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聖女という名の魔女達  作者: 星降る夜
第1章 光のかけら

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プロローグ あの日、君はいなくなった。


 戦争は五年も続き、国は疲弊し、降伏した。

 かつての栄華は見る影もなく、帝国に膝を屈した敗戦国。それが私の生きる世界だった。


 私は十二歳になっていた。父は戦場に散り、母は苦労と病で後を追った。


 頼る親戚もなく、孤児院はどこも満員で、私達きょうだいは「労働力」として地方へ売られることになった。


 ガタガタと揺れる馬車の中には、私達を含めて六人の孤児が詰め込まれていた。


 向かいには三人の少年。金髪、赤毛、茶髪。隣には、私と同い年くらいの太った男の子。女子は私一人だった。


 「お前さ、何、ぶ厚い本読んでんだよ」


 赤毛が、隣の金髪の少年に絡んだ。


 金髪の少年は、見るからに育ちが良さそうだった。泥にまみれた私達とは違う、綺麗な空色の瞳。彼が膝の上で開いているのは、革装丁の難しそうな医学書だった。


 「父が遺したものだ。いつか、人の役に立つために」


 少年は顔を上げ、毅然と言い返した。国が滅んでも、家がなくなっても、誇りだけは失っていない瞳だった。  だが、それが気に入らない者もいる。


 「お前の家、領主だったんだろ。知ってんだよ!」

  「やめろ!」


 赤毛が本を奪い取り、乱暴にページを破いた。金髪の少年が必死に抵抗する。  私は弟の頭を抱きしめて震えることしかできなかった。


「静かにしろ!」  御者が怒鳴り込み、二人を殴りつけて黙らせた。


 馬車が再び動き出した時、私は足元に落ちていた破れたページをこっそりと拾い、金髪の少年に渡した。

 彼は驚いた顔をして、それから弱々しく微笑んだ気がした。


 夜遅く、私達はそれぞれの奉公先へ引き渡された。


 弟は子供のいない優しい老夫婦のもとへ。私は、病気の奥様がいる大家族の家へ。


 そして、あの金髪の少年と、いじめっ子の二人は、村で一番厳しい牧場主の屋敷へと連れて行かれた。


 それからの日々は、生きるだけで精一杯だった。


 朝から晩まで働き詰めの日々。それでも日曜の礼拝で弟の元気な顔を見ることだけが救いだった。


 けれど、あの牧場へ行った三人は、一度も礼拝に来なかった。


 赤毛と茶髪が物を盗んで逃げたという噂を聞いたのは、数週間後のことだった。


 「あいつらは逃げた。金髪はどうしたんだろう?」


 胸騒ぎがして、私は礼拝をサボって牧場へ走った。


 馬小屋の隅に、彼はいた。


 かつての品の良い面影は消え、顔はあざだらけ、手は傷だらけだった。私を見ると、彼は泥のついた手で顔を隠そうとした。


 私は家からくすねた残飯を差し出した。彼は貪るようにそれを食べた。


 「……僕は、この世界に必要がないのかもしれない」


 ポツリと彼が漏らした言葉が、私の胸を鋭く刺した。


 医学書を読み、未来を見ていた瞳から、光が消え失せていた。


 「もう少し大きくなったら、一緒にどこかへ行こう」


 私は精一杯の言葉をかけた。慰めにもならない約束。彼は悲しそうに笑うだけだった。


 それからも私は、暇を見つけては彼に薬や食料を運んだ。名前さえ知らなかったけれど、彼が生きていてくれることが、私自身の希望のようでもあった。


 ある日、いつものように馬小屋へ行くと、彼の姿がなかった。


 代わりに、納屋の裏の焼却炉から煙が上がっていた。

 近づいて中を覗き込む。


 黒く焼け焦げた、あの革の表紙が見えた。


 あの残酷な牧場主に、燃やされてしまったのだ。

 お父様の形見。彼の魂そのものだった本が、無残に煙を上げている。


 声をかけても、返事はなかった。


 彼はもう、いなかった。


 数日後、金髪の少年が死んだと聞いた。


 遺体を見たわけではない。でも、あの焼却炉の煙を見た時、私は悟ってしまったのだ。彼の心は、もう殺されてしまったのだと。


