第四十九話:模擬戦
三人は訓練場の中央に立ち、互いに木剣を手に向き合った。
少し離れた場所で見守る生徒や先生たちの視線が集まる中、エルダが進み出る。
「はい、まずはルールを決めます。――今回は、身体能力を上げたり、防御のための障壁を張るなどの魔法は許可しますが、それ以外の攻撃魔法や特殊な術は使用禁止とします。
私が見て、明らかにとどめになるような一撃が入った時点で、その人の負け。
それ以外にも危険だと判断した場合は、すぐに止めます。」
エルダが当たり前のようにルール説明を終えると、横からグラントが一歩前へ出た。
「……それじゃ、駄目だ。」
静かだが、断固とした口調だった。
会場が一瞬静まり返る。
「カイ、ラグレンス。お前らは本気でやれ。
魔法も体術も、使えるものは全部使え。遠慮はいらない。」
二人は思わず目を見開いた。
そして、グラントはシリルに向き直る。
「シリル。お前は――五分間、攻撃を一切するな。
五分が経ったら、攻撃してもいいが、絶対に相手に当てるな。
怪我をさせず、二人を戦意喪失させてみせろ。」
その言葉に、場の空気が凍りついた。
生徒も先生も、思わず息を呑む。
「えー、それはめんどくさいなあ……」
シリルは肩を落とし、つまらなそうに小声でぶつぶつと文句を言っている。
エルダもまた、目を丸くしてグラントに抗議した。
「グラントちゃん、それはさすがにやりすぎじゃない?本気でやれなんて――」
だが、グラントは一歩も引かず、きっぱりと答える。
「……それくらいしないと、模擬戦の意味がない。
あと、シリルもそれくらいじゃないと相手に大けがをさせる。そういうやつだ。」
その言葉に、後ろで見ていたシエルが小さく、しかしはっきりとうなずき、
さらにアルマまで大きく頷いた。
グラントの言葉に、カイもラグレンスも、一瞬呆然とした表情を浮かべた。
だが、二人の反応はまったく異なる。
カイはわずかに眉をひそめながら、
(そこまで差があるということなのか……?)
静かに警戒心を強めていく。
一方、ラグレンスは拳を強く握りしめ、顔をわずかに赤くしていた。
(……そこまで俺たちをなめてるのか!?)
怒りを抑えきれず、今にも噛みつきそうな気迫を放っていた。
訓練場には、ただならぬ緊張感が満ちていた。
「……まあ、そこまでグラントちゃんが言うなら、それでいきましょうか」
エルダがやや呆れたように言い、ユーリスも小さく頷いた。
三人は改めて木剣を構え、訓練場に沈黙が降りる。
「――始め!」
合図と同時に、カイとラグレンスが魔法言語を小さく唱えた。
【ʃ’a’ven dha’luun…zarh’θek】
淡い光が二人を包み、身体強化の魔法――身体活性が発動する。
魔法が完成した瞬間、ラグレンスが誰よりも早く地を蹴った。
一直線にシリルへ向かって飛び込む。
力任せの突きと横薙ぎの連撃が、矢継ぎ早にシリルへと振るわれる。
シリルはその全てを、最小限の動きで難なくかわしていく。
だがラグレンスも、一撃一撃ごとに体勢を変え、攻撃の手を緩めない。
かわされることを読んでいるかのように、流れるような連撃を繰り出していく。
その後方で、カイが静かに機をうかがう。
ラグレンスの攻撃で生まれた一瞬の隙――シリルの注意がほんの僅かでも逸れた瞬間を見逃さず、鋭く踏み込んで援護や牽制の一撃を放つ。
二人が、それぞれのやり方でシリルを追い詰めていく――。
周囲からは、思わず息を呑む声が漏れた。
「すごい……ラグレンスもカイも本気だ……」
「動きが速すぎて見えない……」
「やっぱり、あの二人は学校でも一番なんだ……」
だが、シリルの表情はどこか退屈そうで、まるでこの状況すら“暇つぶし”のように受け流しているようだった。
戦闘が始まり、まだ一分だったが、二人は、いや見ているもの達、グラント、シエル、アルマを除く全員が驚愕していた。
