私たちなりの後始末
薄暗い廊下の先に、ウルリカが会わなければいけない人がいた。鉄格子がはめられた独居房に黒髪の男が座っている。男は面白くなさそうに両足を伸ばしていたが、ウルリカに気がつくと瞳を輝かせて飛びつくように鉄格子を掴む。
「先生の弟子だ! ええと、名前は忘れたけど、顔は覚えているよ。やっと来てくれたんだね」
フレデリクは子供のような笑顔で言った。悪気なく失礼なことを言うのは、彼の特徴だ。
「こんにちは。元気そうですね」
「そうでもないよ。ここにいる奴らって話が通じなくてさ。俺のこと犯罪者みたいに扱うんだ。ダンは君に謝罪しろなんて言ってくるし、訳が分からないよ」
ため息をついたフレデリクは、鉄格子の高い位置を掴んでぶら下がった。態度だけでなく行動も子供っぽさがあふれている。とにかく落ち着きがない。
普段から問題行動が目立つフレデリクだが、今までは調薬会社が彼を庇っていた。損害よりも利益の方が大きく、新薬開発に欠かせない人材だったからだ。ところが先日、最大の顧客かつ研究費用の出資者である、竜族からの依頼品を全て台無しにしてしまい、とうとう庇える限界を超えてしまった。
さらに悪いことは続く。被害状況を確認するためフレデリクには研究室で待機するよう指示が出ていたのだが、退屈になった彼は研究室を抜け出して遊びに行ったらしい。それが竜族の耳に入り、これ以上勝手なことをしないために、一時的に投獄されたそうだ。
流石の問題児でも、牢獄の中にいれば何もできない。
ウルリカがわざわざフレデリクに面会したのは、彼が要望していると聞いたからだった。ウルリカも彼に聞いておきたいことがある。一人で会いに行くのは嫌だったので、フレデリクの同期であり上司でもあるダンについてきてもらった。
「フレデリク。君は本当に反省しないな……」
ダンは胃痛を我慢しているような顔でうめいた。彼の目の下には濃いくまが出ている。フレデリクがやらかしたことの後始末で、あまり休めていないようだ。
「反省? 何を反省するのさ。何も悪いことなんてしてないよ。それより、そっちの君に聞きたいことがあるんだ」
「私が知りたいことを教えてくれたら、質問を受け付けます。私がグランフルトで働いていることを、オーグレーン店長に知らせたそうですね」
ベルトルドたちに居場所が知られた原因は、フレデリクが出した手紙だった。彼らはウルリカを探すために、テーレにいる知り合いを監視していたらしい。手紙の検閲もその一つだ。
フレデリクはご丁寧にウルリカのことを細かく手紙に書いている。ウルリカを少しでも知っていれば特定できる内容だったため、ベルトルドたちが動く証拠として十分だった。ウルリカとフレデリクが親密な仲になったと読み取れそうな文章もあり、彼らを煽る内容となってしまったのだろう。
イングリッドから遅れること数日、店長からもグランフルトから離れるよう勧告する手紙が届いている。さらにフレデリクが書いた手紙も同封されていたため、今回の騒動を招いた原因を嫌でも理解した。
二人の手紙が届く日数に差があったのは、検閲された手紙を店長が受け取るまで時間がかかったからだ。
フレデリクがもたらしたものは、まだある。手紙を読んだエリクが次第に無表情になり、初めて本気で怒っている姿を見せたことだ。光が消えた瞳で、絶対に許さんとつぶやいたときは、怖くて物理的に距離を置いた。
「店長とは新薬の共同開発で連絡を取り合っていたんですよね? 私のことを書かなくても良かったのでは?」
「なんで? 弟子が頑張っているって知ったら、先生も喜ぶよ」
「研究の報告書の続きに書くことではありません」
「君もダンみたいなこと言うね。どうせ先生しか読まないんだから、いいじゃないか」
「良くなかったから言っているんです」
「でも口止めされてないし。君が誘拐されたのは俺の責任じゃないね。番から逃げてきたなんて、言われなきゃ知りようもないんだからさ」
「そうですね。居場所を言いふらした件については責められません」
許せない気持ちはあるが、フレデリクだけの責任にはできない。ベルトルドへ故意に知らせたわけではないため、グランフルトの法律にも引っかからないのだ。
「じゃあ、今度は俺が質問するよ」
フレデリクは瞳を輝かせて言った。
「番の本能ってどんな感じ? 人族にも影響あるんじゃないかと思うんだよね。心情の変化はあった? 君を追いかけてきた番がいるってことは、君の相手は獣人だったんだよね? 獣人側の反応も知りたいな。豹変して襲ってくるの? グランフルトにいる獣人が問題をおこした話ってあまり聞かなくてさ。まず本能を抑圧しようとするのが原因なのかな」
立て続けに喋るフレデリクは、自分の言葉が相手に与える影響なんて考えたことがないのだろう。配慮のかけらもない。もしこの場が誰もいないダンジョンだったなら、ウルリカはフレデリクを殴っていた。
森でベルトルドに感じた衝動を思い出し、ウルリカは心をえぐられたように感じた。あれは二度と触れてはいけない傷のようなものだ。深く分析すればするほど化膿して、取り返しがつかなくなる。
ウルリカが生涯を共にしたいのはエリクだけ。その真実だけあればいい。
「聞きたいことは以上ですか?」
「あ、待って。まだ――」
「言う必要はありませんよ。何を聞かれても、あなたには教えません」
