私たちなりの後始末2
ベルトルドは包帯を巻いた左手を軽く握った。もともと自然治癒力が高いこともあり、傷はほとんど塞がっている。だが痛みはまだ続いている気がした。
グランフルトの森からテーレの屋敷へ帰還した二日後。屋敷の廊下を歩いていたベルトルドは部下に呼び止められた。
「ベルトルド様。いつでも出立できますが、いかがいたしましょうか」
「もう番には関わらない」
「しかし」
「何度も言わせるな」
足早に歩くベルトルドに、部下はなおも話しかけてくる。
「森で不覚を取ったことは我らにも責任があります。どうか、再考を。次は必ずベルトルド様の番をお迎えし――」
振り返ったベルトルドは視線だけで部下を黙らせた。
「番はあの森で死んだ。二度と俺の前で番の話をするな」
「……かしこまりました」
冷や汗を浮かべた部下が頭を下げた。納得はしていないだろう。ベルトルドが番を諦めると言っているのだ。番との出会いを大切にしてきた狼族の主張とは相容れない。
理解されなくてもよかった。
ベルトルドは部下を残して庭へ出る。特に目的はないが、鬱屈した気持ちを抱えたまま部屋にいると、自分が芯から腐っていきそうだった。何もせず自然に囲まれて空を見上げている方が、まだ気が紛れる。
番に逃げられた時点で、望みが薄いことは察していた。部下たちは気を遣っているのか、逃亡ではなく情報屋に誘拐されたと言葉を選んで言っている。ベルトルドのためを思ってウルリカの居場所を探してくれたのは感謝しているが、彼女の心はどうやっても動かしようがない。
出会うのが遅すぎた。さらに、最悪な出会い方を選択したのはベルトルドだ。彼女の人生を無視して、全ての人間関係を断つような形で屋敷へ招いている。そんなことをして好かれるわけがない。
グランフルトに逃げたウルリカの居場所を知るきっかけになった手紙が、どこか不自然だったのは気がついていた。
エリクではない見知らぬ男が、彼女の詳細を書いている。しかし恋人の紹介にしては表面的なことしか読み取れない。一方的に感情を募らせ、願望を事実として書いているような気味悪さを感じる。だからウルリカの無事を確認したくなって、グランフルトへ赴いた。エリクは何をしているのかという怒りもあった。
もし望まない関係を強いられているなら、自分の手で助けたい。手紙の差出人が竜族だったとしても、こちらの領地へ入ってしまえば、番には手出しできない取り決めがある。だから彼らに見つかる前に、強硬手段に出る必要があった。
番への情よりも義務に近い感情で動いたベルトルドは、ウルリカの左手に指輪を見つけて心が揺らいだ。テーレにいる平民が指輪に特別な意味を込めて贈ることは、知識として知っている。自分たちのやり方を優先させる竜族が贈ったとは思えない。
指輪には彼女のものではない魔力が込められていた。北方に住む一部の獣人は、伴侶に自分の魔力を込めた贈り物をすると聞いたことがある。贈り物の表面に魔力で独自の模様を描くことで、誰が贈ったものか判別できるらしい。
ウルリカは知らない男ではなく、まだエリクと共にいる。森で合流したら馬車まで立ち止まらないつもりだったが、その場で拘束を解いた。
彼女の反応から、番の本能を自覚しつつあるのは分かっていたのに、その先へ進むことができなかった。本能よりも過ごした時間を優先して、ベルトルドに争う姿が哀れで見ていられない。彼女にとってベルトルドは、番を言い訳にして平穏を乱す厄介者なのだ。
とどめに言われたことは、心の中にしこりとなって残っている。
――あなたは捨てられた側の気持ちを考えたこと、ある?