 あの時、もっと一緒にいてあげればよかった。


 無責任な約束ではなく、ただ隣にいてあげればよかった。  ごめんね。本当にごめんね。


 それから数年。


 私は死んだように生きた。

 弟が成人し、独り立ちできる歳になったのを見届けたある冬の日。


 私は、冷たい湖へと歩を進めた。


 好きとか、愛しているとか、そんな色めいた感情じゃなかった。


 ただ、志高い若者の未来さえ守れなかったこの世界に、未練がなかった。

 あの子を一人にしておくのは可哀想だ。


 ただ、それだけだった。


 ――それから、数十年が過ぎた。


 かつての敗戦国は、革命によって生まれ変わっていた。


 帝国からの独立を果たし、新たな国を建国した英雄王。


 民衆に愛され、歴史に名を刻んだその老王は、晩年、ふとお忍びでとある片田舎の村を訪れた。


 懐かしい湖のほとり。


 かつて地獄のような日々を過ごした場所だが、今となってはそれも、己を鍛え上げた記憶の一片に過ぎない。


 「……ここも変わらないな」


 王は、湖を見下ろす丘にある小さな墓地の前で足を止めた。


 そこには一人の老人が、花を供えていた。


 「おや、ご老人。誰の墓かな」


 王は気さくに声をかけた。


 老人は王の顔を見ても、それが誰だか気づかない様子で、寂しげに墓石を撫でた。


 「私の姉ですじゃ。もう、何十年も前になりますがな」


 王の記憶が刺激される。


 そういえば、あの辛かった少年時代、馬小屋までパンを運んでくれた少女がいた。名は思い出せないが、気が強く、面倒見の良い少女だった。


 「そうか。……彼女は、幸せだったかね?」


 王は穏やかに尋ねた。


 自分が生き延び、こうして国を平和にしたのだ。彼女もきっと、どこかで平凡な幸せを掴み、孫に囲まれて天寿を全うしたに違いない。そう信じていた。


 むしろ、そうであってくれなければ困る。あの地獄を生き抜いた同志なのだから。


 だが、老人は首を横に振った。


 「いいえ。姉は、自ら命を絶ちました」


 王の笑顔が凍りついた。


 「……なぜ」


 「或る男の子の後を追ったのです。同じ馬車で売られてきた、名も知らぬ金髪の少年でした。あの子が死んだと聞いて、姉はずっと心を病んでおりました。……『一人にしてはおけない』と、そう書き置きを残して、この湖へ」


 風が止んだ。


 鳥の声も、湖面のさざめきも、王の耳にはもう届かなかった。


 「……え?」


 王の喉から、乾いた音が漏れた。


 あの日。


 自分は死んだのではなかった。牧場主の理不尽な虐待により、命よりも大切にしていた父の形見の本を焼却炉へと放り込まれ――すべてを失った深い絶望の中、隙を見て逃げ出したのだ。


 その後、革命軍に拾われ、血を吐くような努力をして今の地位を築いた。


 心にはいつも優しい少女の面影を抱いていた。


 なのに、なぜ生きていると、伝えなかった?


 いや、伝わるはずだと思っていた。まさか死んだことになっているなど知らなかったのだ。


 自分がこれほど有名になれば、いつか彼女も気づくだろうと。  あるいは、彼女のことなど、日々の忙殺の中で忘れていたのかもしれない。「元気でやっているだろう」という、残酷な希望的観測と共に。


 「なんて……ことだ」


 老王はその場に膝をついた。


 きらびやかな王冠も、称賛される偉業も、今この瞬間、何の意味もなさぬガラクタに変わった。


 私は、殺したのか。


 私を憐れみ、私にパンをくれた、たった一人の少女を。


 私が「生きて成功すること」そのものが、彼女を殺す引き金だったというのか。


 墓石には、風化した文字で彼女の名が刻まれている。  王はその名を指でなぞり、慟哭した。


 その涙が、乾いた大地に染み込んでいく。


 だが、どれほど泣こうとも、どれほど悔やもうとも。


 すれ違った魂は、二度と戻らない。


 聖女のように優しく、魔女のように頑なだった少女は、もういないのだから。


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