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番の溺愛から逃げたい私と、番の偏愛から逃げたい君  作者: 佐倉 百


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私はあなたが怖い3

「やめて……全てが遅すぎたわ。私たちは番じゃない、ただの勘違いだったことにして、別れましょう」


 ウルリカは俯いたまま言った。

 もう一度ベルトルドと向き合ったら、全てを捨ててついて行きたくなる。


「今さら忘れられるわけないだろう」

「お願い。私があなたのところへ行っても、お互い不幸になるだけよ。だって私はあなたを愛せない。番の本能は呪いと一緒だわ。大切な人を捨てて番についていくなんて、どう考えてもおかしいわよ」

「おかしくない。番を求めて何が悪い?」

「あなたは捨てられた側の気持ちを考えたこと、ある?」


 返事がない。


「家族から、番に会えたからお前は要らないって言われたこと、あるの? 私はないわ。でも言われた側の痛みは分かるつもりよ。番の本能だから仕方ないって言われても、納得できないことはあるでしょ」

「それでも……俺は」


 ウルリカの肩にベルトルドの手が触れた。


 今すぐ彼に抱きつきたい。深く酒に酔ったように思考がぼやけていく。自分が別の存在に塗りつぶされていくようで怖い。


 ようやくベルトルドに感じていた恐怖の正体を知った。貴族という階級への気後れではない。あれは番に会った自分の価値観が、変化していくことへの拒絶反応のようなものだ。


 人族は番の本能が薄いと言われているが、感じ取る感覚を失ったわけではない。これが番の本能だと自覚してしまえば、あとは他の種族と同じだ。


「ウルリカ」


 焦れたように名前を呼ばれて、返事をしなければならない気持ちになる。番を放置して良いわけがない。


 ウルリカが口を開いたとき、ベルトルドが剣を振り上げて何かを弾いた。砕けて澄んだ音を立てたそれは、銀色の光を撒き散らして地面に落ちる。大きな氷の塊だ。


 立て続けにベルトルドの足元に氷の矢が突き刺さる。ベルトルドは回避するうちにウルリカから離れていった。大人しくしていた黒犬がベルトルドの近くへ移動して、エリクへ向かって威嚇の唸り声をあげる。


「……もう来たのか」

「追跡は狼族だけの得意技じゃない。一般人をダンジョンに連れてくるのは違法だよ」

「ダンジョンの入り口はもっと東だろう」


 木々の間から姿を見せたエリクは荒く呼吸していたが、落ち着いているように見えた。ウルリカに視線を移したエリクの目は、ガラス玉のようで感情が全く読み取れない。表情を削ぎ落とした顔は、よく似た別人と言われても納得できる。


 番の本能にもたらされた酩酊感が冷めていく。自分を支配しようとしていた衝動から解放されたウルリカは、最も会いたかった人に言った。


「エリク……助けて……」


 小さな声でも、エリクには聞こえていた。彼の耳が小さく揺れたあと、ウルリカに近づいてリボンを持たせて頭を撫でる。


「すぐ終わるから。待っていて」


 突き放す言い方だったが、ウルリカを安心させるには十分だった。リボンを握って頷く。


 エリクは右手で剣を抜き、ベルトルドに向かって構えた。切先は正面を向いているが、肩の高さで水平に維持している。左手には峰に溝がついた片刃のナイフを持ち、相手からの攻撃に備えているかのようだ。


 ベルトルドも両手剣を構えたが、ふと思い出したように言った。


「北方の国に氷を扱う狐族がいると聞いたことがある」

「氷の魔法を使う狐族なんて珍しくないでしょ。君たち狼族だって使用者がいるじゃないか」

「確かに他の使用者に会ったこともあるが、髪や瞳の色まで一致するのは珍しい」

「じゃあ先祖が同じなのかもね」


 最初に動いたのはベルトルドだった。剣を振り上げると、エリクが立っている地面が隆起した。身軽に魔法の範囲外へ移動したエリクは、死角から襲いかかってきた黒犬をかわし、口と足を氷漬けにする。


「危ないな。ウルリカに当たったらどうするんだよ」

「その程度の操作ができないとでも?」


 エリクが黒犬の相手をしている隙に近づいてきたベルトルドは、上から剣を振り下ろす。左手の短剣で受け止めようとしていたエリクだったが、途中で気が変わったのか横へ逃げた。


 ベルトルドの剣は剣先を下に止まったものの、地面に一筋の亀裂が生まれる。もしエリクが左手で受け止めていたら、無事では済まなかっただろう。


 短剣を鞘に戻したエリクは白い蝶の群れをベルトルドに差し向けたが、剣の一振りで霧散していく。


「二度も同じ手段が通じると思うな」

「残念。また眠ってくれたら楽なのに」


 ベルトルドは火球を飛ばして黒犬を氷から解放した。自由になった黒犬はエリクから距離をとり、遠吠えをする。仲間に知らせるつもりだ。


「退け。お前に勝ち目はない」

「狼はすぐに仲間を呼ぶよね。一人じゃ狩りができないの?」

「挑発のつもりか? 逃げ回って弱い獲物しか狩れない狐が、よく吠える」


 氷の矢がベルトルドへ飛んでいく。自分に当たりそうなものだけを剣で弾いたベルトルドは、氷の中に封じられていた液体を解放してしまう。すぐに避けたが剣や腕や剣には液体がかかった。


 液体が付着しても、何の効果もない。だが強い匂いがするのか、ベルトルドは嫌そうに顔をしかめる。


 同様の液体を黒犬に投げつけたエリクは、ベルトルドに勢いよく斬りかかった。エリクの戦い方は剣だけでなく、合間に魔法を組み込んでベルトルドに休む暇を与えない。剣の間合いが長いベルトルドに上手く対応していた。


