あなたは私の番
夕食を作っていたウルリカは、玄関から聞こえてくる呼び鈴の音で手を止めた。一度目を短く、二度目を長く鳴らすのはエリクだ。
仕事が早く終わって、遊びに来てくれたのかもしれない。期待をしながら扉を開けると、エリクは周囲を気にしながら入ってきた。
「何かあったの?」
あまり顔色が良くない。
「ウルリカ」
エリクは扉に鍵をかけると、ウルリカを抱きしめてきた。
「君の番が見つかったよ」
「……私の? あなたの番じゃなく?」
「うん」
意味が分からなかった。
ウルリカの番は、なぜ自分から会いに来ないのだろうか。エリクの口からウルリカの番なんて言葉を聞きたくなかった。ウルリカとエリクは期間限定の恋人だという現実を直視したくなかったのに。
「その人と私は会ったことがあるの? 番だなんて言われても……」
キーリアが番を見つけた時は、周りが見えないくらいお互いに惹かれていた。だがウルリカは今までそんな情熱を誰に対しても感じたことがない。エリクと一緒にいる時は、心のどこかで冷静な自分が「本気になるな」と言っているほどだ。
「ウルリカはまだ会ったことがないよ。君の番が君のハンカチを拾って、番だと気がついたんだ」
カバンから見つからなかったハンカチだとウルリカは思った。自分のことを一方的に知られているのは気味が悪い。
「どんな人なの?」
「……この町のダンジョンを管理しているヘルニウス伯の次男。ダンジョンが更新されるのに合わせて帰ってきたらしいよ」
生まれてから一度も貴族と会ったことがないウルリカだが、町を統治している者の名前と種族ぐらいは聞いたことがある。どうせ自分とは一生縁がない人達だという印象しか持っていなかった。
「まさか、エリクが言っていた断ると厄介な客って……」
「うん。番を探せって依頼された。君のことはまだ喋ってないよ。ウルリカはどうしたい?」
抱きしめる力を緩めて、エリクが尋ねてきた。真剣な顔でウルリカを見下ろし、答えを待っている。
「どう、って言われても……」
「君は番として迎え入れられるだろうね。今みたいな自由は減るけれど、狼獣人は身内に優しいから、種族が違っても大切にしてもらえるんじゃないかな」
「自由が減る? 監禁されるの?」
「違うよ。相手は貴族だから、護衛もつけずに町を歩くなんてしないってこと。彼の番ってだけで狙われるかもしれないから」
「私が貴族と? 待って。じゃあ、エリクとはもう……」
「うん。君が彼のところへ行ったら、もう会わない。番に近づく元恋人なんて、歓迎されるわけないからね」
あまりにも呆気ない終わりだ。ずっと、この関係はエリクの番が現れて終わりだと思っていた。まさかウルリカに番が現れるなんて、想像すらしていない。
「何かの間違いよ。私が狼族の番? 薬草の匂いが混ざって、勘違いしたんじゃないの?」
「あのハンカチには薬草の匂いはあまり付いてなかった。僕よりも鼻がきく狼族が間違えるはずないよ」
「そんな……上手くいくわけないわ。生きている世界が違うのよ」
ウルリカはエリクの胸を押して自分から離れた。
人族は他の種族と比べて身体能力が低い。魔法に関することや手先の器用さでは群を抜いているが、筋力がものを言う場面では侮られることが度々会った。そんな背景から、狩人が多い町では人族の地位が低くなりがちだ。人族の中には狩人として活躍している者も数多くいるが、全ての獣人たちの価値観を覆すほどではなかった。
人族で平民のウルリカが狼族で貴族のベルトルドと一緒にいるためには、乗り越えるべき障害が多すぎる。
「無理よ。今の生活を全部捨てろってことでしょ? 貴族のマナーなんて何一つ知らないわ」
「ウルリカ。君には考える時間が必要みたいだね。急に番だなんて言われたら、混乱するのも無理ないよ」
エリクは扉の鍵に手をかけた。
「僕以外にも君を探している人たちがいるんだ。ここが見つかるのも時間の問題だと思う」
獣人の番に対する想いは並々ならぬものがある。ベルトルドのところへ行くことを拒否しても、彼の忠実な部下たちがウルリカを見つけて連れて行くだろう。
「待ってて。隠れ家になりそうな場所を探してくる。ウルリカは外泊できる準備をしていて」
エリクは返事を聞かずに出て行った。すぐに扉に鍵をかけたウルリカは、ため息をつく。
「……馬鹿みたい」
一緒に逃げようとエリクが言ってくれるのを、心のどこかで期待していた。彼の姿が消えてからそのことに気がついて、卑怯な自分に嫌気が差す。察してくれるのを待っている子供のような幼稚さだ。大切なことは言葉にしないと伝わらないのに。
