二十一話 確執の刻
家に帰ると、若菜が焦ったように、話しかけてきた。
「影慈君だけどさ。一週間くらい前から行方不明で捜索願が出されてるみたい!」
光葵は思わず唾を飲む。影慈には父がいて捜索願が出されていても何らおかしくない。
「それは心配だな……。教えてくれてありがとな」
そう答えるのが精一杯だった……。
自室にこもり、影慈に話しかける。
「影慈……親父さんのことだけど……」
(ごめん。こうなる可能性は分かってた。けど怖さもあって言い出せてなかったんだ……)
「それは、仕方ないことだ。誰も影慈のこと責めないよ」
光葵はできるだけ優しく伝える。
(……ありがとう。でも僕の肉体はもうないし、戻りようもない……)
影慈は静かに話す。
「でも、このまま親父さんに何も言わずでいいのか? 影慈が今まで酷い目に遭っていたこと少しは理解してるつもりだ。それでも……親父さんが心配してる気持ちは本当なんだと思う」
光葵は自分でも辛い選択を迫っていることを自覚する。
それでも、とても大切なことなはずだ……。
数秒の沈黙の後、影慈が声を荒げる。
(みっちゃんに何がわかるの⁉ お母さんが事故で八年前に死んでから、お父さんはおかしくなっていった。酒に依存して暴言や暴力を振るうようになった。……暴力だけなら、まだ耐えれた……。僕を最後まで追い込んだのは〝存在の否定〟だ……)
「存在の……否定……?」
光葵はただ静かに言葉を繰り返すことしかできなかった……。
(事故は僕とお母さんが一緒にいる時に起こったんだ。暴走して突っ込んできた車から守るために、お母さんは僕を突き飛ばしてくれた。おかげで僕は助かったんだけど、お母さんは事故に巻き込まれて死んだ。悲しかったよ、何度も泣いたし後悔もした。)
ここまで話して、影慈はだんだんと涙声に変わっていく。
(……お父さんは現実が受け止められなくなったのか、酒に溺れ、毎日毎日罵声を浴びせるようになっていった……。中でもしんどかったのが『なんでお前が死ななかったんだ!』っていう言葉。僕もそう思ってたよ。でも、実の父からそんな言葉を何度も何度も聞かされると心がどんどん死んでいく……)
影慈の言葉の端々から、どす黒い闇を感じる。
それだけの負の感情を押し付けられ続けたんだ。ある日限界がきてもなんら不思議ではない……。
「影慈……お前……。そんなに……。身体の暴力は知ってけど、心まで殺されかけてたのは初めて知った……。ごめん……。ごめんな影慈……」
光葵は自分の想像の範囲外の影慈の生い立ちに涙を流すことしかできなかった……。
(…………みっちゃんは何も悪くないよ……。お母さんを守れなかった僕とお父さんが悪いんだ……)
影慈は悲しみを通り越して、無感情に呟く。
「影慈……! それは違う! お前が悪いところなんて、一つもない! 事故が起こったのも、母親が死んでしまったのも、影慈のせいなんかじゃない! こんなこと言いたくないけど、運が悪かった……。それだけだ……。だから、自分を責めるな影慈! 俺が証人になってやる。お前は何も悪くない……!」
光葵は自分の出せる、最大限の寄り添いを言葉に換える。
(みっちゃんは本当に直情的で、真っ直ぐで素直な良い人だね……。僕はみっちゃんの言葉で救われた気分になれる……。…………代理戦争で万が一のことがあれば、もうお父さんに会えないかもしれない。正直会いたくもないというのが本音だけどね。……でも最初にみっちゃんが言ってた〝親が心配している〟だろうという気持ちも一応理解はできる……。家を見に行こう……)
影慈はそうぽつりと呟いた。
影慈の家に着いた。
夜月という表札は薄れており、小さな庭も草が生え放題になって手入れされている様子ではない。ただ、庭の窓から中の様子を見ることができた。
机の上には酒の缶が乱雑に放置されていた。そして椅子に腰を下ろしうなだれている影慈の父の姿があった。
父の姿を見た時点で影慈の心はひどく動揺しているのが感じ取れた……。
よく見ていると、影慈の父はうなだれているのではなく、むせび泣いているのだと分かった。
影慈の心が動いていくのを感じる。
(あの姿が見られて〝ある意味〟嬉しいよ……でも、僕にとっては〝あんなお父さん〟はお父さんじゃない。……だけど、ほんの少しだけ救われたよ。お父さんにも愛情があったことが分かって……)
影慈はそう言い黙り込んでしまった。
光葵は少なくとも、今父と会うことを受け入れられない影慈の気持ちを察し、その場を後にした。
影慈にとって、父との確執はあるままだ……。それでも、今は代理戦争に集中しなくてはいけない……。




