第十四話:城門の前にて
街へと向かう夜道。
星明りと街道の灯がかすかに照らす中、靴音と少年の声が静寂を破る。
「遅いぞー! 急げ、急げー!」
背後から響く煽り声に、グラントは振り返ることなく走り続け、ふぅと小さくため息をついた。
(……あいつ、どんだけ元気なんだよ)
その背には、必死に揺れに耐えながらもしっかりとしがみついているシエルの姿。
驚いた顔のまま、彼女は言葉もなくグラントの背中に身を任せていた。
(グラントさん……速い。でも、それよりも……!)
シエルがしがみつきながら、後ろを振り向く。
その視線の先、彼女の驚きの理由がそこにあった。
グラントとほぼ同じ速度で、まったく息を乱さずに並走する二つの影。
一つはしなやかで力強い銀灰の大きな獣。
そしてもう一つは――金髪に仮面をつけた、華奢な少年の姿だった。
その足取りはまるで軽い散歩でもしているかのよう。
(……シエルを背負ってるとはいえ、俺もかなり飛ばしてるんだがな)
街道の周りの草花が、風に揺れるように次々と視界を流れていく。
その中で、二人の走りはまるで風そのものだった。
音を立てず、しかし確かな足取りで地を蹴り、影が風に溶けるように駆け抜けていく。
『――あいつ、意外と速いね。あんな大きな武器を横に構えたままで、しかも林の中を、まるで障害物なんか見えてないみたいに……』
シリルが息を乱さずに言葉を送る。
その声には、わずかに感心と警戒が混じっていた。
『ああ。それにな……あのシエルってのを背負ってるのに、ほとんど揺れてない。重さを感じさせない走り方だ。器用なもんだよ』
アルマもまた静かに応え、走っているというのに、どこか余裕さえ感じさせる。
『……まあ、俺はお前をよく乗せてたから慣れてるけどな』
そう続けた言葉には、どこか誇らしげな響きがあった。
過去を懐かしむようでいて、今も変わらぬ距離感を保っている自負のようなものが滲んでいた。
『それはそうだね。でも、結構揺れてたよ?たまに枝にぶつかってたし』
くすっと笑いを含んだシリルの返しに、アルマは鼻を鳴らす。
『ふん、あれはわざとだ。お前が居眠りしないように、刺激をくれてやっただけだ』
ふたりの軽口がしばし風に紛れて流れたが、やがてアルマの声が少しだけ真面目な色を帯びる。
『……それより、さっきお前、なんで機嫌悪そうだったんだ?』
その問いは、無関心を装ったようでいて、しっかりとシリルの内面を見ていた証だった。
『……だって、一撃目を止められて、追撃も止められて。最後は相手の油断で、まともに当てられたの一発だけで、しかもほぼ無傷だったし』
『ああ、悔しかったのか。相変わらず負けず嫌いだな』
『アルマは悔しくないの?』
『俺は……まあ、本気で殺しに行ってたわけじゃないからな』
『……それは、そうだけど。それでも悔しいものは悔しいんだってば』
会話とともに、視線の先に大きな壁は近づいてきた。
そして、ついに目の前にそれはあった。
――城塞都市クアガット。
エルディア領の南東、貿易と職人の街。
人口八千を超えるこの都市は、領都リュミエールに次ぐ規模を誇る要衝である。
夜は基本的に城門は閉まっている。
グラントは、城壁の上から監視をしている衛兵達からギリギリ見えない位置に止まり、シエルを下す。
「すみません、ありがとうございます。」
シエルがおりて、低い姿勢をとりながら礼を言う。
「さて、ここまで来たはいいがどうするか」
シリルとアルマもすぐ後ろにいる。
なぜ隠れているかはわかっていないが、二人とも低い姿勢をとっている。
シリルが質問する。
「え?普通に行けばいいんじゃないの?」
グラントは首を横に振る。
「ただでさえ、この時間は門を開けることなんてあり得ない。そうすると、その横の衛兵達が使う通路から入ることになる」
「しかしだ、いくらハドリーといえど、この短時間で全衛兵を説得なんてできやしねえ」
シリルは黙って続きを待つ。
「つまりだ。俺はシエルの捜索のために出ると言って、ギルドの権利を使って通路から出させてもらったが、帰りはお前らがいる。シエルだけなら普通に入れるが、仮面の子供と魔獣のセットじゃ……まあ無理だろう」
「ふーん?」
理解したのか、してないのかわからない返答をするシリル。
「まあつまり、ハドリー待ちってことだ。」
様子をうかがっていると、上空から何者かが近づいてくる気配がした。
グラント、シリル、アルマの三人は、すぐにその気配の正体を察知する。
「ウィスだ」
グラントが低く呟くと同時に、淡い光を纏った小さなフクロウが宙を滑るように近づいてきた。
ハドリーと契約している風の精霊──ウィスだった。
その姿を認めた瞬間、グラントは顔を上げ、ウィスに問いかける。
「それでどうやって、シリルたちを中に入れるんだ?」
ウィスはくるりと宙で一回転すると、ハドリーの声が応える。
「前例はありませんが、一応、裏技で強引に通す手段があります」
「そんな方法があるのか!?」
グラントが驚く。
シエルも「裏技…?」と小声で首を傾げる。
「はい、ですがその前に――」
ウィスがくるりと向きを変え、アルマに視線を送る。
「使役紋のないアルマさんをどうやって通すかが問題です」
その言葉に、一同が思わず黙り込む。
確かに、使役獣であると証明できる紋がなければ、魔獣を入城させることは不可能だ。
『……ああ、さすがにこのままだと目立つか』
