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番の溺愛から逃げたい私と、番の偏愛から逃げたい君  作者: 佐倉 百


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私と生きて3

 冷静を装うのは慣れているはずだった。緊張を表に出しても、良いことはない。焦っている時ほど悠然と振る舞う。いつも心がけていることが、なぜか上手くできなかった。


「こんにちは。仕事で使う薬を探しているんだけど……」


 顔は笑顔の形になっているだろうか。エリクは自信がなかった。かろうじて普段通りの声は出せた。


 ――買い物したいだけだから。追いかけて店に入ったんじゃない。大丈夫。


 ウルリカの視線がエリクの剣に移動して、また顔に戻ってきた。


「狩人の方? 初めてのお客さんは、店長か販売員の問診がないと薬を売れない決まりなんです。あいにく今は不在なので薬の販売は後ほどになりますが、よろしいですか?」


 若干の警戒が表情と声に表れている。カウンター越しとはいえ、目の前に武器を持った男がいるのだから無理もない。せめて武器は置いてくるべきだったかと後悔した。


「そうなんだ。店長たちはいつ頃戻る予定なのかな?」


 エリクはなるべく威圧的に見えないよう、優しく話しかけた。これ以上怖がらせたくない。


「店長ならもうすぐ戻ってくる予定なんですが……時間に余裕があるなら、店内で待ちますか?」

「いいの? 武器を持った人が店内にいたら、営業妨害にならない?」


 ダンジョンを抱えている町の住民全てが、狩人を好意的に受け入れているわけではない。店を利用している客の中にも、狩人を避けて暮らしたいと思っている者がいるだろう。


 ウルリカは硬かった表情をふと和らげた。


「怖い人だったらお断りですけど、なんとなく大丈夫かなって」

「あまり僕を信用しない方がいいんじゃないかな。怖くはないけど、悪い人かもしれないよ」

「悪い人だったら、距離を置かずに詰めてきます。いきなり名前を聞いてきたり、仕事が終わった後の予定を勝手に決めたりね」

「接客って大変だなぁ」


 距離が近すぎる人間の厄介さなら、エリクも理解できる。接客中は逃げられないことも多いだろう。心から同情した。


「常にそういう人が来るわけじゃないですよ。私は奥で調薬していることが多いから滅多に会いませんし、迷惑なお客さんは店長が追い払ってくれます」

「店長って、もしかして怖い人?」

「怖いというか、厳しいです。嘘をついて良く見せようとする人には、特に」

「正直者は正当な評価を得られるってことだね」

「ええ。問診の時は気をつけてください」


 ウルリカの声や話す速さが心地良いのか、緊張がほぐれてきた。


 彼女は仕事だからエリクと会話をしてくれている。絶対に好意を持っていると勘違いしてはいけない。頭の片隅に入れておかないと、彼女が嫌う距離感を間違えた迷惑客になりそうだった。出入り禁止にされてからでは遅いのだ。


 扉のベルが軽やかに鳴った。ちょうど会話が途切れていたので、気まずい沈黙は避けられそうだ。店内の隅に寄ったエリクは、入ってきた老女と目が合った。


「客かしら?」


 感情が希薄な声で老女はウルリカに問いかけた。この老女が店長のようだ。


「はい。薬の購入を希望されるそうです」

「そう。すでに聞いていると思うけれど、この店では客の希望だけでは薬を売れないわ。客に合う薬を出しているの。いくつか質問するけれど、いいかしら」


 疑問を投げかけて許可を求めているように聞こえるが、早い話が指示に従わない客は帰れということだ。異存はない。もちろん承諾した。


「この店を選んだのはなぜ? 誰かの紹介かしら」

「ギルドから宿へ戻る途中で見かけたので。混ぜ物をしていない、まともな薬が欲しかったんです」


 露天で売っている狩人用の水薬の中には、水で薄めたものや酒を入れて量を誤魔化しているものがある。酷いものになると、粉末の薬ではなく砕いた骨が入っていることもあるそうだ。


 偽物を売りつける詐欺師はどこにでもいる。粗悪品を掴まないためには、信用できる店選びが大切だった。


 何度か質問されたことに答えた後は、おおよその体重を計量された。薬との相性を確かめるために、スプーン一杯程度の薬草茶を飲むのもあった。相性が良い薬を適量に分けて売るために必要だと説明されて、興味が出てくる。


