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3、第二の失踪

 ●4


 案の定、ボートの底板の隙間から二本目のカセットテープが発見された。

 さっそく木崎がどこからか借りてきたラジカセで再生してみたところ、男女ひと組の淡々とした短い会話が録音されたもので、しかもどこかで聞いたことがあるようだと井島は思った。もちろんこの男女の声には聴き覚えなどなかったが。

 そう、このやりとりはどうも……。


「なんかの取り調べっぽいと思いませんか?」

「え、ええ。そうですね」


 ぎくりとして井島は答えた。


「うちの課でもちょっと噂になったんですよ、男の声が強行犯捜査三係の高任警部の声に似てるって」

「ということは、前の事故のテープにもこの男女の会話が入ってたんですか」

「あ、そうですそうです。ついでに聞いてみますか」


 木崎はラジカセの取り出しボタンを押すと、上着の内ポケットから別のカセットテープを引っ張りだした。よく見ると今回のテープと同じメーカーのものだ。薄い灰色のケースに朱色の線が入ったデザインの、とくに特徴のないテープ。

 再生された内容はほぼ同じものだった。刑事らしい男性とカガミアワコなる女性の取り調べ。

 井島はこれまで捜査一課とはあまり付き合いがなく、高任警部という人物もよく知らないが、単純に会話を聞いている分にはその高任警部がどこかの女性カガミアワコを取り調べているようすが想像できる。


「それで、その高任警部は何と?」

「そんな人は覚えてない、の一点張りです。自分の声だってとこは否定はしないみたいですけどね。でもなあ、高任さんは記憶力いいほうだし、もしほんとに忘れてたって、これを聞けば思い出せると思うんですけどね」


 残念そうな木崎の言葉はつまり、高任警部が何らかの理由でテープの視聴を拒否したことを示していた。でもそれでは自分は関係者ですと言っているようなものだと思うのだが。

 木崎がテープをしまっている間、井島はもう一度ふたつの事件について考えてみた。

 まず秋の事故。木崎に見せてもらった資料によると、被害者は窃盗および傷害容疑で起訴直前だった山倉達という無職の若い男。財布などが入った上着とカセットテープがボートで月重湖に浮かんでいるのが発見され、財布に入っていた彼の免許証と、彼の知人の証言から彼の上着だと断定された。また彼らしい人影がその上着を着て湖に向かう姿も目撃されている。しかし彼には動機らしい動機が見当たらず、一度は事故として処理されてしまった。

 次に今回の事故。被害者は、一度は贈賄容疑がかけられたことのある赤坂栄治。リゾート開発企業の重役で、また贈賄があるとのタレ込みつきだった。やはり彼の名刺入れや財布などが入った上着がボートに乗って湖を漂っているのが発見されている。

 ふたつの事件の共通点は、どちらも月重湖で起きたことと、財布など金目のものはなくなっていないこと。遺留品はボートに乗せられ、なぜか古いカセットテープが添えられていて、しかも失踪か自殺かしたらしい当人はきちんと目撃されている。

 今のところ山倉と赤坂のふたりには犯罪歴があるほかに共通点は見つかっていないが、これが連続失踪にしろ連続自殺にしろ、まったく関係のないふたりが似たような消えかたをするはずがない。

 何かある。井島は本能的にそれを忌避したくなった。何か嫌なものが背後に蠢いている気がしたのだ。そう、後輩を殺したのと似たような、嫌な感じのする、薄暗い影の存在を。



 ●5


 井島の嫌な予感は願ってもいない形で的中した。

 捜査二課では赤坂の捜索のため井島をそのまま待機させ、別の刑事をさらに何人か派遣すると決定された。なぜかあの先輩刑事は別の事件に担当替えされたらしい。それで赤坂の足取りを細々と追っていた井島たちだが、その捜査のさなか、またしても失踪者が出たのだ。

