第四十二話:新しい日常、新しい刀
鍛冶師の店をあとにした三人は、ギルドへと向かった。
今夜からはシリルが自分の部屋を借りたため、ギルドの宿舎を使わないことを伝えるためだ。
受付には、帳簿をまとめていたレナがいた。
シリルが近づくと、レナは顔を上げ、穏やかな笑みを浮かべる。
「おかえりなさいませ、シリルさん、シエルさん」
「……今日から、借家の部屋に泊まることになりました。だから、もうギルドの宿舎は使わなくて大丈夫です」
シリルが少し照れたようにそう伝えると、レナは一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐにやわらかい微笑みを浮かべた。
「そうですか……ご連絡ありがとうございます」
そして、ほんの少し寂しそうに目を伏せる。
「みなさんが宿舎からいなくなると、少しだけ寂しくなりますね」
そう言って、また優しい表情に戻る。
「でも、新しい部屋で、ゆっくり休んでくださいね。何か困ったことがあれば、いつでもギルドまでお越しください」
「はい。ありがとうございました」
シリルが頭を下げると、レナも丁寧に会釈する。
そのとき、ふとレナが思い出したように言葉を添える。
「あ、あと、ハドリーさんから言伝があります。実はお二人からご報告を受けた後、出かけておりまして、数日は戻らないそうです。特例依頼の件と学校の件は、戻り次第、改めてご案内するとのことです。ご不便をおかけしますが、しばらくお待ちいただけますでしょうか」
「はい、わかりました」
「ご丁寧にありがとうございます」
二人は軽く頭を下げてギルドをあとにした。
ギルドでの報告を終えた三人は、夕暮れの街へと足を向けた。
並んで路地を歩きながら、久しぶりに穏やかな時間を感じる。
「やっぱり、こうして街を歩くのはいいね」
シエルがそう言い、シリルも「うん」と楽しそうに頷いた。
賑やかな通りには、屋台や食堂から温かい料理の香りが漂ってくる。
今夜はギルドの食堂には寄らず、街角の小さな食堂でそれぞれ好きなものを注文することにした。
ただし、アルマは人目を避けて影に潜んだままなので、食事は持ち帰りになる。
「……くそ、また俺だけ」
影の中から不満げな声が漏れる。
「仕方ないよ、アルマ。……あとでちゃんと部屋であげるから」
シリルがそうなだめると、アルマは渋々静かになる。
そのやり取りに、シエルも思わずくすっと笑った。
アルマの食事を手に、三人は再びアパートへと戻る。
部屋の前で「おやすみ」と軽く声をかけ合い、それぞれの部屋へと入っていった。
部屋に入ると、シリルは紙包みを開いた。
中には、香ばしい匂いが立ちのぼる「獣角鳥のスパイス焼き」や、「魔獣牙猪の燻製肉」が並んでいる。
影の中からアルマが待ちきれずに顔を出す。
「ほら、アルマ。今日は獣角鳥の肉と、獰牙猪の燻製肉だよ」
「……ふん、毎回我慢させられて……」
アルマはぶつぶつ文句を言いながらも、肉の包みに頭を突っ込むと、あっという間に食べ終えてしまう。
シリルが苦笑しながら、もう一切れ肉を差し出すと、ようやく満足げな表情を見せて床に丸くなった。
そんなアルマを見て、シリルもほっとしたように小さく笑う。
「……なんだか、少し変な感じだね」
シリルがぽつりとつぶやくと、アルマは「すぐ慣れるさ」とでも言うように目を細めてうなずいた。
一方、シエルも自分の部屋へと戻った。
扉を閉めると、半年ぶりの静寂が広がる。
仲間を失って以来、この部屋に帰ることなく、慌ただしく日々を駆け抜けてきた。
気がつけば、ずっとシリルと寝泊まりし、ひとりで夜を過ごすことさえなかった。
ベッドに腰を下ろし、ふと部屋を見回す。
半年分の埃が積もった棚や、置きっぱなしのままの小物。
どれも変わっていないはずなのに、どこか遠い場所のように思えた。
「……こんなに、静かだったっけ」
誰もいない部屋に、自分の声だけが響く。
本当に一人きりで向き合う夜は、仲間を失って以来、これが初めてだった。
それでも――
壁一枚向こうには、今は新しい仲間がいる。
