私はあなたが怖い2
森を調査している研究員とエリクたち護衛は、次回の調査について話し合いをしていた。新たに判明したことも教えてもらったが、研究発表をするまで部外者には明かせない。
エリクは知り得た秘密をウルリカに話すのが待ち遠しかった。彼女が知っている森やダンジョンの常識が変わるだろう。きっと驚いて、最初に「信じられないわ」と言うに違いない。
「次の調査は範囲を広げるみたいだけど大丈夫なの? 移動だけでも大変だと思うよ」
研究員の一人に話しかけると、彼は曖昧な笑みを浮かべた。
「体力に自信がある人員を厳選するから、大丈夫だと思いたいですね。でも荷物の運搬に人を雇いますし、護衛も増員されるそうですよ」
護衛のリーダーであるハンネスに目線を向けた。声が聞こえる範囲にいたハンネスは、頷いてから研究員の言葉を補足する。
「研究員に荷運びの人足まで抱えることになるからな。前回のように三人だけじゃ守りきれない。増加する護衛は昼から到着する予定だ。調査へ出発するまで、連携できるように訓練しておくぞ」
次の調査は四日後だ。
「訓練といっても、エリクは前回と同じく索敵と撹乱を主に頼む予定だ。問題ないな?」
「うん。いいよ」
猟師をしていた経験から、魔獣を探すのは得意だ。幻術を使った敵の撹乱は、一人で狩人をやっていくために必要だった。どちらも自分の得意技と言える。
ずっと単独で活動していたエリクには、誰かと連携して動く経験が圧倒的に足りない。練習できる機会は貴重だ。
昼までは自由時間だとハンネスは言った。どう暇を潰そうか考えていると、顔見知りの研究員が会いに来た。やけに急いでいる様子で、知らない女性を同伴している。女性は走ってきたのか息が荒く、大切そうに抱えていた手紙を差し出してきた。
「……何かあったの?」
ただならない空気を察して尋ねると、研究員が口を開いた。
「内密の話があるんだ。でも君の上司も一緒に聞いたほうがいい」
離れようとしていたハンネスは、黙って頷く。
「ウルリカがあなたにこれを渡すようにって。彼女、番に連れ去られたのよ」
手紙を持つ手に力が入り、紙面の文字が歪んだ。
――どこから情報が漏れた?
逃走時の偽装は完璧だったはずだ。街道にはあえて証拠を残して、山道に入ったと分からないようにした。山道では雨が足跡を消してくれている。ベルトルドは痕跡すら掴めなかったはずだ。そもそも山道と呼んでいるだけで、あれは地元の人間が山仕事をするために使っている経路であり、旅をするための道とは違う。
ウルリカの走り書きは、逃げきれたらエリクに会いに行くと書いてあった。
「職場の表玄関には、すでにウルリカを探しに来た人たちがいたわ。だから彼女、裏口から外へ出たのよ。私、この研究所に入るための身分証がいるって思い出して、取りに戻って……ごめんなさい。ウルリカが連れ去られるところを見たわ。私じゃ追いつけなくて、どっちへ行ったのか分からないの」
動揺しているせいで、彼女の言葉は上手くまとまっていない。だがウルリカが誘拐された状況は伝わる。
「あと、道にこれが落ちていたわ。ウルリカが使っているリボンよね?」
調薬作業中に髪をまとめている紫色のリボンだ。刺繍の模様に見覚えがある。一緒に買いに行ったとき、似合うかどうか聞かれたのだ。
リボンからは甘い香りがした。人工的で強い香りは、ウルリカの居場所を探る手がかりになりそうだ。ウルリカが持っている香水とは違う。攫われるとき咄嗟に手がかりを残したのかもしれない。
「エリク。今すぐ行政に――」
「間に合わないよ。森の地図はある? 大体の広さと、近くを通ってる街道の形が知りたいな」
ハンネスの提案を遮って、研究員に声をかけた。
「それなら私の研究室に」
「行くよ」
エリクは研究員の手首を掴んで走り出した。建物内は関係者以外入れない部屋が数多くあるが、彼の研究室がある場所は分かる。
研究室に入ると中にいた者が驚いて見てきたが、彼らに説明している時間が惜しい。室内を見回して壁にかかっている地図を見つけた。
「あれが最新の地図?」
全速力で連れてきた研究員は、喋るのが辛いのか頷いただけだった。研究員を入り口に放置して地図を眺めたエリクは、すぐに研究室を出る。
「エリク!」
ハンネスが追いかけてきた。探す手間が省けたエリクは、近づいて彼に言う。
「ちょうど良かった。今から行ってくるよ」
「行くって、どこへ」
「決まってるじゃないか。ウルリカを連れ戻しに行くんだよ」
「居場所が分かるのか?」
「最終的な目的地は分かるよ」
竜族は己の領地にいる番被害者は救済するが、他種族の領地にいる番被害者には干渉しない。明確に線引きをしているからこそ、番を隔離しても他種族は非難しなかった。
ベルトルドが竜族の領地外にウルリカを連れ出したら、エリクは竜族の協力を得られなくなる。さらにテーレまで戻されたら、もう二度と会えない。ベルトルドの屋敷は以前よりも警備が厳しくなっているだろう。彼を惑わせた幻術も、今は対策されていると思ったほうがいい。
「彼らは外壁を越えて森へ向かった。そうするしかないんだ。グランフルトに潜伏し続ける理由がないからね。警備の隙をついたんだろうな。誘拐したウルリカを連れて警備兵だらけの門を通るのは、発見される可能性が高い」
