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第十二話:揺れる焚火と、胸に残る悔恨

 グラントが、先ほどシリル達が使っていた薪に手をかざす。

 小さく息を吐き、掌に魔力を乗せて魔法を想起した。

 ぱっと宙に簡素な魔方陣が浮かび、そこから小さな炎が現れる。

 炎はふわりと舞って薪へと触れ、次第に赤く温かな火が戻ってきた。


 焚き火の明かりが、揺れる影を五つ描く。

 それぞれの胸に去来する思いがある中、ようやく誰からともなく言葉を交わし始めた。


「……まずは改めて自己紹介をしましょうか」


 控えめに口を開いたのは、ウィス――を介して話すハドリーだった。

 落ち着き払った声音に、自然と皆が耳を傾けた。


「改めまして。精霊を通じての声で失礼します。私はハドリーと申します。ここから近い街、エルディア領クアガットにある冒険者ギルドで支部長を務めています。そして、こちらが契約している風の精霊──ウィスです」


 ハドリーが改めて丁寧に自己紹介の言葉を述べると、それに合わせるように、ウィスが丸太の上でふわりと姿勢を正し、深々とお辞儀をした。

 その隣では、グラントが頭を掻きながら、ふぅと小さく息を吐く。

 どこか気が抜けたような仕草だったが、緊張の糸が少し緩んだことを感じさせた。


「同じくギルド所属、副支部長のグラントだ」


 一方、ハドリーとは対照的に、男の方はぶっきらぼうに軽く頭を下げるだけだった。

 なぜか、シリルの表情はどこか苛立っているようにも見える。

 敵意は感じられないが、怒りの残滓がまだ拭いきれていないのかもしれない。

 隣のアルマが、不思議そうにシリルを横目でちらりと見た。


 沈黙が流れる中、シリルが何も言わないため、シエルが戸惑いながらも紹介を繋ぐ。


「えっと……こちら、シリルさんと、アルマさんです。見たことのない魔獣に襲われていた私を……助けてくださいました」


 シエルの言葉に、ハドリーの表情がわずかに動く。


「やはり……そうでしたか」

 

 そう呟くと、ウィスが代わりに深く頭を下げる。


「シリルさん、アルマさん。シエルを助けていただき、本当にありがとうございます。どんな言葉を尽くしても足りませんが……心から、感謝します」


 続いてグラントも、ばつが悪そうに頬をかきながら立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。


「驚かせてすまなかった。礼が遅れて悪かったな……俺からも、ありがとう」


 しかし、シリルはどこか無関心な面持ちのまま、軽く肩をすくめるだけだった。


「……別にいいよ」


 その淡々とした言葉に、一瞬場が静まる。

 だが、空気を壊すことなく、グラントが座ったまま少し身を乗り出して、先ほどの言葉に引っかかったように問いかけた。


「……それで“見たことのない魔獣”ってのは? 倒したのか?」


 グラントが訝しげな表情を浮かべ、座ったまま体を少し前に乗り出す。


 少し間をおいて、シエルが頷いた。


「あ、はい。そうです。シリルさんとアルマさんが倒してくれました」


 グラントの眉がひそめられ、さらに低く鋭い声が続く。


「死体はないのか?」


 問い詰めるような調子に、シエルは困ったように視線を彷徨わせる。


「あ…えっと、その、死体はですね……」


「食べたよ」


 言葉を遮るように、シリルが淡々とした口調で口を挟んだ。


「……っ! 食べた!?」

「た、食べた……!?」


 グラントは目を見開いたまま、言葉を失っている。

 ウィスもまた、ハドリーの驚きをそのまま反映するように目を丸くして固まっていた。


 一方で、シリルとアルマはふいに上がった声に少し驚いたように目を瞬かせる。


「……あ、そちらの銀狼(シルバーウルフ)――アルマさんがということですか?」


 冷静さを取り戻したハドリーが、確認するように問いかける。


「ううん。二人で」


 シエルが自分とアルマを交互に指差して、きっぱりと答えた。


「……魔素酔いは……しなかったのですか?」


 ハドリーが思わず尋ねる。

 すると、シリルは首を軽くかしげながら、なんでもないことのように言った。


「しないよ。いつも食べてる」


「……う、うそだろ……」


 グラントが素直に驚いた声を漏らす。

 まるで信じられないものを見たような顔で、シリルを見つめていた。


「……いつも?」

 

 ハドリーは驚きつつ、小さな声でぽつりと漏らす。

 その顔には、困惑と理解が追いつかない感情が入り混じっていた。


 無理もない。

 魔獣をその場で食べる――そんな行為は、常識から大きく外れている。


 確かに、魔獣の肉は適切に処理すれば食用にできる。

 街では加工済みの魔獣肉が流通し、料理として提供する店も多い。

 だがそれは、必ず「魔素抜き」と呼ばれる処理を経たものだ。


 魔獣の体内には魔力の源である魔石があり、そこから発せられる魔素が肉に深く染み込んでいる。

 これを抜かずに食べれば、“魔素酔い”と呼ばれる症状――倦怠感、吐き気、幻覚、筋肉の硬直など――を引き起こし、重ければ命に関わる。


 そのため、ただ焼くだけでは到底足りない。

 薬草による漬け置きなど、時間と手間をかけた処理が不可欠だ。


 ゆえに、魔獣を仕留めたその場で食べるなど、冒険者の間でも“極限状態の末の最終手段”か、“魔素酔いを承知の上で食べる物好き”、あるいは“何も知らない愚か者”の所業とされていた。


