第五十三話:新たな地、影を孕む森
雪は、膝を越えて静かに積もり、白い静寂が世界を覆っていた。
領都リュミエール北東の森――冬の静けさのなか、シリルたちは慎重に歩を進める。
「……ここにもある。変な足跡」
シエルが雪の上にしゃがみ込む。
そこには、狼にも熊にも似ていない、不自然に大きな足跡が点々と残っていた。
爪痕は深く、重たい体を引きずったような歪みも混じっている。
「前に見たのとは、また違うね……」
シリルが足跡の周囲にしゃがみ、雪に指を当てる。
寒さを通して、わずかに魔素の気配――人工の魔石由来と思しき“異物感”が指先に伝わってきた。
「アルマ、何か感じる?」
問いかけると、アルマはゆっくりと鼻先を雪に近づけ、目を細める。
「……強い魔素だ。今までよりずっと強い……魔獣が変異しているな……」
領都に着いて以降、シリル達は周辺の森や原野、山地にも何度も足を運び、異変の調査を繰り返してきた。
これまでの調査で、すでに何度も“おかしな魔獣”と遭遇している。
動物が魔獣化していたり、本来は大人しいはずの魔獣が狂暴化していたり――
そうした異変は、この森だけでなく、周辺の原野や山地でも次々と見つかっていた。
そして、調査のたびに決まって発見されるのが“人工魔石”だった。
森の奥や川沿い、岩陰や雪の下――毎回必ず、どこかに人工魔石が隠されている。
それらを見つけては、三人で壊して回ってきたのだ。
だが、今回の足跡は――また新しい何かの存在を示していた。
「油断しないで、もう少し奥を調べよう。人工魔石の気配も、このあたりから強くなってる気がする」
シリルが立ち上がると、シエルも剣を抜き、アルマが二人を先導するように歩き出す。
白い息と深い雪を踏みしめて、三人は森のさらに奥へと進んでいった。
クアガットを発った朝――グラントとマーカス、レナに見送られ、シリル、シエル、アルマは冬の雪積もる街道へと旅立った。
領都リュミエールに到着した一行は、衛兵に導かれ、エルディア領主レオナール・エルディア公爵のもとへと丁重に取り次がれる。
その後、ギルドのエルディア地方統括局へ案内され、重厚な扉の奥には四人の重鎮が揃っていた。
――エルディア領主:レオナール・エルディア公爵
――クアガット地頭代:ジルベルト・アウレリウス子爵
――ギルド・エルディア領エリアマスター:ヴィスカール
――ギルド・クアガット支部長:ハドリー
重苦しい空気の中、形式的な挨拶が交わされた後、四人の重鎮たちは、三人が関わってきた人工魔石の件について改めて問いただしてきた。
動物が魔獣へと変異した事例に始まり、人工魔石の破壊や回収、そして回収時に現場にいた人物について――ひとつひとつ、詳細な説明が求められる。
シエルはこれまでの経緯や遭遇した出来事を丁寧に語り、シリルとアルマも要所で補足を加えていく。
簡潔な報告と質疑応答がひと段落すると、部屋に静けさが戻った。
レオナール・エルディア公爵は、堂々とした体躯に銀の髪、透き通るような青い瞳で三人を見据え、静かに口を開いた。
「……やはり、今回の事件は魔族が関わっている可能性があるな」
その声は低く、よく通る。
それでいて、誰かを頭ごなしに否定する響きはない。
ヴィスカール――エリアマスターは、無骨な旅装の男だ。
肩幅が広く、無精髭混じりの顎、無造作に伸ばされた黒い髪。
顔には、幾度となく死線を潜り抜けてきた戦士の険しさが刻まれているが、目元は穏やかで、部屋の緊張をほんの少し和らげていた。
彼は手元の資料に目を落とし、静かに語り出す。
「……君たちが回収した人工魔石の破片だが、過去に魔族が作ったものと非常によく似ている。魔素の流れや、刻まれた魔法陣も当時の記録と合致する部分が多い」
