決めるのは私2
街道の途中で隠していた荷物を回収したエリクは、中から男物の服を出した。
「こっちに着替えてくれるかな。メイドの服は町の中では目立つから」
異論はなかった。メイド服は屋敷から出るためだけに着替えたのだ。目的を果たしたなら用はない。
着替え終わると、エリクはフード付きのマントをウルリカに被せた。メイドに引き裂かれた部分は丁寧に繕ってある。着用するのは問題なさそうだ。
「それから、これ。落とさないように持ってて」
木札には誰かの名前が書いてあった。
「これは?」
「狩人の通行証。身分の証明みたいなものだよ。ウルリカ達が着替えている間に、貴族のお嬢さんが用意してくれたんだ」
通行証には長い紐がついていたので、首から下げて服の中に隠した。
住んでいる町からよその町へ移動する時、身元を保証するものが必要だ。町側は訪問してきた人間が無害かどうか、通行証である程度判断する。逃亡中の犯罪者は町同士で情報を共有しているそうだ。
商人なら所属している商人ギルドが後ろについているので、街を移動して商売ができる。狩人にはギルドと呼べるようなものはないが、ダンジョンを管理している貴族が貢献度に合わせて便宜を図っていた。町民は役所で発行してもらえるが、ウルリカは一度も利用したことがない。
「狩人の? でも私、ダンジョンに入ったことなんてないわ」
「ダンジョンに入るだけが狩人じゃないよ。仲間が採取した素材を加工するだけの人もいるんだ。役割分担だね。だからウルリカは、僕が採ってきた薬草を薬にしてることにしよう。もし誰かに疑われても、ウルリカは薬草の知識も調薬の経験もあるから大丈夫」
脱いだメイド服は、エリクが深緑の大きな布に包んで鞄の中へ入れた。森の中に捨てていけば、追跡してくるであろう狼獣人たちに発見されてしまうかもしれない。どの経路で逃げたのか、知られないために証拠になるものは残せないのだ。
再び街道に戻って、馬を走らせた。明け方になってようやく村が見えてくる。もしエリク一人だけだったら、もっと早く到着しただろう。
村は民家の煙突から煙が出ていない。まだ誰も起きていないらしく、静かだった。
「馬を返してくる。ウルリカはここで待ってて」
「ええ」
馬から降りたエリクは、村の中へ入っていく。民家の裏に消えてしばらくしてから、荷物を背負って一人で戻ってきた。
「貸してくれた人は起きていたの?」
「まだ寝てるんじゃないかな。鞍にお礼のお金をつけて馬小屋に置いてきた」
村を通り過ぎて街道を進むのかと思っていたが、エリクは細い道へ導いてきた。
「ここからは旧道に入るよ。馬が使えないから一気に追いつかれることはないはず」
エリクが着替えさせた理由が分かった。荒れ果てた旧道はすぐ近くまで藪が迫っている。裾が長いスカートではすぐに引っかかっていたはずだ。
木の根で隆起した地面は歩きにくい。道は山へ続いているらしく、急な坂道になっている箇所もある。だが自分からついていくと言った手前、弱音は言いたくなかった。荷物もエリクが背負ってくれているのだ。
途中で見つけた湧水を革の水筒に入れ、さらに先を目指した。必要なものは道中で調達していくのか、エリクは赤く小さな木の実も採取していた。種に含まれる油が良い着火剤になるらしい。
「ウルリカ」
止まれと身振りで示したエリクは、道の先を見つめた。耳の先が小さく揺れたかと思うと、ウルリカの手を掴む。
「前から人が来る。隠れよう」
そう言うなり、エリクは道を外れて斜面を降りていく。ある程度のところまで降りたところに、一際大きな窪みがあった。上の道からは見えなかった場所だ。
「なるべく斜面に体をくっつけて」
「こう?」
「うん。あとは音を出さないようにね」
荷物を下ろしたエリクも同じように身を隠した。剣の柄を逆手に掴んだまま、じっと動かない。ウルリカに向けてくれていた柔らかい表情が消えている。聞こえてくる音に集中している姿は、初めて見た狩人としての彼だ。
やがてウルリカにも複数人が歩く音が聞こえてきた。全て男性のものだろう。低くしわがれた声がする。何を言っているのかまでは分からない。声をひそめているが、ときおり笑い声も聞こえてきた。
声の主はウルリカたちに気づくことなく通り過ぎていった。
「……もう大丈夫だよ」
「今の人たちは?」
体についた枯れ草や土を払い、立ち上がった。
「近くの村に住む村人とか猟師……だったらいいんだけどね。こんな早朝に通るのは、後ろめたい事情があるのかもしれない」
それはまさにウルリカたちのことだ。
「真っ当な人たちだったとしても、今はあまり会いたくないな。僕たちの逃走経路を知られたくない」
