第四十三話:冬の空に舞う脅威
翌朝から、新しい刀を腰の後ろに、シリル達はギルドへと向かう。
冬の朝は冷たく澄みわたり、まだ街が寝静まっているうちから、白い息を吐きながらギルドの掲示板へと足を運ぶ。
その日こなす依頼を選ぶ。
もっとも、今受けられるのは危険度の低い簡単なものばかり。
冬特有の薬草や珍しい草花の採集、森や川での小動物の捕獲、時には魔獣の毛皮や肉の調達――地道な仕事の繰り返しだった。
見慣れぬ土地の森も、冬の装いでシリルを迎える。
霜をまとった葉や、ぱりぱりと凍った地面の感触。
息を吸い込めば、どこかきりりとした冷気が胸を満たしていく。
葉の形も、花の色も、聞き慣れない鳥の声も、何もかもが新鮮で、シリルは時折立ち止まっては夢中で観察し、アルマやシエルにあれこれと話しかけていた。
「見て、これ、森にはいなかったやつだよ! 雪の下に生えてた。なんか、変な匂いする……」
そんな調子で薬草を摘んでは、シエルに笑われたり、せっかく捕まえた小動物をアルマがぺろりと食べてしまい、慌てて依頼内容を確認し直す羽目になったり――
ささやかな失敗や騒動も、どこか楽しげな日々だった。
それでも、森で鍛えた体と感覚は役に立つ。
難なく雪の下から草花を見分け、危険な魔獣の気配にもいち早く気づき、時には他の冒険者に感心されることもあった。
シリルが生き生きと街や森の景色に目を輝かせるたび、シエルとアルマはその背中を見守っていた。
時に呆れ、時に笑いながらも、一人と一匹――その眼差しには確かな温かさがあった。
こうして、凍てつく空気と白い息の中で、小さな冒険の日々が静かに、しかし着実に積み重なっていくのだった。
冬の朝、ギルドの建物の前には、珍しく人だかりができていた。
入り口脇の目立つ場所に、赤い印付きの緊急依頼の紙が掲げられている。
一際目立つ場所に、赤い印付きの緊急依頼の紙が貼られている。
【緊急案件 Fランク以上/魔力行使可能な冒険者限定】
被害地:ロスヴィータ町(クアガット管轄)
原因:氷羽虫の大規模群飛と推定
症状:神経麻痺、意識混濁、家畜被害多数
対応:討伐/毒鱗粉除去/住民救助/調査
※魔力耐性・魔法必須。迅速な協力を求む。
張り出された緊急案件に、冒険者や見習い、町の人々までがざわつき、掲示板の前には人だかりができている。
だが、その多くは条件を満たせず、ただ不安そうに貼り紙を見上げているだけだった。
――半年前の森や山岳地帯の立ち入り禁止以来、もともと少なかったFランク以上の冒険者は他の支部へ流れ、ほとんど戻っていない。
実際に参加できる者はごくわずかしかいなかった。
ギルド職員たちも、心なしか焦りと切迫感を隠せない様子だ。
「グラキアリス……パピリオ……?」
見慣れない横文字名に、シリルは首をかしげる。
その隣で、シエルが紙に目を通しながら説明した。
「これ、冬になると森や雪の中で群れになって飛んでる、青っぽい虫……夜になると、雪の上が青く光ることもあって――」
「あ――」
シリルの顔にぱっと明かりが灯る。
「それ、知ってる! 森で見たことあるよ。すごくきれいな虫だった……」
「でも、その鱗粉が町の人や家畜には毒になるみたい。魔素に慣れてないと、痺れたり動けなくなったりするって」
シエルの説明に、冒険者や職員たちも静かにうなずく。
ギルド職員がやや切迫した声で呼びかける。
