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番の溺愛から逃げたい私と、番の偏愛から逃げたい君  作者: 佐倉 百


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11/20

決めるのは私

 ベルトルドに何をされるのか、分からないほど純情ではない。彼が望んでいるのは、番を手に入れること。隣にいるだけではないのだ。


 お互いしか要らない関係になれたなら、とても素晴らしいことだろう。ウルリカはエリクと出会ったことで、それを知った。


 ウルリカの力では振り解けない。止めてと叫んでも、誰も助けに来ないのは分かりきっていた。この屋敷にいる人は、ベルトルドの命令しか聞かないのだ。彼の邪魔をするわけがない。


 ベルトルドがウルリカの顎に手をかけた。そっと顔を撫でる手は優しい。


 ――そんな顔をしないで。


 悲しそうに見つめられると、自分の気持ちが揺らいでしまう。押さえつけられた恐怖を我慢して、悲しみの理由を探りたくなる。理解してしまったら、もう戻れない。ウルリカが生きてきた過去を否定することになるから。


 ベルトルドは口を開いて何かを言いかけた。だが言葉になる直前、警戒心をあらわにして窓がある方を向く。ウルリカの拘束を解いたと同時に、咳き込んで崩れるようにベッドから降りた。ベルトルドは見えないものに抵抗しようとしているのか、胸の辺りを掴んで荒く息をしていたが、やがて表情が抜け落ちていく。


「ウルリカ。大丈夫?」


 いつの間にかエリクがベッドの近くに立っていた。


 彼の顔を見た途端に、抑えていた感情が蘇ってきた。恐怖と安堵。久しぶりに会えた喜びと、別れた時の寂しさ。全部が混ざって苦しい。


 ウルリカはベッドから急いで降りて、エリクに抱きついた。現実逃避の夢ではない証拠に、しっかりとした感触がある。現実の出来事だと頭と体で理解して、力が抜けそうになった。


「遅いわよ馬鹿!」

「ご、ごめん……」


 やはり一番に感じているのは怒りだった。自分以外の誰かが、ウルリカの未来を決めようとしたこと。その結果、全てを諦めなければいけない環境へ放り込まれた。常に自分自身を否定されているようで、息苦しかった。


「様子がおかしかったから止めたけど、良かったよね?」

「止めなかったら一生恨んだわ。番ってだけで一緒に暮らすのは無理よ」

「それが君の気持ち? ここにいたら苦労しなくて済みそうだけど」

「私の幸せを勝手に決めないで。自力で出ていけるなら、とっくに出て行ったわ」


「ここから出たい?」

「ええ。出してくれるの?」

「もう戻れないよ」

「戻らないわ」

「じゃあ僕と一緒に行く? テーレには戻れないから、別の町で暮らすことになるよ」

「それでもいいわ。連れて行って」


 エリクは安心した顔で額を合わせてきた。


 ――私、やっぱりこの人が好き。


 言葉の端々にはウルリカに対する気遣いがある。萎縮せず話せて、素直になれる相手だから、不安はなかった。勢いで八つ当たりをしてしまったのが恥ずかしい。


「じゃあ、早く外へ出ないと。あの人に使った幻術は長持ちしないんだ」

「待って。これ、使える?」


 ウルリカは隠し持っていた睡眠薬を出した。


「店長が睡眠薬をくれたの。狼族に合わせて調合したらしいわ」


 瓶の蓋を開けたエリクは、中身の匂いを嗅いだ。


「毒は入ってないわよ。店で調合している薬と同じ味だったわ」

「飲んだの?」

「眠れなかったのよ。狼獣人用は強力だから、私には少しの量で効くの。残っている量なら明け方まで効くと思うわ」


 頷いたエリクは瓶をベルトルドの口に当てがった。エリクの囁き声の後に、ベルトルドが自発的に薬を飲む。全て飲み終えたベルトルドは、自分でベッドに倒れた。


 これでベルトルドはしばらく起きない。安堵したのも束の間、誰かが寝室の扉を勢いよく開いた。エリクの背中に庇われたウルリカが見たのは、濃い灰色の尖った耳だ。


「問題が起きていると聞いて来てみたら……それがお前の選択なのね?」


 いつもと変わらない態度のイングリッドがいる。その後ろには、心配そうにベルトルドを見つめるアンが立っていた。


「いずれこうなると思っていたわ。お兄様は?」

「眠っています」

「そう。殺さなかったことは褒めてあげる。そこの狐。逃げる手段はあるの?」

「ある」


 短く答えたエリクは、イングリッドを警戒している様子だった。


「ならばこんなところで話している暇はないわ。お前、メイドの服に着替えなさい」


 イングリッドが畳んだ扇の先で示したのは、アンが着ているメイド服だ。


「……ウルリカ。彼女の言う通りにして。暗い色だから、夜道で目立ちにくい」

「分かったわ」


 寝室へ入ってきたアンと入れ替わりに、エリクとイングリッドは隣の部屋へ移動した。


「アンさん」

「ご武運を。私には、それしか言えません」


 服を脱ぎながら、アンは続けた。


「短い間でしたが、あなたを知ることができて良かった。番の本能が与える影響を客観的に見つめる機会になりました」

「私も、普通に接してくれて助かりました。でもどうしてメイドの姿だったんですか?」

「公にできない事情があるのです。でも、明日からは偽りのない姿へ戻ります」


 手渡されたメイド服に着替えてから、アンの着替えを手伝った。貴婦人のドレスは一人で着るのが難しい。


 ドレス姿になったアンは違和感がなかった。最初から彼女に合わせて仕立てられていたかのようだ。その理由について、深く考えないほうがいい。ウルリカはここを出ていくのだから、余計な知識は身を滅ぼす。


