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番の溺愛から逃げたい私と、番の偏愛から逃げたい君  作者: 佐倉 百


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25/33

私と生きて5

 ウルリカと約束していた時間に町の広場へ行くと、彼女は同世代の女性と話しながらこちらへ歩いてくるところだった。


 ――しまった。二人きりで行くとは言ってなかったね。


 ウルリカと約束できたことが嬉しくて、細かいところまで確認していなかった。滅多に会わない客から誘われたウルリカが警戒するのは仕方ない。来てくれただけでも喜ぶべきだ。エリクはそう思うことにした。


 ところが同行者は途中でウルリカと別れて人混みの中へ消えていく。エリクのところに来たのはウルリカだけだった。


「お待たせしてしまいましたか?」

「大丈夫。僕も来たばかりだから。さっき一緒にいた人は?」

「同じ学校に通っていた同級生です。目的地が同じ方向だったから、途中まで一緒に来たんです」


 どうやら店へ行くのは二人だけのようで安心した。


 店に近づくにつれ、甘い香りがしてきた。テーレは近年、食料の供給が安定してきたと聞いている。細かった街道を拡張し、山賊や魔獣の対策に力を入れたことで、行商人が通りやすくなったのが主な原因だ。


 往来のしやすさは狩人の数にも影響が出る。狩人が増えることでダンジョン産の食材も手に入りやすくなり、料理や菓子を提供する店が増えることに繋がった。


 行列に並んで待つ間、エリクは敬語と敬称をやめてもらえないかとウルリカに頼んだ。


「今は客じゃないし、敬称を付けて呼ばれるのは慣れてないんだ」


 ウルリカは少しの間考えてから答えた。


「……分かったわ。私も敬称はつけないでね」


 敬語が消えると、距離が一気に縮んだ気がした。待ち時間ですら楽しくなる。店で提供された焼き菓子は、色をつけた砂糖で花や動物の模様が描いてあった。味は普通だが、見た目の可愛らしさで女性の人気を獲得しているようだ。


「誘ってくれてありがとう。こういう店って、女性でも一人じゃ入りにくいのよ」


 ウルリカが言う通り、周囲は二人以上の客しかいない。男性客となると、エリクの他は付き添いと思われる若者と老人の二人しかいなかった。


「どういたしまして。テーレは飲食店が多くていいね」

「今年になってから新しい店が増えているみたい。知らない店ばかりよ」

「あまり外食しないの?」

「ええ。誰かと食べに行くなんて、本当に久しぶり」


 地元の住民なら自炊が多くなるのは当然だろう。


 楽しい時間はすぐに過ぎ去り、店を出て解散することになった。名残惜しいが、菓子店へ行く約束しかしていない。


「もし嫌じゃなければ、また誘ってもいいかな。今度は別の店へ行かない?」

「……休日の昼食ぐらいなら」


 断られると思っていたエリクは、理解するまで少し間があった。身構えていたのに予想とは真逆の答えが返ってくるなんて逆に困る。


 ――嫌じゃない? 本当に?


 柔らかい笑みを浮かべたウルリカは、嫌じゃないわと言った。


「そんなに驚かないで。本当よ。自分でも不思議なの。あなたと話していても緊張しなかったわ。まだ数えるほどしか会ってないのにね」


 不思議なのはエリクも同じだった。ウルリカに会うと最初は緊張するのに、話しているうちに空回りそうだった心が落ち着いてくる。彼女の穏やかな雰囲気がそうさせるのだろうか。


 誰かと一緒にいることで得られる居心地の良さを知った。一度知ってしまったら、もう戻りたくない。


 次の約束をしたエリクは、夢の中にいるような気分で大通りを歩いた。



***



 二人で会う約束は二度では終わらなかった。月に一度、月末の昼だけというもどかしくなる頻度だが、細々と続いている。どの日も昼にしか会えない。それなのに幸せを感じているなんて、自分でもどうかと思う。


 そんな生活が半年続いた。そろそろ次の変化がほしい。月末の昼食後、解散する前にエリクは自分の気持ちを打ち明けた。


「ウルリカ。会う時間を増やさない? お互いの性格が分かってきたし、もう少し親密な関係になりたいな」


 エリクは青い小さな宝石がついたネックレスを差し出した。テーレでは真剣な交際をしたい女性に、貴金属を贈るのが流行しているそうだ。たまに町の中で成功している場面を目撃することがある。貴金属の種類や値段に決まりはなく、気持ちを形にするのが大切だった。複数人の地元住民が同じことを言っていたので、偽情報ではない。


