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第五十二話:夕暮れの音

 ひと通りやりとりが終わると、ユーリスが明るい声で生徒たちに呼びかけた。


「では、すっかり遅くなってしまいましたが、今日はこのままお昼休みにしましょう。みなさん、教室を出て食堂へどうぞ。シリルさんたちの分も用意してありますよ」


 「やった!」と、誰よりも元気よく声を上げたのはシリルだった。

 その素直な反応に、生徒たちの間にも自然と笑顔が広がる。


 生徒たちがそれぞれ荷物をまとめて立ち上がりはじめる中、エルダが静かに一人に声をかけた。


「――ラグレンス、ちょっと残ってくれる?」


 ラグレンスは一瞬きょとんとしたが、すぐに「……はい」と小さくうなずいた。


 グラントとユーリスも心配そうに振り返るが、エルダが「大丈夫」と穏やかに目で合図し、二人はシリルたちと一緒に食堂へと向かった。


 教室が静かになると、エルダはラグレンスの近くまで歩み寄った。


「……ラグレンス、今日は辛かったわね」


 優しい口調でそう言うと、一度ラグレンスの肩にそっと手を置く。

 ラグレンスは俯いたまま、机の端をぎゅっと握りしめていた。


「悔しいのは、あなたが本気で向き合った証拠。でもね――あえて現実を言わせてもらうわ」


 エルダは、ラグレンスの顔をまっすぐ見る。


「今日は、動けなかったのが“たまたま模擬戦”で、しかも止める大人たちがいたからよかった。でも、これが街の外だったら……。あなたも、カイも、そして仲間も、どうなっていたかわからない。あの場で、誰も責めたりはしない。でも、現実の戦いは、迷った時点で命が終わることだってある。それは、シエルちゃんも言ってたでしょう」


 ラグレンスの肩がぴくりと震え、うつむいたまま沈黙する。

 エルダは少しだけ声をやわらげる。


「それでも、失敗したことも、動けなかったことも、全部ここで経験できて良かったのよ。教室や訓練場なら、何度転んでも死なないし、誰かが必ず支えてくれる。けど、現実は――容赦なく、厳しい」


 エルダはラグレンスの様子を見守りながら、そっと続ける。


「それにね、ラグレンス――誤解しないで。今日あなたが相手にしたシリルちゃんは、正直言ってFランクどころじゃないわ。あの子の実力は、普通の冒険者じゃとても計れないの。だから、相手にされなかったり、怖くて動けなくなっても決して恥じゃない。むしろ、あんな“殺気”を浴びる経験なんて、滅多にできるものじゃないのよ。今は悔しいかもしれないけど、きっといい経験になるわ」


 そこでエルダは、もう一度、ラグレンスの背中をぽんと軽く叩いた。


「ラグレンス。あなたは最後まで逃げなかった。泣きたいくらい悔しい思いをしたのに、今ここにいる。それはとても強いことだと思うわ」


「だから、次は一歩でも、半歩でも前に出てみて。怖いなら怖いって言っていい。わからないなら、周りに頼ってもいい。大事なのは、“そこで止まらずに、もう一度立ち上がる”ことだから」


 エルダは優しく微笑みかける。


「あなたは一人じゃないわ。――これからだって、ちゃんと強くなれる。大丈夫」


 エルダの言葉をじっと聞いていたラグレンスは、肩を震わせたまま、やっと小さく声を漏らした。


「……俺は、もっとやれると思ってた。卒業したら、すぐに冒険者として評価も上げて……誰にも負けないって、そう思ってたのに……」


 悔しさがにじみ、拳が机の上で白くなるほど強く握りしめられる。


「……なのに、全然動けなかった。実力差がはっきりして、どんどん自信がなくなって……。ライバルだと思っていたカイは、ちゃんと動けたのに……。最後は怖くて、頭が真っ白になって……情けないです」