「え?」
フレデリクは鉄格子をつかんだ。
「待ってよ。質問に答えてくれたっていいじゃないか」
「私たちはあなたの好奇心を満たす道具ではありません」
「君から聞いたことを生かして、番の本能を弱める薬を作ると言っても? 君たちにこそ必要なんじゃないかなぁ。新薬の開発が遅れちゃうよ」
「フレデリク! お前、さすがにその言い方は失礼だろう」
たまらずダンが諌めた。ウルリカはそんな彼を止めて、フレデリクにはっきりと言った。
「作りたいなら勝手に作ればいい。あなたには協力したくありません。世界中であなただけが薬を作れるわけじゃないので」
「いいや、俺しかできないね。だって天才だから。協力しなよ。薬が完成したら君の名前をつけてあげよう」
「さようなら。二度と会わないよう祈っています」
「……フレデリク。お前の研究は別の人間が受け継ぐことになった。きっと今まで以上に早く進むだろうな」
「はぁ? なんで? 俺をここから出すために来たんじゃないの? 早く研究させてよ」
ダンは携行していた書類入れから、フレデリクに関する契約書を出した。書面をフレデリクに見せて静かに言う。
「お前は解雇されたよ。顧客……というか、研究を出資してくれていた竜族に損害を与えたのが大きかったな。番の誘拐事件が発生する原因を作ったことも、先方は知っている」
「まさか君、竜族に言ったの? 自分は被害者だって?」
フレデリクはウルリカを見たが、全くの濡れ衣だ。竜族の知り合いなんておらず、出資者と会ったこともない。彼の疑問に答えたのはダンだ。
「竜族は町の治安維持に関わっているんだから、誘拐事件を知るきっかけなんていくらでもあるんだよ」
森から帰ってきたとき、ウルリカとエリクは町を囲む門で一通りの取り調べを受けた。幸いにもそれぞれの職場で裏付けが取れたため、その日の取り調べ自体はすぐに終わっている。
後日になって誘拐事件の詳しい聞き取りでは、エリクだけが呼ばれていた。その場で彼が何を言ったのかは分からない。フレデリクの手紙を持っていったのと、帰ってきた時の彼がとても穏やかだったのが印象深かった。
「でもな、喜べ。研究自体は続けられるぞ。監視付きで、成果は全て竜族のものになるがな」
フレデリクは複雑そうな顔で黙っている。自由気ままにやってきた彼にとって、誰かの言いなりになって働くのは決して楽ではないだろう。
「え……続けられるけど、監視……? 嫌だよ。俺がどれだけ社会に貢献してきたと思ってるのさ。みんな俺が作る薬で助かっていたのに、ちょっとやらかしただけで酷くない?」
「これからは自分で責任をとってくれ。俺はもう疲れた」
これ以上は不毛な言い合いに発展しそうだ。ウルリカとダンは帰ることにした。独居房からはフレデリクの声がしていたが、全て「自分は悪くない。だから助けろ」という内容だったので、見捨てることに罪悪感はない。
ウルリカと番に関する問題がようやく終わったと言っていいだろう。心配事が消えたことと引き換えに、精神的な疲労が強い。
翌朝、ウルリカはいつもの起床時間よりも遅く起きた。休日なのをいいことに、ゆっくり身支度が整えられる贅沢を味わう。
「今日は何も考えたくないわ」
「考えなくていいんじゃない?」
温かい茶が入ったカップを片手につぶやくと、キッチンで料理をしている最中のエリクが答えた。
「たまにはいいと思うよ。ずっと頑張ってたら疲れるでしょ」
「そうなんだけど……」
エリクは今までもウルリカに甘いところがあったが、誘拐後はさらに甘やかす割合が増していた。今日ものんびり座っている間に、エリクが一通りの家事を終わらせている。ウルリカが自堕落な過ごし方をしても、文句どころか推奨してくる始末だ。
――人を駄目にする能力が高い気がするわ。
居心地の良さは、程度が過ぎると自立心を奪うらしい。本格的に駄目になる前に、ウルリカはエリクの隣に移動した。
「何を作っているの?」
「護衛するついでに狩ってきたレッドボアの煮込み」
「狩猟するついでに護衛してきた、の間違いじゃないの?」
たびたび、エリクは仕事のついでにダンジョンで食材を調達してくる。グランフルトでも狩人登録をしているので、違法にはならないらしい。エリクが持って帰ってくる肉は、市場に出回っているものよりも血抜きなどの下処理が上手く、薄い味付けでも臭みを感じないからすぐに分かる。家計の助けにもなるので止めさせる気はない。
鍋の中にはぶつ切りにした肉と野菜が煮込まれていた。鍋から美味しそうな匂いがしてくる。これまでの経験から、匂いを裏切らない味だと確信が持てた。
「あとは冷まして味を染み込ませるだけ。それまで休憩」
エリクは鍋に蓋をした。
そっとエリクの手に触れると、握り返してくれた。
どちらともなく唇が重なる。最初はふざけるように軽く、次第にお互いを求めて深く。しっかり抱きしめられて、体の奥が熱くなった。
二人とも同じことしか考えていない。
「エリク、待って」
「待たない」
「……そうじゃなくて。火を消さないと。鍋の中身は焦げるわよ」
黙って離れたエリクは、ほんのりと頬が赤みを帯びていた。きっとウルリカも同じ顔をしている。
「焦らなくても時間はあるんだから」
ウルリカは自分に言い聞かせるように言った。




