私と生きて4
不自然に思われない頻度で薬屋へ通ったが、ウルリカはほとんど表に出てこなかった。彼女の主な仕事は調薬だ。あの日、接客をしていたのは他に人がいなかったせいだと後で知った。
店の奥で作業をしている後ろ姿ならよく見かける。話し声が聞こえてくることもあったが、内容までは聞き取れない。接客の邪魔にならないよう、声の大きさには気をつけているようだ。
ウルリカとあまり会えない代わりに、オロフという中年の店員とよく話すようになった。体格に恵まれた牛族のため見た目は厳ついが、性格は穏やかな男だ。妻子持ちで、市場で買い物をしている姿をよく見かける。
「オロフさん。薬草のことで質問があるんだけど」
店内に客がいない時を見計らって声をかけると、オロフは柔和な顔で何かなと言った。
「星見草を長持ちさせる方法ってある? しおれやすくて困ってるんだ。切り口を濡れた綿で包んでも、ギルドに到着するまで持たなくて」
「あれは水が大好きだから。茎を切らずに、水をたっぷり含ませた綿か布で根を包んでごらん。それから油紙に包んで持っていくといい。なるべく揺らさないように」
薬草の扱いは本職に聞くのが一番参考になる。そう思ってたびたび質問をしているうちに、オロフは一冊の本を見せてくれた。薬草の取り扱いについてまとめた手引書だ。
「君は字を読めるんだったかな? 時間がある時は読みにおいで。知っておいて損はないはずだ」
「部外者に知識を与えることになるけど、いいの?」
「薬草の知識を教えたぐらいで困るような職じゃないさ。薬草の処理や調薬も知らないと、商売にならない。むしろ薬草を適切に扱える者が増えてくれた方が、私たちの仕事がやりやすくなるのさ」
善意だけで施してくる者よりも、オロフのように負担にならない見返りを最初に求めてくる者の方が付き合いやすい。しかも自分だけでなく、同業者全体の利益になる。
――この本の内容を知っていれば、共通の話題になるかな?
少しでもウルリカに近づきたい。今から薬のことを学んでも到底追いつけないだろう。だが彼女の仕事について知識があれば、無知からくる失礼な発言ぐらいは避けられる。
もどかしくなるほどの遠回りだ。彼女のことが気になるなら、さっさと声を掛ければいいのにと、心の冷めた部分が言っている。接点が少ない上に勇気が出ないのだから仕方ない。
テーレに滞在中は、草の知識を活用する場面はなかった。だが、のちにウルリカと逃亡しているときに役立っている。体調を崩した彼女に飲ませた薬草茶は、オロフが見せてくれた本に書いてあった。
養父の猟師としての経験や産婆の知識と同じく、後から役に立つ場面が多い。知っておいて損はないという言葉の通りだ。
本を読みに行くという動機ができたおかげで、来店回数が増えた。店長にはオロフから説明してくれたようで、店へ行っても文句を言われない。武器を持たずに店内の隅にいると、近所の客には見習いの店員だと勘違いされることもある。
ウルリカと話す機会も増え、彼女の名前を教えてもらった。ようやく名前を呼ぶ権利を得たのだ。会話の最中に笑顔を見る回数も多くなり、嫌われていないようで安心した。
「ねえ。エリクさんって狩人なんだっけ?」
何度か読書をしにきたとき、店長の代わりに店番をしていたキーリアが話しかけてきた。全く人見知りをしないキーリアは、他の客がいないと話しかけてくることがある。
軽い世間話でも回数が増えれば、キーリアを取り巻く環境について見えてくる。今では彼女の勤務時間から家族構成といった、個人的な情報が判明していた。これがウルリカだったら嬉しかったが、贅沢は言っていられない。
「そうだよ」
「じゃあ他の町にも行ったことあるのね? 旅をしている人って、番に会いやすいって聞いたわ」
カウンターにいるキーリアの後ろをウルリカが通り過ぎた。調薬に使う道具を抱えている。もし自分がこの店の従業員だったら、喜んで手伝いに行くのに残念だ。
「出会う人が増えるからね。番に興味があるの?」
「うーん……どうかな。よく分からないし、むしろどうでもいいかも。エリクさんは自分の番に会った?」
「それらしい人はいないね。僕も興味ないなぁ」
「じゃあ、この店に番がいるわけじゃないのね」
「もしかして、下心があるから読書しに来てるって思われてた?」
「ごめんね。怒らないで。もし番がいるって正直に言ってくれたら、協力するわって言いたかったの」
「怒ってないよ。でも番を見つけた人は積極的になるから、協力しなくても大丈夫じゃないかな」
エリクは自分の番がウルリカではなくて安心していた。もし彼女が番だったなら、どんなに興味があることを言っても、言葉の意味を正しく受け取れない気がする。
番の本能に支配された頭では駄目なのだ。ウルリカが偏見なく狩人の仕事を評価したように、エリクも番特有の溺愛に惑わされず彼女の内面を知りたい。
***
仲を深めるきっかけは、意外なところに転がっていた。
その日、エリクは珍しくダンジョン内で狩人を狙った罠に引っかかった。殺した魔獣の体が罠の上に倒れ、起動させてしまったのだ。罠の種類は火球を浴びせる殺意が高いものだった。
エリクに怪我はない。だが抱えていた収穫物を守りながら回避した際に、火球が背負っていた荷物をかすめた感覚があった。荷物をすぐに下ろして確認してみると、一部が炭になるほど焼け焦げている。買ったばかりの傷薬が入っている部分だった。