レオナール公爵は腕を組み、静かに頷く。
「やはり、魔族が絡んでいる可能性は否定できんな……」
ハドリーが、レポートをテーブルの上にそっと置く。
「現時点では、決定的な証拠はありません。ただ、これほど精巧な人工魔石を作れる者は限られています。調査は続けていますが、引き続き警戒が必要かと」
ジルベルト地頭代も、苦々しげに呟く。
「どちらにせよ、動きが巧妙だ。油断はできませんな」
レオナール公爵は一同を見渡し、改めて静かに言葉を継ぐ。
「……君たちには、今後も引き続き調査を頼みたい。今回ここまで来てもらったのは、そのためでもある」
ハドリーは静かにうなずき、シリルたち三人へと目を向ける。
「領都の騎士団も衛兵たちも、監視や調査は続けていますが……状況はほとんど進展していません。人工魔石は設置されては壊される、まるで鼬ごっこです。リュミエールに滞在している冒険者たちも動員していますが、状況は変わらず……」
ジルベルト地頭代が、さらに言葉を継ぐ。
「唯一の手掛かりと言えるのは、君たち新生パーティ――蒼雪月の報告だけでした。調べたところ、捕らえた相手は元冒険者で裏ギルドの者――ただの使いっぱしりにすぎませんでした。ただ、その使いっぱしりが“頬に傷のあるローブ姿の者”を目撃していたことは、我々も重要な情報として認識しています。声すら分からなかったという点から、何らかの魔法を使っていたのではないかと考えています」
この場には、仮面をつけた少年――シリルと、傍らに佇む銀狼アルマの姿があった。
二人の素性に明らかな謎を感じつつも、誰一人としてそれを問おうとはしない。
レオナール公爵が一瞬だけシリルの仮面に目をやり、静かに言葉を続ける。
「……君たちの正体や事情について、今は問うつもりはない。ハドリー支部長からは、その実力も――何より、その信頼も保証されていると聞いている。だからこそ、こうして正式に依頼をさせてもらっているのだ」
ヴィスカールが優しく微笑む。
「報酬についても心配はいらない。これまでの人工魔石の破壊、回収、犯人の確保については、すでに支払いを済ませてある。氷羽虫討伐の件も、ハドリーの精霊を通して報告を受けたからな。これまでの分をまとめて、正当な額を振り込ませてもらった。これからの調査分も、宿や必要な物資はすべてこちらで用意する」
レオナール公爵は真剣な眼差しで三人を見つめる。
「無理は承知のうえで頼む。だが、もしも危険だと感じた時は、必ず知らせてほしい。我々もできる限りの支援を約束しよう」
――白い息が、鋭く空気に溶けていく。
シリルは仮面の奥でまぶたを細め、改めて足元の雪を見つめた。
シリルの隣で、シエルが雪を払いながら、じっと足跡を追う。
「こっち……森の奥に続いてる」
アルマが静かに先を歩き出す。
銀の毛並みに雪がちらつき、森の空気がいっそう冷たく感じられる。
「人工魔石の気配……確かに、強くなってきてる」
シリルの声は低く、仮面の奥から漏れるように響いた。
三人の緊張は、そのまま静かな決意へと変わる。
足跡は、ときおり消えかけては現れ、雪の下に何かが埋まっているような、妙な膨らみを伴って続いている。
「また、魔獣が……?」
シエルの声が小さく震える。
森の奥――ただ白い雪だけが広がるはずの場所で、確かに“何か”が動いていた。
それが新たな魔獣か、魔石を操る者の痕跡か、誰にも分からない。
シリルは小さく息を吐き、魔力の流れを感じ取ろうとする。
「……行こう。もう少しで、何か分かるかもしれない」
重い雪を踏み分け、三人は静かに歩を進めていった。




