第三十二話:報告と、すれ違う決意
西の城門をくぐり、クアガットの街へと戻ったシリルとシエルは、そのままギルドへと向かった。
日暮れにはまだ早い時間だったが、依頼帰りの冒険者たちがぽつぽつと行き交っており、中央ホールも少し賑わっていた。
受付の奥で帳簿をめくっていたレナが、扉の音に顔を上げる。
そしてすぐにシリルとシエルの姿を認めると、一瞬驚いたように目を見開いた。
「……えっ。あ……おかえりなさい、二人とも!」
思わず声の調子が上がり、すぐに表情を整えて立ち上がる。
「てっきり、もう少しかかると思っていました。こんなに早く……無事で、本当によかったです」
「終わったよ! はい!」
元気よく答えながら、シリルは背から荷を下ろす。
木の蔦で括られた袋の中には、獰牙猪の魔石と角が、三体分きちんと収められていた。
「……三体分!? すでに……!?」
レナが息をのむ。
その隣で、シエルが少し申し訳なさそうに口を開いた。
「はい……シリルとアルマが、すごくて。発見も討伐も、あっという間で……」
「でも、一番大きい獰牙猪はシエルが倒したじゃない」
「え!? 単独で、ですか!?」
レナが目を見開いて尋ねると、シエルは照れたように目をそらす。
「なんとか、です……二体は、二人がすぐに倒してましたし……」
口ぶりは控えめで、やはりどこか恐縮しているようだった。
「と、とにかく、マーカスさんに報告してきますね!」
そう言ってレナは足早に裏へと向かっていった。
しばらくして、奥からレナが戻ってきて声をかける。
「シリルさん、シエルさんも、どうぞ。マーカスさんがお待ちです」
二人が案内に従って裏手へ進むと、事務所を通る際、何人かの職員が驚いたようにこちらを見た。
想定より早い帰還だったのだろう。
応接室のような一室に通されると、マーカスが椅子の脇に立ち、出迎えていた。
空いているソファを手で示し、丁寧に促す。
「こちらへどうぞ。……いや、本当に、思っていたより早かったですね。しかも三体、討伐されたと聞いています」
マーカスは驚きを隠しきれない様子だった。
「いえ、それはもう……シリルとアルマがすごくて。発見したのも、倒したのも、ほとんどこの二人のおかげです」
シエルが少し恥ずかしそうに言うと、シリルがすかさず返す。
「でも、一番大きいのはシエルが倒したじゃない」
「いや……だから、それも――」
と言いかけたところで、マーカスが軽く咳払いをして会話を切った。
「……では、まずは詳細な報告をお願いします。状況次第では、回収班の派遣や追加調査の判断も必要になりますので」
「わかりました」
シエルが頷き、丁寧に説明を始めた。
農民から聞いた被害の内容、現場の確認、討伐の経緯、そして戦闘後の安全確認まで――シリルの行動も含めて、順を追って報告していく。
その中で、マーカスの目が徐々に見開かれていくのがわかった。
報告の終盤、シエルは魔素の影響について話す際、どこか言葉を濁しながら誤魔化そうとした。
しかし、その横でシリルが何の悪気もなく「魔獣の肉を食べた」と口にしてしまう。
その瞬間、マーカスとレナの動きが止まった。
さらにシエルがそれを必死に取り繕おうとするも、シリルは無邪気に補足を続け、結果的に「倒れた」ことまで露見してしまう。
室内には、一種の静寂と困惑が広がっていた。
シエルは顔を伏せるように視線を落とし、耳まで赤く染めながら小さく息をついた。
落ち込んでいるというより、ただひたすらに恥ずかしそうだった。
ひと呼吸置き、気を取り直すように顔を上げると、視線をシリルに向けて言う。
「……以上です。討伐後の状況については、シリルのほうが詳しいので、お願いします」
シエルがそう言って視線を向けると、シリルが小さく頷いて話を引き継ぐ。
「うん。魔獣の気配とか、魔力の残りとか、あと足跡も見てみたけど、似たようなやつはいなかったよ。……まあ、他の場所から来てたらちょっと分からないけど、あの山にはいなかった」
「山にはいなかった、というのは?」
「細かくは見てないけど、一応、山全体をざっくり確認したよ。そんなに大きな山じゃなかったし」
「……山全体!? そんな短時間で!?」
マーカスの声が思わず上ずる。
シリルは悪びれずに続けた。
「うん。あ、もちろん足跡はぜんぶ見てないよ。ざっくり、だから。でも獰牙猪って、そこまで賢い種じゃないってアルマが言ってたから、それで大丈夫だと思う」
その一言に、マーカスもレナも、そしてシエルまでもがぽかんとした表情を浮かべた。
“周囲の確認”とは聞いていたが、まさか一つの山をひと通り調べていたとは――誰も想像していなかったのだ。
そして一人、マーカスは静かに頭を抱えていた。
(……いや、聞いてはいたけど……これは聞いてた以上だろ……)
――思い出すのは、昨日の昼下がり。
彼を支えてほしいと頼まれた後、支部長と副支部長――ギルドでも上層に位置する二人に呼び出された場面だった。
「シリルさんの実力は確かです。Fランクではありますが、実際にはそれ以上と見ていいでしょう。……シエルさんより上だと思ってください」
「なんだったら、魔獣関連の面倒な案件は全部渡しても大丈夫だぞ。……ただし、素材の回収は期待するなよ。あいつ、肉はたぶん持って帰らん」
「それは……戦闘で壊しすぎるとか、解体が苦手とか?」
「いや、そういう問題じゃないんですよ。……まあ、いずれわかります。隠さず言っちゃうタイプなんで。最初の報告は、人目の少ないところで聞いてくださいね。もちろん口外禁止で」
「……はあ?」
「驚くだろうけど、俺も実力の全部は把握してない。ただ、報告受けたら、絶対あとで教えてくれよな」
あのときは誇張だと思っていた。
だが――今は違う。
理解したくはなかったが、理解せざるを得なかった。
(……いや、もう少し詳しく教えてくれてもいいだろ……!)