近くに罠を仕掛けた狩人がいるなら相応の礼をしたのに、それらしい姿はなかった。設置だけして帰ったか、他の場所にも罠を仕掛けに行ったのだろう。怒りを向ける相手がおらず、ますます気分が下がった。
町に戻ってきたエリクは自分の未熟さに苛立っていた。罠が仕掛けられているのは分かっていたのだ。それなのに魔獣が倒れる位置を計算して退治できなかった。せっかく買った薬も無駄にしてしまったのが許せない。
悪いことは重なるもので、ギルドに届けた収穫物は半分が潰れていた。梨に似た外見の果実は、実が柔らかく潰れやすい。大切に持ってきたつもりだったが、罠を回避したときの衝撃で潰してしまったようだ。もちろん査定は低くなり、報酬が減らされてしまった。
滅多にない過ちが続くと、さすがに落ち込む。
ふて寝をした翌日、新しい鞄を買ったエリクは薬屋の前で立ち止まった。薬を購入してからまだ日が浅い。また薬を買いに行けば、必ず事情を聞かれるだろう。失敗を話すのは恥ずかしいが、今さら別の店で買いたくない。
覚悟を決めて扉を開けたエリクは、カウンターの奥から聞こえてきた声で帰りたくなった。
「いらっしゃいませ」
よりによってウルリカが店番をしていた。以前と同じ営業用の微笑みを向けられ、なぜか寂しい気持ちになる。
「……えっと、店長たちは?」
「店長は薬屋ギルドの集会です。オロフさんは薬草の処理で手が離せなくて」
「じゃあ今は薬を買えないのかな?」
「以前に買ったことがある薬のうち、効果が弱いものなら。何かあったんですか? なんだか元気がないような……」
散々な目に遭った後に、ウルリカに優しく心配されると心に効くらしい。洗いざらい打ち明けたい気持ちと、格好悪いところを知られたくない気持ちがせめぎ合っている。以前にはなかった葛藤だ。
最終的に買い物を済ませたい気持ちが現れて、ダンジョン内の出来事を簡単に話した。
「せっかく薬を作ってくれたのに、ごめんね」
「無事ならそれでいいと思いますよ。薬はまた買えますから」
無難な慰めだと分かっていても、気にかけてくれた人がいるのは嬉しかった。
「そうだね。いつまでも落ち込んでいても仕方ないし、適当に気分転換したらまた行ってくるよ」
ウルリカに会えた時点で苛立ちの大半は消えている。宿にいても暇を持て余すだけだ。ギルドの依頼に固執することもない。しばらくは情報の売買をしながら、軽めの依頼が集まるのを待とうと考えていた。
「キーリアが言っていた気分転換の方法なんですけど、甘いものを食べに行くと効果があるそうです」
「へぇ。そういえば大通りに人気の店があったね。いつも行列ができているところ。一緒にどう? 君の分は払うから」
自分で思っているよりも疲れていたのだろう。なんの躊躇いもなく、ウルリカを誘っていた。
両者の間に沈黙が流れる。ウルリカの表情で、心に大きな壁を作られたのを察した。危険な兆候だ。
「私では遊び相手にならないと思いますよ」
「ま、待って! 今のは変な意味じゃないから!」
相手は絶対にナンパされたと思っている。ここで言葉選びを間違えたら、一生距離が縮まらないどころか出入り禁止になってしまう。
「下心は全然ないんだ。あの店って女性ばかり並んでるし見た目も可愛いから、僕が一人で入ったら変な目で見られると思ったんだよ」
「……確かに男性は一人で入店しにくいでしょうね。でも私ではなくてもいいのでは? お知り合いの狩人とか」
「顔見知りは何人かできたけど、男ばかりだからなぁ……」
エリクの場合は女性の狩人と仲良くなると、なぜか付き合っていると勘違いされる。こちらは普通に話しているつもりでも、深読みしてくることが何度かあった。過去の経験から、女性の狩人とは極力距離を置いている。
「懇意にされている女性とか……」
黙って首を横に振った。懇意にしたい女性なら目の前にいる。
「いないよ。よく話す女性は、ギルドの受付嬢かな。依頼人の窓口にいる人。既婚者だから誘ったら別の問題が発生するよ」
「確かに問題しかありませんね」
ようやくウルリカが笑ってくれた。
「そういうことなら、いいですよ。でも私の分は自分で払いますね。実は私も行ってみたいと思っていた店なんです」
「じゃあ君の都合に合わせるね。僕はいつでもいいよ」
狩人は自分で依頼を選べるため、時間の調節がしやすい。雇われているウルリカに合わせるのは当然だ。
「では明後日に。午後なら都合がつきますから」
「うん。よろしくね」
薬を買って宿へ戻っても、まだ信じられなかった。どうやって話しかけようかと悩んでいたのに、意外なほどあっさりと休日に会う約束を取り付けられたのだ。
新しく買った鞄に荷物を移し替えていると、産婆から渡された紫色の石が出てきた。
――覚えておきな。あんた、殺しと盗みは向いてない。やらかしたら、死ぬより辛い目に遭うね。大きな嘘もつくんじゃないよ。肝心な時にしくじって、つまらない死に方をする運勢なんだから。
産婆の言葉は今でもはっきり覚えている。
「……嘘をつくな、か」
ウルリカには正直な自分で接したい。嘘で自分を良く見せても、本質は変わらないのだから。
嘘が発覚して嫌われるより、ありのままの自分が受け入れられなかった方が、後腐れなく諦められる。




