あなたは私の番4
目覚めた時の気分は最悪だった。惜しみなく高品質の綿や羽毛を使った温かいベッド。肌触りが良く洗濯したてのシーツと夜着。ウルリカの起床を見計らったかのように部屋を訪れ、カーテンを開けるメイド。全てがウルリカの心を暗くさせる。
貴族の番などというのは、悪い夢であってほしかった。
「おはようございます」
「……おはようございます」
部屋に来たのは、昨日とは違うメイドだった。狼獣人なのは変わらないが、自信がなさそうな態度が気になる。うつむきがちな顔にはそばかすがあり、あまりウルリカと目を合わせようとしない。だがディルマイアのような自信満々で攻撃してくる人よりは、まだ話が通じそうだ。
「ええと……あなたは?」
「アンと申します」
「昨日のメイドたちじゃないんですね」
「メイド長は他の業務との兼ね合いが難しく、専属でお仕えするのは困難でございます。もう一人のリリロッカは、お客様に失礼なことをしたのでお世話から外してほしいと本人から申し出がありました」
「あなた一人に押し付けたわけではなく?」
「それは……」
アンは困った顔で黙ってしまった。
「正直に言ってもらってもいいです。私が歓迎されてないのは最初から分かってました」
「申し訳ありません。狼族は決して排他的な種族ではないのです。仲間を大切にするあまり、度が過ぎてしまうことがありまして……」
昨日のは仲間意識というよりも、他種族への差別が根底にある気がした。だがそれをアンに伝えたところで意味がない。
「着替えをお持ちします。その後はベルトルド様と朝食を共にしていただきます」
どうせ拒否権などないのだろう。ウルリカは素直に従うことにした。
用意された服は、たっぷりとレースを使った贅沢なものだった。肘のあたりで大きく広がった袖口は女性らしい腕を際立たせる一方、調薬や家事をする際に引っかかってしまうだろう。靴はウルリカがいつも履いているものより踵が高い。
アンは服の他に塗り薬も持っていた。
「傷跡が残らなければいいのですが……」
怪我をした張本人よりもアンがうろたえている。怪我に対し多すぎる量の薬を塗ろうとしていたので、ウルリカは自分で塗ることにした。
「たぶん、これぐらいならそのうち消えると思います。薬、ありがとうございました」
もしアンが昨日のメイドたちのような態度だったら、素直に礼を言えなかった。
「わ、私はそんな……お礼なんて……」
アンは小声でつぶやいた後、完全に黙ってしまった。さらに焦っているのか、着替えの手順を何度も間違えてしまう。メイドとしての経験も浅いように思えた。ウルリカは一人で着替えたかったが、いつも着ている服とは構造が違っているため難しい。貴族の服は使用人が着せることを前提に作られているので、アンの手伝いが必要だった。
ようやく着替えを終えて食堂へ向かうとき、アンは思い出したように話しかけてきた。
「使用人への敬語は不要ですので、お気をつけください。いつでも話しかけていただいても構いませんが、基本的にはいないものとして扱うのが貴族の常識です」
「……そうなのでしょうね。でも私は貴族じゃありません。ここへ連れてこられただけの立場で、偉そうにしたくないんです」
「ですが……」
「貴族には貴族の決まりがたくさんあるんでしょうね。私は生まれてからずっと、テーレの町で育ちました。だから貴族のことは分かりません。アンさんみたいにメイドの服を着ていても、本当は違う人かもしれませんし」
うつむいていたアンが顔を上げた。用心深くウルリカを観察している。その冷静な振る舞いは、ウルリカの予想を確信に変えた。
「あなたの本当の仕事は、メイドじゃありませんよね? 仕事に慣れてないみたいだし、昨日のメイドたちよりも手が綺麗すぎます」
アンは両手をへその辺りで握りしめた。
「それは……まだ私が新人だから……」
「うつむいているから内気な性格なのかなって思ったけど、なんだかそう見えるように行動しているような気がして」
ウルリカが学校へ通っていたとき、同級生の中に内向的な女子生徒がいた。常に声が小さくて、喋り方も自信のなさが表に出ていたのが特徴的だった。その生徒と比べてアンは伝えるべきことを堂々と喋りすぎている。目線も合う。本当に内向的なら、相手の目を見て話すことなどできない。
「あなたは事情があってここにいるんだと思います。その事情には深入りしたくありませんし、できれば知らないまま出ていきたい。後になって本当の姿になったアンさんから、過去の無礼な振る舞いを糾弾されなくないんです」
「私はそのような卑怯なことはしません」
「ごめんなさい。酷いことを言っているのは分かってます。でも私はこの屋敷にいる人は全員、信用できません。上の人の命令があれば、誘拐でもなんでもできるんだって知ってしまったから」
