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番の溺愛から逃げたい私と、番の偏愛から逃げたい君  作者: 佐倉 百


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2/7

番ではない私たち2

 早朝にエリクが帰ったあと、ウルリカは置きっぱなしだったカバンを開けた。昨日はエリクを優先していたので、まだ中を片付けていない。


 昼食を入れていた樹皮の箱を出したとき、ハンカチが無いことに気がついた。


「……店に忘れてきたのかな」


 他にもハンカチはあるし、絶対に今日必要なものでもない。出勤した時に回収すればいいかと思い、ウルリカはカバンを閉めた。


「暇だわ」


 エリクと過ごすつもりだったから、予定が何もない。掃除も買い出しも昨日までに終わらせている。家にいると、楽しみにしていたエリクとの時間が無くなってしまったことばかり考えてしまいそうだ。


 ウルリカは思いきって外へ出た。


 通行人の中に狩人たちの姿は少なかった。ダンジョンが更新されるまで、腕試しに潜っているのだろう。


 夕方になれば、また大通りは狩人たちであふれる。見た目が怖いだけでなく、資金調達のために出所不明のガラクタを押し売りしてくる狩人まで現れるから厄介だ。


 だがダンジョンに寄生するように作られた町で、狩人に頼らない生活など無理だった。彼らが町に滞在して、ダンジョンから数々の富をもたらすことで、この町は成り立っている。ダンジョンを封印して田畑を開墾するなど、今さら誰もやろうとしない。


 ウルリカは昼までに帰ろうと決めて、いつか行こうと思っていた店へ向かった。大通りに入ってすぐ、目当ての看板が見える。キーリアに誘われていたお菓子の店だ。


 本当はエリクと行ってみようと思っていたが、先に食べて好みかどうか調べるのも悪くない。いつも彼に店選びを任せるのではなく、たまにはウルリカから提案したくなった。


 店の扉に手をかけるより早く、中にいる客が出てきた。一歩下がって道を譲ると、客が声をあげる。


「ウルリカ! あなたも来たんだ」

「キーリアじゃない。偶然ね」


 外へ出てきたキーリアは、抱えていた包みを見せた。


「ブラックベリーのタルト、まだ売り切れてないわよ」

「よかった。狙ってたの」

「他のお菓子も美味しそうなものばかりだったわ。何度か通ってみないと――」


 突然、キーリアが口を開けたまま黙ってしまった。呆然と大通りの方を見ていた彼女の頬が、急に赤くなっていく。


「……ウルリカ。これ、あげるわ」


 キーリアは買ったばかりのお菓子をウルリカに押し付けてきた。


「ちょっと、キーリア? 急にどうしたの?」

「番よ」


 断言したキーリアの目が輝いている。止める間もなくキーリアは走りだした。通行人がいてもお構いなしに真っ直ぐ進んでいく。ぶつかってしまった通行人はキーリアに怒鳴ったが、彼女の尋常ではない様子を見て諦めたように去っていった。


 大通りの反対側についたキーリアは、羊獣人の集団に割り込んだ。突然現れたキーリアに羊獣人たちは驚いていたが、そのうちの一人がキーリアを見て止まった。二人はしばらく見つめ合ったあと、急に恋人同士のように抱き合う。周囲の獣人たちも二人の関係を理解したとたん、口々にお祝いの言葉を言っているのが遠目でも分かった。


「あー……運命の番ね」


 魔法にでもかけられたように、急にお互いのことしか見えなくなる。町の外から狩人や商人の獣人がやってくるこの町では、生まれてから死ぬまでに何度か目撃することになる光景だ。


 ――エリクが番を見つける場面には遭遇したくないわね。


 隣にウルリカがいても、あっけなく番のところへ走り去ってしまうのだろう。二度と恋人には戻れない。なんせ獣人にとって番は、本能が求めている相手なのだ。



***



 町を見下ろす丘の上には豪華な屋敷が建っていた。ダンジョンの出入り口を管理している貴族が住んでいるという話だ。


 世界各地にあるダンジョンのうち、町ができるほど発展しているところは、必ず王侯貴族が関与している。彼らはダンジョンや町から税を取り立てるが、同時に出入り口を管理して魔獣が出てくるのを防いでいた。他にも無法者や狩人が町に被害をもたらせば法律で裁く。よほどの重税を課す貴族でなければ、町の統治者として必要とされていた。


