私と生きて
「――だから番は苦手なんだ。いい思い出がない」
エリクが自分の生い立ちと、グランフルトへ来た目的を簡潔に話し終えた。隠れているウルリカからニナは見えないので、彼女がどんな顔をして聞いていたのか分からない。
「別の町では一組の番を仲違いさせたから、本当に相性が悪いんだろうね」
「あなたは両親を失った悲しみを、番の本能を憎むことで昇華しようとしているのよ。だから番の本能を否定するのね? お母様がしたことは許されないけれど、気持ちは理解できるわ。番になりたいって望んで暴走しちゃったのよ。でも彼女は自分の番に出会って、番を偽る罪の大きさに気がついたはずだわ」
ニナの感想はウルリカとは違っていた。
エリクの母親はおそらく反省していないと思う。自分のことが最優先で、後先を深く考えていない。その性格が番だと偽って結婚する暴挙へと繋がった。
また、幸せを強く望んでいるのに、自分から行動して現状を変えようとしない。誰かがもたらしてくれると信じている。彼女の番が運よく現れたことで、その考えが強化されてしまったのだろうか。
「もっと早くあなたに会いたかったわ。そうすれば、私たちは何のわだかまりもなく一緒になれたのに」
「……早く出会っても、分かり合えないと思うよ。君を受け入れたら、僕は自分自身を否定することになる」
「どうして?」
「過ちから生まれた僕は、両親にとって価値がなかった。僕がどこでどうなろうと、番を得た両親には関係ない。そんな僕が番を受け入れるのは、両親の行動を肯定していることになる。番じゃない夫婦の子供は、生まれるべきではなかった。そんな考えを受け入れている気持ちになるんだ」
「そんなことないわ! あなたは自分を卑下しすぎよ。ご両親は番に出会った幸せで、細かいことまで考えられなかっただけ!」
ウルリカは耳を疑った。子供だったエリクを捨てることが、細かいことで済まされるわけがない。聞いていただけのウルリカでさえ心が痛むのに、ニナは何も感じなかったのだろうか。
「ご両親と同じことをしたくないって……あの人族がいるから? 番が現れたことを別れる理由にしたくないのよね?」
「彼女は関係ないよ」
「関係あるわ! 私を妨害しただけじゃなくて、今も盗み聞きしてるのよ。本当に許せない」
血の気が引いた。
――彼女も狩人って言っていたような。
ニナはウルリカの尾行に気がついていたが、あえて放置していたようだ。それともエリクが幻だと判明した時に、冷静になったことで気配に気がついたのかもしれない。
「隠れてないで出てきなさいよ!」
動けなかった。今更どんな顔をして、二人の前に出ろというのか。エリクの過去を盗み聞きしてしまった負い目がある。
だが狩人を相手に逃げきれると思えない。ウルリカは観念して、隠れている場所から出た。睨みつけてくるニナを直視できず、彼女の足元に視線を移す。
幻とはいえエリクがニナの近くにいるのが辛い。
「私の番を取らないで。私の幸せを邪魔しないで、あなたも自分の番を探してよ。恋人と別れるのが辛いのは分かるわ。私も同じ経験をしたばかりよ。だからこそ、あなたにも私が番と会ったときの衝撃を経験してほしいの!」
「無理よ。私は番から逃げてきたから」
ニナは驚いて息を呑んだ。
「この町に入るときに言われなかった? ここには番と合わなくて逃げてきた人もいるって」
「……言われたわ。それが何? 自分が番と合わなかったから、人の幸せを壊していいわけ? あなたさえいなければ上手くいったのに!」
ニナの手元が光った。素早くナイフを抜いて、こちらへ距離を詰める。エリクが止めに入ろうとしたが、ニナの一振りで姿が揺らいだ。触れられない幻では、妨害にならない。
逃げても間に合わないと悟ったウルリカは、腕を上げて顔や胸を庇った。だが衝撃が襲ってくる前に、澄んだ冷気が体を包む。重いものがぶつかる音がしたが、ウルリカは無傷のままだった。
閉じていた目を開けると、目の前にエリクの背中が見えた。
「そんな……違うの。あなたを傷つけるつもりなんて……」
少し離れたところで座り込んでいるニナの周囲には、砕けた氷が散乱していた。動揺しているのか、顔が青ざめている。視線をエリクの左手あたりに向けているようだが、現実を見たくないのか目は虚ろだ。
エリクは彼女の攻撃を防いだときに怪我をしたらしく、地面に赤い点が落ちた。
「私はただ、その人が消えれば上手くいくと思って……だから……」
「彼女を消しても、君のことは選ばない。さっきから自分の気持ちを押し付けるだけじゃないか。君が見ているのは番という外側だけで、僕自身には興味がなさそうだね」
「そんなことないわ。だって、私たちまだ出会ったばかりよ。これからお互いを知っていくの。だから拒絶しないで。何でもするから!」
「何でも?」
「ええ!」
エリクは背後から近づいてきていた集団を指差した。彼らはグランフルトの門を守っている守衛と同じ服装をしている。だが守衛とはスカーフの色が違うので、町の治安維持に関わっている方の集団だろう。
「じゃあ、あの人たちについて行って。永遠にお別れしよう」
一度で理解できなかったニナは、ゆっくりした動作で集団を見上げた。集団の代表者らしき男がニナの前に立つ。