 すぐさま木崎から連絡が入った。だいたいの経緯は前のふたつの事件とほぼ同じで、捜査一課では連続殺人の可能性も考え始めたらしい。


「で、またテープが見つかったんですよ」


 井島から頼んだつもりは毛頭ないが、木崎はいそいそとラジカセを持参してきた。念のため確認すると三本目も同じメーカーのテープで、内容もやはり同じ。


「俺、思ったんですけど、連続殺人の線が固まれば高任さんもこっち来るんですよ」

「はあ」

「だからぁ、俺と井島さんで証拠を掴むんですって! 高任さんを一課から引っ張り出してこのテープ聞かせましょうよ」


 そこになぜ僕を巻き込むんだ、と言いたかった。


「ほら捜査一課はどっちかっつーと体力派で二課は頭脳派だから、俺の体力と井島さんの頭脳を持ってすれば、いいコンビになれると思うんですよね」

「あの、木崎くん……たかだか一週間で、どうすれば僕のことをそこまで買いかぶれるんだい」

「はは、ご謙遜なさって。それよりテープ聞いててなにか気づいたことはありますか?」


 木崎がやんわりとはぐらかしたことにはむっとしたが、逆にそれが彼らしくなくて少し井島を緊張させた。落ち着こうと巻き戻しボタンを押しこみ、きっちり最初まで戻して、また再生する。……カガミアワコ、と、いいます。女性の声は震えているようだった。取り調べ中ならおかしなことはないか。

 しかし井島の脳が違和感に気づいたのはすぐあとだった。


『具体的にはどのような用事でそこに?』

『それは、私の仕事を行うためにです』

『仕事?』

『はい。直して、整理をする、大事な仕事です』


 井島はふと木崎を見た。向こうもこちらを見ているが、何か通じあえたというよりは、急に顔を向けられたので思わず反応したという感じだった。名コンビにはまだ遠いな。


「気づきました?」

「ぜんぜん。あともう敬語はいいですよ、俺より歳も立場も上なんですから」

「いや、さっきのは不慮だよ……その、カガミアワコさんの言葉がちょっと変化してると思うんだ」

「なんだって! よ、よし、一本目から通して確認しましょう」


 興奮した木崎をなだめつつ確認したが、変化しているのはカガミアワコの言葉だけらしい。高任警部(仮)の質問はまったく変わらず、カガミアワコの返答が、少しづつ違う言い回しを遣ったり、言い淀んでいた部分が短くなり、一言増えている部分もあった。


「発見ですね井島さん! で、この変化が今回の連続失踪とはどんな関係が」

「まずテープと事件の関係がわからないんじゃ、なんとも……」

「あ、そうですね。で、そのためには高任さんを引きずり出すための証拠を探さなきゃいけないでしょ、やっぱり」


 乗り気の木崎には悪いのだが、井島の本来の目的は失踪した赤坂の行方を捜すことだ。もしも彼がまだ生きていて、なおかつ警察に尾行されていたことに気づいてわざと失踪したのなら、どこかで贈賄の計画を建てなおしている可能性もある。

 もっとも赤坂の泊っていたホテルからは彼の所持品がほとんど欠落なく発見されていて、その中にはパソコンや当時まだ普及し始めたばかりの携帯電話も含まれていたから、贈賄の相手と連絡をとることができるのかどうかはわからない。潜伏先にそういった機器があれば話は別だが。仮にこれが誘拐か拉致だったとしたら今度こそ捜査二課の出番はない。

 そう。失踪ではないという証拠があれば、これ以上は木崎に振りまわされないで済むはずだ。

 しばらく一課と協力して情報を集めます、との旨を二課の刑事たちに伝えた井島は、もう一度ボートの遺留品を調べることにした。それにまだ第三の事件についてはカセットテープしか確認していないのだ。


「秋のほうは上着もまだ薄手のもの……中に入っていたのは財布に免許証とキー、煙草、あと保険証も」

「鞄とか持たないんですかねこの人」

「そうだね。あ、絆創膏と胃薬も持ってたんだ」


 煙草の箱にはキシリトール入りガムが入っていた。歯を守りつつ禁煙しようとしていたのだろうか。財布の中身は紙幣と小銭がいくらかに、もろもろのカード類、古いレシートなど。とくに特徴といえるものはない。

 ついでにそれぞれが泊っていたというホテルから荷物を持ってきてもらい──そう、赤坂以外は観光のためにこの地を訪れたと考えられている──、そちらも確認する。赤坂の荷物に関しては彼の秘書を務めていた女性も立ち会わせた。予定は彼女が管理していたからだ。ちなみに件の贈賄の予定時刻には、私用で出かけることになっていたという。

 いかにも手がかりがありそうな日記やメモ帳のたぐいを凝視している木崎を放置し、井島はレシートとカードを被害者別にまとめていた。


「お、目の着けどころが二課っぽいですね」


 二課イコール金銭絡みの捜査、というテンプレを感じる発言だ。それはともかく、井島はさっそく仲間の刑事に連絡を入れ、これらの記録とともにいくつかの調査を頼んだ。


「さて、次はきみのほうの仕事だ」

「はい?」

「あのねえ……テープの中でも言ってたでしょう、月重湖レイクサイドホテルって。まずこのあたりの宿泊施設からそのホテルを探して今でも営業してるか確認して、それから過去に月重湖周辺であった事件をぜんぶ確認すること、あと……」

