第五十六話:領都リュミエールのギルド
翌朝。
リュミエールの澄んだ空気に、朝の鐘が静かに響く。
三人は宿で身支度を整え、ギルドへと足を運んだ。
朝のギルドは、これまで彼らが訪れていた時間帯とは違い、冒険者たちや職員で賑わっていた。
カウンター前や掲示板には依頼を選ぶ者、仲間と談笑する者たちが集まり、そこへシリル、シエル、アルマが連れ立って入ると、ざわりと空気が動く。
小さなささやきや好奇の視線が三人に集まる。
堂々と歩くアルマの姿、首元で光る青いペンダント――
いくつもの目が無言で彼らを追い、驚きや関心が静かに広がっていた。
普段は人の少ない時間にしか現れなかった三人が、初めて朝の賑わいの中に姿を見せたのだ。
そのギルド中央ホールの一角で、旅装のハドリーが出立の準備をしていた。
そばには、見送りのためにヴィスカールが立ち、その隣には短髪の女性の姿がある。
彼女の名はオリヴィア。
シリルたちとは、これまで報告の際に軽く挨拶を交わした程度だが、ここリュミエールのギルドでヴィスカールに次ぐ地位――サブマスターにあたる人物だった。
ヴィスカールがエルディア領全体のギルドを統括する中、オリヴィアはリュミエール支部の運営を一手に担う存在でもある。
オリヴィアは短く整えた金色の髪に、すらりとした細身の体格。
シンプルなダークグレーのベストを羽織り、涼やかな灰色の瞳はどこか冷たさをたたえている。
整った顔立ちは感情をあまり表に出さず、静かで冷静な空気をまとっていた。
シリルたちが入口から姿を現すと、ハドリーが顔を上げて気づく。
「――ああ、ちょうどよかった」
シリルたちは賑わうギルドの中を進み、ハドリーたちのもとへ向かった。
ざわめく冒険者たちの視線が、背中に集まっているのをどこかで感じながらも、三人は並んで立つ。
ハドリーはいつも通り穏やかな笑顔を見せた。
「三人とも、おはようございます。昨夜はゆっくり休めましたか?」
「はい、おかげさまで」
シエルが答えると、ハドリーはうなずき、旅装の上着を正しながら少し表情を引き締めた。
「実は、今日のうちにクアガット支部へ戻ることになりました。領都に長く滞在しすぎてしまいましたし、支部の仕事も片付けなくてはなりませんので」
シエルが「そうなんですね」と少し寂しそうにうなずく。
「それと――」
ハドリーは一呼吸おいて、ヴィスカールと視線を交わした。
「ヴィスカールさん、オリヴィアさんとも相談しましたが、やはり君たちの働きは特別でした。
人工魔石の破壊、回収者の確保、氷羽虫の討伐、そして今回の調査での成果――
他にも、細かい依頼まできちんとこなしてくれていました」
オリヴィアも口を添える。
「報告は全て確認しています。本当に素晴らしい働きでした」
ヴィスカールがゆっくりと、シリルとシエルに視線を向ける。
「本当は注目されすぎないよう昇格を控えたいとハドリーに言われていたが、これだけの成果を見て見ぬふりはできない。これで上げない方がむしろ不自然だ――ということで、二人のランクを正式に上げることにした」
一瞬きょとんとした二人の顔に、ハドリーが柔らかく微笑む。
「おめでとうございます。今日から二人ともランクDになります。それにともなってパーティもランクDに。冒印札を翳せば、すぐにわかりますよ」
その言葉に、ギルド内のざわめきがさらに大きくなった。
冒険者たちの視線には、驚きや尊敬、あるいは好奇心が入り混じっている。
シリルは一拍おいて、小さく拳を握る。
「おー、やった!」と、あっけらかんとした声を上げ、素直に嬉しそうな顔を見せた。
一方でシエルは少し驚いたように首をかしげ、「……私までいいんでしょうか?」と控えめに尋ねる。
ハドリーは優しくうなずいた。
「もちろんです。どれも三人で協力して成し遂げた結果ですから。それに、何より成長具合は、グラントさんとの戦闘ではっきりと見させていただきましたからね」
ヴィスカールも静かに笑みを浮かべた。