 ウルリカは目を丸くして驚いていた。ふと表情が曇ったように見えたのは、気のせいだと思いたい。


「一週間後に会いましょう。その時に返事をするわ。それでもいい?」


 今すぐ聞きたい。だが彼女の気持ちを最優先すべきだと、心の冷静な部分が言っている。


「分かった。一週間後だね」

「行きたい店があるの。でも夜しか開いていなくて。たまには一緒に夕食を食べない?」

「いいよ。どこで待ち合わせする?」

「仕事が終わってから会いましょう。薬店の近くで待っていて」


 指定された日の夕方、照明が消えた薬屋に近づくと、中からキーリアの高い声が聞こえてきた。


「ウルリカ! 今日は私の家においでよ。誕生日でしょ? 大通りで持ち帰りの料理を買って、お祝いするの。どう?」

「ごめんなさい。今日はちょっと」

「そんなぁ。そろそろお祝いしてもいいと思うわよ? ご両親だって、ウルリカには幸せになってほしいって思っているはずだもの」


「大丈夫。もう引きずってないから。今日は先約があるの」

「良い話?」

「どうかしら。そうなればいいけれど」


 エリクは中の会話が聞こえない位置まで移動した。


 ――誕生日? 今から贈り物なんて用意できないし……そんな話は一度も出なかったよな。いや、聞かなかった僕が悪いのか。


 普通の人間は誕生日を喜ばしいもの、祝福するものとして扱っている。誕生日を祝うという習慣に縁がなさすぎて、考えつかなかった。


「エリク?」


 悩んでいる間に、ウルリカは薬屋から出てきたらしい。声をかけられてようやく気がついた。


「待たせてごめんね。行こ」

「うん」


 歩き出してすぐに、エリクはウルリカを呼び止めた。


「今日、誕生日だったの?」

「え? もしかして、聞こえてた?」

「うん。聞くつもりはなかったんだけど、他の人よりも耳がいいから……」


 ウルリカの顔を見るのが気まずい。エリクは進行方向を見ていた。


「言ってくれたら良かったのに。贈り物とか、考えるの嫌いじゃないよ」

「……ねだってるように聞こえたら、どうしようかなって思ったのよ」

「それはないよ。だって、ウルリカはいつも奢らせてくれないじゃないか。たまには欲しいものぐらい言っても、わがままだなんて思わないよ」


 隣を見下ろすと、ウルリカと目が合った。


「店に着いたら、聞いてほしいことがあるの」


 ウルリカが連れてきてくれた店は、住宅街の近くにある店だった。中はすでに半分ほど席が埋まっている。家族連れや恋人同士と思われる組み合わせまで、客層は幅広い。彼らの多くは煮込み料理を注文しているようだ。


 席につくとウルリカはワインを注文していた。


「エリクも飲む?」

「そうだね。同じものにしようかな」


 店員は注文を聞き終えて、すぐにワインとグラスを持ってきた。濃い赤色で香りは良いが、甘味の強さはエリクの好みから少し外れている。


「この店ね、私の誕生日に家族で行こうって約束していたのよ。でも前日にダンジョンから溢れた魔獣のせいで、叶わなくなっちゃった。エリクは知ってるでしょ? ダンジョンの出入り口に頑丈な柵があって、その前に領主の私兵が立ってるの。大量の魔獣が出てくるまでは、あんなもの無かったわ」


 ダンジョンから出てきた魔獣で町に被害が出るのは、そう珍しいことではない。そうならないために、狩人には魔獣を討伐するよう依頼が出ている。


「昔はダンジョンから町までの間にも店があったのよ。それから狩人専用の治療所もね。両親はそこで働いていたの。私はまだ学生だったわ。学校にいたら、魔獣が暴れてるって報せがきて、安全になるまで教室にいるしかなかった」


 料理が運ばれてきたが、二人とも手をつけようとしなかった。


「だからかな。自分の誕生日って、祝う気持ちになれないのよ。キーリアは楽しさを思い出させようとしてくれるけどね。気遣いには感謝してるわ。そろそろ前を向かないといけないって、私も分かってる」

「無理に明るくしても辛いだけだよ。長い時間をかけてもいいんじゃないかな?」


 そうエリクが言うと、ウルリカは嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう。そう言ってくれると思った。一週間も待たせてごめんなさい。あの時はまだ将来のことを考える余裕がなかったの」

「今は?」


 エリクはテーブルの上にネックレスを入れた小箱を置いた。ウルリカの手がネックレスだけを拾い上げる。


「これからもよろしくね」


 ネックレスはウルリカの首におさまった。指先で鎖と宝石を撫でるウルリカは、晴れやかな表情になっていた。気持ちの整理がついたようだ。


 エリクは密かに安堵のため息をつく。この一週間、生きた心地がしなかった。返事を保留されるのは心臓に良くない。だがウルリカがエリクの気持ちを受け入れてくれたことで、苦労が報われた気がする。


 食事を終えて今日はこれで解散かと思っていたエリクは、店を出た後に袖を掴まれて戸惑った。


「もう少しだけ、いい? その……今日は一人になりたくなくて」

「いいよ。他の店に行く?」


 酒を提供している店なら、深夜まで営業している。狩人向けのところへ行かなければ、静かに過ごせるだろう。ところがウルリカはエリクの袖を引っ張り、住宅街の中へ誘導し始めた。


「ウルリカ?」

「私の家、ここから近いの。お茶でもどう?」


 こんな時、気が利いた一言でも返せたら良かったのに、出てきたのは「うん」という平凡すぎる言葉だけだった。


 歩くにつれて夜のざわめきが遠くなっていく。二人分の足音しか聞こえない。何度か角を曲がって、アパートの階段を上がった。大して移動していないのに、心臓は全力で走ったように脈打っている。


 玄関の鍵をウルリカが開ける間、肩の輪郭を目でなぞっていた。いつも接近を拒んでいたカウンターやテーブルがない分、距離が近い。ここで彼女に触れたら、せっかく近づいた距離が離れていく気がした。


 ――知り合いから恋人になったばかりだよ?


