その言葉は分かるのか、よ」

「ま、まあな。日本語を勉強した本が古かっただけだ」

 いや、古すぎるでしょう、と突っ込みたくなった水瀬だが、よくよく考えるとクロウの見た目は()西亜(しあ)人だ。日本語が喋れそうな感じではない。しかし、クロウは普通に日本人とは変わらない流暢な日本語を操っていた。綺麗すぎるくらいの日本語を。

「自学か、その日本語?」

「そうだな、自ら学んだ。ボクは、一九ヶ国語を操れるんでね。あ、といっても、漢字とか言うものは書けないぞ。操つれるのは平仮名と片仮名だ。日本語は難しいな、いろいろと。今は、中国語を勉強中だ。よかったら教えてやるぞ。ボクは英語からフランス語、ラテン語、ロシア語、ポルトガル語にスペイン語、ヒンドゥー語などなど操れるからな。自慢じゃないが、特技だ」

 自慢だろ、とまた突っ込みたくなった水瀬だが堪える。

「あぁ、ボクは露西亜人だよ。この白髪と赤い瞳は生まれつきだ」

 ただね、とクロウは続ける。

「ボクは生まれた時から悪魔じゃないよ。というかね、悪魔の定義はたった一つ。

 それはね、その時代時代の負け組だよ。一九世紀前半のイギリスを支配していたのはイギリス国教会さ。だから、それ以外の、特にカトリックの人たちを『悪魔』と言ったんだ。たんなる差別用語さ。

 ――だから、ボクたちがヴァチカンからイギリスに派遣されたんだよ」

 ボクたち、とクロウは言った。達、ということは他にもいるのか?その疑問は水瀬が尋ねる前にクロウが話し始めた。

「そう、ボクたちはホワイト×クロウと名付けられた集団さ。ボクたちはイギリスのカトリック信者を守るために派遣された。武力によって守る、それがモットーさ。でもね、それが苦戦しているんだよ。だから、君の力を借りたいのさ」

「僕の、力?」

「そうさ、君の力。だって、君は『救世主』なんだから。ただね、どうして君が『救世主』なのかボクは知らない。知っているのは法王様だけさ。だから、ボクには君がどれくらい強いのかすら分からないんだよ」

 ただね、とクロウは続ける。

「ボクよりは強いだろうね」

 クロウの赤い瞳は真剣だった。

 そして、その真剣なまなざしのまま、クロウは運ばれて来たサンドイッチにかぶりついた。それがとても可愛く、思わず水瀬が顔を赤らめてしまうほどだった。

「む」

 何故かクロウは不機嫌そうに頬を膨らませた。そして、食べかけのサンドイッチを睨む。一体どうした事かと水瀬が観察していると、クロウは何かに悩んでいるようだった。

「大きすぎるぞ、君」

「いや、君って言われても・・・・・・」

 水瀬は思わず口ごもってしまう。いや、返答に困ってしまった。

「むごごむごごむ・・・・・・」

 いまいち何を喋っているのかすら分からない。口にものを入れたまま話さないでほしい。何を言っているのか分からない。

「ぷはぁ」

 飲み込んだのか、クロウは少し頬を赤らめて水瀬を見た。

「美味しい、サンドイッチ」

「そうか」

 これも返答に困る、と水瀬は思ったが何も言わない。

 そして、水瀬もサンドイッチを頬張った。

 ロースハムとレタス、トマトの味が一気に舌に絡みつく。レタスとトマトのみずみずしさが少しこってりしたロースハムにマッチして美味しい。四二〇円と少し割高なサンドイッチだけある。美味しい。

 最後にはピクルスを二人で食べた。


 そして、二人は喫茶店を出た。

 もちろん、支払いは水瀬。クロウはお金を持っていなかったし、持っていたとしても払わなかっただろうと、すでに水瀬は諦めていた。

 実際その通りになったわけだが。


 外はついさっきまで雨が降っていたのが嘘みたいに晴れていた。

 クロウは水たまりを踏みながら水瀬を先導する。

 そして、二人はある『場所』へと向かった。


 水瀬は、ただ、この不思議な少女、クロウの後について行った。興味本位で。


  ✝


 廃墟。

 そこは、そう現すのにふさわしい場所だった。

 荒れ果てた場所、そこに水瀬とクロウはいた。

 あたりには天井に穴が空いているせいか水たまりができており、眩しい太陽の光がその穴から洩れている。その太陽が照らし出す地面には見事な赤い十字架の模様が彫られていた。