「誇っていい実績だよ。これからも期待している」
シエルは困惑しつつも照れくさそうに、ありがとうございますと深々と頭を下げる。
ざわつくギルドの視線の中、ハドリーは改めて三人に声をかける。
「しばらくは領都で自由に過ごしてください。何かあればギルドまで」
そう言って、旅装を整え直し、「では、また近いうちに」と頭を下げる。
ハドリーは最後にもう一度三人に微笑みかけると、旅装のまま出入口へと向かった。
その背を、ヴィスカール、オリヴィア、そして数人の職員たちも静かに見送る。
朝の光が差し込むギルドのホールには、彼を惜しむような温かい空気が流れていた。
扉が静かに閉まると、ギルドの朝のざわめきがゆるやかに戻ってくる。
ヴィスカールは改めてシリルたちの方へ向き直った。
「先ほどハドリーも言っていたが、しばらくは領都で自由に過ごしてくれて構わない。事件については領主府と連携して、専門の調査班が入ることになった。もし改めて君たちの力が必要になれば、その時はギルドから正式に声をかける」
オリヴィアも、責任者らしい静かな声で言葉を添える。
「宿の手配についても心配はいりません。どうか安心して、しばらくこの街で過ごしてください。正直なところ、今ここで蒼雪月のパーティにいなくなられては困るくらいですから」
ヴィスカールも微笑を浮かべてシリルたちを見やる。
「リュミエールのギルドにはCランク、Bランクの冒険者も在籍しているが、今回の調査で実際に進展をもたらしたのは、君たちだけだったからな。だから今は、無理をせず、しっかり休養を取ってくれればそれでいい」
シリルは素直にうなずき、「わかった」と短く返す。
シエルも「ありがとうございます」と、ていねいに頭を下げた。
ヴィスカールは軽く会釈し、
「何かあれば、私かオリヴィアにいつでも声をかけてくれ」と一言だけ残すと、静かにその場を離れていった。
オリヴィアも一礼して、責任者らしく周囲を見回しながら、ギルドの朝の業務に戻っていった。
ヴィスカールたちが去ると、三人の周囲に再びギルド本来の喧騒が戻ってきた。
しばらくその場に立っていたシエルが、ふと掲示板の方を見てシリルに声をかける。
「せっかくだし、とりあえずここにはどんな依頼があるのか見てみない?」
「うん、いいね」
二人は連れ立って、ホール奥の大きな依頼掲示板へ向かった。
アルマは少し離れた場所で、広場の様子をぼんやり眺めている。
リュミエールの掲示板は、クアガットのものとは比べものにならないほど大きい。
貼り出された依頼票の数も桁違いで、目を疑うような高額報酬や、Bランク相当の討伐・護衛・探索依頼まで並んでいる。
「すごい……こんなにあるんだね」
「クアガットの掲示板と全然違うね……」
二人で感心して掲示板を見ていると、不意に背後から低い声が落ちてきた。
「――おい、お前らが蒼雪月だな」
振り返ると、七人組の冒険者が道をふさぐように立っていた。
先頭に立つのは、動きやすい革鎧をまとった引き締まった体格の青年。
一見人間にも見えるが、灰色がかった毛並みや鋭い狼耳、そして大きな尾が“狼種”の獣人族であることを示している。
鋭い目つきと雰囲気が、ギルドの空気を一瞬で変えた。
「さっきから話は聞いてたが……お前らみたいなのがDランクってのは、ずいぶんといいご身分だな?」
その背後には、同じく実戦的な装備をまとった仲間たちがずらりと並ぶ。
彼らはこのギルドの常連パーティで、周囲の冒険者たちもその様子をうかがっていた。
シリルは一歩前に出て、きょとんとした表情で首をかしげる。
「……え? 誰?」
そのあっけらかんとした反応に、獣人の眉がピクリと動く。
「なんだと……? 俺のこと知らねえのか! なら教えてやる。俺は牙鳴隊っていう、ここじゃそこそこ有名なパーティのリーダー、ヴェイルだ。パーティはEランクだが、俺はDランクの冒険者だ!」
シエルが慌ててシリルの袖を引き、小声で注意する。
「シリル、こういう時はちゃんと挨拶したほうがいいよ……」
