あなたの隣だから私は笑顔でいられる
「……どうしたの。これ」
ウルリカは自宅に届いた大量の荷物に言葉を失った。決して広くない家の中に運びこまれ、開封される時を待っている。試しに玄関近くに置かれた箱を開けてみると、テーレにいた頃に履いていた靴が出てきた。
「ウルリカの家にあったものを送ってくれたみたいだね」
荷物の目録を見ていたエリクは、同封されていた手紙を渡してきた。宛名はウルリカになっているが、差出人はイニシャルしか書いていない。だが手紙に使われている紙は上質なもので、封蝋にも相手の身分が予想できる印が押されていた。
手紙にはベルトルドの丁寧な謝罪の言葉と、荷物を送ったことへの説明が書いてある。
「私たちがテーレに戻って家財を運ぶのは大変だから、代理で送ってくれたんですって。取りに行く手間が省けて良かったわ」
荷物は衣服だけでなく本や両親との思い出の品など、いつか取り戻したいと思っていたものもあった。服に関しては、アンと彼女が信頼している女性たちが荷造りをしたそうだ。
「いつでも帰ってこられるように、家はそのまま残してくれているそうよ。希望するなら買い取りもしてくれるらしいけど……」
「ウルリカがテーレに戻りたいなら、いつでも引っ越すよ?」
せっかくの申し出だが、ウルリカは首を横に振った。
テーレに戻るという選択肢はない。友人や知り合いには、ウルリカがベルトルドの番であることは知れ渡っているだろう。
番の本能を尊重するテーレで、別の男性と駆け落ちしたウルリカが受け入れられるとは思えない。彼らには引き続き、ベルトルドの番だと勘違いしてもらった方が、お互いに平和でいられる。
「いいえ。買い取ってもらおうかしら。テーレに戻って、もしまたあの人に出会ったら、今度こそ面倒なことになりそうだもの。私とあの人は偶然会わないように、距離を置くぐらいでちょうどいいのよ」
思い出の家が金銭に変わるのは少し寂しいが、きっと両親はウルリカの判断を肯定してくれるはずだ。
***
季節は巡り、短い夏が終わろうとしていた。あの冬の出来事から、ウルリカの周囲ではいくつか変化があった。
春にエリクと夫婦になったあとで、それぞれの職場に報告すると、ささやかな宴会を設けてもらった。結婚といえば、神殿で神に祈って、住民情報を管理している行政に書類を提出して終わりだと思っていたのに、賑やかで楽しい思い出になった。
ベルトルドから送られてきた荷物には、母親の婚礼衣装も含まれていた。それを発掘したエリクが慣れた様子で手直しをして、宴会でウルリカが着用している。
職場では大きな動きがあった。ダンが長年研究していた、番の本能を抑制する薬を完成させたそうだ。
フランシスのお守りから解放されたダンは最大のストレスが消え、穏やかで思慮深い本来の性格が表に現れるようになった。また邪魔をされず研究に集中できるようになり、薬の完成にこぎつけたようだ。
薬の量産化にはまだ課題があるものの、番の本能に振り回されずにいられるとあって、すでに各方面から問い合わせが来ている。
結婚しても変わらない生活になるだろうと思っていた通り、ウルリカ自身が劇的に変わることはなかった。仕事をしていれば時間が早く過ぎて、休日は穏やかに流れていく。ウルリカだけが知っている変化なら、避妊薬の必要が無くなったことぐらいだ。
ある日の昼下がり、家に帰ってきたウルリカは買ってきたばかりの木の実を洗って水に漬けた。汚れを洗い流すだけでなく、実の中にいるかもしれない虫を排除するためだ。
いつもは衝動買いをしないのだが、小指の爪ほどの大きさをした真っ赤な色に目を奪われてしまった。木の実の甘酸っぱい味を思い出すと、ここ最近感じていた体の不調が和らいだ気がする。食べられそうなものが極端に減った今、食べたいと思うものの存在は貴重だった。
木の実をザルに上げて水気を切り、深い鍋に入れて多めの砂糖を振りかける。少量の水と弱火で煮込んでやると、木の実から赤い果汁が出てきた。焦がさないようヘラで混ぜながら、木の実が完全に柔らかくなるのを待ち、ザルで濾して種を取り除く。実と果汁は再び火にかけて、水分を飛ばしていった。
キッチンに充満する木の実の匂いが鼻をくすぐる。美味しそうな匂いだが、今のウルリカは別のことを考えていた。
――エリクが帰ってきたら、すぐに言うべき? それとも落ち着いてから?
