第十五話:静寂の門、そして灯る街へ
「……でっか……」
目の前に立ちはだかる城壁を見上げ、シリルが思わずつぶやく。
高さ二十メートルを超える巨大な壁はかつて、シリルが育った森、深夢ノ森や北の瘴気が濃い山岳からの魔獣の脅威に備えるために築かれたものだった。
今では瘴気も薄れ、治安も安定しているが、この壁だけはそのまま都市の外郭として残されている。
クアガット――それはまさに、要塞
城門へ近づくと、さっそく数名の衛兵が動きを見せた。
「止まれ! 夜間通行は――」
警戒の声を上げた衛兵の一人がこちらに近づきかけ、ふと目を細めた。
「……あれ? あ、グラントさん!?」
別の衛兵も顔を上げ、目を丸くする。
「ほんとだ! 捜索に出たって聞いてましたけど、無事だったんですね!」
グラントは少しだけ視線を逸らし、短く答えた。
「……ああ、俺はな」
その一言に含まれた重さに気づかず、衛兵たちは安心したように顔をほころばせる。
すぐに誰からともなく背筋を正し、自然と敬礼のような形になる。
だがその直後、一人の衛兵が背後に目を留めた。
「あの、シエルさんは私も知っていますが……そっちの、仮面の少年は?」
視線の先には、見慣れぬ白い仮面をつけた少年――シリルが静かに立っていた。
そのときだった。
重厚な扉が、ぎぃ、と低くうなる音を立てて開かれる。
現れたのは、分厚い胸板と丸太のような腕を持つ男。
鎖帷子の上からでもわかる筋骨隆々の体つきに、つるりとした頭、そして顎から頬にかけて立派な黒ひげをたくわえている。
その姿に、衛兵たちが一斉に反応した。
「ガストン隊長! こんな時間にどうしたんですか?」
「ちょっと特例だ。とりあえず俺が案内するから、お前らは下がってろ」
「え…あ…はい」
ガストンが笑みを浮かべて言うと、衛兵たちは素直に道を開ける。
「さ、グラントさん。とりあえず中に入りましょう。詳しいことは詰め所で」
ちらりとグラントを見やり、わずかに口元を緩める。
それだけ言い残し、ガストンはさっさと先を歩き出す。
部下たちは目を丸くしつつ、ガストン達を見送る。
一行はその後に続き、静まり返った通路を抜けて、裏手の小さな詰め所へと案内されていった。
詰め所の扉をくぐると、中には金色の長髪を持つ男が立っていた。
美しい顔と、わずかに尖った耳、そして肩には先ほどまで一緒にいたフクロウが舞い降りる。
――精霊使い、ハドリーだ。
「……ハドリーさん」
シエルがかすかに声を震わせながら名を呼ぶ。
安堵と疲労、そして心の奥に沈む痛みがにじむ。
ハドリーは静かに歩み寄ると、その肩にそっと手を置いた。
「無事でよかった。君の帰りを、待っていたよ」
そしてシリルへと視線を移すと、少しだけ姿勢を正して頭を下げる。
「……精霊を通してはお話をさせて頂きましたが、改めて、初めまして。私がハドリーです。早速で申し訳ないけれど、まずはギルドへ案内させて下さい」
シリルは一瞬間をおいて、わかった、よろしくと言う。
そのやり取りの傍らで、グラントがガストンに肩を向ける。
「巻き込んじまって悪かったな、ガストン」
「いいですけど……俺、クビになんないですよね?」
苦笑するガストンに、グラントは真顔で答えた。
「全部、俺とハドリーの責任で構わん。絶対に迷惑はかけん」
「もうすでに巻き込まれてますけどね」
二人は苦笑を交わしながら、それでもどこか親しげだ。
ガストンは肩をすくめて小声で言う。
「……あれが“例の子”ですか」
「ああ。まあ、詳しくは聞くな。俺もよくわかってねえ」
ガストンはちらりとシリルを一瞥した後、ため息をつくように頭をかいた。
「……まあ、グラントさんがそう言うなら聞きませんけど」
そう言ってから、彼は軽く顎をしゃくって扉を指す。
「さっさと行っちまってください。俺は俺で、後始末がありますから」
それを聞いたグラントは、片手を上げて応じた。
「すまん。あとで一杯おごる」
「言いましたからね?」
わずかに口角を上げ、ガストンは見送りの姿勢に戻った。
「さ、案内するよ。ようこそ、クアガットへ」
ハドリーが振り返り、一行を引き連れて、城門の内側――街の中へと足を踏み入れていった。
城門を抜けた先には、石畳の広い道と、その両脇に立ち並ぶ建物の数々。
窓には明かりが灯り、人影はまばらながらもまだ途絶えていない。
街路灯が等間隔に置かれ、柔らかな橙の光が夜の街を静かに照らしていた。
その風景に、シリルは思わず立ち止まった。
「……これが、街……」
ぽつりと漏れた声には、驚きと戸惑いが混じっていた。
村で生まれ、森で育った彼にとって、それはまるで絵のような光景だった。
背後の影の中から周りを眺めるアルマも、街の空気を吸うように鼻を鳴らし、まばたきを繰り返す。
『……なんだか、懐かしい匂いがする』
小さな声が、シリルの胸の内に響いた。
それはアルマの幼き頃の記憶。
遠い記憶。
彼自身にも、はっきりとは分からない。
ただ――この場所に、かつて来たことがある。
そんな曖昧で確かな感覚だけが、静かに蘇ってくる。
一方で、シエルは無言のまま、石畳の道を歩いていた。
見慣れたはずの風景。
毎日のように声をかけていた露店、遠くに掲げられたギルドの看板、夜の灯りに照らされた街路樹――どれも変わっていないのに、すべてがほんの少しだけ違って見える。
(あたし……帰ってきたんだ。みんなが、いないのに)
かつて隣に並んでいた仲間たちの姿は、もうない。
真っ先にふざけて走り出していたテオも、そんな彼を笑ってたしなめていたルッカも。
目が合うだけで温もりをくれたヴィクトも、黙って皆を見守ってくれていたノランも――誰ひとり、そこにはいなかった。
(まだ、実感がない……夢みたい。でも……これは、現実なんだ)
胸の奥が、きしむように痛む。
どうしようもない喪失感と、生き残ってしまったという罪悪感が、絡まり合って離れない。
そんな想いをそれぞれに抱えながら、一行は静かにギルドを目指して歩き出す。
夜の街はすでに喧騒を失い、冷たい空気だけが静かに彼らの背中を押していた。




