第一話:君を見つけた①
それはもう何年も前のことだ。蒸し暑い空気が皮膚にまとわりつき、滝のように汗が流れる、そんな夏に起きた、どこか夢のような出来事。当時、私たちはそれを秘密にしようと約束した。けれど、もう時効だろう。私も歳を重ねたし、あの頃を知る人のほとんどは忘れてしまっているに違いない。私自身も、いつか忘れてしまいそうだ。だから、ここに書き記しておこうと思う。
風鈴が鳴る中、小学生の私は祖母と一緒に引っ越しの荷ほどきをしていた。数週間前、両親は事故で亡くなった。頼る身内も少なく、祖母の家に身を寄せることになったのだ。カラカラと鳴る戸。ぎしぎしと軋む廊下。時折感じる、言い表せない独特な匂い。ここで、自分はこれから暮らしていくのだ。実感はまだ、遠くにあった。
汗を拭きながら縁側で一息ついていると、ふと庭の奥、井戸のそばに、何かが立っているのが見えた。半透明で、輪郭が揺らいでいる。人のような、そうでないような。目を凝らすと、それは裏山の方へゆらぎながら進んでいく。私はそれを追いかけた。蝉の鳴き声が木々に反響し、暑さも相まって、一人で入るのは危険だと分かりながらも森の奥へ奥へと誘われた。
山道を進むと、突然、ヒリついた空気に変わった。25メートルほど先にいた、刺さるようなプレッシャーを放つそれは、猪に似ていた。だが、普通の猪ではない。異様に大きく、皮膚はところどころ剥がれ、眼は赤く濁っていた。少年は足がすくんで、逃げることもできなかった。化け物が牙を剥き、今にも飛びかかってこようとした。そのとき淡い光をはなつ一匹の狐が現れた。艶やかな毛並みを携え、尾は幾重にも揺らめいている。狐は少年の前にすっと立ちはだかり、鋭く鳴いた。化け物が、一瞬たじろぐ。