シリルとアルマの気配を感じながら、シエルはそっと目を閉じる。
しばらく静かな夜に身を預けながら、失ったものと、これからの日々のことを思い、ゆっくりと深呼吸した。
朝――。
シリルは支度を終えて部屋の鍵をかけると、隣のシエルの部屋の扉を「トントン」と軽く叩いた。
「……おはよう、シエル」
扉が少しだけ開き、寝間着姿のシエルが顔を出す。
まだ寝ぼけ眼で、髪もどこか乱れている。
「おはよう、シリル。ごめん、ちょっと待ってて。さっき起きたところで……」
そう言いながら、シエルは目元をこすり、ふとシリルの服装に気づく。
昨日とまったく同じ、森で過ごしていたときから変わらない一張羅だった。
「ねえ、シリル。……その服、昨日と同じじゃない? 洗濯した?」
シリルはきょとんとした顔で首を振る。
「ううん、してないよ。これしか持ってないし」
「え――ああ、そうか」
シエルはすぐに合点がいったように頷き、少し考え込む。
「……そっか。じゃあ今日は、バルグレンさんのところに行く前に、替えの服を買いに行こう。さすがにそれ一着はまずいよ」
「バルグレン?」
「昨日の鍛冶師さんだよ。……そういえば名前、言ってなかったね。まあ、そういう人なんだ」
シエルはくすりと笑い、「ごめん、ちょっと着替えてくるから待ってて」と部屋へ戻る。
数分後、扉が開く。
防具を最小限に抑えた軽装姿に、髪もいつもより丁寧に整えられ、どこか雰囲気の違うシエルが現れた。
「お待たせ。それじゃ、行こうか」
シリルはじっとシエルを見上げ、「……なんか、いつもと違うね」とぽつり。
「そ、そう? ちょっとだけ頑張ってみたんだけど……」
「そうなの? 今日の方が軽装で簡単そうだけど」
「……えーと、そうじゃなくて……」
シエルは少し困ったように言葉を濁し、あきらめたように小さく笑った。
シリルは、横で首をかしげていた。
アパートを出て街道を並び歩きながら、シエルは改めてシリルの服をじっと見つめる。
「……その服、どこで手に入れたの? あんまり見かけないデザインだけど」
シリルは何気なく答える。
「これ? 森の中でね、闇蜘蛛っていうでかい蜘蛛に作ってもらったんだ」
シエルは一瞬絶句し、思わず立ち止まる。
「――えっ、闇蜘蛛……!? あの、魔獣の?」
驚きのあまり、声が少し震える。
「……信じられない」
シエルが驚くのも無理はなかった。
闇蜘蛛は、冒険者の間で非常に有名な魔獣だ。
最大の理由は、その糸がとても軽くて丈夫なうえ、魔力をよく通すため、特別な防具や衣服の素材として重宝されていることにある。しかし、その糸を手に入れるのは簡単ではない。
そもそも闇蜘蛛は生態が謎に包まれており、姿を目撃することすら稀だ。長く生きた個体は知能が高く、巧妙な罠や奇襲で冒険者を苦しめる。さらに、若い個体が群れを成すこともあり、Cランク以上の冒険者ですら油断できない危険な存在だった。
拠点を見つけるのも難しく、糸が市場に出回ること自体が稀。そのため闇蜘蛛の糸は高値で取引され、多くの冒険者が一度は手にしたいと憧れる希少な素材なのだ。
シエルはしばらくシリルの服を見つめた後、改めて彼に目を向ける。
「……その糸って、本当に強くて美しいんだよ。ギルドでも高値で取引されてるくらいなのに――それで服を作ってもらったなんて、本当にすごいことなんだから」
シリルはシエルの言葉に首をかしげる。
「んー、でも悪い奴じゃなかったよ。ぶつぶつ文句は言ってたけど、ちゃんと服作ってくれたし」
シエルは呆然としたまま、しばらくシリルを見つめていた。
「……すごいな、シリルは。本当に……普通じゃ考えられないことばっかりだよ」
シエルは改めてシリルの服をしばらく眺めてから、静かに口を開いた。
「その服、それと同等かそれ以上ってなると、普通のお店じゃなかなか見つからないし、あったとしても高すぎて今はとても買えないよ」
「じゃあ、どうするの?」
「部屋に戻ったときに洗濯できるように、寝間着や普段着を買おう。洗濯、大事だからね!」
シリルは「別に困ってないけど……」とぼそりと呟いたが、シエルの勢いに気圧され、しぶしぶうなずいた。