「魔法を扱える方、討伐、鱗粉除去、住民の救助――協力できる冒険者は、ぜひ登録を!」
こうして、参加資格を持つ冒険者たちは北の城門前に集合することになった。
城門の手前、シリルとシエルは人気のない場所に向かい、そこでアルマがそっと姿を現す。
二人はアルマを引き連れ、皆の前へと歩み出た。
冬の朝の冷たい空気の中、門前には十数人ほど――四つのパーティと、単独参加の冒険者が数人だけ。
かつて賑わっていた頃と比べれば、あまりにも寂しい人数だった。
その少し離れた場所には、衛兵たちが隊列を組んで待機している。
アルマの姿が現れると、衛兵たちは「魔獣か!?」と一斉に身構え、警戒の色を浮かべる。
しかし、その場にいた冒険者たちが「ああ、例の銀狼だ」「心強いな」「今回は頼りにしてるぞ」と声をあげ、すぐに場の空気が和らいでいく。
衛兵たちも、使役紋は見えないものの、「なんだ、使役魔獣か……」「狼種は珍しいな」と納得した様子で武器を下ろした。
シリルとシエルも、冒険者たちに応えるようにうなずき、隊列に加わった。
――副支部長のグラントが腕組みで見守るように立っていた。
そして、今回の現地責任者――部隊長としてマーカスが名簿を手に皆の前に立つ。
「今回、冒険者組は討伐班と鱗粉除去班の二つに分かれてもらう。
現地での安全確保と住民救助、それと医療対応は、クアガット衛兵小隊と医療班が主に担当する。
班ごとに連携し、互いにサポートし合うこと。
現地では私の指示を優先とするが、班長の判断も尊重する」
その後、クアガットの衛兵小隊の前に立った中年の男、隊長――ヘルマンが全員に向けて声を張った。
「クアガット衛兵小隊、隊長のヘルマンだ。我々は現地の安全確保と住民誘導、救助、医療班との連携を第一とする。――魔獣の討伐や毒鱗粉の除去については、冒険者諸君の専門分野だ。私たちは、君たちの勇気と経験に敬意を払っている。どうか力を貸してほしい」
その率直な言葉に、集まった冒険者たちの中にも、緊張の中に誇りと責任感が生まれていく。
そんな中、シエルがそっと周りに小さく声をかけた。
「……がんばろう」
その言葉に、シリルも黙って静かにうなずく。
やがて合図とともに、
討伐班・除去班・衛兵小隊・医療班――小さな連合部隊が、青い鱗粉に覆われた町・ロスヴィータへと動き出した。
馬車と徒歩で一行はうっすら雪の積もる街道を進む。
道中、皆の顔には緊張が浮かび、言葉少なに雪道を進んだ。
そんな中、シリルだけはどこか楽しげに、白く染まる景色や見知らぬ風景をきょろきょろと眺めていた。
数時間後、ロスヴィータの町外れにたどり着いた。
遠くからでも、町を包む異様な雰囲気が感じ取れる。
屋根や畑、道端の木々までもが、青白い粉雪に覆われたようにうっすらと光っていた。
「……これが、鱗粉か」
シエルが息を呑み、仲間たちも無言で町の様子を見つめる。
マーカスが、全員を手早く集めて現地での最終確認を行う。
「これより班ごとに現場へ向かうが――医療班は鱗粉の濃度が低い町の外れに拠点を設営する。
安全が確保され次第、救助班・衛兵と連携して負傷者を順次運び出す方針だ。
討伐班、除去班は各自の判断で状況を確認しつつ、くれぐれも鱗粉を吸い込まぬよう魔力で防御を徹底するように!」
衛兵小隊のヘルマン隊長も、手早く部下たちを振り分ける。
「衛兵は住民の捜索と誘導、町の安全確保を優先!
