第二十三話:蒼雪の誓い
ギルドの建物が見えてきた頃、三人の足取りは自然とゆっくりになっていった。
シリルは最後に一度だけ街並みを振り返り、小さく息を吐く。
「楽しかった……」
そのぽつりと漏れた言葉に、シエルが微笑みながら頷いた。
「うん。また来ようね」
『今度は焼き鳥屋を見つけたいな』
アルマの声に、シリルはくすりと笑った。
ギルドの扉を押し開けると、ちょうどレナが待っていた。制服の襟を正し、どこか緊張した面持ちで深く頭を下げる。
「お帰りなさい。ハドリー支部長から、冒印札が完成したので支部長室へ来ていただきたいと伝言を預かっています」
「ありがとう。行こう、シリル」
シエルの一声に、シリルが頷く。三人はそのままギルド奥の支部長室へと向かった。
扉をノックすると、内側から「どうぞ」という穏やかな声が返ってくる。
室内に入ると、ハドリーが奥の机から立ち上がり、手のひらでソファを指し示した。
「おかえりなさい。座ってください」
シエルが「失礼します」と軽く頭を下げて座り、シリルもその隣に腰を下ろす。
ハドリーは彼らの正面に座ると、テーブルの上に一枚の木札を差し出した。
──完成したばかりの冒印札だった。
「シリルくん、これが君の冒印札です。冒険者としての証になりますよ」
微笑むハドリーから札を受け取ったシリルは、無言でそれを見つめた。
手に伝わる木の温もり。
そして、自分の名前がしっかりと刻まれている感触が、どこかくすぐったかった。
札の表には小さな魔方陣が刻まれており、裏返すと、その魔方陣に対応した文字列がびっしりと並んでいる。
「これは関所や役所での身分証明にも使える正式な札です。冒印札であれば、通常の魔水晶では名前や年齢、ランク程度しか表示されません。個認札の代わりにもなりますし、特にシリルくんには重要な証明になります。失くさないようにしてください。他のギルドでは再発行が難しいので」
「でも、こんな小さい木札、なくなっちゃいそう」
「そう思いますよね。では、手の甲に当てて、魔力を込めてみてください」
言われた通りに魔力を込めると、札はまるで溶けるようにシリルの手の甲へと吸い込まれていった。
「おお、すごい!」
「これは冒険者ギルドが独自に開発した魔術です。裏の魔方陣は暗号化されています。取り出す時は、引っ張るようなイメージで魔力を込めてください」
『似合ってるぞ、シリル』
影の中の声に、シリルはそっと微笑む。
「ちなみに、余談ですが……犯罪歴があったり、ギルド評価が極端に低いと、関所の魔水晶が赤く反応して追検査や尋問を受けることもあります。ご注意くださいね」
冗談めかしたハドリーの言葉に、後ろからシエルがふっと笑いながら顔をのぞかせる。
「おめでとう、シリル。これで正式に冒険者だね」
シリルは少し照れたように笑い、小さく頷いた。
「ちなみに……シリルさんには申し訳ないですが、冒険者ランクは駆け出しのひとつ上、Fランクにさせていただきました」
「ふーん……」とシリルは声を漏らし、首をかしげる。
ハドリーは一拍置いて、真剣な声で続けた。
「いきなりEランク以上にしてしまうと、年齢的にも目立ちすぎます。通常、他のギルドでは実績がない限り上位ランクは付与されませんから。Fランクであれば、特別目立つことも少ないでしょう」
「なるほど」
完全には理解していないながらも、シリルは納得したように頷いた。
隣に座るシエルもまた、頷きながら小さく微笑む。
間近でその力を見た者として、それでも十分な配慮だと感じていた。
(──あとは、言わない約束……でしたね)
──それは、シリルたちが街へ出ている間の支部長室でのひととき。
「Fランク?……あれがか?」