アルマが軽く肩をすくめ、隣のシリルに目を向ける。
「……あ、わかった」
シリルが小さく頷くと、アルマはふわりと宙に浮かび、羽のように音もなくシリルの足元へと舞い降りた。
その瞬間――
月光で伸びたシリルの影に、アルマの身体がすうっと沈み込んでいく。
まるで水面に飛び込んだかのように、波紋ひとつ立てず、影の中に溶けるように消えていった。
「……っ、消えた……!?」
シエルが思わず声を上げ、目を見開く。
「……この魔法、まさか……」
ハドリーも表情を強ばらせたまま、呟く。
「“影潜”…!?」
グラントが、衛兵に聞こえないよう声を潜めつつ、息を飲むように言った。
三人が三様に、驚きに目を見交わす。
「影潜……?」
ぽかんとした声で、シリルがグラントの言葉を繰り返す。
どうやら聞き覚えがないらしい。
「おい……まさか影潜を知らねぇのか?」
「うん。そういう名前だったんだ?」
平然と返すシリルに、グラントは言葉を失い、ウィスは軽く額に羽を当ててため息をついた。
「本当に……不思議な方達ですね」
影と完全に同化し、外部からの視認すら不可能となる高度な潜伏魔法――それが《影潜――シャドウ・スレイド》だ。
アルマが影に入った姿を見て、彼らはそれと同じ魔法だと判断した。
しかし――実際には、アルマの行ったことは影潜ではなかった。
魔法陣もなければ、詠唱もない。
ただ自然に、影の中に溶けるようにして姿を消した。
だが、影潜自体が極めて珍しい魔法であるため、誰もその違いには気づかない。
本当の“それ”が何なのか、知る者はここにはいなかった。
ウィスは一度顔を振り、気持ちを切り替えるように小さく息をついた。
「本当は、使役紋をつけてもらうことも考えたんですが……」
ウィスが軽く肩をすくめる。
「アルマさんが隠れられるなら、その必要もなさそうですね。問題はないでしょう」
グラントはまだシリル達を興味深そうに見ていたが、ウィスの方に向き直る。
「それで、シリルをどうやって入れるんだ?」
「『同行許可証』という手もありますが、手続きに時間がかかりますし、許可が下りるかどうかも微妙なので――今回は『特別口頭承認』で行きます」
「……同行許可証は聞いたことあるが、特別口頭承認って?」
説明を始めるウィスの声は、淡々としているのに、妙な説得力があった。
「特別口頭承認は、ギルドが各自治体に持ちかけた制度です。緊急時、同行許可証なしでも関所を通せる。今のところはまだグレーで、使われた事例は少ないですが」
「そ、そんな制度あったのか!? 聞いたことねえぞ」
「知らないのも無理はないです。知ってるのは王族や領主、ギルド側だと領域統括官クラスくらいですよ」
グラントが目を見開き、苦笑する。
「なんでお前はそんなことまで……。ほんと、どっから情報仕入れてんだよ……」
「さあ、企業秘密です」
ウィスがひらりと一回転して見せる。
精霊の軽やかな動きに、グラントはあきれたように鼻を鳴らした。
「で、実はアルセディア王国は領主の判断に任せてるんですが……エルディア領はこの制度を認めています。前例はありませんけどね」
「強行突破だな、こりゃ……」
グラントが頭をかく。
隣では、シエルが話についていけず、ぽかんと口を開けていた。
一方のシリルはというと、すでに話には飽きたのか、静かに城壁のほうを眺めていた。
「この話が地頭代に届くのは、明日の朝でしょうから。――入ってしまえば、こちらのものです」
悪びれもなく笑うウィスに、グラントは呆れたように眉をひそめる。
「……お前なあ」
「それで、特別口頭承認は関所の責任者の許可が必要なので、すでに城門隊長のガストンには話を通してあります」
「ガストンか……。いくら話のわかるあいつでも、よく了承したな……」
「ええ。私が関所のガストンののところに行き、 “今回の事件の最重要人物です!身分は明かせませんが、とにかく緊急!子供を野宿させるおつもりですか!?お願いします!制度ってこういう時に使うんじゃないんですか!?”……と、半ば脅しのような勢いで押し通した、ということにしてくださいと伝えてあります」
「おいおい……まじか。しかも押し通したことに“してください”って……」
グラントは思わず頭を抱える。
「もちろん、後の責任は私が全部取る前提です。制度の穴というより、柔軟な運用ということで」
「……ったく、今さらだが……なんでそこまでする?登録してないってのは異例だが、前例がないわけじゃねぇ。罰金を俺らが肩代わりして、正規手続きを踏めば……確かに時間はかかるが、正攻法だろ」
グラントの真っ当な疑問に、ハドリーは軽く目を細めて答える。
「そこまでしてでも、シリルさんにはギルドに来ていただきたい理由があるんです。――話せば、わかりますよ」
「……そうなのか」
納得しきれないままも、それ以上は聞かず、グラントはひとつ息をついた。
二人のやりとりが一段落すると、場の空気が少し緩んだ。
「……じゃあ、行きましょうか」
ウィスが振り返って言うと、シエルも頷き、ようやく面々は足を動かす。
夜の冷たい風が、静かに城壁の方から吹き抜けてくる。
月明かりが石畳を照らし、そこにシリルたちの影がいくつも重なった。
「……あの中に入れるんだよね?」
シリルがぽつりと呟く。
「ええ。もうすぐです」
ウィスがにこりと笑い、城壁の門へと歩みを進めた。