朝日が出るまで歩き続けてから、旧道から外れたところにある岩場に登った。休憩しようと告げられたとき、ウルリカは疲労を強く感じて座り込んでしまった。屋敷を出てからここまで、ずっと気が張り詰めていたようだ。歩き続けた足が痛い。
疲れ果てたウルリカに対し、エリクに疲れた様子はない。周囲を歩き回って集めた石を円形に積み始めた。出来上がった円筒形の上部と側面の一部には、穴が空いている。そこへ道中に拾った枯れ枝を入れる。さらにメイド服をナイフで切り取り、赤い実を包む。ナイフの柄で中身を叩き潰してから火をつけた。
円筒の上には水を入れた手鍋を乗せ、沸騰してから茶葉を入れて火からおろす。茶葉が開いて香りがしてくると、ウルリカがいつも飲んでいた種類の茶だと気がついた。
エリクは鍋の蓋を使って器用に茶だけをカップに入れた。
「熱いから気をつけて」
「ありがとう」
飲み慣れた味の温かい茶は、疲れている体に染み渡るようだった。一緒に渡してくれた携行食もテーレで食べていた菓子に近い。数種類のナッツを砕いて甘く味付け、ケーキに似た生地で焼き固めてある。ずっしりと重く、食べ応えがあった。
「……エリクがいて良かったわ」
「急にどうしたの」
空を見上げていたエリクはこちらを向いて微笑んだ。
「なんとなく」
ウルリカはエリクの隣に座り直して肩を寄せた。
自分だけだったら他の町に逃げようなんて考えもしなかっただろう。旧道どころか、街道がどこへ繋がってるか知らない。外で食事をする方法も手探りで始めないといけないのだ。
「ねえ。エリクがテーレにいられなくなった理由って何?」
「ウルリカのことを教えなかったから」
「それだけ?」
「もう一つあるけど……」
「教えてよ」
エリクは迷っていたが、最後は教えてくれた。
「貴族の女性って、結婚するまで純潔を守るのが当たり前らしいよ」
「……私がエリクの恋人だったことをあの人が知ったら、殺されるってこと?」
「たぶんね」
ウルリカを傷つけたメイドを容赦なく殴ったベルトルドのことだから、エリクを始末するのも躊躇わないのは想像がつく。
平民の中でも富裕層は貴族と似たような貞操観念を持っているが、中間層になると結婚まで性交渉を禁止していたり緩かったりと様々だ。ウルリカはエリクと会うまで前者だった。彼を自宅に招き入れたことを後悔していない。
「それで逃げる準備をしてから私に会いに来たのね」
「うん」
「もしかして、私が屋敷に残ると思ってた? もう一度言うわよ。私の幸せを勝手に決めないで。全ての女の子が出会ったばかりの貴族と結婚したいわけじゃないの」
「ごめん」
エリクは猫のように頭を寄せてきた。それだけで心が満たされるなんて、我ながら単純だ。
簡単な食事が終わると、エリクは焚き火を片付け始めた。最初から湯を沸かす分の薪しか用意していなかったらしく、茶を飲んでいる間に火は消えている。燃え尽きる時間まで計算していたのは、これまでの無駄がない行動を見ていれば明らかだ。
「ここからは下り坂だよ。足元に気をつけて」
下りた先には川が流れていた。橋は見当たらないが、飛び石として使えそうな石はある。エリクはまず川の反対側へ渡ると、水際に沿って上流へ向かって歩き始めた。
「向こうの道になっているところは行き止まりなの?」
「いいや。あれが旧道。僕たちは追跡されていると思って、行動しなきゃいけない。だから道は使いたくないんだ」
今まで以上に荒れたところを歩くのだろうか。密かに覚悟を決めたウルリカを、エリクは洞穴へ導いた。
入り口の上部は草が垂れ下がり、一見すると洞穴があるようには見えない。だが中へ入ってみると立ち上がれるほど広く、地面が乾燥していた。
「ウルリカ。今日はここで休もう。寝ずに移動してきたでしょ? 多分、そろそろ限界だと思う」
エリクは喋りながら荷物を下ろし、手際よく寝床を作っていく。地面に敷いたのはメイド服を包んでいた深緑の布だ。その上に長方形の毛皮を敷く。即席の枕はウルリカの着替えが入っている包みを利用するらしい。
「眠れるかどうか分からないけど。寝転んで目を閉じているだけでもいいから」
「私、何もしてないわ。ここまでエリクにやってもらってばかりよ」
「そんなこと気にしてたの? 僕についてきてくれただけで十分だよ」
早く休めと促してくるので靴を脱いで横たわると、次第に眠気が襲ってきた。自分の体のことなのに、エリクの方が体調の変化をよく分かっている。
やがて降りだした雨の音を聞いているうちに、ウルリカは眠りに落ちていった。
