私を否定しないで
――これだから人族は嫌なんだ。
朝食後に自室へ戻ったベルトルドは、愛用している剣を手に取った。鏡の中には不機嫌そうな自分が映っている。感情を抑えようとしても上手くいかない。この衝動はウルリカの存在を知ってからずっと続いている。
彼女が落としたハンカチで番の存在に気がついたとき、本当は自分の足でテーレを捜索したかった。種族も年齢も分からない。それでも会いたいと心が望んでいた。
存在を知った番を求める気持ちは、飢餓に近いとベルトルドは思う。番でなくても他人を求める心の飢えは満たせる。だが最上位の存在があると知ってしまうと、なんとしてでも欲しくなる。
初めて会ったウルリカは弱そうに見えた。獣人の特徴である尻尾や角はなく、エルフのような長い耳もない。人族はエルフや魔族に次いで魔術に優れていると聞くが、ウルリカの不安そうな振る舞いを見れば、戦ったことがないのは一目で分かる。
身を守るための手段を持たず、使用人たちの視線に耐えている姿は、強烈な庇護欲を呼び起こした。今すぐ自分の部屋へ連れ去り、閉じ込めておかなければならない。だが無遠慮に触れてしまえば、壊れてしまいそうだ。
心の中で葛藤するベルトルドに対し、ウルリカは警戒心をあらわにしていた。緑色の瞳を不安で曇らせ、ベルトルドから視線を外さない。
彼女が番なのは間違いない。ではなぜウルリカは心を閉ざしたままなのか。
――やはり番を感じる本能が弱いせいか?
これだから人族には関わりたくないのだ。獣人なら本能で理解することなのに、彼らは鈍すぎて気がついてくれない。人族は何でも言葉にしようとする。だから本能が退化して、大切なことに気がつかないのだ。
ベルトルドはどう接すればいいのか分からなくなった。もともと女性は苦手だ。何を考えているのか簡単には教えてくれない。察してくれと言わんばかりに遠回しな好意や要求を伝え、思い通りにならないとすぐ不機嫌になる。自分たちは何も与えようとしないくせに、常に何かを求めてくる姿が不快だ。
特にベルトルドの外見に興味を持って近づいてくる女性は厄介だった。相手をしてもらおうと、あの手この手で関わろうとしてくる。興味がないと伝えれば、今度は周囲を味方につけた泣き落としまでする者もいた。
だからベルトルドは女性が関与しにくい仕事へ逃げた。魔獣が闊歩する森やダンジョンに好き好んでついてくる女性はいない。実に快適だった。
そんなベルトルドだったが、番の存在を知ったときは心が躍った。番なら余計な駆け引きをせずとも、お互いを理解しあえる。そう期待していたのだが、現実は甘くなかったようだ。
話しかけたいけれど、最適な話題を知らない。女性との会話から逃げてきたツケが回ってきた。そもそも平民のウルリカに、貴族女性と同じ話題を向けてもいいものだろうか。
ウルリカは宝石を持っているかどうかも怪しい。香水の匂いはしなかった。家に花を飾る習慣はあるだろうか。
ベルトルドが領地のために行なっている魔獣討伐の話ならいくらでも話せるが、ウルリカに聞かせても退屈してしまうだろう。彼女から魔法薬の話を聞くことも考えたものの、ベルトルドが持っている魔法薬の知識では専門的な会話など無理だ。
「ベルトルド様。お客様が外出の許可を求めておられます」
使用人がウルリカの要望を伝えてきた。
外は危険だ。更新されるダンジョン目当ての狩人たちが日に日に増えている。貧弱な人族が喧嘩に巻き込まれてしまったら、無傷では済まないだろう。
それだけではない。貴族の番が町にいると知った者に襲われる可能性もあった。貴族の番は身代金目当ての誘拐や、憂さ晴らしの道具として狙われやすい。ウルリカは住み慣れた町だから大丈夫だと考えているのだろうが、その油断が犯罪に巻き込まれるきっかけになる。
――食事もろくに摂っていないのに外出だと? 途中で倒れたらどうするんだ。
朝食時のウルリカは顔色が悪かった。儚げな姿がより一層際立ち、心配になるほどだった。体調を考慮して早めに部屋へ戻ってもらったのに、外へ出たら意味がない。
「却下だ。外へ出すな」
「かしこまりました」
自分の番を守れるのは自分だけ。使用人は権力で押さえつけることができる。だが屋敷の外で使える権力など、たかが知れている。番を誰にも奪われないようにするには、宝石と同じように鍵がかかる場所に入れておくしかない。
「ケネトを呼んでこい。今日はダンジョンへ潜るぞ」
ベルトルドがテーレのダンジョンに入るのは、主に狩人たちが問題行為をしないように見張るためだ。
一箇所に大勢の狩人が集まれば、多少なりと衝突がある。些細なきっかけで生死に関わる乱闘に発展することも珍しくない。血気盛んな狩人たちを大人しくさせる方法はいくつかあるが、最も効果的なのは彼らより強い力で抑えつけることだった。
ベルトルドと彼の忠実な部下たちの力なら、暴れている狩人程度なら楽に取り押さえられる。テーレのダンジョンに入るために必要な許可証は、父親であるヘルニウス伯の名前で発行していた。ベルトルドに許可証を無効にする権限はないが、部外者はそのことを知らない。よって許可証がないと仕事にならない狩人たちは、ベルトルドの前では大人しくしていた。
しばらくして武装した腹心の部下が現れると、ベルトルドは屋敷を出た。前庭から建物を見上げ、ウルリカに与えられた客室を探す。一つだけカーテンが揺れた窓があった。あそこにウルリカがいる。
今すぐ彼女のところへ行きたいが、ベルトルドにはやるべきことが山積みだった。ダンジョンが更新されて狩人たちの熱狂が落ち着けば、いくらでも時間に余裕ができる。
「狐は見つかったか?」
ケネトに尋ねると、彼の茶色い耳がピクリと動いた。彼には情報屋として雇ったエリクを探すように伝えている。番の詳細が明らかになったとき、ウルリカとエリクは付き合いがあったことが判明していた。自宅にウルリカがいなかったのは、エリクが隠したせいではないかという疑惑がある。ウルリカがエリクのマントを身につけていたのが証拠だ。
エリクは番のことを知っていたにも関わらず、ベルトルドに教えなかった。報酬は後払いだったので金銭的な問題はない。だがエリクが素直にウルリカの情報を売っていれば、貴重な時間を消費せずに済んだのだ。その件について彼を問い詰めておきたかった。
獣人なら番を得る喜びを理解している。だからこそ許せない。
「まだです。奴はベルトルド様から依頼を受けた直後、借りていた宿を引き払っていました。顔見知りのところにも現れていません」
「……逃げたな」
「おそらく」
ベルトルドは待機させていた馬車へ乗り込んだ。後から乗ってきたケネトが合図をすると、馬車は滑らかに走り出す。
――平民の知恵では、あの程度の小細工が限界か。
番探しを邪魔されたことに腹が立ったが、力を持たない者の精一杯の抵抗と考えると微笑ましくもある。ウルリカを保護した今、エリクにできることなどない。
テーレの町や屋敷に近づかなければ、寛大な心で見逃してやる。それが貴族の慈悲というものだろう。