二人の猛撃に対し木剣を使わず、たまに手で軌道をずらす程度、あとは最低限の動きでよけ続けている。
主任のエルダすら驚きで、グラントに言う。
「あの子、あそこまで凄いの……。そりゃグラントちゃん負けるわ……」
「うるさい。まあシリルからしたら、退屈だろうな。みろあの顔」
今にもあくびをしそうな表情をしながら、二人の攻撃をよけ続けていた。
すると、カイはその油断を逃すまいと、少し離れ魔法を詠唱する。
【ra’zelg nurv’aa…shai’thess】――氷槍群
カイの周囲の空中に魔方陣が浮かび上がり、そこから鋭く伸びる氷の槍が何本もシリルめがけて一直線に射出される。
「おっと」
シリルは初めてその場を飛び上がり、ひらりと距離をとった。
その瞬間を、ラグレンスが見逃すはずもない。
再び勢いよく追い詰める。
着地を狙って素早く木剣を振り下ろした。
だが――
シリルは、ラグレンスの木剣が振り下ろされる瞬間、最小限の身のこなしでその一撃をかわす。
そして、着地と同時にラグレンスの木剣を足で蹴り上げた。
鋭い音とともに、木剣が空中へと吹き飛ぶ。
すると――
「あ! 今の攻撃? ダメ?」
シリルは目の前のラグレンスをまるで気にしない様子で、グラントの方に振り向く。
「……いや、今のは攻撃してきた武器に対してだから、まあいいだろう」
「ああ、よかった。ごめんごめん」
シリルは吹き飛んだ木剣を拾い、ラグレンスのもとへ戻ると、何事もなかったかのように木剣を差し出した。
「それじゃ、やろうか」
まるで遊びの続きでも誘うような気軽さだった。
ラグレンスは受け取った木剣を強く握りしめ、悔しさに唇を噛みしめる。
何も当たらない――しかも自分など眼中にないような、シリルの態度が余計に胸に突き刺さる。
一方、カイはそんな二人の様子をじっと見つめていた。
彼は、ただ力任せにぶつかっても勝ち目がないと悟り、どうすれば打開できるのか、冷静に考え始めていた。
ラグレンスは、一瞬だけ目を伏せて息を整えた。
その横で、カイが小さく息を吸い、低い声で指示を飛ばす。
「ラグレンス、次は右から詰めて。僕が隙を作るから!」
カイは即座に魔法の詠唱を始める。
空中に小さな魔方陣を展開し、今度は炎の束がシリルの目を狙って走る。
その隙にラグレンスが横から突き込む――だが、シリルは炎を軽く体をずらして避けると、ラグレンスの攻撃も寸前でひらりとかわした。
「今だ、後ろに回り込んで!」
カイの声に、ラグレンスは必死に反応しようとする。
しかし、どこか動きが鈍い。
悔しさと絶望感が混ざって、体が思うように動かないのだ。
シリルは二人の動きをすべて見切っているかのように、最小限の身のこなしだけで攻撃をいなし続ける。
カイは諦めず、次々と指示を飛ばすが、ラグレンスの動きは徐々に精彩を欠いていった。
やがて、ラグレンスの目からは闘志の色が薄れ、ただ“終わらせたい”という無力感だけが残っていく――。
訓練場の隅で、グラントがぼそりと呟いた。
「……ありゃダメだな。そりゃ卒業できん」
隣でエルダも肩をすくめる。
「そうなのよね。あの子、才能も実力もあるんだけど……ほんと、もったいないのよ」
ユーリスもまた、苦笑いを浮かべながら同意する。
「ちょっとシリルさんの実力が予想のはるか上でしたが……それでもそうなんです……。一応は話してはいるんですが……これで心が折れなければいいんですけど……」
近くで聞き耳を立てていた女生徒――ラグレンスと同い年のフィオナが、おずおずと三人に声をかけた。
「……すみません、彼の何がダメなんですか?」
グラントがまず口を開く。
「序盤から全部だ。数回攻撃しただけで、シリルとの実力差ははっきりわかるはずだろ。だからカイは後ろから観察して、ラグレンスの攻撃の隙間に、合わせるように攻撃してた。でも、ラグレンスはただ木剣を振るってただけだ。相手のことも、周りのこともまるで見ちゃいない」