***
眠りを妨げたのは激しい雨の音だった。辺りは薄暗く、少し肌寒い。体を起こすと上にかかっていたマントがずり落ちた。
体がだるくて熱っぽい。疲労にしては様子がおかしかった。
「ウルリカ?」
冷たい手が額に触れる。
「熱があるね。無理に起きなくてもいいよ」
「今は夕方?」
「朝だよ。ウルリカはずっと寝てたんだ」
ウルリカがぼんやりしている間に、エリクは風邪に効く薬草茶を煎じてくれた。
飲みやすいように人肌まで冷ましてくれた薬草茶を飲むと、口の中に嫌な苦味が広がる。昔からこの味は好きになれない。効果があるのは理解しているが、飲み込むために勇気がいる。
空になったカップを返すと、今度は綺麗な水が入ったカップと飴を渡された。
「口直し。いるよね?」
「……いるわ」
飴には香草が練り込んであるのか、清涼感があった。
「今日は移動しないよ。こんなに雨が降っていたら、足を滑らせるかもしれないから」
「エリクは雨が降るって分かってたの? 私たちが洞穴へ入った後に降りだしたわ」
「うん。雲の形と風で、なんとなく。ウルリカに休んでもらわないといけなかったし、ちょうど良かったね。僕たちが歩いてきた痕跡が消えてくれるから」
エリクは洞穴まで迷わず歩いてきた。店長の家で別れたあと、逃走経路の下見をしていたのだろうか。
テーレに来る前のエリクは、手頃なダンジョンがある町を渡り歩いていたそうだから、旅の途中で天気が変わっても柔軟に対応できるようだ。
「私たちはどこに向かっているの?」
「グランフルト。竜人族の支配地域だよ。あそこも大きなダンジョンがあるから、仕事には困らないと思う」
テーレには竜人族は一人もいなかった。どんな種族なのか尋ねると、狼族とは違う意味でプライドが高いそうだ。
「彼らにとって人種は、竜人とそれ以外に分類されるんだって。あらゆる種族の頂点にいるって思ってるから。だから竜人以外は等しく自分たちの下につくべきで、特別扱いなんてしない。それと、番の本能を嫌っている人が多いね」
「そうなの?」
「グランフルトという都市の成り立ちにも関係する話なんだけど――」
昔、竜人族の姫が他種族の番と出会ったのがきっかけだそうだ。
番の本能に従って二人は一緒に暮らすことになったが、残念ながら相手の番は傲慢で自分勝手な男だった。竜人族の姫という強力な後ろ盾を得て、ますます性格が歪んでしまう。殺人こそしなかったものの、賭博場を仕切って客が破滅するまで金を賭けさせるのは日常茶飯事だったそうだ。
竜人族の姫は己の番を正そうとするものの、番と対面してしまうと彼に逆らえなくなってしまう。疲れ果てた姫は父親である王に訴え、番から隔離してもらうことにした。
「その番はどうなったの?」
「かなり昔の話だから、結末はいくつも伝わってるよ。破滅させられた客たちから復讐されたとか、怒った竜人族に殺されたとか。子供向けの物語だと、悪いことができないように小さな羽虫に変えられたなんて末路もあるね」
この一件で番の本能を危惧した竜人族は、番の存在に翻弄されずに済む方法を模索し始めた。手始めに安全地帯を作るべく、ダンジョンの近くにあった廃村を利用して、番が定住できない町を作ったそうだ。
「グランフルトに住める条件の一つは、番がいないこと。もし番と一緒になりたいなら、町を出ていかないといけない。その代わり、グランフルトを治める竜人族は、番から逃げてきた者を受け入れてくれる。もちろん働くことが条件だけどね」
テーレでは番へ会いに行っても犯罪ではないどころか、愛情表現として歓迎されている。だがグランフルトでは迷惑だと主張すれば、会いたくない番に警告してくれるそうだ。何度も同じ行為を繰り返して、追放処分になった者もいる。
「僕はまだ行ったことがないけど、他の町よりも安心して暮らせると思うんだ。僕たちだけの力で、貴族から隠れて暮らすのは難しいよ。貴族同士の繋がりは馬鹿にできない。ヘルニウス伯だけじゃなくて同盟を結んでる貴族も、ウルリカ探しに加わる、なんてこともある。誰と誰が繋がっているかなんて、僕たちには分からない。だから彼らが手を出せない竜人族の庇護下に入るのが最善の策かな」
「それが竜人族なのね」
「うん。彼らは番探しに協力なんてしないからね」
やはり力がないと、どうしようもない。
――理想的な町ではあるけど。
本当にそんな町が存在するのだろうか。
「テーレは通り道の予定だったんだ。グランフルトを目指して旅をしていたら、ウルリカに会えた」
「あなたが立ち止まってくれて良かったわ」
薬か効いてきたらしい。ウルリカはまた眠りに落ちた。




