第五十一話:教室に響いた言葉
生徒たちが集まる座学教室は、ユーリスのおかげでひとまず落ち着いた空気に戻っていたが、どこか浮足立った雰囲気が残っていた。
グラント、エルダ、シエル、シリル、アルマの順で教室に入る。
教室に入ろうとしたアルマが、肩をドアの隙間にぶつけて立ち止まる。
小さく困ったように後ずさりすると、生徒たちから思わずくすくすと笑いがもれる。
すぐに気づいたシリルが、何も言わずにドアを大きく開けてやると、アルマはすました顔で通り抜けていった。
そのとき、前列の席からフィオナが立ち上がり、シリルのもとへ近づいてきた。
手には、さっきの訓練で飛んできた白い仮面が。
「はい、シリルくん。これ、訓練場で飛んでいったやつ――拾っといたよ!」
シリルは少し驚いた顔で「……ありがとう」と受け取る。
フィオナは、にっと笑い返し、自分の席に戻った。
その小さなやりとりに、生徒たちも少し緊張がほぐれ、どこか温かい空気が流れる。
そのまま教壇にグラントが立つ。
「みんな、今日は実技の授業を潰してしまって、本当にすまなかった。責任者として謝っておく」
続いてエルダが一歩前に出て、
「最初の模擬戦は指導のつもりだったけど、途中からは完全に私情が入ってしまいました。本当にごめんなさい」と頭を下げる。
シエルも「私も止める立場だったのに、巻き込まれてしまって……すみません」と謝った。
その間、シリルは「自分は関係なさそう」という顔で、ぼんやりシエルたちの方を見ていた。
すると、すかさずシエルが振り向いて声を上げる。
「ちょっとシリルも!ちゃんとみんなに謝って!」
「え、あ、うん……」
シリルはしぶしぶ前に出て、
「……ごめんなさい。授業を潰して、すいませんでした」と小さな声で頭を下げた。
そんな様子に、教室の雰囲気が少し和らぐ。
すると、ユーリスは優しく微笑んで言った。
「まあ、今日は普段の授業は潰れてしまいましたが……でも私は、とても貴重なものを見せてもらったと思っています。特に剣技の応酬は、なかなかあそこまでのものを間近で見る機会はありません。みんなも、きっと何か感じたり、考えたりしたはずですから」
そこで少し言葉を切り、考えるように視線を巡らせる。
「――せっかくなので、もしよろしければ、これから生徒たちにいくつか質問をさせてもらってもいいでしょうか? 今日の戦いや皆さんのこと、きっと気になることがたくさんあると思うので。もちろん素性を聞くようなことはしませんよ」
シリルもエルダも、シエルもそれぞれ軽くうなずく。
「もちろん、どうぞ」とエルダが穏やかに答え、
シエルも「私も大丈夫です」と微笑み、
シリルは「……うん」と小さく頷いた。
それを確認してから、ユーリスは生徒たちに向き直る。
「じゃあ、質問がある人は、どうぞ遠慮なく!」
ユーリスの提案に、生徒たちは一斉にざわめき始めた。
それぞれ目を輝かせたり、隣同士で小声で相談し合ったり、質問の順番を巡ってそわそわする姿もある。
すると、「はい!」とフィオナが勢いよく手を挙げた。
ユーリスが微笑んで応じる。
「はい、フィオナさんどうぞ――あ、せっかくなので、質問する人は最初に軽く自己紹介もお願いしますね。まだ、シリルさんとシエルさんには、みなさんきちんとご挨拶していませんし」
フィオナは「はーい!」と元気よく返事をし、立ち上がる。
「えっと、フィオナです!14歳です!剣と体術が得意です!シリルくんとシエルさんとは、まだあんまり話せてないけど、今日はいろいろ知りたいです!」
その勢いのまま、
「それで、えっと……シリルと主任、どっちが強いんですか?本気でやったら、今度はどっちが勝つの?」
フィオナの率直な質問に、教室が一瞬静まり返る。
