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第二十四話:変化する獣影

「……せっかく、お二人がパーティーを組まれたばかりで、良い空気の中、申し訳ないのですが」


 クアガット支部の執務室。

 穏やかだった空気に、ハドリーの静かな声が重なった。

 その声音には丁寧な配慮がにじんでいたが、同時にどこか緊張を含んだ色もあった。


「聞きそびれていたことがあります。今日はこれで最後になりますので……すみません」


「いいえ」シエルがまっすぐ首を振る。


「いいよ」シリルは背もたれに軽く寄りかかりながら、気さくに笑った。


 ハドリーは一礼し、視線を正面の少年へと向け直す。


「実は――シリルさんに、確認しておきたいことがありまして」


「俺に?」


「はい。……シエルさんが目撃し、シリルさんが討伐されたという、“見たことのない魔獣”についてです」


「ああ……」


 シエルが思い出したように小さく息をつく。

 シリルはちらりと足元の影に目を落とす。

 黒く揺れるその中から、何かを伝えるような気配がじわりと広がった。


「それについては、本当はもう少し早く伺おうと思っていたのですが……」


 ハドリーは苦笑しながら言葉を継いだ。


「まさか“魔獣を食べる”という話になるとは思わず、少々驚いてしまいまして。そこからは、信頼を得てからにすべきだと判断し、遅くなってしまいました」


「……ああ、邪牙狼(シャガル)のことかな?」


「邪牙狼……それは、動物の狼のことでしょうか?」


『狼!?一緒にするな!!あれは猫だろ!!猫だ!!』


 シリルは片眉を上げて笑う。


「アルマが言ってる。“猫だ!”って。すっごい勢いで」


「猫……? いえ、イヌ科の狼種だったと思うのですが……」


『イヌ!?ふざけてるのか!犬畜生と狼を一緒にするな!!……いや、そもそも猫だあいつは!!ずる賢い猫!!』


 苦笑を浮かべながら、シリルは肩をすくめて言う。


「なんかもう、犬ですらないらしい。アルマ的には“ずる賢い猫”だったんだって」


「……はあ?」


 ぽかんとした顔で言葉を漏らすハドリー。

 そのあまりの困惑ぶりに、シエルがくすっと笑った。


 空気がわずかに和んだところで、ハドリーは咳払いを一つして話を戻す。


「とにかく、その“邪牙狼”が魔獣化した個体であるというのは、間違いないのですね?」


「うん。アルマがそう言ってるし、俺もそう思う」


「魔獣化した……動物、ですか」


 その言葉に込められた重みを感じ取り、シエルが少し首を傾げて問いかけた。


「魔獣化した動物に……何かあったんですか?」


 ハドリーは少し考えるように指を組み替え、丁寧に言葉を紡ぐ。


「いえ……動物が魔獣化するという例が極めて少なく、個人的に驚いていたのです。魔獣というのは、本来――生まれながらに“魔石”を持つ種です。その魔石を通じて魔素を蓄え、異常な力を発揮します」


 彼は一呼吸置いて、慎重に続ける。


「ごく稀にではありますが、生物の中にある魔力が何らかのきっかけで増幅し、結晶化して“魔石”を形成する場合もあります。しかしそれは、数十年に一体現れるかどうかの、極めて稀な現象です」


「ふーん……」


 シリルは軽く腕を組み、少し考えるように足元を見やる。


「アルマも言ってるよ。魔石を自力で作って魔獣化する例なんて、見たことないって」


 影の中からも、静かな同意の気配が返ってきた。


「ただ、魔石を持たずに魔獣化する動物は……稀とはいえ、そこまで珍しくないらしい」


「えっ、それってどういう……?」


 シエルが目を見開いて問い返す。

 シリルは小さく頷くと、アルマの気配を確かめ、ゆっくりと言葉をつなぐ。


「たとえば、動物が“魔素溜まり”に長くいたり、魔獣の死骸から落ちた魔石を誤って食べたりすると――魔石ができないまま、体内に魔素が流れ込んで、暴走することがあるんだって」