町を囲む壁を越えたら、森はすぐそこだ。中へ入ってしまえば目撃者はおらず、木々が目隠しになる。森の中を通過して、街道にいるはずの仲間のところに合流。以降は馬車でテーレを目指すのが、最も無駄がない。
「僕も同じ経路で追いかけるから。行政への連絡はお願いしてもいいかな」
時間が惜しい。エリクは急いで外へ向かった。
***
ウルリカは体が揺れる感覚で目が覚めた。麦袋のように担がれ、どこかを移動している。頭全体を覆われているせいで、周囲の状況は分からない。暴れるのを防ぐためか、手首と足首を縛られていた。
周囲の音と上下左右に揺れる動きから、平坦な道ではなく森の中にいるのだろうかと見当をつけた。手足を動かしても、ウルリカを担いでいる人物にはまるで効果がない。いい加減に腹が苦しくなってきた頃になって、地面に降ろされた。
「お前たちは先に行け」
聞きたくなかった声がする。もう二度と聞かずに済むと思っていたのに。
「しかし……」
「露払いをしろと言っているんだ。行け」
「犬を残しておきます」
「一匹だけだ。他は要らん」
複数人の足音が去っていく。一人だけはウルリカに近づき、頭を覆う布を取り払った。
声で予想していた通り、ベルトルドが片膝をついて、座っているウルリカを見ている。相変わらずの無表情だが、ウルリカと目が合うと雰囲気が柔らかくなった気がした。
ベルトルドはナイフを出してウルリカの手を掴んだ。こちらが抵抗する前に手首を縛る縄を切る。
「足は?」
スカートを軽く引いて足首を見せると、ベルトルドが切ってくれた。
拘束は無くなったものの、彼から逃げるのは無理だろう。身体能力の差もあるが、森のどこにいるのか分からない。
黒い犬がウルリカに近づいてきた。体が大きく、見た目は狼に似ている。猟犬だろうか。明らかに警戒した様子だ。
「退がれ」
ベルトルドが一言命令しただけで、犬は体を震わせて離れた。
「……すまなかった」
いきなり謝罪されたウルリカは、どう返事をすればいいのか思いつかずに黙る。
「正面から訪問しても会ってもらえないと思って、強行手段をとらせてもらった。手紙を送っても、君は読まずに捨てるかもしれない」
「……そうね」
会わないどころかグランフルトから出ていくだろう。
「君が大切にしているものを知ろうともせず、無神経なことを言った。番なら説明せずとも通じると思いこんで、君に負担をかけていたことも。全て俺のせいだ」
「それを言うために、わざわざ?」
誘拐事件をおこしたのかという言葉は、言わないでおいた。彼があまりにも真剣なものだから、余計なことを付け足すと嫌味に聞こえてしまう。
「目の前で言葉を伝えなければ意味がない。心の中でいくら大切に思っていたとしても、君に伝わらなければ何も思っていないことと同じだ」
ベルトルドが言っていることは、エリクが実行していることでもある。生まれ育った環境や種族が違うから、すれ違いが生まれやすい。だから些細なことでも表に出して伝えるのだと。
「もう一度、最初から始められないだろうか。テーレの出来事を忘れろなんて言わない。俺を許さなくてもいい。俺が君に望むのは、傍にいてくれることだけだ」
今度は懇願だった。ウルリカから目を逸らさないのは、誠実に向き合う気持ちの表れだ。
テーレにいた頃も、彼はウルリカを受け入れようとしていたのではなかったか。最初から拒否して向き合うことすらしなかったのは、ウルリカだった。それは正しいことだったと言えるだろうか。
――もっと早く出会っていたら。
違う未来になっていたのに、と考えたウルリカは心情の変化に薄寒いものを感じた。
離れている間にベルトルドへの嫌悪感は薄れている。無理やり森へ連れてこられたことに対する怒りよりも、仕方なかったのだと納得してしまった。以前なら、誘拐に納得するなんて考えられない。
「今ここで返事が聞きたい」
ベルトルドの青い瞳から目が離せない。じっと見つめられていると、彼の願いを叶えてあげるのは当然なことのように思えてきた。
――これが番の本能?
どうして自分はベルトルドを放置するのだろうか。こんなにも望まれているのに、意地を張っているなんて。身分の差を理由にして離れるのは間違っている。むしろ努力して差を埋めるべきだ。
番に出会えるのは、とても幸運なこと。自分から別れるなんてあり得ないのだ。心の深いところから湧き上がる感情に身を任せればいい。幸せを求めて何が悪いのか。
「ウルリカ」
初めてベルトルドに名前を呼ばれた。返事を催促しているようでもあり、ただ呼びかけただけにも聞こえる。だが声が優しすぎた。言葉を尽くさなくても彼がウルリカをどう思っているのか筒抜けだ。
ベルトルドがこちらへ手を伸ばしたのが見えて、ウルリカは顔を背けて俯いた。
触れてほしくない。これ以上、感情を掻き乱してほしくなかった。
俯いた視線の先には、左手の指輪があった。視界が滲んで涙が落ちる。
ウルリカがベルトルドの手をとったら、エリクはまた一人になってしまう。番の本能に振り回されて生きてきたと聞いたばかりだ。彼らと同じ方法でエリクを傷つけたくなかった。
エリクは何度も助けてくれたのに。感情の赴くままに行動をしたら最悪な別れになる。理解しているのに、ウルリカはその場から動けなかった。