グラントが「ほう」と口元を緩めて興味深そうに目を細め、エルダは少し考え込むように腕を組む。
最初に口を開いたのは、シリルだった。
「やってみないとわかんないけど……多分、勝てないかなー」
そのあまりにも素直な答えに、教室内から小さな驚きの声が上がる。
フィオナが首をかしげて続けた。
「それはどうして?さっきの試合、二人ともすごい接戦に見えたけど」
シリルは少しだけ考えてから言う。
「んー……エルダ……先生?主任?は、技術もそうだし、まだ余裕があったと思う」
エルダが苦笑しながら答える。
「エルダでいいわよ、シリルちゃん。それに……余裕なんて、そんなになかったけど?」
「ううん、あったよ。一瞬、考え事してたでしょ?それに、あんなにやり合ったのに、底が見えなかったし」
エルダは驚きに目を見開いた。
(戦いの最中に、そんなことまで……)
フィオナはさらに興味津々といった様子で尋ねる。
「あんな戦ってる最中に、相手が考えごとをしてるって、どうやってわかるの?」
シリルはきょとんとしながら、さらっと答える。
「目と動きを見れば、わかるよ」
シリルの何気ない一言に、教室は一瞬ざわついた。
目を見開く者、思わず隣と顔を見合わせる者。
「え……見ただけで?」
「なんか、すご……」
素直な驚きや小声が、あちこちでこぼれる。
そんな教室の空気を見て、ユーリスが優しく微笑んだ。
「はい、ありがとうフィオナさん。それでは、他にも質問がある人は、どうぞ挙手してくださいね。せっかくの機会ですから、気になることがあれば遠慮なく」
フィオナの質問に続いて、ユーリスの「他にもどうぞ」の声がけに、生徒たちはどこか楽しげな緊張感を帯びてざわめき始めた。
最初に立ち上がったのは、丸眼鏡をかけた真面目そうな少年だった。
「えっと……エミルです。十四歳で、勉強とか研究が好きです。さっきの戦いみたいに、勝てる相手と勝てない相手って、どうやって見分けてるんですか?それから、負けるとわかってても戦うことってありますか?」
エミルの問いに、シリルは少し考え込む。
「慣れてくると、なんとなく分かるようになるかな。でも、実際やってみないと分からないことも多いし……」
そこで、シリルはふと付け加える。
「魔獣は止まってくれないから。強い魔獣と対峙したら、戦うっていうより“どうやって生き抜くか”しか考えなかった」
エミルは「なるほど……」と感心したように頷き、静かに席へ戻った。
次に手を挙げたのは、おとなしい雰囲気の少年だった。
「リオネルです。十五歳です。……魔法が得意で、剣はちょっと苦手です。えっと、魔法で戦うときも、やっぱり相手の動きとかを見て考えているんですか?」
その質問には、エルダがにっこりと微笑んで応じる。
「魔法でも、相手の動きを見るのはとても大事よ。あとは、魔力の流れを“感じる”こと。相手がどこを狙っているのか、次に何をしようとしているのか、よく観察してごらんなさい。剣も魔法も、結局は“よく見ること”が一番の基本なの」
リオネルは「やってみます」と少し自信を得たような声で答えた。
次は、控えめな少女がそっと手を挙げた。
「サラフィナです……動物が好きで、外でぼんやりするのが好きです。あ、十四歳です。さっき、お二人が戦っているとき、すごく楽しそうに見えたんですけど……怖くなかったんですか?」
エルダはしばらく考えてから、ふっと笑った。
「怖くないって言ったら、嘘になるわ。でもね、本気でぶつかるときって、怖さと楽しさが入り混じるものなの。怖いからこそ、楽しいのかもしれないわ。サラフィナさん、素敵な質問をありがとう」
サラフィナは少し顔を赤らめて「ありがとうございます」と控えめに答える。
そこでエルダがシリルに振り向く。
「ちなみに、シリルちゃんは怖かったの?」