 最後に眠っているベルトルドに近づいた。


「ごめんなさい」


 番の本能が強い彼には、様々な葛藤があったのだろう。ウルリカは想像することしかできない。本当の意味で理解できるのは、同じ悩みを持っている人だけだ。


 だが本能に流されず、丁重に扱ってくれようとしたことは感謝している。暴走してしまった使用人を遠ざけて、冷遇しないよう努めてくれた。


 ウルリカが獣人だったら。

 ベルトルドがもう少し雄弁だったら。

 同じ身分だったなら。


 仮定の話をしてもどうしようもないが、今とは違った未来になったはずだ。


「出会わないのが幸せな番もいるのよ。婚約者とお幸せに」


 寝室を出ると、エリクとイングリッドが小声で話しているところだった。着替えが終わったことに気がついたエリクは、ウルリカの靴を足元に置く。ここへ連れてこられたときに履いていた靴だ。


 繊細な刺繍で彩られた室内履きから、歩き慣れた自分の靴へ。解放される実感が出てきた。


「準備はいい?」

「ええ」


 周囲に半透明の蝶が現れて消え、エリクの姿が狼族に変わる。彼が魔法を使うところを初めて見た。


 驚いているウルリカの前にイングリッドが立つ。相変わらず冷たさを感じさせる顔だが、彼女が見た目ほど冷酷な性格ではないのは分かっている。ウルリカとベルトルドの間に立って、世話を焼いてくれた。話し合えという言葉は、ウルリカよりもベルトルドへ向けた言葉だ。


「お前は本当に使えないメイドね!」


 イングリッドは手を振り上げ、ウルリカの頬を叩いた。続いて投げつけられたのは、布に包まれたウルリカの服だ。急いで拾い上げたウルリカに、イングリッドの怒声が浴びせられる。


「もう我慢できないわ。今すぐこのメイドを追放しなさい!」


 背後から襟首を掴まれた。部屋の外へ向かってエリクが背中を押してくる。着替えている間、イングリッドと打ち合わせをしていたのか、動きに迷いがない。


 廊下に出されたウルリカは、どこへ進めばいいのか分からなかった。そこへ使用人の一人が近づいてくるのが見えた。


「いかがなさいましたか? このメイドは……」


 うつむいたウルリカの耳に、いつか聞いた声がする。書斎の前で会った使用人だろう。


「見て分かるでしょ。メイドをクビにしたのよ。何度言っても紅茶の淹れ方を覚えないんだから」

「しかしメイドの解雇は旦那様の許可がなければ」

「この私が気に入らないと言っているのよ! 私専属のメイドなんだから、私の意見が最優先されるわ! さあ、理解したなら裏口の鍵を開けなさい! それともあなたが私の専属メイドになる?」


 勢いに負けた使用人は、承知しましたと上擦った声で答えた。慌ててもと来た方向へ去っていく。


「左へ真っ直ぐ進みなさい」


 小声の指示に従って廊下を進み、狭い階段を降りた。使用人が使う経路だろうか。


 人一人が通れる幅しかない扉を潜ると、裏庭だった。奥に見えている塀へ向かって歩く。金属製の柵が見えたところで、イングリッドが言った。


「さようならウルリカ。不幸になったら許さないわよ」

「あ……」


 この屋敷に来てから、初めて名前を呼ばれた。使用人たちはウルリカのことをお客様としか呼ばなかった。番であるベルトルドですら、君としか呼んでいない。


 ようやく番という記号ではなく、人間に戻れた。


 礼を言いかけたウルリカは、近づいてくる使用人を見つけた。解雇されるメイドが礼を言うのはまずい。黙って頭を下げ、イングリッドに感謝を伝えた。


 使用人が裏口の鍵を開け、早く出ろと促してくる。柵はウルリカ達が出るとすぐ閉められた。


「なるべく遠くへ捨ててきなさい。二度と戻ってこないようにね!」


 可能な限り遠くへ。連れ戻されないように。


 彼女の気持ちを知らなければ、ただの冷たい言葉だ。隣にいる使用人には、言葉通りの意味に聞こえていることだろう。


「行こう。崖の下へ降りる道がある」


 ウルリカはなるべく足音を立てずに歩いた。屋敷の外へ出られたが、まだ油断できない。すぐ近くには狼獣人達がいるのだ。


 周囲には濃い霧が漂い始めている。崖道ではエリクが手を貸してくれたが、暗い中を降りていくのは勇気が必要だった。ようやく下まで降りた時は、安堵のため息がこぼれた。


 繋がれていた馬を連れて茂みを抜け、街道に出た。生まれてから一度もテーレを出たことがないウルリカには、未知の世界だ。


 遠くに町の灯りが見える。これが最後に見た光景になるだろう。

 馬にまたがったウルリカは、前で手綱を握るエリクにしっかりと掴まった。

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― 新着の感想 ―
愛の逃避行www アンって、もしかして噂の婚約者かな? そう考えるとつじつまがあいますね。 このままにげきれますようにー!
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