「ほう……」


 ハドリーが興味深そうに目を細める。


「魔石がないまま魔獣化した体は、魔素の力に耐えられない。だから制御が効かず、魔素酔いみたいな状態で暴れ出すらしいよ」


「なるほど……」


 納得したように、ハドリーは深く頷いた。

 そのとき、シエルがふと思い出したように声を上げる。


「そういえば、シリルが邪牙狼を解体していたとき、魔石って落ちてませんでした!」


「……あ、そういえば」

 

 シリルもあっさりと頷く。

 魔石の有無よりも“食べられるかどうか”の方が彼にとっては大事だったのだ。

 影の中で、アルマがあきれたようにぽつりと漏らす。


『……気づかなかったのか』


「でも……暴走のわりには、あまりにも痕跡が残ってなかったような……」


『それは元の種による。あいつは元々ずる賢い猫だからな。人間どもがなんと言おうとも、猫だ。猫なんだ』


「元の動物によるらしい。ちなみにアルマは、あいつは猫だって、まだ言ってる」


 シリルが肩をすくめてそう言うと、ハドリーもようやく微笑を浮かべた。

 そして一転して表情を引き締めると、真剣な眼差しで問いを投げかける。


「……もしそれが事実なら、自然発生の可能性もあるということですね。ですが――」


 視線が、シリルとアルマに向けられる。


「最後に一点、確認させてください。邪牙狼が魔獣化した原因について、何か心当たりはありませんか?」


 シリル達は即答する。


「ないねー」『ないな』

「アルマも、ないってさ」


「……そうですよね」


 ハドリーはわずかに肩を落としたが、すぐに表情を整えて微笑みを返す。


「いえ、十分です。とても参考になりました」


 そして静かに、報告のように口を開いた。


「実は今、グラントがこの件の調査と、周辺地域の安全確認のために出ております。そのためしばらくの間、Dランク以下の冒険者……つまり、この街にいる大半の方々には、林や山岳地帯といった危険地帯への行動を自粛するようお願いしています」