一時間ほど前に医者から言われたことが、頭の中をぐるぐると回っている。診断結果を待つ間よりも、エリクの帰宅時間が迫っている今の方が緊張が強い。
どんな反応をするだろうか。もっと二人で話し合っておけば良かった。将来へ向けて準備しておくこともある。不安な気持ちが体力を奪っていくのか、立っているだけで疲れてきた。
出来上がったジャムを味見してみると、吐き気が少しだけ和らいだ。
消毒した空き瓶に詰めている最中に、エリクが帰ってきた。出かける時には無かった包みを持っている。
「お帰りなさい」
「ただいま。職場の人がレモンをくれたよ。後でハチミツ漬けにしようか。この前採ってきたハチミツがまだ残ってたはずだから」
エリクは先に風呂に入りたいと言って、レモンをテーブルに置いてバスルームへ入っていく。
言うきっかけを完全に逃してしまったが、エリクが風呂から出てきたときに、勇気を出して話しかけた。
「エリク。今日ね、医者に診てもらったんだけど」
「うん。一週間ぐらい調子悪いんだっけ? どうだった?」
「それが……妊娠してるって」
「あ。やっぱり?」
予想を遥かに超える軽い反応にウルリカは戸惑った。
「驚かないの?」
「だって、僕の母親が妊娠した時みたいな症状だったから。ずっと吐き気がして、強い匂いがダメ、食事も濃い味付けがダメって言ってたでしょ」
「あー……」
エリクには弟妹がいたことを思い出した。彼の尻尾は機嫌良さそうに揺れている。子供ができたことへの不安は全くなく、むしろ楽しみにしている様子だ。
「心当たりは山ほどあるし、出来ていても驚かないよ。そんなことより、色々と買い揃えないとね。すぐに必要なのはウルリカの服かな? 体を締め付けないものにしないと」
打ち明ける時期ばかり考えていて、間近に迫っている問題にまで気が回らなかった。エリクが必需品について言及してくれたおかげで、ウルリカも現実に意識が向く。
「子供の肌着はシーツを再利用するとして……尻尾の穴がある服にしようか。ウルリカ似だったら、穴を縫うだけで済むから」
異種族間の子供は、どちらかの種族的な特徴を受け継いで生まれてくる。エリクに似れば狐族に。ウルリカに似れば人族の外見と身体的特徴が現れる。なぜそうなるのかウルリカは知らないが、それが世界の常識だ。
ウルリカが思いつく前に次々と「やるべきこと」を挙げていくエリクに、つい感想がこぼれる。
「……頼りになる夫で良かったわ」
「頼れるだけ?」
他にも言って、とエリクは表情だけでねだってきた。褒められるのを待っている子供のようだ。
いずれ彼の隣によく似た子供がいて、同じことをするのかもしれない。そんな未来を想像すると、ウルリカの心に温かい感情が広がっていった。
あとがき
本編完結しました。
感想や高評価、リアクションで応援してくださった方、ありがとうございました。
以降は短編を投稿します。エリクの過去を書いている最中に思いついた話が一つありまして。
完全に余談なのですが、狐(動物)のオスって番や子供のためにせっせと餌を運び、子供と遊んで子育てもするそうですね。そんな話を小耳に挟んだ結果、エリクは森で食料を調達してくる設定に……
2026/03/05 佐倉百