 そんな常識を、目の前の少年はあっさりと飛び越えていた。


 だが当の本人――シリルは気にも留めず、肩をひとつすくめているだけ。

 アルマもまた、当然のように尻尾をゆるやかに揺らしていた。


「……魔獣って、その場で食べるもんじゃねえだろ……」


 グラントが信じられないというように、低く呟く。


「焼いたら食べられるよ」


 シリルがあっさりと返すが、グラントはすかさず首を振る。


「いやいや、普通ぶっ倒れるぞ……」


 そんな彼らの反応に、シリルは気にも留めていないような顔で、肩を軽くすくめただけだった。

 アルマもまた、当たり前のような顔をして、地面に座ったまま尻尾を揺らしている。


 ――この少年、やっぱり只者じゃない。

 グラントとハドリーの胸に、じわりとそんな想いが染み込んでいく。


 そしてその横で、シエルは自分が何の疑問も抱かず二人を見ていたことに、今さらながら驚いていた。

 魔獣をその場で食べるなんて常識外れだ。

 それなのに、あの時は気にも留めなかった。

 仲間を失った衝撃と、得体の知れない二人に助けられた混乱の中で、思考が鈍っていたのだ。

 今、ハドリーたちの反応に触れて、あらためて――いや、さらに彼らの異質さを思い知らされるのだった。


 グラントは深く息をつき、気持ちを切り替えるように顔を上げた。


「……とにかく、魔獣の話は今は置いとこう。シエル、お前の仲間たち──《陽翔焔(サンフレア)》の皆は……どうなったんだ?」


 その言葉に、シエルの肩がわずかに揺れた。


「……っ。みんな、やられました……私だけ、生き残って……」


 ぽつりとこぼれた声は、焚火の熱よりもはるかに冷たく、寂しさを帯びていた。


 《陽翔焔―サンフレア》――彼女が所属していた、ヴィクト率いる五人編成のDランクパーティーだ。

 平均年齢は若かったが、着実に実績を積み重ね、クアガットでも異例の速さでDランクへと上り詰めた実力派。

 陽の光のようにまっすぐで、熱く、空を翔けるような気持ちを込めて名付けられたその名の通り、彼らは常に前を向き、明るい雰囲気を纏っていた。


 シエルは、その最後のメンバーだった。

 「パーティーランクを上げて待ってるからな」――それが、みんなとの約束だった。

 彼女が正式に加入するその日を、仲間たちは心から楽しみにしていたのだ。


 やがて、彼らは本当に約束を果たしてくれた。

 シエルが加入する頃にはすでにパーティーはEランクとなっており、そこからは彼女のために、全員が力を貸してくれた。

 そのおかげで、シエルはクアガット内で最速・最年少のEランク冒険者として認められるまでに成長した。

 ――それは紛れもなく、仲間たちの支えがあってこそだった。

 

 そんな、大切な仲間たちが――もう、帰ってこない。

 その事実を、いま自分の口から説明しなければならない。


 一瞬、口を開きかけて、けれど言葉にならず、シエルは唇をかみしめた。

 それでも、逃げるように黙っているわけにはいかない。

 深く息を吸い、震える声を押し殺すように、意を決したように口を開く。


 「……私たちは、調査の依頼で森の縁へ向かっていました。行方不明者が出ているって聞いて……」


 林に入ってからの行動。

 不穏な気配を感じていたこと。

 “あれ”と遭遇し、何が起きたのかもわからないうちに仲間が次々と倒れていったこと。

 ヴィクトが最後まで自分をかばい、自分だけが――生き残ってしまったこと。


 泣かないと決めていたのに。

 語るうちに、堰を切ったように涙が溢れた。

 必死で耐えていた心の防壁が、ひとたび言葉にしたことで崩れてしまったのだ。


 話し終えたとき、シエルは肩を震わせながら、黙ってうつむいていた。


「……そうでしたか」


 ハドリーが静かに呟いた。

 その声音には怒りも非難もなく、ただ深く沈んだ哀しみだけが滲んでいた。


「くそっ……! 俺が、俺が調査に行っていればっ……!」


 グラントが歯を食いしばり、座っていた丸太を拳で叩きつける。

 鈍い音が林の静寂を裂いた。


 誰も、言葉を続けられなかった。

 ただ、重く、息が詰まるような沈黙が流れる。


 やがて――ハドリーがゆっくりと口を開く。


「……今回の件は、ギルドとしての私たちの落ち度です。

 どれだけ言葉を尽くしても、もう彼らは帰ってこない……それでも、せめて、今は――」


 そう言うと、まるでハドリーが頭を下げているようにウィスが目をつむり、頭を下げる動作をする。


「本当に……申し訳ありませんでした」


 実際に頭を下げているのはウィスだが、その向こう側からただならぬ責任感がにじむ。

 その隣で、グラントも肩を震わせながら頭を垂れた。


「……すまねぇ。こんなことになっちまって……!」


 風が、林を抜ける。

 木々のざわめきだけが、悔恨と痛みの残る静寂の中を揺らしていた。


 シエルは、ぎゅっと拳を握りしめ、首を横に振った。


「い、いえっ……! あ、頭をあげて、ください……っ!」


 涙で顔をくしゃくしゃにしながら、かすれる声で叫ぶ。


「わ、私が……っ、弱かったんです……っ。た、戦う……その、覚悟も……ぜんぜん足りなくて……っ。ヴィクトさんたちの……そ、そばにいたのに……な、なんにもできなくて……っ。わ、私……ただの……足手まといで……っ!」


 言葉にならない嗚咽が混じり、シエルの声は震えながら詰まり、涙が止まらなくなる。

 必死に強がってきた心が、ぽろぽろと崩れ落ちていく。


 それでも、ハドリーもグラントも、頭を下げたままだった。


「……それでも、ギルドとしての責任は消えません。本当に……申し訳ございませんでした」


 静かに、しかし深く、ハドリーの声が重なる。

 彼の背中からは、真摯な想いがひしひしと伝わってくる。

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