 エリクは自分が貴族に呼ばれた理由に心当たりがなかった。判明しているのは狩人ではなく、もう一つの顔である情報屋としてのエリクに用件があることぐらいだ。だが町のことなら一介の情報屋よりも、貴族の方がよく知っている。狩人やダンジョンに関することも、管理者なら情報収集に困らない。


 ――僕個人に用事なんてないだろうし。家のことは無関係なはず。早く終わらせてくれないかな。


 小さな応接室で長い間待たされたエリクは、静かな怒りが湧いてきた。呼び出しがなければ、今頃はウルリカと楽しく過ごしていたのに。


 カーテンの隙間から差し込んだ朝日が、ウルリカの薄茶色の髪に当たっている光景が好きだった。髪を一房持ち上げて光に透かすと、輝いているように見える。


 眠っていたウルリカが目を開ける瞬間も良い。曇りのない緑色の瞳がエリクを見つけて、恥ずかしそうに瞼に隠れてしまう。ウルリカは「寝起きの姿を見ないで」と言って拗ねるが、本気ではないのですぐに機嫌を直してくれる。


 この光景が日常になればいいといつも思っているものの、次の段階に進む勇気が出せなかった。


 ――失礼がないように身を清めてから来い、礼節を忘れるな、なんて命令してきたくせに。


 使用人を使ってエリクを呼びつけた貴族は、久しぶりの逢瀬を邪魔した上に、人を待たせることに罪悪感もないらしい。


 指定してきた約束の時間は、とっくに過ぎている。しかも平民はどんなに酷い扱いをしてもいいと思っているのか、応接室へ放り込んで放置したままだ。もちろんお茶なんて出てくるわけがない。


 人に礼節を説くなら、まず自分から守ってもらいたいものだ。


 いっそのこと昼寝でもしてやろうかと考えていると、応接室に武装した狼獣人が入ってきた。さっと室内を見回して安全を確認したあと、ようやく依頼主が現れる。


 濃い灰色の髪をした、男の狼獣人だ。顔は優美で整っており、冷たい表情が実に貴族らしい。戦闘種族と評される狼獣人の例にもれることなく、彼も立派な体格をしていた。


 ――この人がヘルニウス伯の次男、ベルトルドか。


 各地で名前持ちの魔獣を討伐しているという噂だ。ダンジョンの更新に合わせて帰郷したと聞いている。彼は狩人ではないが、この町のダンジョンを管理しているのは彼の父親だ。中へ入る許可はどうとでもなる。


「お前が情報屋か」


 ベルトルドは不躾に聞いてきた。


 これが貴族同士なら挨拶から始まったのだろう。遅刻したことを悪いとも思っていない。厚遇されるなんて微塵も思っていなかったが、ぞんざいに扱われるのはうんざりする。


「初めまして。どのようなご用件でしょうか」


 エリクは仕事用の笑顔を浮かべて尋ねた。どんな相手だろうと、本心を隠して仕事ができるのが、エリクの強みだ。


「人を探している」


 ベルトルドは短く言ったあと、ソファに座った。エリクも座ると、ベルトルドは女性もののハンカチを出してテーブルに置いた。


「これの持ち主だ」

「名前や種族をお伺いしても?」

「お前に質問は許可されていない」


 会話を遮ったのは護衛だった。清々しいほど敵意を向けてくる。身元が怪しい情報屋を嫌っているのか、他種族を毛嫌いしているのだろう。仲間以外には警戒心が強い狼族にはよくある態度だ。


「かまわん。仕事に必要な質問なら許す」


 ベルトルドが護衛を止めたので、同じ質問をすることにした。


「探している人の情報が多ければ多いほど、捜索にかかる時間が短縮できます。年齢、性別、種族……犯罪歴の有無でも行動範囲が変わりますから」

「名前は知らん。種族も分からんが、狼族ではないことは確かだ。ハンカチで判断するなら、労働者階級の女」


 聞けば聞くほど、ベルトルドとの関係が分からない。


 エリクはテーブルの上にあるハンカチを取った。脱色していない柔らかな綿の生地に、白い糸で申し訳程度に刺繍がしてある。何度も洗濯をしながら大切に使っているらしく、一部の端がほつれていた。