「じゃあ、林とか山とか行っちゃダメなの?」


 シリルが問いかけると、ハドリーは苦笑しながら首を振った。


「“ダメ”というよりは、あくまで“お願い”ですね。禁止にしても、街の外に出てしまえば、私達でも完全な把握はできませんので」


「ふーん」


 シリルは短く返し、深く詮索しようとはしなかった。

 ハドリーは二人へと目を向けて、穏やかに言葉を結ぶ。


「なので――どうか、お二人もお気をつけて」


「はい、わかりました」「はーい」


 ソファに腰を下ろしたまま、ハドリーは軽く姿勢を正し、穏やかな声で告げた。


「――お話は以上です。お時間をいただき、ありがとうございました」


「今日はもう遅いですから、夕食はギルドでご用意しております。どうぞ、食堂をご利用ください」


 その瞬間、足元の影が大きくうねるように揺れたかと思うと――。


『飯かぁ!!』


 アルマの声が響くと同時に、影から勢いよく飛び出してくる黒い獣の姿。

 唐突な飛び出しに、シリルもシエルも思わず身体をびくりとさせ、ハドリーさえも目を丸くして息を呑む。

 しかし次の瞬間には、三人とも小さく吹き出していた。


「……どんだけ楽しみにしてたんだよ」


「ふふっ、びっくりした……」


「いや、これは……元気でなによりです」


 執務室に、わずかな笑い声がこだました。

 シリルとシエルがそれぞれ頷くのを確認すると、ハドリーは少し口調を和らげて続ける。


「シリルさんは……そうですね。現在は滞在先も決まっていないと思いますので、引き続きギルド内にお泊まりいただいて大丈夫です」


「うん、助かる」


 シリルが軽く応じると、ハドリーの視線はシエルに移った。


「シエルさんは、どうされますか?家に戻られますか?それとも、シリルさんと一緒にギルドに泊まられても問題ありませんよ」


 突然の提案に、シエルの目がわずかに揺れる。そのまま、言葉を返さずにほんのしばらく俯いた。


 ――昨夜のことが、ふと胸をよぎる。


 仲間を喪った夜。

 暗闇の中、声を出すことすらできなかった記憶。

 あの静寂が、また戻ってくるのではないかという予感。

 一人で夜を越えるには、まだ心が整っていなかった。


「……私も、一緒でも大丈夫?」


 シリルに視線を向け、恐る恐る尋ねる。

 だが少年は、変わらぬ調子であっさりと答えた。


「いいよ!」


 その一言に、シエルの肩から力が抜ける。


「じゃあ……私も、ギルドに泊まります。お願いします」


「承知しました。……もうベッドは準備してありますので、どうぞご安心ください」


 ハドリーは柔らかく微笑みながら、再びゆったりとソファの背にもたれた。

 執務室の窓の外は、すっかり夕暮れを過ぎて、街灯の灯りがゆっくりと地面を照らし始めていた。


「そうだ、私もご一緒させていただいてよろしいでしょうか?」


 ふと立ち上がりながら、ハドリーがそう言う。


「え、支部長も?」


 シエルが軽く驚き、シリルは肩をすくめて笑った。


「もちろん。いいよ!」


「アルマもいい?」


『ああ、飯があるなら歓迎するぞ!』


「いいって」




 そんなやりとりののち、四人は連れ立ってギルドの食堂へと向かっていった。

 アルマも当然のようにその後ろに続く。

 だが、影の中からではなく、堂々とその姿を現しているため、すれ違う職員や冒険者たちが一瞬目を見張る。


「あれ……銀狼(シルバーウルフ)?」「ああ、例の……」


 ざわつきかけた空気も、すぐに状況を理解した者たちによって静まっていった。

 彼がすでに事情を話され、受け入れられている存在だと皆が知っていたからだ。


 食堂ではすでに温かい夕食が準備されており、遅い時間にも関わらず人の気配が穏やかに流れていた。

 席に着いたハドリーは、スープをひと口飲んだ後でふとシリルに問いかける。


「そういえば、アルマさんは“念話”で不自由なく会話できているようですね」


「うん、念話って言うの?普通にしゃべってる感じだよ」


「やはり、そうですか。銀狼(シルバーウルフ)はもともと知性の高い魔獣種とはいえ、あそこまで明確な意思疎通ができるとは、驚かされます」


 ハドリーは感心したように言い、ふと視線を足元の影へ向けた。


「それでしたら、魔力を使えば“音”――つまり“言葉”として声を出すことも可能かもしれません」


「声?」


 シリルが眉を上げる。

 シエルも興味深そうに顔を向けた。


「ええ。実は、知り合いの使役魔獣が“人の言葉”を話していたのですが、どうやっているのかを尋ねたところ、魔力操作によって発声器官のような仕組みを作り、音を作っていたとのことでした」


「へぇ……そんなこともできるんだ」


「もちろん、簡単なことではありません。私たちには、あれほど精密な魔力操作はほぼ不可能です。しかし、アルマさんのような位の高い銀狼であれば、十分に可能性があるかと」


『ふむ……魔力で音を作る、か。面白い発想だな。やってみる価値はありそうだ』


 隣から、いつになく真剣な口調でアルマが応じた。

 言葉の裏には、どこか挑戦心のようなものが垣間見える。


「おっ、乗り気だ」


 シリルが笑みを浮かべると、シエルも「楽しみですね」と目を細めた。


「うまくいけば……本当に会話できるようになるかもしれませんね」


 ハドリーも目を細め、アルマの方へ微笑みを向けた。



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