 軽率な行動で傷つけたくない。


 扉を開けたウルリカは玄関に置いてあったオイルランプに火をつけた。火打ち石の類は見えなかったから、簡単な魔法を使ったのだろう。


 日常生活の助けになる魔法なら、覚えている者は意外と多かった。体系化された攻撃や回復の魔法とは違う民間魔法は、口伝で残されているため、扱える人数や種類など正確なことは誰にも分からない。


 家の中に入ってロウソクにも火を灯したウルリカは、エリクを招き入れた。


「座って待っていて」


 三人がけのソファに座るとキッチンにいるウルリカの後ろ姿が見える。時間を短縮するためか、小鍋に手をかざして湯を沸かしていた。ポットには茶葉と少量の花びらを入れて湯を注ぐ。しばらくすると花の香りが漂ってきた。


 ――仕事以外で誰かにお茶を淹れてもらうなんて、何年ぶりかな。


 夜遅くに誰かの家へ入るのは初めてだ。


「どうぞ」

「ありがとう」


 カップを二つ持ったウルリカが、片方を渡してくれた。そのままエリクの隣に座り、黙ってしまう。エリクも会話の一言目を見つけられず、カップに口をつけた。


 花の香りがするお茶は、鎮静剤に似た香りがする。心を落ち着かせる作用があるのかもしれない。


 沈黙したままでも苦痛ではなかった。静かな部屋の中で、一緒に時間を浪費する贅沢をしているのだから。誰にも邪魔されない。外は他人の目線が気になる。自分で思っている以上に、他人は見ていないと分かっているのに。


 お茶が半分まで減ってから、エリクはソファのそばにある小さなテーブルにカップを置いた。そっとウルリカの頬に触れると、くすぐったいのか目を細めて微笑んだ。そのまま猫のように、手のひらへ擦り寄ってくる。彼女のカップを優しく取り上げ、テーブルに置いたエリクはウルリカの手を握った。


 受け入れてほしい。


「もし嫌だったら言ってね」

「……嫌だったら家に呼ばないわ」



***



 その夜以降、ウルリカの仕事終わりから休日にかけて会うようになった。月に一回という頻度は変わらなかったが、充足感は違う。


 ある時、狩人の仕事で疲れきっていたエリクは、ウルリカの家で寝過ごした。キッチンから聞こえてくる音で目が覚めると、外はとっくに明るくなっている。身支度を整えて寝室を出たエリクは、朝食を作っているウルリカを見つけた。


「ごめん。寝過ぎた」

「いいのよ、それぐらい。疲れている時ぐらい、ゆっくりしたら?」


 ウルリカは食事の支度や労いの言葉をかけることを、特別だと思っていない。エリクが育ってきた環境には、無くて当然のものだった。家族がエリクのためだけにしてくれたことがあっただろうか。


 ウルリカが当たり前だと思っていることは、自分が心から欲しかったことだと、ようやく理解した。さらに、欲しいという気持ちには際限がないことも。満たされることがなく、常に飢えている気分だ。子供の頃に得られなかったものを、ウルリカとの交際を通じて得ようとしている。自制心という頑丈な檻の中にいる貪欲な獣が、脱走の機会を狙っていることは、知られなくない。


 彼女の隣にいる時だけは、普通の人間になれる気がした。何が普通なのか知らないのに。


 目が覚めた時、隣でウルリカが眠っている状況が一番安心する。ようやく見つけた幸せが消えていない。体温を感じて、彼女が妄想の産物ではないと確信したら、生きている実感を得られた。


 だからウルリカが番ではなくエリクを選んでくれたとき、あんなに激しかった飢餓感が和らいだ。彼女がそばにいてくれるなら、もう生まれてきたことを悔やまなくてもいい。



***



 ベルトルトは部下の一人が差し出してきた手紙を受け取った。


 安い紙の封筒。差出人は知らない名前だ。表に書かれた文字は、やや癖が強い。受取人の名前を確認して、興味がわいてきた。


 報告書のような書き方をしている本文の一部に、ウルリカの名前が記してある。


「……グランフルト?」


 そこに彼女がいるらしい。

 手紙から顔を上げると、部下と目が合った。


「いかがいたしますか? いつでも動けます」


 領主代行の仕事に忙殺されて、忘れかけていた乾きが蘇ってきた。

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