シリルはあっさりと「全然。死ぬ心配なかったし」と返す。
今度はフィオナが、さらに前のめりに聞く。
「じゃあさ、魔獣と戦ってるときって、怖いとか痛いとか感じる暇ある?それとも、それも感じないの?」
シリルは肩をすくめる。
「んー、怖いはあんまりないかな。痛いのは痛いよ。でも、それで止まってたら殺されちゃうし。戦ってる時は、あんま気にしないかな」
静まり返る教室。
シエルが苦笑いで続ける。
「……シリルは、ちょっと普通と感覚が違うところがあるから。でもね、止まってたら死んでしまうのは本当。魔獣に襲われて、恐怖や痛みで動けなくなったら……それは本当に“死”に直結する。たとえ痛くても、……仲間を失おうとも、絶対に止まれない」
シエルの重い言葉と表情に、生徒たちの表情も引き締まる――
その中、一番後ろの席で、ラグレンスは誰にも気づかれぬよう、机の下で小さく拳を握りしめていた。
指先が白くなるほど強く、じっと、膝の上で。
その顔はうつむき、誰にも見せない悔しさと焦りが滲んでいた。
しばし教室は静寂に包まれた。
――その空気を、ふいにリサの元気な声がやわらかく切り裂いた。
「えっと……私、リサです! 十五歳で、今年卒業です。シエルさんに、ちょっと聞いてみたいことがあって……!」
教室の視線がぱっとシエルに集まる。
リサは少し頬を赤くしながらも、憧れの気持ちを隠さず、まっすぐ言葉を続けた。
「シエルさん、普段はどんなことしてるんですか?好きなものとか、将来やってみたいこととか……そういうの、もしあったら教えてほしいです!」
重かった空気がふっと和らぎ、教室に小さな笑いがこぼれる。
シエルは少し考えてから、照れくさそうに微笑んだ。
「んー……普段は、冒険者としてシリルと一緒にいろいろ活動してるかな。好きなものは……そうだな、おいしいごはんと、きれいな景色と、何より仲間と笑える時間が好き。将来の夢は、正直まだはっきりしないけど――」
そこで言葉を切り、真剣なまなざしで続ける。
「でも、“絶対に失いたくないもの”はあるよ」
「それは、なんですか?」
リサがたずねると、シエルはまっすぐ答える。
「それは、シリル……とアルマ。私の大事な仲間はもう絶対に失いたくない」
教室に静けさが戻る。
少し驚き、シエルを見つめるシリル。
シエルは一度視線を落とし、もう一度リサや生徒たちをまっすぐ見つめ直す。
「私はね、半年前にパーティの仲間を全員失ったの」
静かに紡がれたその一言に、教室の空気がぴたりと止まる。
誰もが息を呑んでシエルを見つめていた。
「そのとき、私は逃げることしかできなかった。……だからさっき“止まっちゃだめ”って言ったのは、みんなが私を逃がしてくれたときに、本当にそう思ったから。何もできなかった。でも、そこで足を止めていたら、みんなが助けてくれたその命さえ、無駄にしてしまうと思ったんだ」
教室には、しんと静寂が流れている。
「私はたまたま運良く、シリルに助けてもらった。でも、それは私が死ぬ気で逃げたから間に合っただけ。シリルだって、助けるつもりじゃなかったって言ってた。もし、私が止まっていたら、たとえシリルが強くても、間に合わなかったかもしれない。私が死んでから、その魔獣を倒していたかもしれない」
生徒たちの誰もが、自然と息を呑んでいる。
シエルは少し微笑む。
「本当はね、私なんてまだ全然強くない。守るなんて、まだまだ無理だと思う。でも、それでも――ほんの少しでも、これからは仲間や誰かの力になりたい。そんな自分になりたいんだ」
リサが小さく息をつき、隣の席ではフィオナがそっと目元をぬぐう。