――その日の午前、ふたりで仕立屋をまわることになった。
店に入ると、シエルはあれこれ生地を触りながら、「こっちがかわいい」「これ、シリルに似合いそう」などと言って、どんどん服を手に取っていく。
シリルはよく分からないまま、次々と試着をさせられ、まるで着せ替え人形のようだった。
その様子を影の中から見ていたアルマは、思わず苦笑いしながらシリルに念話を送る。
『……ご愁傷さま。お人形役も板についてきたな』
シリルは内心で小さくため息をつきつつも、シエルの楽しそうな顔を見て、なんとなく断れなくなっていた。
結局、シリルはシエルに言われるまま、いくつもの服を試着する羽目になった。
店を出る頃には、すっかり疲れていたが、シエルの満足そうな笑顔を見ていると、まあ悪くはなかった、と思えてくる。
新しい服を袋に詰めてもらい、三人は連れ立って通りを歩き出す。
「次は……鍛冶工房だね」
シエルが軽やかに言い、シリルもそれにうなずいた。
バルグレンの鍛冶工房には、変わらぬ熱気と金属の匂いが満ちていた。
扉を開けて中に入ると、バルグレンは作業の手を止めずに、ちらりと二人を一瞥する。
「こんにちは、バルグレンさん」
シエルが丁寧に声をかける。
「……来たよ」
シリルも小さく挨拶を添える。
バルグレンは短くうなずくと、無言で作業台の奥に手を伸ばす。
「……シエルの剣はこれだ」
ごつごつした手で、仕上がった剣を静かに持ち上げる。剣身には、微細な粒子がきらめいていた。
「今までの幻晶鉄に……星霞鉱を混ぜた。魔力の通りが、前よりずっと良い」
バルグレンはそうだけ言うと、今度はすぐに作業台の奥に手を伸ばし、黒ずんだ鞘に収められた一本の刀を静かに持ち上げた。
「……こっちも、できてる」
そう一言だけ添え、シリルの前にそっと差し出す。
鞘も柄も装飾のない黒一色。
鍔はなく、細身でわずかに反った短い刀だった。
抜けば、片刃の白銀の刃と、中央に走る暗い銀色の光沢が現れる。
光を受けるたび、刀身は淡く蒼く輝き、ただの武器ではない静かな美しさと迫力を放っていた。
「……刀身には硬い夜鉄を使ってある。夜鉄は魔力を通さねぇから……魔力伝導を高めるために星雫鉱を加えた」
「おお! かっこいい!!」
シリルは刀を手に取り、鞘を抜いてその輝く刀身を見つめる。
「……まだ未完成だ。使いこなしてみろ」
「うん! あ、お金いるんだよね?」
「――金貨10枚(100,000リル)だ。それを使って稼いで来い」
シリルは一瞬きょとんとしたが、すぐに「……けっこう高いんだな」と小さく呟いた。金銭感覚には自信がないが、それでも簡単に出せる額ではないと分かる。
横で聞いていたシエルも思わず目を見張る。
「……すごい額だね」
バルグレンはちらりとシエルに視線を向ける。
「お前のは磨きと加工代で銀貨四十枚(4,000リル)。あとで構わん」
「……うん、ありがとう。ちゃんと払うよ」
店を出て通りに出ると、シエルが感心したように言った。
「金貨10枚なんて……本当にすごいね」
歩きながら、シエルはシリルの方に顔を向ける。
「バルグレンさんって、自分が作った剣で“その人がすぐ稼げる額”を値段にするらしいんだ。私もそうだったよ……まあ、私はもっと安かったけど」
少し苦笑するシエル。
「だから、今シリルがお金なくても心配せずに紹介できたんだ。後で払えばいいから――でも、金貨10枚なんて本当にすごいよ。それだけの価値が、シリルの刀とシリル自身にあるってことなんだから」
シリルは驚いた顔で自分の刀を見下ろし、思わず「へえ……」とつぶやいた。
手にした刀の重みを改めて感じながら、静かに歩き出す。
まだ自分の力に自信はないけれど、不思議と心は軽かった。
「……よし、頑張ろう」
小さくつぶやいた声に、シエルがふっと笑みを浮かべる。
冬の空気のなか、ふたりの足音が石畳に優しく響く。
これからどんなことが待っているのか、胸が少しだけ高鳴る。
そうして、ふたりはゆっくりと街の賑わいの中へと溶け込んでいった。




