12 揺らぐ光
ここから第2章「闇のかけら」に入ります。
今回は神殿側、クロエの視点で小さな“揺らぎ”が描かれます。
3年前までは、ここは無名の神殿だった。
王都にある本殿を除けば、地方の神殿が名を上げるなど珍しい。
だが隣接する辺境領から、瘴気に侵された患者がたびたび運び込まれたことで状況は変わった。
治療に用いる聖水――その鮮度が良いのか、質が良いのかは誰にもわからない。
ただ一つ、治癒の効果だけは他所より格段に高かった。
その噂は瞬く間に広まり、この神殿は“名のある神殿”へと変貌していった。
今回クロードが、大切な御方をわざわざここに運んだのも、距離だけが理由ではなく、
「この神殿なら助かる」
そう信じるだけの実績があったからだ。
――だが、その聖水の力が、近ごろ少し落ち始めていた。
焦っているのは治療に当たる神官たちと聖女たち。
もともと聖女には瘴気を祓う力はない。
ただ、聖水に光を与え……力を“宿させる”ことだけはできた。
「アマリ様、聖水をいつもより増やせとのお達しです」
アマリは、その美しい顔をわずかに歪めた。
聖水の力は変わっていないはず。
……おかしい。
そう思いつつも、要請には応えなければならない。
「分かりました。急いで運びます」
アマリは見習い聖女たちに声を掛けた。
「今日はいつもより多く作りますよ。お願いしますね」
皆、黙って頷いた。そうするしかないのだ。
その中で、クロエだけが胸の奥に引っかかりを覚えていた。
(……あの子がいなくなったからだわ。これは、3年前のあの頃に戻っただけ)
やせっぽちで、アメジスト色の大きな瞳だけが印象的だったあの子。
金茶色の髪をひとつに束ね、灰色のお仕着せを翻しながら、中庭を掃きつつ歌っていた、小さな女の子。
あの子が消えてしまってから、この神殿は――どこか輝きを失った。
中庭を見渡しながら、クロエは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
誰も気づかないほどのわずかな気配。
石畳の下の闇が、光をほんのわずかだけ飲み込んでいるような――
そんな気配が、神殿のどこかからひそやかに漂ってきた。
クロエは小さく息を呑み、目を細めて周囲を確かめる。
いつも通りの静かな朝――なのに、胸の奥でくすぶる違和感は消えなかった。
誰も気づいていない。不思議なほどに……
「クロエ、ちょっと聞きたいことがある」
治療棟の神官に呼び止められ、執務室へ向かう。珍しいことだ。神官様に個人的に呼ばれるなんて、思いもよらなかった。
「前に下働きだった、ココという子は、君と同室だったね」
用心しつつ答える。
「はい、そうです」
「聞きたいが、彼女は魔力が使えたのか?」
「いえ、存じません。使っているのを見たことはありません」
神官様は満足そうに頷いた。
「やはり、そうだね。記録になかったから確認したかった」
なるほど、そういうことなのね。
鑑定はされなかった、とココが言っていたけれど……。
神官様は、魔力がなかったから記録されなかったと思っているのだろう。
「あの、ご用件は以上でしょうか?」
「ああ、もう行って良い」
神官様の部屋を後にし、ふと中庭に目をやる。
やはり、以前より光が弱いように感じるのは、気のせいだろうか。
光は少し弱く、空気はいつもより重い。
誰も見ていない石畳の影や柱の下で、黒いかけらのような気配が、ひそやかに揺れていた――
それはまだ小さく、ほんの気配だけ。
「……神殿の奥底で、何かが芽吹き始めている」
彼女は小さく息をつき、月を仰いだ。
雲の切れ間から淡く漏れる月光さえも、影に少しだけかすめ取られているように見えた。
誰も気づかないなんて……。
みんな、たいしたことないのね。
ココ、あなたは今、どこで何をしているのかしら――。
雲の切れ間からのぞく月を見上げ、クロエはそっと心の中であの子を想った。
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