第三十五話:シエル VS グラント
ギルド本部の奥、石畳の廊下を抜けると、冬の冷たい風がほんのわずかに吹き込んでくる。
そこには高い石壁に囲まれた、広々とした屋外訓練場が静かに広がっていた。
普段なら冒険者たちの声や武器の音が響き渡るこの場所も、今日は異様なほどの静けさに満ちている。
それもそのはず、グラントは支部長室に向かう前、事情を知るマーカスとレナにだけそっと告げていた。
「――今日は、誰も近づけないでくれ」
それは、ただの鍛錬ではない。
グラントは初めから、シエルの“今”を見極め、真剣に試すつもりでいた。
手配はすでに済み、訓練場にいるのは、マーカス、レナ、ハドリー、そしてシリルだけ。
やがて中央に、グラントとシエルが向かい合う。
シリルの足元からは、好奇心を抑えきれずにアルマも静かに影から現れる。
冬空の下、石壁に囲まれた静謐な空間。
四人と一匹が、ただ二人の戦士を見守る。
張りつめた空気の中、グラントは密かに目を細める。
――弟子の成長、そのすべてをこの一戦で確かめるために。
静寂を切り裂くように、二人は武器を構えた。
二人は静かに向かい合う。
グラントが握るのは、人の背丈にも迫る巨躯の大剣――破城剣。
柄のない刀身の背には、握り穴が二つ空けられているだけ。
グラントはその穴に分厚い手を通し、無骨な鉄塊を自在に振るう。
斬るためではなく、城壁さえ叩き砕くための暴力――その象徴。
対するシエルの手には、青白い光を帯びた細身の剣――蒼銀剣。
幻晶鉄と呼ばれる希少な鉱石から鍛え上げられたその刃は、細いながらも驚異的な切れ味と柔軟さを併せ持つ。
かたや圧倒的な力、かたや鋭き速さ――両極端の装備が、今ここに並び立つ。
場を静けさが包む中、ハドリーの「始め!」という一声。
風を裂く音とともに、シエルがまず飛び出す。
肉体強化――身体活性を超える速度。
その身体は、かつての自分を遥かに凌駕していた。
グラントの足元には魔方陣が浮かび上がる。
(――来る!)
シエルは即座に剣へ魔力を流し込み、魔方陣を断ち切ろうと一閃。
だが、グラントは一歩早く跳躍し、それを回避。
その瞬間、魔法――身体活性が発動する。
グラントの表情がわずかに綻ぶ。
成長した弟子への喜びと、戦士としての高揚が交錯する。
グラントはすかさず詠唱を開始。
その隙を逃すまいと、シエルは無詠唱――氷槍群を放つ。
幾本もの氷の槍が、疾風のごとくグラントを貫こうと迫るが、グラントは破城剣を一閃。
氷槍は粉砕され、グラントの詠唱が終わる。
今度はシエルの足元に魔方陣が現れる。
避ける間もなく、大地隆起が発動し、地面ごとシエルを吹き飛ばす。
さらにグラントの周囲に次々と魔方陣――
続けざまに、石礫飛翔が放たれる。
空中のシエルめがけ、無数の石弾が襲いかかる。
シエルは空中で剣を振るい、次々と石礫を斬り落とす。
だが、切り払ったその先――すでにグラントが、破城剣を大上段に振りかぶっていた。
絶体絶命。
だが、シエルはためらわない。
瞬時に片手から魔力を解放、その反動で身体を回転させる。
その回転を利用し、空中で蹴りを放つ――
直撃する鋭い一撃。
破城剣の横腹に食い込み、軌道を反らされ、巨体のグラントが軽く飛ばされた。
(かたっ!!―――)
シエルもまた、反動で逆方向へ――
グラントは見事な受け身で体勢を立て直すが、シエルは着地に失敗し、勢いそのままに壁へと激突。
鈍い音と共に、壁を突き破って吹き飛ぶ。
静寂――
砕け散る石壁の向こうで、砂埃が舞うだけだった。
訓練場に、思わず息を呑む気配が広がった。
「……嘘だろ……」
マーカスが呟き、レナも目を見開いて絶句する。
ハドリーでさえ、ほんのわずかに驚きの色を浮かべていた。
グラントは構えを少し緩め、砂埃の向こうを見つめ、口元をほころばせる。
「すごいな、シエル! お前、本当に――」
その言葉が終わる前に、砂埃の中から疾風が駆け抜けた。
「まだ終わってませんよ!」
石壁を突き破って転がったはずのシエルが、傷だらけのまま、一気に距離を詰めてくる。
その剣先には、再び青白い魔力が灯っていた。
グラントは素早く破城剣を構え直し、思わず笑みを浮かべる。
再び二人の激しい剣戟が、静寂を切り裂いた――。
その瞬間、ハドリーの声が訓練場に響いた。
「――もう十分です。これ以上は、お互いに軽い怪我じゃ済みませんよ」
その言葉に、シエルもグラントも動きを止める。
緊張がほどけ、場に安堵の息が広がった。
「シエル……見事だった」
マーカスが感嘆の声を漏らし、レナも目を輝かせる。
ハドリーも静かに頷く。
「まさかここまで魔力操作が上達しているとは……正直、驚きました。詠唱なしであれほどの強化や氷槍を扱えるなんて」
グラントも豪快に笑いながら、「やるじゃないか! 本当に強くなったな!」と、シエルの肩をぽんと叩いた。
思わずシエルは顔を赤くし、「……そ、そんな、大したこと……」と小さく呟いて目を伏せる。
肩に残る力強い感触と、みんなの称賛がじんわり胸に広がっていた。
だが、そんな中でシリルとアルマだけは、じっとシエルを見つめると、少し厳しい声で言った。
「魔力で回転して大剣を蹴り飛ばしたのは良かったけど、あそこで自分でちゃんと受け身を取れないと、意味ないよ」
シリルが淡々と告げる。
すると、アルマもじっとシエルを見つめたまま、低く静かな声で言った。
「……魔獣の群れの中、あんなことしてたら、食われて死ぬぞ」
シエルはその言葉にハッとし、うつむく。
「……ごめん。うん、わかった……」
場に一瞬だけ、静かな空気が流れた。
称賛の熱気が冷め、どこか気まずい空気が漂った。
けれど、その沈黙の中――
ハドリーは静かに彼らを見つめ、口元にわずかな笑みを浮かべる。
グラントも腕を組み、感慨深そうに頷いた。
二人には分かっていた。
この数ヶ月、誰よりも厳しくシエルを導き続けたのがシリルとアルマであり、その厳しさに応え、食らいついて成長したのが彼女だということを。
――この静寂は、互いの信頼と努力が築いた証。
そう、誰よりも強く理解しているのは、彼ら自身なのだ。
――そのとき。
静まり返った空気を切り裂くように、シリルが声を上げた。
「じゃあ次は俺だ!」
グラントが目を丸くして振り返る。
「は!? 本気でやるのか!?」
シリルは満面の笑みで、力強く頷いた。
「うん!」
空気が再びざわめき始める――




