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第五十五話:冬の領都と報告

 雪原の上、巨大な魔獣の亡骸が静かに横たわっている。

 しばし無言でその姿を見下ろしていたシリルが、仮面越しに首をひねった。


「……これ、結局なんの魔獣だったんだろう?」


 その問いに、アルマが巨体の脇を回り込みながら、じっと亡骸を睨む。


「――元は、暴鋼熊(グラウヴァーン)かもしれない。毛並みや牙は似てる気もする。ただ……ここまで禍々しくなってたら、俺でも分からない。」


 シエルも慎重に死骸を観察しながら、やや青ざめた声で言葉を継ぐ。


「私は、猛撃獣(バズロッグ)かなって思った。足の太さや、骨格はそれっぽいし……でも、普通ならこんなに大きくならないし、こんな角も生えてないはず……」


 三人はもう一度、異様な姿の亡骸を見下ろす。

 踏み荒らされた雪原には、引き裂かれた獣の残骸や骨が散らばっている。

 地面の一部は雪が血に染まり、黒くぬめっていた。

 シリルが小さく肩をすくめ、苦笑する。


「冬でよかったね……これ、夏だったら、もっと臭かったよ」


 アルマも鼻をひくつかせる。


「それでも、十分ひでぇ臭いだ」


 シエルも顔をしかめながら、周囲を見回した。

 ふと、雪に埋もれるようにして、ボロボロの布切れ――洋服の端が見える。


「……シリル、アルマ。ここ……服だと思う……」


 二人も気づいて、慎重に雪を払う。

 そこには、破れた布や血に染まった衣類がいくつも転がっていた。


「人間もここでやられてたんだ」


 雪の下からは、すでに誰か分からないほど損壊した小さな骨も見つかる。

 シエルはそっと手を合わせる。


「……ギルドや領都に帰ったら、これもちゃんと報告しよう。」


 冬の雪に包まれた静かな森の奥――

 三人は改めて、魔獣と人工魔石がもたらした惨劇の深さを思い知るのだった。

 残された赤黒い魔石を、シリルは布ごしに慎重に拾い上げる。

 人工魔石は、倒木の根元――まるで森の瘴気の源のように、今も不気味な光を放っていた。


「……これを壊せば、少しは森の魔素も落ち着くかな」


 シリルは仮面越しに小さく呟くと、アルマとシエルにうなずく。


「気をつけて。今までの人工魔石より、ずっと多くの魔素を吸い込んでるはずだ。壊した時、中の魔素が一気に暴れるかもしれない」


 シリルは新しい刀を抜き、人工魔石の上に魔力を込めてゆっくり刃を振り下ろす。

 甲高い音とともに、魔石はひび割れ、次の瞬間――

 禍々しい赤黒い魔素が一気にあふれ出した。


 アルマが即座に魔力の防壁を張り、シエルも咄嗟に風の魔法で周囲を守る。

 魔素はやがて雪と空気に吸われ、最後には静かな余韻だけが残った。


「……これで、少しはマシになるはずだな」


 アルマが低く言う。


「うん。じゃあ、持ち帰った魔石と、現場のことも全部ギルドに報告しよう」


 シエルがきゅっと拳を握る。

 森を離れる三人の背に、冬の陽光が静かに降りそそいでいた。




 人工魔石を破壊し、森の異様な気配が和らいだのを見届けてから、三人はリュミエールのギルドへと戻った。


 リュミエールのギルドは、このエルディア領における各支部を統括する、いわゆるエリアギルドとしての機能もあった。

 その規模はクアガット支部とは比べものにならず、重厚な石造りの建物が広場に威容を誇っていた。


 エリアマスターのヴィスカールと、支部長のハドリーがそろって出迎える。


「おかえりなさい。……無事で何よりです」


 ハドリーが安堵の表情を浮かべる。


「……無事でよかった。どうだった?」


 ヴィスカールの静かな声に、シエルは布に包んだ赤黒い魔石をそっと差し出した。


「森の奥で、暴走した巨大な魔獣を討伐しました」


 シエルは慎重に言葉を選びながら、状況を報告していく。


「魔獣は、まるで別種のように変貌していて……人工魔石の周囲には、赤黒い魔石がいくつも転がっていました。魔素も濃くて、空気そのものが重く感じるほどで――」


 ヴィスカールが包みを開き、赤黒い魔石の光を見て、眉をひそめる。


「……こんな色の魔石、見たことがないな。これは、ただ事じゃない」


 ハドリーも目を見開いた。


「ここまで禍々しい魔石は、ギルドの記録にもありません……」


「……それから」


 シエルは少しだけ言い淀み、静かに続ける。


「周囲には、食い荒らされた動物の死骸だけじゃなくて……人間の遺留品も残っていました。たぶん、人工魔石の設置を依頼されていた人たちだと思います」


「本来、あんな森の奥深くは人が入るような場所じゃありません。けれど、服や荷物の残骸が……たぶん、あの魔獣に……」


 ヴィスカールは赤黒い魔石を掌にとり、しばし光にかざす。

 その険しい表情が、事態の深刻さを物語っていた。


「……これは、ただの魔獣暴走じゃない。ここまで魔石が禍々しく変質するのは前例がない」


 重い息をつき、ヴィスカールはハドリーと短く目を合わせる。


「ハドリー、すぐに通信を頼む」


 ハドリーが頷き、応接室の隅に設置された魔導通信器(フォネリス)に手をかける。


 ――《魔導通信器――フォネリス》は、王都や領主府など、ごく限られた拠点だけで試験運用されている新しい魔導具だ。魔力を刻んだと魔導水晶を組み合わせ、同じ刻印を持つ拠点同士のみ通信ができる。

