第三十八話:断崖の背骨の異変
朝、ギルド支部長室。
シリル、シエル、アルマの三人は、ハドリーに呼ばれて再び部屋を訪れた。
「まずは、君たちのこれまでの働きに感謝します。とくに断崖の背骨での活躍と解決は、本部にも伝えてあります」
ハドリーはそう言い、机上の書類に目を落とす。
「実は、クアガット周辺での異常調査をもう一度、正式に依頼したいのです」
シリルとシエルが顔を見合わせた。
「グラントさんも一度調査していますが、三か月前――君たちが場所を移した頃、エルディア領本部の指示で調査範囲が広がったんです。そのせいで、クアガット周辺の調査が後回しになってしまって……断崖の背骨でも異変は感じていましたが、グラントたちでも核心には届きませんでした」
ハドリーは少し息を整える。
「でも今なら、任せられる。シエルさんのこの半年の成長――そしてシリルさんとアルマさんの実力。報告を見ても、“ランクを度外視して”十分に信頼できると私は思っています」
ハドリーは真剣な眼差しで、二人と一匹を見つめた。
「これは支部長権限による特例依頼です。断崖の背骨周辺の再調査、そして必要があればさらに広い範囲の異常も調べてほしい」
深く頭を下げるハドリー。
「――君たちの力が本当に必要なんです。どうか、お願いします」
シリルとシエルは、しっかりとうなずき合った。
ハドリーは改めて二人の顔を見て言葉を続けた。
「ただ、君たちは戻ってきたばかりでしょう。しっかり休んで、体力を回復してからで構いませんよ」
だがシリルは、迷いなく首を振る。
「大丈夫。すぐ行こう」
シエルも笑みを浮かべてうなずいた。
「そうだね、今ならすぐ動けるよ」
ハドリーは少し心配そうに尋ねる。
「本当に大丈夫ですか?」
シエルは柔らかな表情で答える。
「はい。一晩ベッドで寝られただけで、すごく回復しました。修行の間は、夜も気を抜けなかったので……ちゃんと眠れるだけで、全然違います」
ハドリーは微笑みながら、二人と一匹を見送る。
「……頼もしいですね。くれぐれも気をつけてください」
こうして、三人は新たな調査へと出発した。
三人は装備を整え、クアガットの街を出発し、再び断崖の背骨へと向かった。
険しい山道を進み、かつて人工魔石があった山奥を目指していく。
道中、以前よりも空気がわずかに穏やかになったとはいえ、周囲にはまだ荒々しい自然の名残と、どこか張り詰めた気配が残っていた。
「……前よりは、少しだけ静かになった気がするね」
シエルが歩みを緩め、周囲を見渡す。
「うん。でも……」
シリルがふと足を止め、じっと前方を見つめる。
「あっちの方……人の気配がする」
アルマも鼻をひくつかせて、短く唸る。
言われてシエルも意識を集中させる。
たしかに、人工魔石があった付近――そこから、誰かの気配が伝わってきた。
「……本当だ。誰か、いる……」
アルマがぽつりとつぶやく。
「気づくのが、遅い」
シエルは苦笑しながらも、警戒心を高め、物音を立てずに進み始めた。
岩陰や茂みを選びながら、相手に気づかれぬよう、ゆっくりと距離を詰めていく。
やがて、視界の奥に人影がぼんやりと見えてきた。
まだ向こうには気づかれていない。
茂み越しに様子をうかがうと、五人ほどの男女がいた。
二人が地面に残された人工魔石の破片を拾い集め、手に取りながら何やら話し合ってい様子だ。
残る三人は周囲に目を光らせ、油断なく警戒している。
だが、どこか違和感があった。
……不自然なほど、音がない。
耳を澄ませても、足音も衣擦れも、木の葉の揺れる音さえも、まるで感じられなかった。
よく見ると、彼らの足元には淡く揺らめく紋様――魔方陣が複数、展開されている。
「……あれ、気配を消す魔法だ。無音結界……」
シエルが小声で囁く。
「中にいると、外に気配も音も漏れない。かなり高等な術だよ」
シリルは小さく「へー」と呟きつつ、じっと様子を観察する。
「……壊してからすぐだし、人工魔石を置いた人たちかな?」
アルマが短く答える。
「十中八九、そうだろう」
シエルは険しい表情を浮かべる。
「でももし万が一、他の地域の冒険者とか、何かの調査隊だったら……いきなり攻撃するわけにはいかないなあ」
シリルが低く言う。
「冒険者の人とかが、わざわざ音消すかな……?」
「まあ、周りを警戒するって意味なら、おかしくはないと思うよ」
シエルが応じる。
「めんどうだなあ……全員食っちまえば証拠が残らないぞ」