捨てられる側になる予定だった男に、嫉妬心がわいた。その男もまたウルリカを取り戻しに来て、二人が育んできたものを見せつけられることになった。
泣かせることしかできなかった自分には、信頼を得ることも、安心した笑顔を引き出すこともできない。最も大切にしなければならない相手なのに、行動は全て逆の効果をもたらす。
彼女が助けを求めたのはエリクだった。自分では彼女の幸せを潰すことしかできない。
結局、ベルトルドは最後までウルリカの一番になれなかった。もっと早く出会っていても、きっとエリクのようにはなれなかっただろう。彼女が求めていたのは、番として愛されることではなく、同じ価値観の相手に理解されて受け入れられることだった。
腹が立つことに、あの情報屋は優秀だと認めざるをえない。地の利があったとはいえ、短時間でベルトルド達の位置を突き止めた。時間稼ぎのために戦闘の立ち回りでは避ける方に重点を置いていたようだが、実戦慣れしていて攻撃がかすりもしなかった。
最初に魔法で攻撃されるまで、近くにいることすら気が付かなかった。本気の殺し合いになっていたら、死んでいたのはベルトルドだっただろう。
魔獣を使った撹乱にも助けられている。部下がいる手前、簡単に身を引くことができなくなっていたベルトルドには、良い離脱の言い訳になった。エリクが意図していたのかは分からないが、混乱した状況で生死不明になったのは、お互いにとって良い幕引きだったと言えるだろう。
ガゼボで目を閉じて鳥の声に耳を傾けていると、誰かがこちらへ向かってくる足音が聞こえた。先ほどの部下ではない。音の種類から女性だと分かる。だがメイドの平らな靴ではないようだ。
この屋敷でメイド以外の女性は妹しかいない。本邸から母親が来る知らせも聞いていなかった。
「イングリッドか? 番について話があるなら無駄だ。俺はもう彼女を探さない。放っておいてくれ」
返事がないことを不審に思って目を開けた。そこでようやく、ベルトルドは自分の思い込みに気がつく。
ガゼボの外側にいたのは妹ではなかった。赤味を帯びた金髪から見えているのは、狼族の耳だ。薄く化粧をした顔には困惑の表情が広がっていたが、綺麗な顔立ちを損なうほどではない。彼女の身分は服装で表されている。
「……アンエリエ嬢か。失礼した。てっきり愚妹が小言を言いに来たのだとばかり……」
ベルトルドは彼女が自分の婚約者だとすぐに思い出し、手を差し伸べてガゼボのベンチへ誘った。
「いいえ。こちらこそ、配慮に欠けておりました」
アンエリエもまた自身の行動に非があったと申し出てから、ベルトルドの手をとる。
二人並んで座ったのはいいものの、気まずい空気は容易に消えない。
「一つ、質問をしてもよろしいか」
勇気を出して話しかけたベルトルドだったが、アンエリエに注目されて言葉に詰まる。
澄んだ薄緑の瞳がベルトルドの内面を見透かしているようで、少し居心地が悪い。アンエリエとの婚約を一方的に白紙化しようとしていたことを思い出してしまった。彼女の家に申し出る前にウルリカが去り、未遂に終わったのは不幸中の幸いだ。
「何なりと」
鈴を転がすような声でアンエリエが許可を出した。
「なぜ、あなたはメイドの姿で屋敷にいた?」
彼女がアンと名乗ってウルリカの近くにいたのは、気がついている。化粧と染髪で誤魔化していたようだが、所作までは隠しきれていなかった。
「その質問にお答えする前に、謝らなければいけないことが一つあります」
アンエリエは膝に置いた自分の手を見つめながら言った。
「謝る?」
「ベルトルド様の番が逃亡する手助けをしました」
「……ああ」
ウルリカがメイドに扮装して逃げた時だろう。
「積極的に手を貸したのはイングリッドだ。本人も認めている。あなたが謝ることではない」
イングリッドとアンエリエは長年の親友だそうだ。ウルリカの逃亡を手助けしたのは、親友の婚約を壊さないためでもあったのだろう。邪魔をされて苛立ったこともあるが、今となっては彼女の主張も含めて、正しさが身に沁みて分かる。
「私がメイドと偽っていた理由と言いますか、全てのきっかけは、やはり番でしょう。ベルトルド様との婚約が決まった頃、私には番がいたのです」
「いた? 今は……」
「彼はとても高齢で、静かに死を待っている段階でした。まれに、結婚適齢期ではない番が見つかることがあるそうですよ。どうして、という気持ちと、穏やかな終わりを迎えてほしい気持ちを同時に抱えることになりました」
その「どうして」は、年齢が釣り合わなかった疑問なのか、見つけてしまったことについてなのか、彼女は明らかにしなかった。
「だからでしょうか。番への衝動も非常に穏やかなものでした。けれども、一度でいいから私の存在を知ってほしいという誘惑は消えてくれません。結論から申し上げますと、私は誘惑に負けたのです。彼には長年を共にした家族がいるにも関わらず、会いに行きました」
ベルトルドと似た状況に、薄ら寒いものを感じた。
「家族は驚いておられましたが、私を番のところへ連れて行ってくださいました。少しの間だけ……五分ほどでしょうか。二人きりになって、私たちが番であることを確信して……それで終わりです。ただ、手を握っているだけで心が満たされるのかと驚きました。けれど、奥様には面白くなかったでしょうね。突然現れた女が、夫から少しだけ何かを奪っていったのですから」