ソファに腰を下ろしたグラントが、腕を組みながらぼやくように言った。
「ええ。さすがにEランク以上となると、年齢もあって目立ちすぎますから」
「とはいえ、実力は確かだろ。しかも魔獣を食ってたって話もある。魔獣相手にやり合うのが本職みたいなもんじゃねえか。隠すほうが無理がある気もするがな」
「……それは私も同感です」
ハドリーはわずかに笑みを浮かべ、視線を手元の書類に落とした。
「ただ彼は、あまりにも常識を知らなすぎるんです。このまま世に出れば、彼自身が困ることも多いでしょう。せめて最低限のことを覚えるまでは、ここで庇護する形を取るつもりです」
「なるほどな……まあ、お前がそこまで考えてるなら、俺も文句はない」
グラントは肩をすくめつつも、苦笑混じりに口元を緩める。
「協力できることがあれば、俺もやるさ」
ハドリーが礼を述べたあと、グラントが少し声のトーンを落として言った。
「……あー、一つだけ頼んでおきたいことがある」
「なんでしょう?」
ハドリーが顔を上げると、グラントは腕を組んだまま、わずかに苦笑して目線を逸らす。
「……俺があいつの実力を認めてたなんて、言わないでくれよ。どうも俺のことをライバル視してるっぽいんだ。まだ“実力差がある”と思わせてた方が、たぶんやりやすいからな」
「……なんです、それ」
思わず吹き出しかけたハドリーは、呆れたように笑い、椅子の背に軽くもたれかかった。
ハドリーが軽く笑いながら頷く。
「わかりました。その話は、私の胸の内にしまっておきます」
「助かる」
グラントはそう言って立ち上がる。
ソファーに手をつき、腰を軽く伸ばすと、ハドリーに背を向けて歩き出す。
「じゃ、行ってくるわ」
その背中に、ハドリーは静かに視線を送った。
ハドリーはふう、と静かに息を吐いた。
その仕草には、どこか区切りをつけるような、あるいは覚悟を決めたような雰囲気が宿っていた。
「さて、もう少しお話があります。」
「なんでしょう?」
「何?」
ハドリーは穏やかな口調のまま、ふたりを見つめる。
「これは私からの提案なのですが、お二人でパーティーを組まれませんか?」
「パーティー?」
「パーティーって?」
二人の問いは同じ言葉ながらも、込められた意味はまるで違っていた。
シエルは驚きを込め、シリルは純粋な疑問として。
「ええ。シリルさんは知らないかもしれませんが、冒険者というのは基本的に“パーティー”と呼ばれる集まりを作ります。依頼を共にこなしていく仲間ですね」
「私でいう……《陽翔焔》がそれだよ」
シエルが言いづらそうに、しかしシリルに説明するように言う。
「ああ、五人?…くらいいたよね」
「はい。パーティーの人数に厳密な決まりはありませんが、四~六人が一般的です。それより大きい場合は“クラン”と呼ばれることもありますが、細かい話は今は省きましょう」
「それで、私とシリルがパーティーを組むというのは?」
街中に出かけたばかりのふたりのやり取りを思い返しながら、ハドリーは小さく微笑んで頷いた。
「お二人を見ていて、相性が良いと感じました。それに、それぞれに補い合える点があるとも思っています」
「補い合う?」
「はい。シリルさんは、正直言って、どこまで強いのかまだ分からないほどの実力をお持ちです。ただ、街の暮らしや常識的な部分は、かなりご存じないように見えました」
影で見守っていたアルマが、声にはならぬ息を吐く。
『たしかに』
「そうかな?」と首を傾げるシリル。
「個認札やお金、生年月日などのやり取りを見ていても、それは感じられました。頭は良いのだと思いますが、知識の偏りがある印象です」
「あー……」
シリルは納得したように、声を出した。