 普及はまだ進んでおらず、このエリアギルドにも今回の事件の重大性を考慮して、領主から緊急用に貸与・仮設置された一台があるだけだった。


 ほどなくして、領主レオナール公爵と短い回線が繋がる。

 シエルは、現場で見たすべて――禍々しい魔石の発見、暴走した魔獣の異常な強さ、そして人間の死体が発見されたことを簡潔に報告した。


「本来、人が足を踏み入れる場所ではありませんので……おそらく、人工魔石を設置しにきた人物が犠牲になっていると思います」


 レオナール公爵の声が、通信魔導具から静かに響く。


「重大な報告を感謝する。直ちに領主府からも、森の警備と現地調査の増員を手配しよう。君たちはよくやってくれた――危険な場所には今後近づかぬよう、ギルドと連携して慎重に対処してほしい」


 ヴィスカールも深く頷いた。


「これで森の依頼は、当面すべて中止だ。新たな調査班が到着し次第、君たちにも結果を伝える。……まずは体を休めてくれ」


 ハドリーも静かに息を吐き、頷く。


「三人とも、よくやってくれました。命が無事で何よりです。ありがとう」


 ギルドと領主府――両者がすぐに動き出し、街と森の警備・調査が一気に強化されることとなった。


 応接室を出ると、シエルは小さく息をつき、シリルとアルマと目を合わせる。


「これでひとまず安心だね。……でも、また何かあったらすぐ教えてくれるみたい」


 三人は、ようやく冬の光のもとに戻った。




 外に出ると、冷たい冬の風が三人を包み込んだ。

 先ほどまで張りつめていた体の力が、ふっと抜けていくのを感じる。


 リュミエールの街並みは、冬の冷たい空気の中にも活気が満ちていた。

 広い石畳の通りには人々の笑い声や呼び声が響き、色とりどりの屋台や商店が軒を連ねている。

 行き交う人々は冬の装いで、手に湯気の立つ紙袋や焼き菓子を持ち、子どもたちのはしゃぐ姿も目立つ。

 一方で、通りや広場を囲む建物は重厚で落ち着いた造りが多く、歴史を感じさせる風格が街のあちこちに残っていた。

 高い窓からは暖かな光があふれ、噴水や街路樹には鮮やかな冬飾りが揺れている。

 夕暮れ時には、軒先のランタンや広場の灯りが、石畳や彫像をやわらかく照らしていた。


 そんな中、アルマは姿を隠すことなく歩いていた。

 リュミエールに来て数日が経つが、まだアルマの姿にぎょっとする人も多い。

 けれど、首元の青いペンダントに気づくと、知っている者は感心したように目を細め、衛兵たちも特に何も言わず通り過ぎていく。

 一部の人は、ただじろじろと見つめるだけだが、数日前に比べれば、もう誰も無用に騒ぎ立てたりはしない。

 すっかり噂も広まり、見慣れた顔も増えてきた。


 シエルは、ほっとしたように息を吐く。


「……やっぱり、街に戻ると安心するね」


 シリルも、アルマの横で小さくうなずいた。


「うん……なんだか、空気が澄んでる気がする」


 シエルはもう一度、広がる街の景色を見回した。

 クアガットの賑やかで雑多な通りとは違い、賑やかな通りやきらびやかな冬飾り、それを見守るように並ぶ歴史ある建物と石畳――リュミエールの街は、どこか誇り高く美しかった。


「クアガットとは、やっぱり雰囲気が違うよね……。大人っぽいというか」


 シリルは興味深そうに、通りの向こうの古い時計塔を見上げる。

 屋根の上には薄く雪が積もり、窓辺には冬の花とキャンドルが並ぶ。

 露店のパン屋からは、ほんのり甘い香りが漂ってきた。


「でも、きれいな街だね。歩いているだけで、ちょっと楽しいかも」


 アルマは、鼻先をくすぐるパンの匂いに、思わず尻尾を揺らした。


「……美味そうな匂い。あっち、なんか焼いてるぞ」


 シエルが笑ってうなずく。


「今日は時間もあるし、せっかくだから、いろんなお店を見てみようか」


 いつもなら慌ただしく宿に戻るだけだったが、この日はほんのひととき、ゆっくりと街を巡ることにした。

 宿へ帰るまで、三人は冬のリュミエールの空気を胸いっぱいに吸い込みながら、賑やかで誇り高い街並みを楽しむのだった。

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