「君が番を探し回っていた人? 町の入り口で、番を見つけても同意なく近づくなって教えてもらったはずだ」
「付き纏いだけじゃないよ。殺そうとしてきた」
代表者はエリクを見てから、首を横に振った。
「傷害事件か……牢で一晩頭を冷やしたら、町を出て行ってもらう」
「い、嫌よ。私は幸せになるために来たのに!」
「はいはい。続きは調書を取りながら聞くよ。連れて行け」
二人の男が両側からニナの腕を掴んで立たせた。ニナは抵抗したものの、二人がかりで抑えられては敵わない。
「こんなのってないわ。あなたは騙されているのよ! だって、占いでは番に会えるって結果だったんだから!」
「その占い師さん。番に会えるとは言ったけど、一緒に暮らせるとは言ってないんじゃない?」
ウルリカの言葉が聞こえたニナに睨まれたが、エリクが抱きついてきたので見えなくなった。ニナから悲鳴があがり、遠ざかっていく。
「絶対に諦めないから! あなたを本当に理解してあげられるのは、私だけよ!」
「そちらの二人も、参考人として詰め所に顔を出してくれないか? 特に君、通報者だろう」
代表者が話しかけてきた。見た目の厳つさを裏切るような、柔らかい声と要求だ。
「分かりました。後から行きます」
エリクが答えると、頼んだよと言い残して代表者は去っていった。
「……エリク?」
「疲れた」
ウルリカを抱きしめる力が強くなる。触れられるなら幻ではない。エリクが残ってくれたのは嬉しいが、納得できないこともあった。
「どうして番に会うって言ってくれなかったの?」
「会うつもりはなかったんだよ。警備隊に彼女のことを相談した帰りに見つかったんだ」
「警備隊って、さっきの人たちよね? どうして彼女を連れて行ったの?」
「番と穏便に別れられないときに、間に入って仲裁してくれるんだよ。暴力沙汰になることもあるから、治安維持を担ってる竜人族の警備隊が担当しているんだ。彼女からは逃げられそうにないって思ったから、警備隊の詰め所近くまで誘導したんだよ」
幻と会話をさせていたのは、時間稼ぎだったらしい。詰め所まで連れて行くと、手がつけられないほど暴れるかもしれないという懸念から、人通りが少ない場所を選んだ。本物のエリクが警備隊を連れてくる途中で、不穏な空気になりそうだと感じて、彼だけ先に来てくれたようだ。
「もう少し穏便に解決できるかなと思ったんだけどね。刃物まで持ち出したら、グランフルトに滞在できなくなるよ。ここでは番に関する犯罪は厳しいんだ」
「そうだ、怪我は? どこを刺されたの?」
ウルリカは恐る恐るエリクの体を見た。胸や腹部に異変はない。頭部も無事だ。刺されたのが脚なら、血は服に吸収されて水滴のように落ちたりしない。
「左手を軽く切っただけ。出血はしたけど、この程度なら慣れてるから大丈夫」
「助けてくれてありがとう。でもね、慣れの問題じゃないわ。庇ってくれたのは嬉しいけど無茶しないで」
ウルリカが尾行しなければ、ニナは激昂せず話し合いで解決したかもしれない。ニナが刃物を持ち出しても、エリク一人なら楽に回避できたはずだ。
「番がいても冷静になれたのは、ウルリカが近くにいてくれたおかげだよ。僕一人だったら、彼女を高台から突き落としていたかもしれない」
「物騒なことを言わないで」
ウルリカはハンカチを出してエリクの左手に巻きつけた。
「しないよ。誰かを殺した手で、君を抱きしめたくない」
唇が重なって、すぐに離れていく。一拍遅れて胸が高鳴った。キスなんて何度もして肌を重ねているのに、まだ心が弾む余地があったことに驚く。
言葉と行動で好意を素直に伝えてくれるから、ウルリカは安心してエリクを好きでいられる。こちらが気持ちを打ち明けても、全部受け止めてくれる信頼があった。
警備隊が指定した場所へ向かう道すがら、ふと疑問が浮かんだ。
「そういえば、エリクはどうして私を好きになってくれたの?」
「えっ」
話しかけたときのエリクはこちらを見てくれたのに、あからさまに視線を逸らされた。
「……後でもいい?」
「今がいいわ。どうせ詰め所へ行くまで暇でしょ」
「そんなことないよ。ほら、見晴らしがいいから街並みがよく見える」
「ごめんなさい。今は風景に興味がないの」
隠されると余計に気になる。ウルリカはエリクの袖を掴んだ。
「エリク」
「そのうち話すから。今日は見逃して」
赤面してお願いされてしまった。
時期は未定だが、約束は約束だ。これまでエリクが約束を破ったことはない。大人しく引き下がることにした。
***
――今更になって好きなところを聞かれるとは思わなかった。
エリクは焦る心をなだめた。ウルリカの好きなところなら、いくらでも挙げられる。だが「なぜ好きになったのか」というきっかけを明かすのは、まだ抵抗があった。
ニナに話した過去は多くの部分を省いて簡潔にしたものの、あまり他人に話したい内容ではない。エリク自身は自分の未熟さや劣等感を再認識してしまって、自己嫌悪に陥っていた。
――好きになったきっかけか……正直に言っても大丈夫かな。
ウルリカと出会ったのは自暴自棄になっていた頃だ。これ以上過去を話すと、情けない奴だと思われないだろうか。