普通に接してくれたアンも信用できない対象に含めるのは心苦しいが、彼女も貴族側の人間だからウルリカの味方とは言えない。最終的にはベルトルドの側につくのだろうと想像できるからこそ、一線を引いた付き合いをしたかった。
信じた人に裏切られたくない。アンを信じないことで、ウルリカは自分の心を守っていた。
「……お客様は番に会いたくなかったのでしょうか」
「私は会いたくありません。今までの生活を全部捨てさせられて、恋人と無理やり別れることになったんですから」
アンは何も言わず、困ったようにウルリカを見つめた。
「食堂はこの先ですね」
返事を待たずに行くと、開け放した扉の前に使用人が立っていた。ウルリカが近づくと黙って頭を下げる。昨日の間に情報共有がなされたのか、ウルリカを蔑んだり不快なものとして扱う態度はない。
使用人への教育が行き届いているといえば聞こえはいいが、腹の底で何を考えているのか分からなくなったということだ。昨日の態度で友好的ではないのは確定している。
もしウルリカが絶対的な上位者の機嫌を損ねたら、彼らは牙を剥いてためらいなく噛み付いてくるだろう。
食堂にはすでにベルトルドが来ていた。入ってきたウルリカに冷ややかな視線を向ける。
「遅かったな」
「着替えに手間取りました。申し訳ありません」
アンの仕事は道案内までなのか、食堂に彼女の姿はない。
使用人が並んだ椅子の一つを引いてこちらを見たので、そこがウルリカの席だと分かった。ウルリカが座るとすぐに使用人たちが動き、朝食が乗った皿を出してきた。
薄切りにした肉は、香草で風味をつけて塩漬けにしたハムだ。加工方法は珍しいものではない。テーレの家庭では保存食としてよく知られている。だが使われている肉は魔獣ではなく家畜だった。
餌代や飼育場所が必要な家畜は、テーレに住む平民にとって高級品だ。特別な日に奮発して食べるもので、なんでもない日の朝食には絶対に出てこない。
琥珀色のスープには具材が入っていないが、濃厚で複雑な味がする。どんな食材をどれほど使えば、こんな味になるのか想像できない。
温かく香ばしいパンは柔らかかった。屋敷の厨房で毎朝焼いているのだろうか。テーレではパン屋が週に一度だけ焼いたものを買うのが普通だ。ずっしりと重いパンは日を追うごとに硬くなる。ちぎってスープに浸しておかないと、食べるのは難しい。
美味しいはずなのに、ウルリカは食事を楽しむことができなかった。
働かなくてもこんな生活ができるのは、幸せなはずだ。ベルトルドは番のウルリカを冷遇する気はないらしい。ウルリカを虐げようとした使用人は処罰され、遠ざけられた。もしウルリカではない別の誰かがこんな待遇を受けていたなら、心の底から羨ましいと思っただろう。
これからは、ずっとこんな日々が続くのだ。何も心配せず、ただ番に大切にされて、笑っているだけでいい毎日が。
半分ほど食べたところで、ウルリカはフォークを置いた。
「……食べないのか」
「すいません。あまりお腹が空いていませんでした」
「謝ってどうする」
怒っているような呆れているようなベルトルドの物言いとは逆に、一瞬だけウルリカを気遣う表情を見せた。すぐに消えてしまったので見間違いかもしれない。
「食事が必要ないなら部屋へ戻れ。無言で見物される趣味はない」
「……失礼します」
突き放してくる言葉は冷たいが、今はそれがありがたかった。今までの生活と違いすぎる環境に置かれて目眩がしそうだ。
与えられた部屋へ戻ると、アンと別のメイドがベッドを整えている最中だった。
「顔色がよろしくないようですが……」
「疲れているんです。きっと。色々なことがあったから」
ウルリカはしばらく一人になりたいと素直に告げた。アンたちは何も聞かずに、交換したシーツを持って部屋を出ていく。静かに扉を閉めたのは、彼女たちなりの気遣いだ。
誰もいないのをいいことに、ソファに寝転んだウルリカは、天井の装飾を眺めた。
――悪い夢だったらよかったのに。
短い間だったが、番のベルトルドに会った。やはりウルリカには番と番以外の差が分からない。キーリアのように心を鷲掴みにされて目が離せなくなるような衝動はなく、むしろ彼とは関わりたくないと思ってしまう。
もっとこちらから話しかけるべきだっただろうか。ベルトルドは沈黙していると怖く見えるだけで、打ち解けると言葉も優しくなるのかもしれない。彼は人族とあまり接したことがない様子だったから、まずは偏見を捨ててもらわないと普通の会話に困る。
仲良くなるには時間がかかる。問題は、ウルリカに仲良くなる努力をする気持ちがないことだ。