「了解でありますっ!」


 冗談めかして敬礼で応えた木崎はホテルの部屋から飛び出していった。近場のホテルで一時的に借りたのだ。

 知らないうちに溜息をついていた。正式な捜査班を組んだわけでもないのに、思わず後輩を相手にしたときのように指示を出してしまった。自分にはもう後輩はいないのに。



 ●6


 その後、二課からの報告を受け取った井島はひとり静かにそれを整理していた。そこへ木崎が慌ただしくドアを開く。風圧に舞い上がったメモを井島がわたわたしながら捕まえている間、木崎は木崎でまたカセットテープを再生していた。


「報告しますよ! えー、月重湖レイクサイドホテルという名称の宿泊施設は現在営業してなくてですねえ、似たような名前のホテルを当たってみたんですけど手ごたえなし。で、廃業したホテルがないかも確認しましたがそれもない」

「存在しないホテル……ってこと?」

「と思ったら、なんと昔その名前で営業していたっていうホテルが見つかりまして。六年前に経営者が変わって、そのときに名前も変えたらしいです」

「ということはテープは少なくとも六年以上前に録音されたものか……」

「はい。んで、月重湖の周辺であった事件と事故をリストアップしてきましたよ。直接見たいかなあと思って」

「はは……、ありがとう」


 つい乾いた笑いが洩れる。それでも木崎は気にせずに資料を並べて見せた。といっても、大した量ではなかったが。

 観光地だけあって窃盗が多い。スリに引ったくり、空き巣に強盗、売店では万引きもよくあったようだ。しかもそれ以外では殺人事件もあったらしい。ついでにある誘拐事件の捜査範囲が重なっていたといって加えられていたが、たぶんこれは関係ないだろう。ほんの二年前の事件のようだし。

 六年以上前のものにだけ絞り、地図上にそれぞれの現場の印をつける。ホテルの密集地はすぐ真赤になった。湖とその公園が現場になっているものはそれほどないようだ。


「木崎くん。この担当刑事の名前だけど、高任晃也というのは件の高任警部?」

「あ、そうです。捜査一課には他に高任って刑事はいないし、同期の人たちからコーさんって呼ばれてましたから」

「なるほどね」


 井島は高任が関わっている事件を抜き出すことにした。それがカセットテープに繋がる可能性が高いからだ。だが、どの事件にもクラチとかカガミといった名前の参考人はいない。もちろん音を聞いただけで字がわからないから見逃した可能性もなくはないが。

 事件ではないなら事故のほうか。井島は指示を出したときは事故までは頼まなかったのだけど、木崎は意外に気がつくほうなのだなと、井島は少しだけ彼を見直した。

 改めて事故のほうを見てみると、高任が担当した率はぐっと少なくなっていた。


「これかな」


 被害者の名前は倉知康夫。ボートに乗っているのを目撃されてから行方不明になり、水死体となって発見された。その現場の状況や関係者の証言から湖に転落したものと断定されたらしい。恐らく彼がクラチなる人物だろう。

 そして発見者は各務安和子という女性だった。カガミアワコと読める名前だ。間違いない。

 しかし各務安和子と倉知康夫が一緒にいるのを見たという証言も存在したらしい。そして倉知康夫の恋人、春川公恵が各務安和子こそ倉知康夫を溺死させた犯人だと主張していたというメモも挟んであった。手書きのメモは高任本人のものかもしれない。かなり荒い筆致だ。

 しかし転落した時刻には、安和子が湖の反対側にいたことがわかっている。『竜の寝姿』でいうと、事故現場は竜の右後ろ脚で安和子がいたのは左の前脚、もちろんその間には橋などの横断設備はない。しかも刑事の誰かが実験したところ、ボートを全力で漕いでも最低三十分はかかることがわかったという。誰だか知らないがご苦労なことだ。

 つまり安和子には犯行は不可能。それに倉知が目撃されたとき、ボートにはひとりで乗っていたという。事故発生時はすでに日が落ちかけていて、ボートを借りている客はかなり減っていたし、全員何かしらの目撃証言があったため、倉知を殺害できる人物は存在しないということになった。

 それで結局、公恵の主張には裏づけもなかったので、倉知の死は事故として処理されることになったようだ。


「たしかにそうみたいですね。じゃ、ほかのは一旦片づけておきますんで」

「うん」


 これだけでも、高任を呼びだすにはまだ足りないだろうか。


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