ウルリカもエリクも貴族には逆らえないと知っている。さらにエリクは獣人だ。ウルリカがどんなに嫌がっても、最後は番を見つけたベルトルドの味方につくだろう。ウルリカを隠してくれるのは、恋人としての最後の優しさだ。
ウルリカはベッドの下からカバンを出して、着替えを入れた。荷造りをした後にキッチンを片付けていると、エリクが戻ってきた。
「行こう。今なら見つからないから。外に出たら喋らないでね」
エリクはカバンを背負って、フード付きのマントをウルリカに被せた。
彼に手を引かれて建物の外へ出たとき、うっすらと霧が出ていることに気がつく。テーレは明け方にダンジョン方向から霧が発生することがあるが、夜に出るのは珍しい。
表通りを避けて細い裏道に入った。歩くごとに霧は濃くなっていく。追跡を避けるためなのか、何度も角を曲がるうちに、ウルリカは自分が町のどこを歩いているのか分からなくなった。
古い建物に到着したエリクは、狭い階段を上がって扉を叩いた。何も反応がない。不安になりかけたとき、鍵を開ける音がした。
「来たのね。入って」
「え……店長?」
気怠げに出てきた人物を見て、ウルリカは驚いた。店長には魔法薬店に就職してから個人的なことを数回しか聞かれたことがない。お互いに一線を引いた付き合いしかしてこなかったため、ウルリカの避難先にいるとは思わなかった。
エリクが背中を軽く押してきたので、ウルリカは急いで中へ入る。誰かに見られてしまったら、避難をした意味がない。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「あまり期待しないでね。ここは普通の家なのよ。見つかるのが少し遅くなるだけだわ」
「もちろん、分かっています。あなたは体調を崩したウルリカを家に呼んで看病していただけ。もし彼らが家に押しかけてきたら、そう説明してください。もしかしたら不要かもしれませんが……」
事前に打ち合わせてあったらしく、エリクと店長だけで話が進んでいく。
「ウルリカ。僕は君が通った痕跡を消してくるから。しばらく店長のところでお世話になって」
「エリク」
「絶対に見つからないわけじゃないけど、時間稼ぎにはなるよ。また後で会いに来るから、君の気持ちを聞かせて」
もしウルリカが番のところへ行くと言ったら、エリクは素直に連れて行くのだろうか。エリクは一度も自分の気持ちを言っていない。彼が何を考えているのか分からないことも、ウルリカの不安を煽った。
「あなたは今の状況に納得してるの?」
「……ウルリカが幸せなら、いいと思う」
「何よそれ」
いつもと変わらない笑顔なのが憎たらしい。答える前に言い淀んだのは、本当の気持ちを隠している。そんな変化に気付けるぐらいエリクのことを理解していた。だが彼の本音を引き出せる言葉は思いつかない。
エリクはウルリカの額にキスをしてから、静かに外へ出ていった。
「事情は彼から聞いたわ」
玄関の鍵をかけた店長は、家の奥へウルリカを招いた。
「巻き込んでしまって、すいません」
「仕方ないわ。他に行くところがないのでしょう? 宿は狩人だらけで空きがないし、獣人はあなたの番に味方するわ」
「……そうですね」
「狐の彼が言っていたように、あなたは風邪を引いて私のところへ来たことにして。番から逃げただなんて知られたら、狼獣人たちが侮辱されたと思って騒ぐわよ。彼らはプライドが高いから」
店長は居間に面した扉を開けた。綺麗に整えられたベッドと、小さな机しかない。どうやら客室のようだ。
「この部屋を使って。家の中にあるものは好きに使っていいわよ」
「ありがとうございます。でも、どうして助けてくれるんですか?」
ただの雇用主と従業員でしかない。ウルリカを匿ったことが知られたら、店長も危ないのではないだろうか。
「訳も分からず貴族に捕まるより、気持ちを整理する時間があった方がいいでしょう? ここは獣人が多い町なんだから、人族で助け合うしかないのよ」
部屋を出ようとしていた店長は、思い出したように言った。
「誰に何を言われても、自分の行動は自分で選ぶこと。強制されて結婚しても良いことはないわ」
一人になったウルリカはベッドに腰を下ろしてうつむいた。
――自分で選びたくても選べないわよ!
ふと、店長が「狼獣人はプライドが高い」と言っていたのを思い出した。
もし探している番が人族だと知ったら、相手は失望するだろうか。いっそのこと、ウルリカに幻滅して追放してほしい。出会わなかったことにして、お互いの日常に戻るのだ。
「……無理かもね」
つい最近、キーリカと彼女の番がお互いのことしか目に入らない様子を、間近で見たばかりだ。楽観的なことを考えたウルリカだったが、そう簡単にはいかないことも理解していた。