 しかし、その模様がある所以外は汚いと表現できるほど汚く、異臭が充満していた。血の匂い、死体の匂い、吐瀉物(としゃぶつ)の匂い・・・・・・とにかく臭い。特に、暗い所は冷たく湿っており、白骨化した遺体らしきものがいくつか転がっていた。

 不気味な場所。

 そんな荒れ果てた場所にクロウはなんの躊躇(ためら)いもなく入って行った。

「ここは・・・・・・?」

「ボクのいる時代とこの場所、時間を繋ぐ場所だよ。今から、ボクたちは一九世紀のイギリスに行くんだ。そうしないと話が始まらないからね」

 黙ってしまった水瀬にクロウは続ける。

「今頃、躊躇するのかい?」

「・・・・・・いや」

「そうか」

 クロウは少しつまらなさそうに呟いた。

「もう、帰ってこれないぞ、多分だけれど」

 クロウは念を押すように言う。しかし、水瀬は何も言わなかった。ただ、クロウの赤い瞳をじっと見つめるだけだった。

「それは、さすが『救世主』だと言うべきかな。いや、変人かな。とにかく君は変わっているよ。普通、生まれた世界を人間は誰しも離れたくないのにさ。君は離れたい、そうみたいだ。どうしてだ?ボクはそれを君に尋ねたい」

「簡単さ」

 水瀬はそう言いながら天井を見上げた。太陽が眩しい。


「僕は、この世界にいらないから」


「いらないものだからだよ」


 そう、水瀬は言葉を続けた。

「というかさ、さっき、力ずくでも連れて行くとか何とか言ったよね、クロウ。それは、この質問と矛盾してるんじゃないのか?」

「そうだな」

 ちぃ、とクロウは舌打ちした。何だよコイツ。

「でもまぁ、そうだね。これ、反抗期かもしれないな。この世界が憎い、嫌いって。でも、僕は特別だろうな、この意味では。そう、僕は学校で嫌われてるのさ。特に教師にね。でも、生徒の中では僕のことを『ヒーロー』なんて呼ぶ奴もいる。馬鹿げたことだよ、これは」

 水瀬が過去を思い出す様な遠い目をした。

「『ヒーロー』か。それは、『救世主』と何も変わらないじゃないか。で、一体何があったんだ?」

 何があった、か。

「さぁ、どうだろうね」

 水瀬はそんなこと知らん、とでも言いたかったが少し誤魔化す。しかし、その返答は意外だった。


「――鴉、白い鴉を助けたのか?」


「白い、鴉・・・・・・そうだけれど」

 何で知っている、と水瀬は言いたかったがそれはクロウによって語られる、と思いきや・・・・・・。

「そうか」

 クロウはそう言っただけで何もその白い鴉については語ろうとしなかった。ただ、クロウは知っているのだろう、白い鴉の事を。それだけは水瀬でも分かった。

 しかし、クロウは話を逸らした。

「で、いいんだな。この世界は、もう」

 いきなりの話しの切り変わりで水瀬は戸惑ったものの、水瀬はその問いに肯定する。

「そうか」

 クロウは平然な顔でその答えを受け入れると少し笑った。そして、クロウはすっと息を吸った。何かを心に決めたかのように。両手を模様の上に置いた。そして、


「――時渡リ、解」


 と、叫んだ。


 次の瞬間、

 耳障りな音、そして、揺らぐ世界。

 幾何学模様が現れ、二人を吸い込んだ。

 耳障りなノイズはすでに慣れる。

 鐘の音、笛の音・・・・・・数多の音が重なり、調和して一つの音楽を導き出した。

 それが、ノイズを覆い隠し自らの音を構築する。

 カカカカカ

 醜い笑い声、雑音

 数多に聞こえる雑音はすでに現実的ではなかった。

 すでに、非現実。

 信じられないようなそれは、水瀬に降りかかっていた。



 ――そして、水瀬の意識はブラックアウトした。


 さて、長いです

 でもこの作品はこのペースで更新していく予定です。

 ただ、少し更新が遅れるかも、いや、遅いはず・・・


内容付け加え6/12

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