エルダが続ける。
「そうそう。そんな風に突っ込むだけなら、よっぽど速いとか、判断力がずば抜けてるとか、何か一つでも抜きん出てないとダメなのよ。でもラグレンスは、技も力もそつなくこなすけど、それだけなの」
ユーリスも穏やかに言葉を添える。
「でも、一番問題なのは――最後ですね。差が歴然になったとき、あの子は闘志を失って、諦めてしまった。ああいう場面でこそ、本当の冒険者としての資質が問われるんです。まだ誰かに引っ張られるタイプならまだしも、彼みたいなタイプは、危険の中で戦うことも、逃げることも諦めたら……命を落としかねません」
三人の言葉に、生徒たちは言葉を失い、静かにラグレンスの背中を見つめた。
ただ一人、シエルだけがラグレンスに少し同情するように口を開いた。
「まあ、分かる気はしますよ。シリルは別格ですもん。諦めたくもなりますよ」
その言葉に、グラントが間髪入れずに首を振る。
「けど、お前は諦めずに食らいついたんだろ?そこが違うんだよ」
「――いや、まあ……」
シエルは少し照れたように頬をかき、苦笑いを浮かべた。
そんなやり取りの横で、カイは諦めずに攻め続けていた。
最初こそ様子を見ていたが、実力差は歴然、反撃もされない。
ならばと、持てる剣技も魔法も間断なくシリルへとぶつけていく。
その間にも、ラグレンスに細かく指示を出していたが――もはやラグレンスは、剣を振る力も弱く、魔法を唱えるタイミングもどんどん合わなくなっていった。
シリルはそんな二人の様子を見て、はあと深いため息をついた。
すると、攻撃の時間になる前にも関わらず、シリルは一瞬でラグレンスへと歩み寄ると、カイが攻撃する間もなく、彼の手にある木剣を手刀で一閃――
訓練用の木剣は、魔術による強化が施されていて簡単には折れないはずなのに、まるで紙でも裂くように、あっさりと折れてしまった。
シリルは、グラントの方へ不満そうに顔を向ける。
「これ、邪魔。やる気ないなら、つまんないからやめさせてよ」
普段はあまり怒りを見せないシリルにしては珍しく、苛立ちを隠そうとしない。
シリルの苛立ちがあらわになった瞬間、訓練場の空気が凍りついた。
グラントは腕を組み、少しだけ目を細める。
「……あれが、シリルの本音だ。厳しいが、正直だな」
そう小さく呟き、しかしそのまなざしにはラグレンスへの諦めも少しだけ滲む。
ラグレンスは、折れた木剣を呆然と見つめていた。
唇をかみしめ、俯いたまま動けない。
自分が“戦う相手”としてすら見られていないこと――その現実が、悔しさと情けなさを深く突き刺していた。
カイは一瞬だけ動きを止め、複雑な表情でシリルとラグレンスを交互に見た。
「……ラグレンス、どうするんだ」と心の中で呼びかけつつ、自分自身も何か突破口がないか必死に考えていた。
周囲の生徒たちは、ただ静まり返り、誰もがシリルの一言の重みに圧倒されている。
「……あんな風に言われるなんて」「すごすぎて、もう……」と、ぽつりぽつりと小さな声が漏れる。
エルダは軽くため息をつきつつ、
「……ラグレンス、これが現実よ」と心の中で呟いた。
ユーリスも沈痛な面持ちで、
「……ここでどう受け止めるかが、大きな分かれ目だ」と見守っていた。
しばしの静寂の後、シリルが少し不機嫌そうにグラントへ声を投げる。
「ねえ、どうするの?これじゃ、やる意味ないよ」
訓練場の視線が一気にグラントに集まる。
ラグレンスはうつむいたまま、拳をぎゅっと握りしめ、何も言わない。
グラントは深くため息をつくと、肩をすくめて返した。
「……まあ、一応そいつに選ばせてやってくれ。ラグレンス、お前がもう続けられないって思うなら降りてもいいし、まだやるって言うなら続けてもいい」
ラグレンスの肩が、ほんの少しだけ震えていた。
しばらく、訓練場には重い沈黙が流れていた。
