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第九話:狩りの始まり

 森を抜けた二人は、そのまま草原の中を歩いていた。


 アルマの背から降りたのは、シリルの希望だった。

 駆け抜けるだけではわからない、この世界の温度を、匂いを、音を――ちゃんと感じたかった。


 旅は、まだほんの始まり。

 どこかへ急ぐ必要もないし、追われているわけでもない。

 寄り道をしたっていい。

 立ち止まったってかまわない。

 今はただ、歩いて、見て、感じて――それだけで、充分だった。


「静かだね……街道なのに、人の気配も全然しない」


《ああ。この辺りは街から少し離れているし、時間も遅い。まあ、都合はいいな》


 陽は徐々に傾き、影はさらに伸びていく。

 草の穂が、金色に染まりながらさらさらと揺れ、風の通り道を教えてくれる。


 そんな風景に目を細めながら、シリルはふと仮面に手をやった。

 そして、躊躇いもなく外す。


《……いいのか?》

 アルマが横目で問いかけるように見上げてくる。


「うん。今は誰もいないし。気配がしたら、すぐ着けるよ」


 仮面を下ろした顔には、金色の髪がそのまま垂れていた。

 瞳もまた、琥珀色のまま、夕陽を映している。


「……あれ?」


 シリルは手にした仮面をひっくり返して見つめる。


「戻らないね……まだ残ってるのかな」


《気配はうっすら感じる。仮面の魔力が、しばらくは効き続けるのかもしれん》


「そっか。ま、いっか。」


 シリルは軽く笑い、仮面を腰に下げた。

 金色の髪が夕風になぶられ、琥珀の瞳がゆるやかに遠くを眺める。


「見て、あの虫。羽が七色だ」


 シリルが指さす先、小さな虫が夕陽を受けて光っていた。

 その周囲では、跳ねるように動く小動物の姿も見える。


「見て、あれ……耳がパタパタ動いてる」


 指さした先、小さな生き物がぴょんぴょん跳ねていた。

 丸っこい体に、長くて薄い耳。

 その耳が風に揺られて小刻みに動いている。


《あれは瑪瑙兎(メノウウサギ)だな。体温調整のために、耳で熱を逃がしてるんだ。だから風が吹くとああして――》


「へえ……なんか、面白いね」


 瑪瑙兎は、跳ねるたびに耳をひらひらと震わせる。

 羽虫が寄れば、器用に頭を振って追い払い、また草を食んでいた。


 と、シリルの腹が――ぐう、と鳴る。


「あ、なんか急に……お腹すいたかも」


《気づいたか。おれはもうさっきから腹ぺこだ》


 シリルはもう一度、瑪瑙兎を見た。


「……あれ、食べられないかな?」


《あれじゃ小さすぎて腹の足しにもならん》


「そっか。……残念」


 そう言いながら、二人は再び歩き出す。

 草原の終わりが近づき、足元には次第に落ち葉が混じりはじめる。

 風に乗って、木々の匂いが色濃く漂ってきた。


 だがその直後、風が――ふと、変わった。

 それはほんの些細なものだった。

 だが、二人の間に沈黙が走る。

 アルマが、ぴたりと足を止め、鼻をひくつかせる。


《……いるな》


「いるね」


《かなり離れてはいるが……獣の匂いが混じってる》


 その言葉に、シリルの表情が一変する。

 アルマが顔を上げる。

 蒼を帯びた銀の瞳、獣の本能がきらりと宿る。


《魔獣に似た気配……》


「飯だ!」


 アルマは一歩、地を蹴った。

 鋭い風が巻き上がり、体が前へと傾ぐ。

 すぐ隣で、シリルも地を蹴った。

 草を踏み分け、風と並ぶように駆け出す。


 林は、すぐそこだった。

 木々の密度が増し、日差しも届きにくくなっている。

 気づけば、草の香りよりも土の匂いのほうが濃くなっていた。


 その視線の先――林の奥深く、街道がくの字に折れるより先。

 視界には何も映らない。

 だが、確かに“何か”が荒れていた。