「一方で、シエルさんは常識もあり、責任感が強く、剣の腕も申し分ない。しかし冒険者としての経験や判断の蓄積という意味では、まだ不安が残る部分もある」
その言葉に、シエルは静かに目を伏せる。
「……自覚はあります」
「だからこそ、それぞれの欠点を補い合える相手として、お二人は最適ではないかと考えたのです。単なる同行者ではなく、共に成長し合うバディとして」
ハドリーの声には、ギルド職員としてだけではなく、一人の人間としての想いがこもっていた。
室内には一瞬、静寂が流れた。
ふたりはお互いの顔を見合わせる。
そこにあったのは、迷いでも拒絶でもなく、確かに芽生え始めた小さな信頼と、新たな旅路への予感だった。
そんな空気の中、ハドリーはふと少し視線を落とし、言葉を選ぶように口を開いた。
「……ただ、これは本当に申し訳ないのですが、昨日あのようなことがあったばかりで、こんな提案をするのは本来なら控えるべきなのでしょう。シエルさんにとっては、まだ心の整理がつかない時間かもしれません」
彼は一度姿勢を正し、真摯な声音で続けた。
「ですが、私には──お二人が一緒に歩むことに、意味があるように思えてなりません」
その言葉には、重ねた年月と、多くの冒険者を見送ってきた彼自身の想いがにじんでいた。
「まあ、今すぐ決めなくても大丈夫です。ゆっくり考えてくだ──」
「俺は、いいよ」
ハドリーの言葉をさえぎるように、シリルが静かに言った。
「アルマも、いいって」
その言葉のあと、ふたりが交わした視線は、ごく短い沈黙の間にすべてを語り合っていたかのようだった。
ハドリーが目を丸くするのと同時に、シエルも驚きに瞳を見開いた。
「えっ……」
視線を落とし、しばらく黙り込むシエル。
昨日今日で新しいパーティーを組むことの重さ──そして、亡くした仲間たちの記憶。
彼らとの絆を思い出しながらも、今、隣にいる少年と過ごした穏やかな時間が、胸の奥に確かな温もりを残していた。
(……しっかり、生きないと)
その思いが、言葉になる。
「……私も、ぜひお願いします」
シエルは小さく頭を下げ、シリルに向かって微笑んだ。
「これから、よろしくね」
「うん。ありがとう。よろしく」
シリルもまた、微かに笑って頷いた。
静かに、新たな旅路が、ここに始まろうとしていた。
その様子を見ていたハドリーが、ふっと口元を綻ばせる。
「……こんなにすんなり決まるとは、正直思っていませんでした」
彼はそう言って、懐からなにやら小さなメモ用紙を取り出すと、そっとテーブルの上に置いた。
「通常、パーティー名は皆さん自身で決めていただくのですが……もしよろしければ、私に名付けを任せていただけませんか? 少しでも、あなたたちの旅の始まりに関われたらと思いまして」
「名前? 陽翔焔みたいな?」
シリルが首を傾げながら言うと、ハドリーは頷いた。
すると、シリルはあっさりと答えた。
「いいよ」
「ぜひ、よろしくお願いします」
シエルも続けて、真っ直ぐな瞳でハドリーに向かって微笑んだ。
ハドリーは、そっと置いた紙片に視線を落としながら、口元に穏やかな笑みを浮かべた。
「それでは……《蒼雪月――セルシアナ》という名を提案させていただきます。“蒼雪月”──蒼と白の間に佇み、銀の狼に導かれて月の光に照らされながら進む、お二人の姿を思い浮かべて名付けました」
その名を口にした瞬間、室内にはどこか清冽な空気が流れた。
シリルは、ふっと目を細めて呟いた。
「……きれいな名前だね」
「はい。すごく、素敵です」
シエルも小さく頷きながら、その名を心に刻みつけた。
こうして、新たなパーティー──蒼雪月は誕生した。
それは、失われた過去と、今ここにある出会い、そして未知の未来とを結ぶ、最初のしるしとなった。