 その声はかすかに震えていた。

 エルダは、そんなラグレンスを否定せず、穏やかにうなずく。


「……焦る気持ちはよく分かるわ。みんな、それぞれ理由があって、早く強くなりたいって思ってる。だけど、心と身体の成長は、決して急げるものじゃない。経験も――こうして失敗することも、ちゃんと必要な道なのよ」


 ラグレンスはそれでも、しばらく顔を上げられないままだったが、最後にはかすかに「……はい」とだけ答えた。


 しばらくのあいだ、教室には静かな時間が流れた。

 ラグレンスはまだ目を伏せたままだったが、少しずつ肩の力が抜けていくのがエルダには分かった。


 やがて、ラグレンスがそっと深呼吸をひとつする。


「……大丈夫?」


 エルダが静かに問いかけると、ラグレンスはゆっくりと顔を上げ、小さくうなずいた。


「……すみません、先生。ちょっと泣きそうになってました」


 エルダは優しく微笑む。


「それでいいのよ。泣きたいときは泣いても。みんなそうやって少しずつ強くなるんだから」


 ラグレンスは恥ずかしそうに目をこすり、立ち上がった。

 エルダはそっと彼の背を押す。


「さあ、もうお昼休みよ。みんな、待ってるわ」


「……はい」


 ラグレンスはうつむき加減に小さく返事をしながらも、少しだけ表情を緩めた。


 二人は静かな廊下を並んで歩き出す。

 扉の向こうからは、にぎやかな声や食器の音がほのかに響いていた。


 エルダは、ラグレンスの歩幅に合わせてゆっくりと歩く。

 やがて食堂が近づくにつれて、その背中はほんの少しだけ、前向きな力を取り戻しているようだった。




 食堂の扉をくぐると、明るい声と温かな匂いが迎えてくれた。

 大きなテーブルの周りには、すでに生徒たちとシリル、シエル、グラント、ユーリスの姿があった。

 そしてその傍で、お皿に顔を突っ込むアルマも。

 どうやら遅い昼休みだったようで、他のクラスの子たちはいなかった。

 誰かが「エルダ先生とラグレンスだ!」と声を上げると、自然とみんなの視線が二人に集まる。


 ラグレンスは一瞬たじろいだが、エルダがそっと背中を押す。

 そのまま、少し照れたようにテーブルの端の席に腰を下ろした。


「ラグレンス、遅かったね。何か先生に怒られてた?」


 フィオナがひょいと身を乗り出して茶化すように言うと、


「いや……そうじゃないけど。色々相談にのってくれたんだ」


 ラグレンスは横目でフィオナを見て、気まずそうに返す。


「んーよくわかんなけど、ほら、ちゃんとご飯食べて元気出しなよ!」


 フィオナが配膳の皿をラグレンスの前に押しやると、ラグレンスは少し驚いたようにフィオナを見て、それから「……ありがとう」と小さく呟く。


 カイやエミル、サラフィナたちも、それぞれ食事を楽しみながらもラグレンスを気遣うようにちらりと視線を送る。

 グラントも気さくに「今日は好きなだけ食べていいぞ」と声をかけ、生徒たちの間に再び和やかな雰囲気が戻っていく。


 シリルはパンをもぐもぐと頬張っていたが、ふと思い出したようにラグレンスの方に向き直る。

 パンを半分にちぎり、何でもないような顔で差し出す。


「ごめん、さっきちょっとやりすぎた。シエルにも怒られたし……」


 隣でシエルが、あきれたように「それは言わなくていいの」と小さくつっこむ。


 ラグレンスは少しだけ驚いた顔をして、差し出されたパンとシリルの顔を交互に見た。

 何か言いかけて、視線を外す。

 それでも、パンを受け取る手はゆっくりと伸びていく。


「……ありがとう」


 短くそう言うと、パンを一口ちぎって、静かに口に運ぶ。

 咀嚼しながら、ラグレンスの表情がほんの少しやわらいだ。



 昼休みが終わると、午後の授業が始まった。


 そのまま授業に参加してみないかと誘われ、シリルたちも生徒の輪に加わった。


 薬草学では、シリルが森で見たことのある草だけは迷わず答え、生徒たちは驚くが、それ以外は静かに首を振る。