 対するベルトルドは黒犬と連携してエリクを追い詰めている。エリクが魔法で撹乱して距離を詰めようとしても、黒犬が割り込んで攻撃を許さない場面が何度かあった。だがベルトルドも決定的な一撃を出せない様子だ。エリクが羽織っているマントが動くたびに広がり、正確な間合いを掴めない。


 決着がつきそうにないと思われたが、エリクの方がやや劣勢だ。ウルリカを探しにきてすぐ戦っているため、疲労が溜まっているらしい。呼吸が荒く一度に出す氷の矢が少なくなってきた。


 ベルトルドが大きく距離をとり、黒犬を呼んだ。


「時間切れだ。諦めろ」


 仲間たちが戻ってきた。指示されずともエリクを囲む。


「そうだね。良い頃合いだと思うよ」


 エリクに焦りは見られなかった。


「最後に未発表の情報を教えてあげる。グランフルトのダンジョンは洞窟だけじゃない。森全体も一つのダンジョンだよ」


 間合いを詰めようとしていたベルトルドたちが立ち止まった。話の真偽を確かめるために、黙って続きを待つ。


「二重構造になっているんだ。森の更新周期が長いせいで、最近まで分からなかったんだよ。昔の人は森を開拓して村を作ったけど、更新されて飲み込まれた。更新直後のダンジョンには魔獣が大量発生するのは知ってるでしょ」

「出鱈目だ! ベルトルド様、こいつの言葉に惑わされてはいけません」

「森に入ったとき、違和感を感じなかった? 綺麗に整えられた狩場しか知らない貴族には難しかったかな」


 遠くから木々が折れる音がする。音は次第に大きく、こちらへ向かってくる。巨体がなりふり構わず移動しているようだ。


 ベルトルドの顔色が変わった。液体をかけられた腕の匂いを確かめ、まさかと呟く。


「非売品の魔獣寄せ。気に入ってくれた? 撒きながらここへ来たんだけど、どうやらダンジョンの大物が釣れたみたい」

「ふざけるな! 貴様、正気か!?」

「正気だよ。一対多数に正面からぶつかる方が、どうかしてる!」


 笑うエリクにベルトルドが斬りかかった。だが剣は彼の体をすり抜け、大量の蝶へと変わってしまう。本物のエリクは音もなくウルリカに近づき、手をとって逃げる最中だ。


 近くの木が弾けるように吹き飛んだ。緑色の大蛇が現れ、黒犬に食らいつく。だが部下の一人が大蛇の顎を棒状の武器で叩いて吐き出させた。投げ出された黒犬は急いで仲間の後ろへ逃げていく。


 ベルトルドはエリクに向かって白いものを投げつけた。それを受け取ったエリクは、ウルリカを連れて木の間を進む。このまま逃げるのかと思いきや、少し離れた木の根元でウルリカを座らせた。


「ウルリカ。絶対に音を立てないで。あいつらは音に敏感だから」


 ウルリカが頷くと、エリクはマントを頭から被って、木の幹に押しつけるように体を寄せてきた。視界はマントに覆われて暗い。


 エリクが耳を塞いでくれたが、近くで戦っている音は完全に消えなかった。


 大勢の怒号と大蛇が争う音。巨体が木にぶつかる音。新手の魔獣が自分達の近くを通り過ぎていく音。日常生活では絶対に聞かない音は、ウルリカを怖がらせるには十分だった。


 エリクが逃げるよりも隠れることを選んだのは、襲ってくる魔獣が大蛇だけではないと知っていたからだろう。ウルリカを守りながら戦うのは難しいと判断して、隠れることを選んだ。


 どれほどの時間が経過したのか、戦闘音は徐々に遠ざかり、やがて聞こえなくなった。体を起こしたエリクは周囲を見回してから、小さなため息をつく。


「……もう大丈夫だよ」


 目を開けたウルリカが最初に見たのは、薙ぎ倒された木々だった。散乱している魔獣の死骸は、どれも大きな傷がついている。体の半分が消滅している魔獣など、どうやって攻撃されたのか予想がつかないものもあった。


「あの人たちは無事なの?」

「あれくらいじゃ死なないよ。彼らはもっと強い魔獣と戦ったことがあるんだから」

「無事なら、また戻ってくるかも」

「それはないと思うよ」


 エリクはベルトルドから投げつけられたものを広げた。ウルリカが無くしたと思っていたハンカチだ。投げやすいように小石を包んでいたらしい。


「たぶん、全力で戦ってなかった。君から手を引く機会を探っていたんじゃないかな。そうじゃなきゃ君を見つけた証拠を返してこないよ」

「もう、悩まなくていいのね?」

「うん」


 安心したウルリカはエリクの袖を引っ張った。何も言わずに抱きしめられて、また涙が出てくる。泣いている理由の半分は攫われた恐怖だったが、もう半分は番の本能に振り回されたことだ。


 エリクには言えない。危険を顧みず、持てる策を使って連れ戻してくれたから。


 守るように包み込んでくれる優しさは、陽だまりにいるようで心が落ち着く。


 ようやくあるべき場所に戻れる。番の本能に逆らって得たものこそが、ウルリカの求める幸せなのだと再確認した。


「ウルリカ。テーレにいる誰かに手紙を書いた?」

「書いてないわ。だから不思議なの。どうして私の居場所が分かったんだろう」

「ウルリカの職場に手紙が届いたってことは……」


 エリクはそれっきり黙ってしまった。

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