第二十一話:冒険の門出、見守る者たち
書類を書き終えたシリルがペンを置くと、ハドリーがその内容を確認し、軽く頷いた。
「……よく書けましたね。あとは、魂紋の刻印と魔導情報網への登録だけです」
そう言ったハドリーは、ペンを取り、もう一枚の書類を机の端から引き寄せる。
それは、通常の冒険者登録ではあまり見かけない、保証人欄を備えた特殊な書式だった。
レナが思わず小さく眉をひそめる。
「……あの、それは……?」
ハドリーは、シリルの記入した書類に重ねて静かにペンを走らせながら答える。
「特例申請用の保証文書です。彼のように身元のはっきりしない者を正式登録するには、何らかの形で信頼の証を示す必要がある。……いえ、後ほど説明しますよ。そのために、今日ここに来てもらったのですから」
レナとマーカスは顔を見合わせ、小さく頷いた。
ハドリーは最後に署名を書き終え、印章を押すと、それをそっと書類の束に添える。
「これで、形式上の不備はありません。責任は、私が持ちます」
その静かな言葉には、揺るぎない意志が宿っていた。
ハドリーが記入と署名を終えた書類を整えると、それを丁寧に揃えて、そっとマーカスの手に渡す。
「これで、すべて記入完了です。マーカス、登録処理をお願いします」
ハドリーから書類を受け取ると、それを慎重に両手で掲げ、魔導情報網の登録装置の前へと進んだ。
石柱の根元には、書類を載せるための平らな台座があり、その中央には魔方陣の刻まれた皿状の魔石が埋め込まれていた。
マーカスが書類をその上に静かに置くと、魔石が反応し、青白い光がゆっくりと書類全体をなぞるように走っていく。
──情報転写、開始。
魔法陣が淡く輝きながら回転し、書類に記された内容が光の糸となって浮かび上がり、天頂の魔結晶へと引き寄せられる。
やがてその光は装置全体を巡り、全情報が魔導回線を通じて、ギルドの中枢にある魔導記録庫へと流れ込んでいった。
すべての処理が終わったことを告げるように、魔結晶が一度だけ、柔らかく瞬いた。
「書類登録、完了です」
マーカスは次に、シリルの方に視線をやる。
「では、こちらへお願いします、シリルさん」
促されて、シリルは装置の前に立った。
淡い蒼光を放つ半球状の魔結晶が、まるで彼を迎え入れるように脈動している。
「中央の円形の窪みに、手を当ててください」
マーカスの声は、いつになく穏やかだった。
シリルは一瞬だけ躊躇いを見せたが、深く息を吸い、ゆっくりと右手をかざす。
──次の瞬間、魔結晶が彼の魔力に反応し、青白い光がぱあっと広がった。
複数の魔法陣が音もなく展開し、彼の手のひらに沿って浮かび上がる。
記録されていくのは、魔力の波形、魂の律動、そして存在の証明──《魂紋――ソウルサイン》。
魔力の共鳴が、周囲の空気を静かに震わせる。
「……わぁ、きれい」
思わず、後方に控えていたレナが小さく息を呑んだ。
ハドリーはその横で、少しだけ目を細めながら見守っている。
「この光と紋様は、本人の魔力と魂の個性に応じて形が変わります。誰ひとりとして、同じにはならないんですよ」
やがて光が収まり、魔結晶が淡く脈動を繰り返すのみとなる。
マーカスが一歩前に出て、そっと装置の側面を確認し、満足げに頷いた。
「魂紋登録も、完了です。……これで、シリルさんは正式な冒険者です」
その言葉に、部屋の空気がわずかに和らいだ。
シリルは手を引き、じっと自分の掌を見つめる。
淡い熱が残っている気がした。魔力の痕跡──それは、初めて“誰かに認められた証”のように感じられた。
そのとき、彼のそばで静かに佇んでいた銀の影──アルマが、そっと尻尾を揺らした。
『……おめでとう、シリル』
誰に聞こえるでもないその声が、彼の胸にすっと染み込んでいく。
シリルは、ほんの少しだけ口元を緩めて、小さく頷いた。
そんな彼に向かって、ハドリーがやわらかく微笑んだ。
「おめでとうございます、シリルさん。冒印札は、後ほどこちらでお渡ししますね」
そう言ってから、ハドリーはマーカスとレナへと視線を向ける。
「さて──お二人をお呼びしたのには、理由があります」
マーカスとレナが顔を見合わせる。
「詳しい事情はお話できませんが、シリルくんには“正体を隠さねばならない理由”があります。ですので、ギルドとしても特例的に、彼の情報管理と保護に配慮せねばなりません」
その言葉に、二人の表情が引き締まる。
「これまでは、私とグラントでなんとか対応してきましたが、さすがに常時二人だけでは限界があります」
ハドリーは一呼吸置き、まっすぐにマーカスを見る。
「マーカス。君は次期副支部長として、すでに多くの責任を担っています。そして、レナさん……あなたも、まだ経験は浅いながら、責任感が強く、信頼できる職員です」
そう言って、二人に静かに頭を下げた。
「どうか、シリルくんの冒険者生活を、私たちと一緒に見守り、協力して支えていただけないでしょうか?"
マーカスは、きりっと背筋を伸ばしたまま、力強く頷いた。
「もちろんです。ぜひ、よろしくお願いします」
レナもまた、隣で笑顔を浮かべながら一歩踏み出すと、やわらかくシリルに向き直る。
「よろしくね、シリルさん」
シリルはそんなふたりを見て、少し驚いたように瞬きをした後、小さく微笑んだ。
「……ありがとう。よろしくね」
その様子を見守っていたハドリーが、ふっと微笑みを深める。
「では、冒印札が完成するまで、少し時間がかかります。シリルさん、よければ街を少し見てきてはどうでしょうか」
グラントがその言葉に即座に反応する。
「それはいいな! 街の案内なら、シエルがしてやれ。お前も少し気晴らししてこい」
シエルは一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐに笑顔を見せて頷いた。
「はい!わかりました」
その流れで、シリル、シエル、アルマの三人で街へ出ることが決まった。
シリルが立ち上がると、アルマもすっと寄り添うように歩み寄る。
だが、その姿にハドリーが少しだけ困ったように眉を下げた。
「アルマさん、その姿のままでは……少々目立ちますので」
アルマは小さくため息をつきながら、目を細めた。
『……またか。まったく、人間は面倒だ』
ハドリーはアルマの声が聞こえないが、その表情から言いたいことがなんとなく伝わってきて、思わず苦笑する。
「……すみません、お願いします」
申し訳なさそうに言いながら、ハドリーが軽く頭を下げた。
『わかってるよ。慣れたもんさ』
そう呟くと、アルマの姿はふっと影の中へと溶け、音もなくその気配だけを残した。
そして、静かに扉が開かれる──新たな日常への、第一歩を踏み出すように。