全員の視線がラグレンスに向けられるが、彼はただうつむき、答えを返せない。
やがて、シリルは無造作に木剣を投げ捨て、そっぽを向いた。
「もうやめた。つまんない」
その一言に空気がさらに張りつめる。
だが、カイがすぐにシリルの前に立ち、深く頭を下げた。
「お願いです、もう少しだけ続けさせてください!」
シリルは冷めた目でカイを見下ろす。
「だめだよ。そいつ、もう心折れちゃってるじゃん」
それでもカイは必死に、強い声で続けた。
「でも、ラグレンスは……本当はこんなところで終わるようなやつじゃありません。今は動けなくても、絶対に――立ち直れるはずなんです。だから、お願いします!」
カイの懸命な訴えに、シリルは一瞬だけ目を細め、冷たく言い放つ。
「無理だよ。あんなんじゃ、どうせまた同じことになる」
それでもカイは引き下がらない。
顔を上げ、声を強くした。
「……それでも、今ここで終わらせたくないんです!僕たちは――こんなんじゃ終われません!」
シリルは肩をすくめて背を向ける。
「しつこいなあ。もう興味ないよ。やめるって言ったでしょ」
それでもなお、カイは食い下がる。
「どうしても、お願いします……! もう少しだけ、絶対に彼は立ち直れます!だから、お願いします――!」
そこまで言われて、シリルは立ち止まり、振り返る。
その目には、ほんのわずかな苛立ちが混じっていた。
「……うるさいなあ……」
その瞬間、場の空気が一変する。
シリルから鋭い殺気が放たれ、訓練場全体を圧倒する。
グラントは「まずい!」と直感し、すぐさまシリルを止めようと動く。
エルダも慌ててその後に続いた。
ユーリスは一瞬、殺気に呑まれ動けなくなる。
生徒たちはみな、恐怖にすくみ上がり、動くことができなかった。
ただ一人と一匹、シエルはおでこに手を当てどこか呆れたような表情で、アルマはにやりと口元をゆるめながら、ごく自然にその場に立っていた。
カイとラグレンス、そしてシリルの間に、グラントとエルダが素早く立ちはだかる。
だが、シリルはなおも殺気を収める様子を見せなかった。
グラントが、低く諭すように言う。
「それ以上はやめておけ。この前の試合と違うぞ。それ以上やるなら、俺も本気で殺しにかからないといけねぇ」
すぐさまエルダも、優しくも真剣な口調で続けた。
「シリルちゃん。それはさすがにやりすぎじゃないかな?」
二人は口調こそ穏やかだったが、その立ち姿には本気の警戒心と緊張が滲んでいた。
二人の後ろで、カイは全身をこわばらせながらも、必死に木剣を構えていた。
ラグレンスはその場に尻餅をつき、顔を強張らせて動けない。
――重苦しい沈黙。
シリルはちらりとカイとラグレンスに視線を流す。
二人の顔を一瞥し、すぐに興味を教師たちへと戻した。
「止めるの?二人がかりで?一人じゃ止められないの?」
シリルが小さく肩をすくめて、二人を見上げる。
グラントが鼻を鳴らす。
「なんだ? いっちょ前に挑発か。年下に舐められたもんだな……」
シリルはちらりとエルダに目を向け、わざとらしく言う。
「エルダ主任、どうするの?ここの責任者なんでしょ?止められなかったら困るんじゃない?」
場の空気がさらに張り詰める。
他の生徒たちは息を呑み、教師陣にも緊張が走る。
グラントがおい!と言いつつ一歩踏み出そうとしたが、エルダが手を伸ばして静かに制した。
「グラント、ここは私がやるわ」
エルダはシリルを正面から見据え、微笑みを浮かべながらも、その目は本気の光を宿している。
「わかったわ、シリルちゃん。ここを預かる身としても、あなたの“その気持ち”からは目を逸らせない。ちゃんと指導するのが私の役目だから――しっかり受け止めるわよ」
その瞬間、シリルの口元が緩み、ぱっと顔が明るくなる。
「よし!」と小さく声がもれ、思わず木剣を握る手にも力がこもった。
今まで張り詰めていた殺気も、まるで嘘のようにすっと消える。