魔獣が出た場合は無理に戦わず、すぐ討伐班へ連絡しろ。
医療班はここで待機、必要なら我々が護衛に就く!」
医療班はすぐさまテントや荷車を使って臨時の救護所を作り始めた。
薬師や回復魔法士だけでなく、街の診療所の医師や助手も混じっているため、魔力の扱いに慣れていない者たちは、鱗粉の飛散を警戒して少し離れた安全地帯で動き始める。
冒険者たちは班ごとに町へ向かいながら、白い息を吐き、ひときわ鋭い緊張感の中で、それぞれの役割を胸に歩き出した。
町中には、ぐったりした家畜の姿も見え始めている。
氷羽虫――グラキアリス・パピリオの群れは、いまもどこかに潜んでいるはずだ。
町の外縁では、二つのパーティ――除去班が、すでに魔法による連携作業を進めていた。
まず、数人が風魔法を駆使し、鱗粉とそれを含んだ雪を、極力飛散させぬよう、そっと地面から撫で取るように集めていく。
その隣では、また別の者たちが魔法で簡単な障壁――透明な魔力の囲いを構築していた。
集められた鱗粉と雪は、その内部へ慎重に運び入れられる。
準備が整うと、残った者が合図とともに呪文を唱える。
障壁の中にたまった鱗粉と雪が、淡い炎に包まれ、無害な灰へと変わっていく。
すべての作業は、一瞬の油断もなく、息を合わせて繰り返された。
「絶対に、鱗粉が外に出ないように!」
「集めるときは、風を弱めに――慎重に!」
冒険者たちは鱗粉の毒性をよく理解していた。
ほんの少しの油断が、町中や町の外に新たな被害を広げることになる。
誰もが真剣な表情で、協力して除去作業にあたった。
討伐班は、雪と青い鱗粉に染まった町の奥へと進んでいく。
その後ろでは、クアガット衛兵小隊が隊長ヘルマンの指示のもと、住民を一軒一軒から運び出し、無事な者を安全な場所まで誘導していた。
意識を失った住民や、動けなくなった家畜には応急処置を施し、必要に応じて医療班の待つ町外れの救護所へと急ぎ運び出していく。
安全の確保や道の確保にも目を配りつつ、討伐班と連携しながら、町の混乱を抑えるため奔走していた。
物置や納屋、古い井戸や庭の木陰――人の出入りが少ない屋外の隙間や影に、赤ん坊ほどの大きさの氷羽虫たちがひっそりとうずくまっていた。
廃屋となった小屋の軒下や、倉庫の壁際、屋根の裏など、どれも冷たく湿った場所ばかりだ。
その一体に近づいた瞬間――
氷羽虫が、何かに気づいたように一斉に翅を震わせ、ぶん、と重い羽音を響かせて舞い上がった。
その巨体が宙を滑空するたび、鋭い冷気と青白い鱗粉が空中に撒き散らされる。
中には翅の先から魔力のこもった凍気を、鋭い風の刃のように解き放つ個体もいる。
「くっ……やはりただの虫じゃないな!」
「なりはでかい虫だが、氷羽虫は魔獣! 気をつけろ!」
討伐班の冒険者たちが咄嗟に魔力障壁を展開するが、氷羽虫たちはその上から執拗に鱗粉と冷気を浴びせかけてくる。
魔法を使う者の体にじわじわと痺れと寒さが侵食し、身動きが鈍る。
剣士が前へ出て斬りつけても、冷気のバリアと分厚い体毛で容易には傷が通らない。
魔法で撃ち落とそうとした者も、予想以上の素早さで舞い上がる氷羽虫の動きに翻弄される。
「やばい、囲まれるぞ!」
「落ち着け――連携を崩すな!」
戦いの渦のすぐ背後では、ヘルマン隊長が衛兵小隊に素早く指示を飛ばしていた。
「隊列を広げろ! 絶対に住民や負傷者を戦闘に巻き込むな!」
「討伐班の援護につけ! 隙を見て、氷羽虫を引き付けろ!」
衛兵たちは住民の退避路を確保しつつ、持ち場ごとに障害物を築き、魔獣の攻撃が冒険者以外に及ばぬよう盾を構えて壁を作る。
一部の衛兵は討伐班の背後でサポートに入り、必要に応じて武器で氷羽虫を牽制したり、負傷者を素早く下がらせていく。
誰もが緊張感に満ちた表情で、自分の役割を果たしていた。
討伐班の誰もが苦戦を強いられつつも、仲間と声を掛け合い、衛兵小隊の的確な援護を背に受けながら、魔獣と化した氷羽虫たちの群れに、懸命に立ち向かっていく――