心の中でそう叫びながら、マーカスはこめかみに手を当て、小さくため息をついた。
マーカスは応接室で報告を受けると同時に、ふと気になったようにレナへ視線を向ける。
「魔石のほうは……」
「すでに解析班へ提出しております。三体分、すべて識別依頼済みです」
レナが即答しながら控えめに頷いた。
「結果は今日のうちに出るかと。確認でき次第、報告書に添付いたします」
「……助かる。ありがとう」
ギルド内には、魔石を通して魔獣の種別を特定するための魔力解析装置があり、魔力の波長や特性から種の判定が可能になっている。
討伐証としての正式認定は、この解析結果をもって確定とされるのが通例だ。
話がひととおり終わると、マーカスは書類をまとめながら、ふぅとひと息ついた。
「それでは、報酬や素材の買取額については、計算が済み次第ご案内します。休憩でもしてお待ちいただくか、街へ行っていただいても構いませんよ」
その言葉に頷いたシリルに、隣のシエルがふと思いついたように声をかける。
「そうだ、シリル。そろそろ、家を借りてみない?」
「家を借りる……?」
聞き慣れない単語に首をかしげるシリルに、シエルは手短に説明する。
「要するに、自分の部屋を借りるってこと。いつまでもギルドの宿舎に泊まりっぱなしってわけにもいかないしね。冒険者用の部屋なら空いてさえいればすぐに住めるし、場所も便利だよ」
「へえ……」
シリルは目を丸くして頷いた。
それを聞いたマーカスも軽く相槌を打つ。
「確かに、拠点があると行動も安定しますからね。気になるようでしたら、空き部屋を確認して案内もできます」
「うん、見てみたい」
そう答えるシリルの足元で、影がわずかに揺れる。
アルマが気配だけで反応したようだった。
応接室でのやり取りを終えたあと、二人と一匹はギルドを出て、夕暮れに染まりかけた街路を歩き始める。
そのとき――シリルの足元で揺れていた影が、ぴたりと止まった。
『……おい、シリル。お前、忘れてないか? シエルを鍛える話、してただろう』
「――あっ」
シリルが立ち止まり、小さく声をあげる。
隣を歩いていたシエルが、きょとんとした顔で振り返った。
「どうしたの?」
「えっとね……」
言いづらそうにしながらも、シリルは素直に口を開いた。
「シエルの動き、戦いのときすごく良かったんだけど……でも、これから一緒に冒険していくなら、もっと強くなったほうがいいって思って。だから、アルマと話して、少しの間特訓することにしたんだ」
「……そっか」
それを聞いたシエルは、ふっと視線を落とす。
実力不足をあらためて突きつけられたようで、どこか悔しさを噛みしめるような表情だった。
「……でも、ありがたいよ。ちゃんと、そう思ってくれて。……ううん、特訓してくれるってことが、すごくうれしい」
そう言って顔を上げたときには、わずかに笑みも浮かんでいた。
だが次の瞬間、シリルの口から飛び出した言葉に、思わず固まることになる。
「だから、街にはしばらく戻ってこないと思う。……うん、おうちは、いらないよ?」
「……は?」
ぽつんと、理解の隙間に落ちたような声が漏れた。
突然の結論に、シエルは一瞬言葉を失い、目をぱちぱちと瞬かせる。
まるで話の意味を処理しきれず、思考が止まってしまった。