 ベルトルドが指摘した通り、持ち主は労働者階級の人間だろう。富裕層のハンカチなら、もっと華やかな刺繍が入っている。貴族女性のものなら、香水を振りかけているはずだ。


 ハンカチからは洗剤と持ち主の香りがする。


「……なぜこの人を探しているのでしょうか?」

「捜索に関係あるのか?」

「賞金首だった場合、僕が周囲をうろついたせいで逃げられるかもしれませんよ。後ろ暗い人物は、自分を探している気配に敏感ですから」


 ベルトルドの耳がわずかに垂れた。


「番だ。そのハンカチは大通りで拾った。テーレの町に俺の番がいる……かもしれない」

「なるほど」


 おそらくベルトルドの番を探しているのはエリクだけではない。ベルトルドの忠実な部下を主力に、何人も関わっているはずだ。


 ――年頃の青年貴族が番を求めて町をうろつく、なんて目立つしね。


 悪どいことを考える者なんて、どこにでもいる。貴族の番になりたい者、番の関係者になって大金をせしめたい者、その他の厄介なことが集まってくるのは容易に想像できた。


 獣人の情報屋を雇ったのは捜索の死角をなくすためだ。獣人なら番を求める本能を理解しているという共通認識がある。エリクなら断らないと予想して、声をかけたようだ。


 もしエリクが裏切っても、簡単に始末できる。


「匂い以外の情報がないので時間がかかります。そこはご了承ください」

「ああ。町の中にいることは間違いない」


 町の出入り口はベルトルドの部下が検問でもしているのだろうか。きっと夜逃げのように脱出しないと、包囲網から出られない。狼獣人は集団で追い詰めるのが得意だ。


「最後に一つだけよろしいでしょうか」

「なんだ」

「お探しの番が狼族でなくても、伴侶として扱うおつもりですか?」

「当然だ。まさか俺が番を殺すとでも思ったか?」

「滅相もございません」


 報酬額の約束を取り付けたエリクは、ハンカチを返した。ベルトルドの表情がわずかに和らぎ、丁寧に上着の内側へ入れる。かなり感情を抑えているが、番を見つけた喜びは伝わってきた。


 屋敷を出て町へ向かう道すがら、エリクはハンカチの持ち主のことを考えていた。


「……ウルリカ」


 朝まで一緒にいた相手の匂いを間違えるはずもない。エリクは「身を清めてから来い」と言われたことに感謝していた。もしウルリカの香りが残ったままだったら、屋敷へ入った途端に手荒く問い詰められていただろう。


 ――これだから番の本能は嫌なんだよ。


 エリクがウルリカと出会ったのは一年前。半年かけてウルリカと仲良くなって、半年前にようやく恋人になれた。しかし番の本能はその過程を飛ばして、強い絆で結ばれてしまう。エリクが費やした努力なんて関係ない。真実の愛に目覚めた二人には、それまでの人間関係よりも番が優先されるのだ。


 ウルリカが人族だから油断していた。番の九割は同じ種族だと言われている。その滅多にない組み合わせがウルリカだなんて、運が悪いとしか言いようがない。


 ――どうしようかな。


 ベルトルドがウルリカを番だと認識しても、番の本能が薄い人族には分からない。獣人にとって番がどれほど大切なのか、理解していない者もいるほどだ。人族にとって番の本能が目覚めた獣人は、一目惚れをして恋に狂っているようにしか見えないらしい。


 番に出会えないまま一生を終える獣人なんて、そこら中にいる。ベルトルドもその一人になってくれないだろうか。


 盲目的に番のところへ走っていく姿は、一見すると美しい。恋人や家族が置いてけぼりになっている光景さえ見なければ。番を得て幸せに浸っている二人には、自分たちの愛が何かを壊したなんて考えもしない。ウルリカがそのうちの一人になるなんて考えたくなかった。


 町の入り口が見えてきた。


 複数の視線を感じる。屋敷で感じたものと同じ。建物の影に狼獣人がいるようだ。出入りする者を見張るには完璧な配置についている。これに見つからず町を脱出するのは、狩人のエリクでも難しいだろう。


 町に包囲網を敷ける権力と財力。ベルトルドはエリクが持っていないものを全て持っている。生まれた時から貴族階級の恩恵を受け、魔獣の討伐で得た名声もある。彼の番に選ばれたい女性は、きっと多い。


 圧倒的な力を持った者の愛を得られる権利が、ウルリカにある。

 反対に、エリクが差し出せるものなど微々たるものだ。

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