第十一話:静かな夜の来訪者
3人が寝静まったころ、怪しい気配を感じて起きるシリルとアルマ。
『……アルマ』
『感じた。近いぞ』
こういう時、意思の伝達は便利だった。
声を発することなく、互いの認識を瞬時に共有できる。
シリルのすぐ傍ら、木の下ではシエルが無防備に寝息を立てていた。
夜の風が木々を揺らし、虫たちの囁きが空気に紛れる。
それら自然の音に紛れて――異質な気配が、忍び寄っていた。
一つは手練れ。
なぜなら、すぐそこまで迫るまで気配を感じ取れなかった。
もう一つは小さな気配。
だがそれは人でも、魔獣でもない。
今までに感じたことのない、得体の知れない存在。
気配は、距離を詰めてから静止した。
こちらの警戒に気づいたかのように。
視界の端にかかるか、かからないか――その微妙な位置で動かない。
シリルとアルマにも、久方ぶりの緊張が走る。
獣の狩りではない。
それは、かつて銀狼のボスと交えた張り詰めた空気に近い。
沈黙の中、シエルが寝返りを打つ。
その下の枝が――パキッ、と乾いた音を立てた。
刹那、二人の気配が爆ぜる。
魔力が全身を駆け巡り、気配を断ち切るように襲撃が始まった。
最速、最短、殺意を乗せた一撃――しかし、それは読まれていた。
気配の主は、寸前で攻撃を防ぐ。
だが完璧ではなかった。
防ぎきれず、吹き飛ぶ。
地面を抉り、土が舞った。
音に驚いて飛び起きるシエル。
何が起きているか、すぐには理解できなかった。
アルマは空中で体勢を立て直し、すぐに次の動きを探る。
小さな気配は上空へ――翼を広げ、月明かりの下にその姿を見せる。
だが、シリルは止まらない。
吹き飛んだ相手に、間髪入れず二撃目を叩き込む。
相手は辛うじて防ぐが、受け止めるだけで精一杯だった。
鋭く交錯する動き。
それは一瞬でも気を抜けば命を落とす、真剣勝負。
アルマが援護に回ろうと動きかけた、その時だった。
「――待ってくださいッ!」
声が、夜を裂いた。
月光の中に舞い降りたのは――フクロウの姿をした、小さな精霊。
その身から放たれる気配は、先ほど感じた"異質"そのもの。
「……戦う意思はありません!手を止めてください!」
放たれた声――確かに人の言葉だった。
それに含まれる切迫と懇願に、ほんの僅か、アルマともう一人の殺気が和らぐ。
――が。
「っぐあああ!」
叫び声が聞こえた。
止まらなかったのは、シリルだ。
叫び声の主は、その相手。
一瞬の油断が命取りになることを、誰よりも理解しているシリルにとって、相手の仲間の言葉は、ただの雑音にすぎなかった。
『シリル! 待て!』
空中で身を翻していたアルマが、シリルに直接叫ぶ。
援護体勢にあった彼には、俯瞰視点での違和感が見えていた。
相手の気配――戦意が、突如として霧散していたのだ。
その声に、シリルはようやく拳を止める。
だが、依然として構えは崩さない。
全神経を集中し、少しの動きも見逃さないように。
フクロウの精霊は、一度だけ静かに羽ばたき、近くの枝に舞い降りた。
そして、その小さな身体から、別の気配がゆっくりと溢れていく。
「……グラントさん、大丈夫ですか?」
優しい、透き通るような男の声が森に響く。
それは精霊の口から発せられたが、確かに“誰か”の声を通したものだった。
「……誰だ」
シリルが低く問いかける。
「このような形になり、驚かしてすみませんでした。私は冒険者ギルド・クアガット支部、支部長のハドリーと申します。……今はこの精霊を通して、お話しさせていただいております。そしてこの子は、私の精霊。名をウィスと言います」
フクロウの精霊――ウィスが、小さく羽を広げる。
その仕草は威嚇ではなく、まるで礼儀正しく頭を下げたかのようだった。
「……支部長?」
シエルが小さく呟く。
まだ状況が呑み込めていないらしく、琥珀色に光るその目は鋭いままだった。
その背後。
先ほどシリルの拳を受けて吹き飛ばされた男が、地面に突き刺さった鉄の塊を支えに、ゆっくりと立ち上がる。
それは、一見すると巨大な大剣のようにも見えるが、柄は側面に設けられており、実際には鋼鉄の塊をそのまま武器にしたかのような、無骨で異様な形状の重装武具だった。
重厚な存在感を放つそれを杖代わりに、男はゆっくりと歩み寄ってきた。
「……っくそ。勘弁してくれよ、ハドリーの声で気が緩んじまって……危うく死ぬとこだったぞ」
姿を現したその男は、全身を鋼鉄のような筋肉で覆い、身につけているのは動きやすさを重視した軽装の戦闘装備だった。
深緑の布地に、使い込まれた革を組み合わせた装いだ。
鋭い眼光と、まるで猛獣のような気迫。
傷跡の残る顔に刻まれた無骨さは、威圧ではなく、戦場を生き抜いてきた者の威厳と実力を静かに物語っていた。
「……グラントさん!?」
シエルの声が震える。
驚きと安堵が混じった、複雑な感情の滲む声だった。
そう。
彼はギルドの副支部長にして、Bランクの実力者――グラント。
「シエル!」
彼の顔に、わずかな笑みが浮かぶ。
しかしそれも束の間、すぐに辺りを見渡して、険しい表情を浮かべた。
「……シエル以外は……いないか」
フクロウの精霊・ウィスの探索によって、大体の位置を把握していたハドリーとグラント。
だが、精霊が感知できたのは、たった一人――シエルのみだった。
「……はい」
小さな声。
だが、その重みは誰よりも強く、確かだった。
グラントの目が、再びシリルとアルマへ向けられる。
今もなお気を抜かずに警戒を続ける少年と、その背に静かに佇む銀狼。
少年の異質さ。
そして、銀狼――“見た者は殺される”というくらい目撃情報が少ない魔獣。
怪しさしかない存在だが、支部長であるハドリーが精霊を通して止めたのなら、まずは手を出すべきではないと、判断した。
だが、警戒を解いたわけではない。
むしろ、その真価を見極めるべく、目を細める。
「……ハドリー、こいつらはいったい何者なんだ?」
問うグラントに、精霊を通してハドリーが穏やかに答える。
「……まだはっきりとは申し上げられませんが、少なくとも今夜、シエルさんの命を救ってくださったのはお二人のようですね。こうして彼女が無事に、お二人のそばにいる……それが何よりの証だと思います」
ひとまずの静寂が、夜の林に返ってきた。