「彼とは、その後……」
「一度きりしか会っておりません。彼はもう、旅立ってしまいましたので。彼の葬儀にも立ち会いませんでした。あれは家族と、友人たちのための儀式です。私が踏み込んではいけない空間ですから」
アンエリエの言葉はベルトルドの中へ素直に入ってきた。番というだけで埋められないものは、確かにある。
「番を失った虚しさを抱えたままベルトルド様の妻になるのは、とても失礼ではないかと思いました。生きている婚約者がいるのに、亡くなった男性のことを考えているのですから。私と番の間には、恋も愛もなかった。世間一般的な浮気には当てはまらないでしょう。だからこそ割り切れないものもある。私に必要なのは気持ちを整理する時間でした。一年か、十年か、それとも一生のものになるのか分かりません。ベルトルド様を私の自己満足に付き合わせるわけにはいかない。私は密かに婚約を白紙にできないかと悩んで、イングリッドに相談したのです」
アンエリエから相談されたイングリッドは、まず自分のところへ来るよう促した。手紙では伝わらないこともある。ベルトルドや父親のヘルニウス伯に相談するのは、それからでも遅くない。
「こちらへ向かう道中で、ベルトルド様の番が見つかったと知らせを受けました。抜け殻のようになっていた私にとって朗報です。お互いに番がいるなら、円満に別れることができるでしょう?」
「それはそうだが……」
当時のベルトルドは番とダンジョンのことばかり考えていて、アンエリエにまで意識が向いていない。自分の婚約なのに、どこか遠い国の出来事のように覚えているだけだった。
「屋敷に到着した私は、イングリッドの客として迎え入れられました。ベルトルド様はお忙しく、あまり屋敷にいらっしゃいませんでしたので、到着の知らせが届いていなかったと思います。イングリッドと相談した結果、頃合いを見てベルトルド様に婚約の話をしようということになりました。その直後に屋敷の中が騒がしくなり……彼女が連れてこられたのです」
ウルリカを屋敷に迎えた日のことだ。
「番であるにも関わらず、あまり歓迎されていない様子でしたね。様々な要素が不幸な絡まり方をしていたのでしょう。異種族であること。身分差。そして彼女自身の境遇と心情。私が彼女に興味を持ったのは、この時点です。番と絆を結んで幸せを追求していくのか、それとも……」
アンエリエは自分の手元からベルトルドに視線を移した。
「彼女の人となりを知るために、メイドになって近づきました。彼女がベルトルド様の番であることを喜び、受け入れているのなら、私は黙って身を引いたでしょう。けれど彼女は、番であることを悲しんでいる様子でした。心を通わせた人と別れ、自分ではどうにもならない力に翻弄されているのですから、無理もありません」
別れる原因を作ったベルトルドは心が痛んだ。アンエリエが言う「どうにもならない力」とは、番の本能だけではなく貴族の権力を指している。
「私が彼女を手助けしたのは、番と出会ってしまっても番以外と生きる先例が欲しかったから……かもしれません。あのときは深く考えておりませんでしたが、彼女が恋人といる姿を見て、希望の光が射したと感じたのです。番を忘れて生きてもいいのだと」
「……そうかもしれないな。番を尊ぶ風潮に流されすぎた。冷静さを欠いて、番さえいれば上手くいくと思い込んでいたようだ。単純な話ではないというのに」
「私たちは盲目的な感情を愛と錯覚していたのかもしれません。彼女たちのおかげで、その違いに気がつくことができました」
二人で同じ結論に行き着いたとき、ベルトルドは居心地の良さを感じた。ウルリカが大切にしていたのは、恐らくこの空気なのだろう。番ではなくても共有できるものがある。
「ベルトルド様。婚約はいかがいたしましょうか」
「そのことなんだが、あなたさえ良ければ婚約を継続してもらえないだろうか」
よほど予想外だったのか、アンエリエは目を丸くして驚いていた。
「ですが、私……」
「俺もあなたも、番に悩まされた身だ。同じ苦労をした者同士、上手くやっていけると思うのだが」
「私でよろしいのですか? 過去を引きずってご迷惑をおかけするかも……」
「あなた以外に考えられない」
二人とも番を失った痛みを抱えているからこそ、寄り添って生きていける。そんな思いを込めて言うと、アンエリエの目尻が赤くなった。迷った末に、ベルトルドの提案を受け入れた証にうなずく。
ふと、ウルリカ達はどうしているだろうかと思った。無傷でグランフルトに帰ったことは容易に想像できる。エリクがついているのだ。テーレから離れる際に痕跡を一切残さず追跡を振り切り、森の中では策を弄して勝負してきた男が、魔獣対策をしていないはずがない。
「……そうだ。あなたに頼みたいことがある」
「た、頼みたいことですか?」
なぜか胸元を押さえていたアンエリエが、こちらを向いて首を傾げた。彼女の落ち着いた雰囲気と、子供のような仕草が意外と似合う。
ベルトルドはわずかに早くなった鼓動に戸惑いを感じていた。