だが、シリルは悪気も興味もなさそうに、ふーん?と首を傾げるだけ。
その様子に、ヴェイルは苛立ち、一歩詰め寄る。
「……どうせ、クアガット支部のお気に入りで、うまいこと立ち回ってここまで来たんだろ。実力も見せずにDランクなんて、納得いくやつばかりじゃねぇんだ」
ヴェイルの言葉にギルド内の空気がピリリと張りつめる。
そこへホールの奥から、腕章をつけた中年の男性職員が颯爽と歩み寄った。
「はいはい、そこで止まりなさい!」
職員はヴェイルたちとシリルたちの間に割って入り、鋭い視線を向ける。
「ここはギルドの依頼掲示板前だ。私闘やもめごとは厳禁。これ以上やれば降格処分もあり得るからな」
ヴェイルは一瞬むっとしたが、すぐ表情を切り替え周囲を見回す。
「いや、ケンカがしたいわけじゃねえ。ただ、こいつらが本当にDランクの実力があるのか見てみたいだけだ。なあ、みんなもそう思うだろ?」
その言葉に、ホールのあちこちからざわめきが起こる。
「そうだそうだ!」「急にランクが上がるなんてずるいだろ!」
「オレも一度見なきゃ納得できねぇ――」
一部の冒険者たちが次々に声を上げ、野次を飛ばす。
職員はさらに厳しい声で場を制した。
「いい加減にしろ!ギルドの規律を乱す者は、たとえ常連でも容赦しないぞ!」
だが、その時、シリルがひょいと手を上げて言う。
「いいよ、やろうよ」
ヴェイルが驚いたように目を見開き、戸惑いながらもニヤリと笑う。
「お、おお……いい度胸じゃねえ――」
「ルールは?動けなくしたら勝ち?」
シリルはきらきらした目で続けて尋ねる。
ヴェイルは少し面食らいながらも、
「あ、ああ……戦闘不能か、ギブアップしたら負けだ」
と応じた。
――そのやり取りに周囲の冒険者たちがざわめく中、職員がなおも制止しようと前に出る。
「ちょっと!ギルド内で勝手な決闘なんて絶対に許可できません!本当にいい加減にしないと降格――」
その時、ピリッとした空気の中に冷静な声が響く。
「落ち着いて。ここは私が預かりましょう」
ホールの奥からオリヴィアが姿を現し、静かに職員を制した。
短く切り揃えた金髪と涼やかな灰色の瞳――冷静なまなざしが場の空気を一変させる。
「蒼雪月の昇格については、私もエリアマスターのヴィスカールも認めています。それでも納得できないと?」
先ほどまで野次を飛ばしていた冒険者たちも、オリヴィアの視線にたじろいだ。
だがヴェイルは、言い出した手前、後に引けない様子で言う。
「オリヴィアさんやヴィスカールさんを疑いたいわけじゃねえ。でも、本当にこんなちっこいのと女の子二人がDランクじゃ、やっぱり簡単には納得できねえってことだ。もしかしたら、そこの銀狼が全部やってるかもしれねぇし、実力を示してもらうのが一番だろ?」
アルマはヴェイルを一瞥し、ふんと鼻で笑う。
周りからは、再び小さな声で「そうだそうだ」「魔獣のおかげならちょっとな」といった囁きがあがる。
「わかりました。ギルド内での私闘は禁止ですが、これだけ納得していない者がいるなら、公式の訓練場での試合として認めます。お互い同意の上ですし、私が責任をもって立ち会いましょう。ルールも公正に取り決めます」
オリヴィアの静かな宣言に、一瞬ギルド内はしんと静まり返った。
しかし次の瞬間――
「……公式戦だってよ!」「訓練場でやるのか?」「オリヴィアさんが直々に立ち会いかよ!」
誰かの声をきっかけに、場の空気が一気に熱を帯びていく。
これまで遠巻きに様子を見ていた冒険者たちも、ざわざわと盛り上がり始め、期待や興奮の視線がシリルたちに集まった。
オリヴィアは一度だけ全体を見渡し、「異論はありませんね?」と凛とした声で問いかける。
職員も、冒険者たちもその迫力に気圧され、誰も反論する者はいなかった。
やがて、「これは面白くなりそうだな」「どっちが勝つんだ?」と小声があちこちでささやかれ、ギルドの空気は徐々に高揚へと変わっていった。