「みんなが冒険者を目指すわけじゃないと思う。パーティを組まない人もいるだろうけど……それでも、どうかこれだけは覚えててほしい。自分の命も、誰かの想いも、絶対に“止まらずに”繋いでいってほしいんだ」
静かな余韻が教室に流れたあと、グラントがふっと笑って、パンパン、と大きな手で拍手をした。
その音に、はっとしたように生徒たちも次々と拍手を重ねていく。
最初は戸惑いがちだったが、やがて素直な称賛と共感の気持ちが教室いっぱいに広がっていった。
シエルは予想外の反応に目を丸くし、それから恥ずかしそうに視線を落とした。
グラントは腕を組み、満足げにうなずいて言った。
「――いいかお前ら。いまの話が“本物”だ。どんな理屈こねるより、シエルの言葉のほうがずっと響いたろう?教科書じゃ教えきれない、冒険者の答えってやつだ」
その隣で、エルダは思わず目元をぬぐいながら、「……本当に素晴らしい話だったわ」と、涙声でぽつりと呟く。
ふと見れば、前列のフィオナや、おとなしいサラフィナもそっと目元を拭っていた。
ほかにも、リオネルとエミルも、こっそり涙を隠している。
ユーリスも深く頷きながら言葉を添えた。
「私たち教師も、いろいろ伝えてきたつもりでしたが……こんな話、現役の冒険者でもなかなかできません。――本当に、貴重な経験を分けてくれてありがとう、シエルさん」
教室には、しばらく暖かな拍手と静かな余韻が満ちていた。
シエルは拍手と称賛に戸惑い、顔を赤くしながらも、恥ずかしそうに小さく頭を下げていた。
その隣で、シリルは目を丸くして驚きながらも、どこか嬉しそうに頬を緩める。
アルマは、「まだまだだろ」とでも言いたげにシエルを横目で見つめて――それでも、ほんの少し口元が緩んでいた。
やがて拍手が収まり、教室に静けさが戻った。
ユーリスが一呼吸おいて、やさしく声をかける。
「……さて、そろそろ時間もいい頃合いですし、最後にもう一人、質問を受けましょうか」
その言葉に、教室の最前列で静かに手を挙げたのはカイだった。
「……僕、いいですか?」
真剣な眼差しに、場の空気がもう一度引き締まる。
「もちろん。どうぞ、カイくん」
カイは一度だけ深呼吸し、真正面からシリルを見つめる。
「カイです。十五歳で、今年卒業です。この学校で、多分今いちばん剣術も魔法も得意だと思います。……シリルさん、僕たちのこと、どう思いましたか?今日、戦ってみて。僕たちに、何か感じたことがあったら、教えてほしいです」
その質問に、下を向いていたラグレンスもゆっくり顔を上げる。
シリルはしばらく考えてから、静かに答えた。
「んー、なんもないけど……」
シエルが軽くシリルをとがめて、しぶしぶ答える感じで
「えー?んー……ちゃんと連携して、もっと魔法を使えば少しは楽しめたかなー。一人は周り見えてないし、君は攻め始めるまで遅いし、つまんなかった」
あくまで率直に答えるシリルに、シエルは思わずため息をついた。
「もう、シリルは本当に……。もう少し言い方ってものがあるでしょ」
でも、カイは真剣なまま、すっと頭を下げる。
「ありがとうございます。――ちゃんと受け止めます」
そのやりとりを見ていたエルダが、優しく口を挟む。
「シリルちゃんの言う通りね。二人とも、技術や力はあると思うよ。でも、戦うときに“自分だけ”に集中しすぎると、相手の動きや場の空気を見落としやすいの。――仲間を信じて連携したり、最初から本気で向かってみたり、そういう“思いきり”も大事よ」
エルダは微笑みながら、教室のみんなに向けて言葉を続けた。
「“安全な場所”でこそ、思いきり失敗できるのが訓練のいいところだから。――この経験を、これからの強さに変えていってね」
その言葉に、生徒たちはそろって「はい!」と元気に返事をした。
教室には静かで前向きな空気が満ちていた。
――一人を除き。




