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番の溺愛から逃げたい私と、番の偏愛から逃げたい君  作者: 佐倉 百


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私を壊さないで3

「番に会ったの?」


 寝室の入り口に立ったまま、ウルリカは尋ねた。


「会ってないよ。いるのが分かったから、逃げてきた」

「同じ種族?」

「たぶん。一瞬だけしか見てないけど。淡いオレンジの髪だったかな」


 ――さっきの女性だわ。


 エリクの番は、あの狐族だろう。


 グランフルトにいれば安心だと思っていた。ここは番を拒絶している町で、積極的に探す人なんていない。番問題に疲れて逃げてきた人が大勢いて、異種族同士の夫婦も珍しくなかった。


 もし番が見つかったとしても、行政が間に入って解決方法を提示してくれると聞いた。番から物理的に離れて、お互いの意見を伝えてくれるらしい。話し合いの結果、どちらかが町を出て行くか、二人で出て行くか選ぶだけだ。竜人族が支配している他の町もまた、グランフルトに倣って番を遠ざける方針をとっている。希望すればそれらの町へ引っ越すこともできた。


 あの女性は番探しに積極的だった。離れて暮らすよう言っても聞いてもらえそうにない。番がいると判明した以上、彼女はグランフルト中を探すだろう。


 今のエリクは番を見つけて混乱している。生活が大きく変わってしまうのだから、無理もないとウルリカは思った。


「エリクはどうしたいの?」


 質問してから、過去にエリクが似たようなことを言ったときの気持ちが分かった。


 大切な人だから、どんな結論でも受け入れてあげたい。でも本当は見つけたばかりの番よりも、ウルリカとの関係を選んでほしい。そんな本心を口にしたら、かえって叶わなくなりそうで怖い。


 ウルリカがいなければ、迷わず番のところへ行ける。そう思われるのが怖かった。

 素直な気持ちを伝えた後に、エリクが番と旅立ってしまったら、どう生きればいいのだろう。


「どう、って。僕は番なんていらない」


 エリクのことは信じている。だが番の本能が絡むなら話は別だ。


「……分かったわ」


 ウルリカは洗面所へ移動した。窓辺に置いてあるバスタブには、水が入っていた跡がある。着ていた上着とスカートを脱いでバスタブに入れ、水瓶から水を移して完全に沈めた。


 家へ帰るとき、エリクの番らしき女性に腕を掴まれた痕跡を消したい。少しでも痕跡が残っている状態でエリクに近づきたくなかった。番に反応した姿なんて見てしまったら、絶対に勝てない相手がいるのだと思い知らされてしまう。


 裾が長いシャツ姿のまま、寝室へ戻った。顔を上げたエリクがこちらを見て困惑している。下着に近い格好で家の中をうろついているのだから当然だ。


「ウルリカ?」


 聞こえなかったことにして、エリクの肩を掴んで押し倒す。抵抗せずに思い通り動いてくれたことに、少し気分が良くなった。


「私がいいよって言うまで動かないで」


 エリクに馬乗りになって、彼の頬から首、胸に手を滑らせていく。彼のシャツのボタンを一つ一つ上から外していった。


「な……何してるの?」

「分かってるくせに」


 挑発するように腹を撫でてやると、うっすらとエリクの頬が赤くなった。今はウルリカのことしか見ていない。


 横から急に生えてきたような番なんて、このまま永遠に忘れてくれたらいいのに。まるで見計らったように、幸せを手に入れた途端に番が出てくるのが憎らしい。


 この光景を見るのはウルリカだけでいいのだ。愛してるとエリクが囁くのもウルリカ以外必要ない。精神的な繋がりだけでは満足できなかった。どちらか片方だけでは駄目だ。好きだから両方とも欲しい。


「エリク。私がこんなことをするのは、あなただけ。覚えておいてね。私の前から消える時は、痕跡を残さない方がいいわよ。どこに逃げても見つけだして、耳と尻尾を切り落とすから」

「消える予定はないよ。僕はウルリカしか見てない。町で番を見つけても正気を保ったまま帰ってきたのは証拠にならない?」

「番に流されない生き方は、これから証明していくのよ。あなただけじゃない。私たちの人生で」



***



 夜中に目が覚めたウルリカは、気だるい体を起こした。


 隣ではエリクが眠っている。穏やかな寝顔を見ていると、番のことで荒れていた心が嘘のように凪いでいく。


 ひどく喉が渇いていた。エリクを起こさないようベッドから降り、床に落ちていた自分の服を拾い上げる。


 洗面所で軽く口をゆすいでから、キッチンに保存していた飲用水をコップに移す。ついでに棚の奥に隠していた薬を出した。


 赤い薄紙に包まれた、赤い粉薬。主に娼館で使われている避妊薬だ。調剤師としての伝手を使って購入していたのだが、使う機会はないだろうと楽観視していた。


 ――これを飲まなかったら。


 ウルリカは愚かな考えを頭から追いやった。


 ――私、最低ね。


 もしエリクがいなくなっても、子供がいたら寂しくないだろうかと考えてしまった。そんなことをしても、幸せになれない。親がいない寂しさはウルリカがよく知っている。それなのに、自己満足のためだけに子供に同じ寂しさを与えようとするなんて愚かだ。


 ウルリカは薬を水で流しこみ、寝室に戻った。エリクが起きないように、そっとベッドに潜りこんで体を寄せる。


「……置いていかないでね」


 ようやく本音が言えた。



***



 ――置いていかないで、か。


 エリクは目を閉じたまま、聞こえてきた言葉を反芻した。

 隣でウルリカが起きた気配を感じて夢と現の間を行き来していた意識が、彼女の言葉ではっきりとしてきた。


 子供のころ、全く同じことを言ったことがある。エリクの訴えは聞き入れられたものの、決して幸せとは言えない結末になった。


 ウルリカには同じ思いをしてほしくない。


 ――なんとかしないと。


 番の本能は厄介だが、方法がないわけではない。

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