「薬は服用を誤ると毒になるわ。忘れないで。決められた量を超えて服用しないこと。いいわね」

「分かりました」


 素直に了承すると、店長は帳簿に数行書きつけてから、ウルリカに薬を取ってくるように指示を出した。どうやら客として認められたらしい。


 先に会計を済ませて待っている間は、店内を見学することにした。壁の一部は掲示板になっており、地域住民が貼ったと思われる内容が書いてある。その中に薬草を買い取るというものもあった。


「薬草の買い取りもしているんですか?」

「ええ。庭で育てられるものを買うのよ。こちらは育てる場所と手間が省けるし、近所の人にはちょっとした小遣いになるわ」


 店長は帳簿から目を離さずに答えた。


「ダンジョンでなければ採取できないものは、ギルドに依頼しているの。専属で狩人を雇うと面倒なのよ」


 ギルドへの依頼は手数料がかかるが、狩人に関する問題とは無縁でいられる。薬草の選別もある程度は行ってくれるため、利用しない手はない。


 この店は住民のための薬屋で、狩人用はおまけ程度にしか考えていないようだ。エリクは内心で安堵していた。自分が狩人をやっているからこそ、ウルリカには関係ないところにいてほしいと思う。粗野と無教養が大半を占める狩人には、あまり接してほしくない。


 ウルリカが梱包してくれた薬を受け取るとき、小さな声で良かったですねと言ってくれた。店長は奥の調薬室に入って、他の従業員と話している最中だ。おそらく普通の声で喋っても聞こえないと思われるが、気分の問題なのだろう。


「狩人の方って質問の途中で帰ったり、追い返される人が多いんです」

「君が助言してくれたおかげだね。ありがとう」


 ウルリカは無言で微笑んだ。すぐに元の従業員らしい感情を抑えた顔に戻ったが、控えめな花のような笑顔はエリクの脳裏にいつまでも残った。


 店を出て宿に到着したエリクは、真っ直ぐ自分の部屋へ向かう。ほとんどの狩人は出かけていて静かだ。狭い個室に入ると即座に鍵をかけ、閉めていた窓を開けた。


 ベッドと小さな机しかない室内に陽の光が差しこみ、外から入ってくる風が淀んだ空気をかき混ぜる。剣を腰から外して緊張の糸が切れたエリクは、力なくベッドに倒れこんだ。


「……どうしよう」


 今まさに抱いている感情を直視したくない。


 これまでの人生で、他人に興味を持つことは滅多になかった。まさかすれ違っただけの女性が気になるなんて、想像すらしたことがない。


 もっと声が聞きたくなる。落ち着いた話し方が耳に心地よくて、さらに彼女のことを知りたくなった。どうすれば仕事以外の話題に触れられるだろうか。勤務中に交際を迫るような、迷惑客にはなりたくない。


 最後に見せてくれた、一瞬の微笑みだけでも心が浮かれそうだった。独り占めできたらいいのにと、不相応な望みを持ってしまう。


 ――名前と勤務先しか知らないのに。


 その名前を知ったのも盗み聞きだった。ウルリカが自己紹介をする前に、名前を呼ぶのは不自然だ。


 普通に話してくれたのは、エリクが客としての距離を保っていたから。勘違いをして欲を全開にして迫れば、仲良くなるどころか嫌悪されるだろう。ウルリカに恋人や夫がいる可能性もあるのだ。一方的に盛り上がって告白した挙句、恋人に牽制される男なんて、惨め以外の何者でもない。


「普通の会話ってなんだっけ……」


 これが情報収集目的や仕事で必要なことなら、深く考えずに話しかけられる。どうせ短い付き合いだからと開き直って、相手の懐に入っていくのをためらわない。意見がぶつかろうとも、最終的に目的さえ果たしてしまえばいいのだ。


 今は全てが逆だ。嫌われたくない。ウルリカのことをよく知りたいけれど、近づくことすら怖いと思っていた。


 諦めたことは沢山ある。慣れているはずだったのに、いつまでも忘れたくないものができてしまった。


 エリクは買ってきたばかりの薬を机に置いた。店長の方針で、一度に購入できる薬の量には限りがある。何度かダンジョンに潜れば使い切ってしまうだろう。


 悩みを抱えていようとも、引き受けた仕事は片付けなくてはならない。依頼を達成したら、ギルドは新たな依頼を紹介してくるはずだ。


 また店へ行く理由としては十分ではないだろうか。

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