 魔術の時間では、黒板の文字をじっと見つめて、「水脈が空気に満ちて、すべてを包みこむ……」と、ぼそりと呟く。

「魔法文字、読めるの!?」と驚かれたが、理由を聞かれても、シリルは「親に教わったから」とだけ答えた。

 だが、座学の時間はほとんど知らないことばかりで、問いかけにもただ「わからない」と小さく答えるだけだった。


 それでも、気まずい空気にはならず、教室にはかすかな笑い声が漂っていた。

 気づけば、シリルの周りには生徒たちが集まっている。

 シエルやアルマ、グラント、エルダは、その様子を後ろから静かに見守っていた。




 そのとき、不意にグラントの肩口に小さな精霊が舞い降りる。

 淡い光を帯びたその姿に気づき、グラントは何事かと眉をひそめた。

 精霊が低く囁くように何かを伝えると、グラントの表情が一瞬きりりと引き締まる。

 授業の合間、グラントは教室の外にシリルとシエル、そしてアルマを呼び寄せる。


「ちょっと、いいか。――大事な話がある」


 精霊から伝えられたのは、ハドリー支部長からの報せだった。

 人工魔石事件について、領主とエリアマスターがシリルたち本人から直接話を聞きたいと望んでいるという。

 ハドリーはシリルたちが人工魔石を回収した直後、報告のために領都リュミエールへ向かい、そのまま彼らの功績や詳細を領主たちに伝えていたのだ。


 精霊からの伝言が終わると、グラントは低い声で言った。


「――領主たちが、できるだけ早く話を聞きたいそうだ。明日の朝、クアガットを発ってほしい、と伝えられた。二人とも、大丈夫か?」


 シエルはグラントの真剣な表情を見て、小さくうなずく。

 その目もすぐに緊張感を帯びた。


「……分かりました。すぐ準備します」


 シリルもグラントの雰囲気からただならぬことを感じつつも、


「ん、わかった。どこでも行くよ」


 と、どこか素っ気ないが、それでもしっかり返事をした。


 その後、グラントは教室に戻り、全員に向かって告げた。


「シリルたちは、急な話だが明日の朝にはクアガットを発つことになった。

 本当はもう少し見学してもらうつもりだったが、ここまでだ。大事な用ができて――詳しいことは言えないが、向こうで待っている人たちがいる」


 生徒たちは一瞬ぽかんとして、それから「え、せっかく打ち解けたのに」「もう明日?」とざわめき出す。

 フィオナが「やっと仲良くなったのに……」と残念そうに呟き、カイも「事情があるなら仕方ないけど、もう少し学びたかったな」と苦笑いを浮かべる。


 エルダはグラントの横に近づき、小さな声で「……何かあったの?」とたずねた。

 グラントは少しだけ視線を泳がせ、「ちょっとな」とだけ答える。


「えー? 教えてくれないの?」とエルダがさらに詰め寄るが、

 グラントは肩をすくめて、「一応今のとこは、俺の判断じゃ周りには言えん。まだお前が現役のAランクなら別だけどな」と、冗談めかして返した。


 エルダは「はいはい、もう引退したからね」と苦笑しつつも、それ以上は追及しなかった。


 シエルはそんなみんなの様子を見て、微笑みながら頭を下げる。


「今日一日、本当に楽しかった。学校時代を思い出せました。皆さんのおかげで、とてもいい時間を過ごせました」


 シリルはシエルを一瞬見つめ、少しきょとんとしたまま、皆に振り向く。


「うん、なんか、楽しかったかな。……また来ることがあったら、そのときもよろしく」


 と、素朴に言葉を返した。


 ラグレンスは最後まで黙っていたが、ちらりとシリルを見て、


「……次は、絶対につまんないなんて言わせない」


 と静かに言った。


 そんなやり取りを横目に、夕方が近づく教室を後にして、

 シリルとシエル、アルマは旅立ちの準備をしに街へと向かった。

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