すかさずシエルが、呆れたように小声で止める。
「それはさすがにやめて」
三人は互いに目配せを交わし、軽率に動けない状況を確認し合った。
しばし身を潜めて観察を続けた後、三人は小声で作戦をまとめた。
「アルマは少し離れて警戒を頼む。何かあったら、すぐ知らせて」
シエルが静かに指示を出すと、アルマは素直に頷いて姿を消す。
「じゃあ、私たちは……」
「うん。調査に来た冒険者として話しかける。堂々としてれば、不審に思われないはず」
シエルとシリルは茂みから離れ、互いに服の乱れや装備をさりげなく直す。
気配を消していた力を解き、二人は意図的に音を立てながら獣道を堂々と進んでいく。
足音や話し声が、静かな山奥に自然に響き渡る。
人工魔石があった場所へと近づくと、見張りをしていた三人がこちらに気づき、警戒の色を強める。
シエルがまず一歩前に出て、明るい声で呼びかけた。
「こんにちは。調査の依頼で来たんですけど――」
その声に、場の空気がぴりりと張りつめた。
見張り役の三人は、シリルたちに気づくと、一瞬だけ目を見合わせた。
すぐに三人の視線が、魔石回収をしていた男の方へ集まる。
男はその視線を受け、顎をくい、と僅かに上げる。
たったそれだけで、その場の空気が男を中心に締まるのがわかった。
女も男の動きに合わせて身構える。
――直後、三人の周囲に巨大な魔方陣が複数、空中に淡く浮かび上がった。
魔方陣から放たれる強烈な魔力の気配に、シエルはすぐに察知する。
「あれは……中位攻撃魔法、烈火槍・轟雷衝・氷牙弾……!」
咄嗟に、シエルも障壁魔法守護障壁を詠唱しようとした――
だが、その魔法が放たれることはなかった。
三人の魔方陣が展開される直前、
シリルとアルマはすでに殺意を察知して動いていた。
シリルは両手に雷の槍を構え、
アルマは口の奥に青白い雷を集める。
魔方陣が完全に現れた刹那、
二人の動きが重なる。
シリルの両手から放たれた雷槍が空気を裂き――
アルマの咆哮とともに、口から一直線に青白い雷撃が放たれる。
稲妻の閃光は、見張り役の三人の頭部を一瞬で貫通し、
そのまま背後の岩や太い木々までをも巻き込み、まとめて吹き飛ばした。
焼け焦げた破片が地面に散り、あとには呆気ないほど静かな静寂だけが残る。
三人の見張りが消し飛び、場に静寂が戻る。
シエルは状況を受け止めきれず、思わず声を上げる。
「シ、シリル……一体なにが――」
そう言ってシリルの方を向いた瞬間、すでにシリルの姿は消えていた。
その言葉が終わるよりも早く、回収役の二人もまた、一瞬のうちに運命を分けられる。
男の目の前に、突如仮面の少年――シリルが現れる。
手に込めた魔力を刃のように鋭く変え、男に振りかぶる。
男も即座に反応し、短剣を抜いて構えるが――その刃ごと片腕が斬り落とされ、続けざまに片足も容赦なく切断される。
「ぐあっ!」
叫び声が響いた。
一方その隣では、驚愕で動けずにいた女が、素早く回り込んだアルマに頭ごと噛み砕かれていた。
骨ごと砕ける音が響き、女の首から下は遠くへ投げ飛ばされる。
本当に、ほんの数秒の出来事だった。
シエルはただ目を見開き、何もできずその光景を見つめるしかなかった。
アルマは女の頭部だったものをぺっと吐き捨て、呟く。
「まずいな……」
シリルは倒れた男の切断面に手をかざし、魔力を込めて一気に凍らせた。
切断面から湯気が立ち、冷気が走る。
「ぎゃああっ!」
痛みと冷たさに、男は再び絶叫する。
いつの間にか、周囲を包んでいた無音結界も消えていた。
おそらく、今の二人のどちらかが維持していたのだろう。
シリルはわかりやすく、手のひらに魔力を集め、今度は氷の刃を作る。
そのまま、痛みでのたうつ男の顔の前に突きつけ、淡々と問いかけた。
「君たちは何なの? 何をしてるの?」
男は血と汗にまみれながら、歯をガチガチ鳴らしつつ、絞り出すように答えた。
「……人工魔石の回収を、頼まれた……発見者がいれば……“消せ”って、言われてたんだ……」
「誰に?」とシリルは間髪入れずに問い詰める。
「し、しらねえ! ほ……本当に知らねえんだ!」
シリルは小さく「そう」とだけ呟くと、今度は男のもう片方の腕へと氷の刃を向けた。
だが、その瞬間――
死体がいくつも転がる、目を覆いたくなるような惨状に、膝をついて震えていたシエルが、震える声で叫ぶ。
「やめて、シリル! もうやめて!!」




