15 授業はハニートラップ?
今日は聖女見習いたちだけの“機密授業”。
何が始まるのか、誰も知らない──。
「はいはい、皆さん、席について下さい」
聖女見習いたちがざわつく教室に、先生の声が響いた。
──だって今日は“機密扱いの特別授業”。
内容は、なんと 「心理作戦」 だという噂まで流れている。
先生は筆頭聖女様である。フランソワ ヴァレンタイン先生。
いつものふんわりとした雰囲気はなく、黒髪を後ろに一つに束ね、眼鏡をかけていた。
手にはチョークを持って、黒板に”心理作戦授業”と書いていく。
何が始まるのかと、皆、ドキドキしながら待っていた。
「クロエ、何だか先生の雰囲気が違うね」
隣のラウラに言われて頷いた。10人あまりの生徒達は皆真剣な眼差しだ。
「男は“救われたい生き物”です」
「痛んだ羽根を真綿で包むように、心を包み込むのです」
えっ?……
いきなり何の話!?
――心理作戦の授業じゃないの?
「は……はいっ!」
生徒は皆、慌てて返事する。
「まずは“弱さの提示”です。男は、自分より健気で弱い者を守りたくなる」
先生はそう言うと、生徒の一人を立たせた。
「練習です。やってみなさい」
黒板に書かれたセリフを読む。
「えっと……『大丈夫です、私は平気ですから……』」
「違います! 声を少し震わせるのです。その弱さが、男心に触れるのです」
先生は生徒の肩に手を置いた。”力を抜きなさい”
「次に“微笑み”。
真っすぐ見つめて5秒。
目をそらす時に、ゆっくり伏し目に」
生徒たちは先生と一緒に練習する。ラウラと目が合い、思わず吹き出した。
――その瞬間、前の席の子がこっそり手で口を押さえて肩を震わせている。
「そこ、集中しなさい!」
あちこちで忍び笑いが聞こえて、先生が机の上をバシバシと叩いた。
「最後に“情報収集”。
治療中、相手の家族構成・領地・爵位をさりげなく確認します」
「そ、そんなこと聞いてもいいんですか?」
一人の生徒が質問する。
「質問形式は禁止です。自然な会話の流れを装って聞き出すのです」
例として:
「まあ……その傷、ひとりで背負ってこられたのですね。家族の方は、さぞご心配だったでしょう?」
――なるほど、こうすれば相手が自然に家族の話をするのか……
「聖女とは“男の心に触れる聖なる魔女”です。忘れないように」
生徒たちは全員声をそろえる。
「はいっ!」
「来週からは実践形式にしていきますから、そのつもりで」
「はいっ!」
授業が終わって、先生が部屋を出たときには、皆、唖然としていた。
これが、聖女教育? 情報収集なの? 私たちは一体、何を教えられたのかしら……
そう言えばココが良く笑いながら言っていた。
「ここは、女性スパイの養成所みたい。クロエが思うような立派な聖女様なんていないわよ」
そう言っては「今日見たのよ」と面白そうに教えてくれた。
その時は、信じなかった。”男の落とし方”を教えていたわなんていう、ココが悪く見えてしまった。
まだ10歳にもならない頃だった。そんなおませなことを言うなんて、変な本の読み過ぎじゃないかと思ったの。
ココは、小柄でやせっぽち、華奢な体のココは、見た目だけなら弱々しい普通の女の子にしか見えなかった。
けれど、その小さな目の奥には、どこか冷めた光が宿っていた。
まるで本の世界と現実を分けて生きているかのように、淡々と、しかし確実に物事を見抜いている。
私はよく、彼女の机の上に置かれた古い魔法書や心理学に関する書物を覗き見して、目を丸くしたものだ。
神官様が読むような専門書まで読み漁って、しかも内容を理解していた。知識だけではなく、その知識をどう使うかまで考えているように見えた。
クロエは机の上のノートに軽くペンを走らせながら、心の中で思う。
――ココは、私より小さくて弱そうに見えたのに、すべてを見抜いていた。
本を読むだけでなく、その知識をどう使うかまで考えていたのよね。
授業中の、フランソワ先生の言葉が胸に響く。
「男は“救われたい生き物”です」
クロエは無意識に、ココの顔を思い浮かべた。
――あの子なら、きっと楽しみながら、そして正確に学んでいたはず。
私がいくら努力しても、あの子の前では、まだまだ足りない。
霞がかった空を見上げ、クロエは小さく息をつく。
――ココ、元気にしているかしら……
その時、遠く神殿の方角で、微かに空気がざわめく気配を感じた。
小さな光の中で、知らぬ間に闇が揺れていた。
次回は、月曜日または火曜日に更新予定です。