 葉擦れとは異なる、微かな衝撃の気配。

 空気の揺れ。

 動物のものとは違う、殺気とも呼べる鋭さが、風に紛れて届いてくる。


 殺気――それは、ただの威圧ではない。

 明確に“獲物”を狙う意志を伴った、濃く、粘りつくような気配だった。


《……いる。何かが、狙ってる》


 アルマの耳がぴくりと揺れる。

 ただ走るだけの脚ではない。

 狩るための脚――その筋肉が静かに、しかし確かに緊張していく。


 シリルもまた、息を殺して前を見据える。

 そして静かに、手にしていた仮面を顔に当てた。

 目元が影に覆われ、金色の髪が風に揺れる。

 この殺気――ただの魔獣のものではない。

 狙いに集中しながらも、周囲への警戒も怠っていない。

 そういう“狩人”の気配だった。


 だからこそ、こちらも油断はできない。


 シリルは身を沈め、音を殺すように林の中を進む。

 風に紛れ、気配も足音も残さず――その姿は、もはや獣のそれだった。

 隣を行くアルマもまた、銀の体を低く構え、風に溶けるように静かに進んでいく。


 二人は、互いの呼吸を合わせるように動いた。

 迅速に、だが無音で。

 ただ一瞬の油断が、相手に気取られる――そんな緊張が、一帯に漂っていた。


『な……な――よ、あれ……ッ!』

 風に乗って、かすかな叫び声が届いた。

 言葉は聞き取れない。

 ただ、誰かが必死に何かを叫んでいる。


『――ろ、――ルッ!!』

『でも、み――!』

『い――! ―れ、―けっ……!』


《急げ。向こうの“狩り”が終わる前に仕留めるぞ》


 音もなく伝わるアルマの意思に、シリルは即座に応じた。


《……わかってる》


 二人は林の中を進み、わずかに開けた空間へと身を滑らせる。


 そこには、いた。

 漆黒の毛並みに、青白い筋をまとった異形の魔獣――

 そして、その爪を受け止めるように、必死に剣を構える少女の姿。


 刹那、魔獣の体が低く沈み、鋭く跳ねた。


 その瞬間を――シリルとアルマは逃さなかった。

 風が裂ける音とともに、アルマが地を駆ける。

 それを合図に、シリルの体が宙へと舞う。


 轟音。

 銀の閃光が魔獣の巨体を吹き飛ばす。

 地を穿ち、土煙が舞った。


 着地点を見定め、シリルが降りる。

 水のように滑らかに、迷いなく――。


 一閃。

 刃が風を裂き、魔獣の首が静かに地へと落ちた。


 シリルは魔獣の顔を一瞥し、そのまま倒れ伏した後の少女――シエルへと一瞬だけ視線を向けた。

 が、すぐに隣へと目を戻す。

 そこには静かに歩み寄ってくる銀の狼、アルマの姿があった。


《ねえ、これ……見たことない魔獣だ》


 アルマはぴたりと彼の隣に並ぶと、じっと魔獣の死骸を見つめた。

 沈黙の中、鼻先で風の流れを確かめるように小さく息を吸い、低く、応える。


《……形は変わってるが、昔見た“邪牙狼(シャガル)”に近いな》


《シャガルって……ええ、これ?……動物には見えないけど……》


 倒れた魔獣の黒く歪んだ毛並み。

 その体は、馬車一台を軽く覆い隠すほど巨大で、筋肉の塊のような四肢が大地をえぐるように横たわっている。

 その隙間から、青白い筋が、微かに脈動するように光を放っていた。


《魔石でも喰ったか、瘴気を浴びたか……急に魔力を得て、制御できずにこうなったんだろう》


《動物でも、なるんだね……魔獣に》


《滅多にないが、森でも一度だけ見た。おまえが来る前のことだ》


 風が止む。

 夜の静寂がふたりを包み込んだ。

 その背後、少女――シエルは、地面に座り込んだまま、何が起きたのかを理解しきれず、ただ茫然と身じろぎもせずにいた。


 瞳を見開いたまま、血の気の引いた顔で――動けずにいた。

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