5 日 目 ――湯上谷宗助④――
「あの……」
その日の不破からの電話は、ひどく真剣な様子であった。
今まではただ簡単にその日してきたことを伝え、自分がそれに「分かった」と答えるだけのやりとりであったが、今日は不破がなかなか話を切り出さない。
宗助はまず、不破が「この実験を切り上げたい」と言い出すのではと推測した。
今まで読み取った毛受のLaplaceの話から、彼がスマートホンにひどく依存していることは分かっている。
それが使えない今の状況は、宗助には想像ができないほど苦痛なのだろう。
実際宗助の予想は大筋では当たっていた。
ただ、すぐに実験の中止を申し込むほど、不破は気が大きくはなかった。
「ネカフェ……」
「ねかふぇ?」
「ね、ネットカフェ使っちゃだめですか!?」
「ネットカフェ……」
宗助は同世代の人間との会話では滅多に出ない単語を思い出すため、黴臭い頭の戸棚を上から順位開けていく。
3段目あたりまで調べたところで、そこがどういう場所かようやく思い出した。
「つまり君はインターネットが使いたいのか?」
「はい……その……実験で必要なのはわかるんですけど、精神的にもう耐えきれなくて……」
「・・・・・・」
震える声から、不破がどれほど追い詰められているのか宗助にも伝わった。
このネットカフェの提案にしても、本人からすれば清水の舞台から飛び降りるほどの覚悟で言ったのだろう。
その気弱さに半ば呆れ、半ば今回の実験に本当に最適な人間だったと感謝しながら、許した場合許さない場合両方のケースを考える。
許せば学生達と連絡が取れ、実験そのものが即崩壊するかもしれない。
ただし、許さなければ指数関数的にストレスがたまり、最悪犯罪まがいのことをするかもしれない。
どちらも一長一短であり、軽々に返事は出来ず、宗助は「追って連絡する」と答え、電話を切った。
そしてすぐにいつかのIT専門家の友人に電話で相談する。
彼の返事は簡潔であった。
『それぐらい認めてやれ』
「しかし、それでは実験が……」
『どうせLaplaceを見る事なんてできないさ』
「何故だ?」
『ネカフェのパソコンじゃLaplaceは動かん。あれはスマホ専用だ。よしんば動いたとしても、IDやパスワード、二段認証など問題は山積みだ。非常に優秀な学生ならそれでも繋げられるが、お前のところはそうじゃないんだろ?』
「IT関係はよく分からんが、まあ精通しているようには到底見えないな」
実験を始める前に不破について詳しく調べたが、成績は大分悪かった。
要領が悪いのかとっている授業の割には取得単位が少なく、留年ぎりぎりという体たらくである。
そんな、実験の意図も見抜けないような頭脳の持ち主だからこそ、今回のスケープゴートに選ばれた。
『だったら好きにさせてやれ』
「……わかった、そうしよう」
宗助は友人への電話を切ると、すぐに不破のいるホテルにつなげる。
電話の様子から、あまり放置しておくとどうなるか分かったものではない。
「もしもし!?」
だいぶ高揚した声で、不破が電話に出る。
宗助はわざとらしく咳払いしてから話し始めた。
「本来なら君の提案は決して許されることではない。しかし、球場や電車内にも、インターネットに繋がった媒体が山のようにある。それらを全て見ない生活は、現代日本では不可能に近い。それに君も大分つらそうだ。今回は特例として……そうだな、1日1時間だけは許可しよう」
宗助が時間を決めたのは、その程度なら不破もLaplaceにつなぐことはできないだろうという打算があったからだ。
尤も、目が届かないこの状況ではその約束が守られるか分かったものではないが。
「あ、ありがとうございます! あの、それで、ついでと言っては何ですが、いまこっちだとネットが使えないので、最寄りのネカフェの場所を探して……」
「そこから先は自分でどうにかしたまえ」
気が大きくなって要求が増えた不破の電話を、宗助は一方的に切った。
不破の性格を考えれば、この対応で再び何か頼むことはないだろう。
宗助は定例の電話が終わると、パソコンでLaplaceのやり取りを確認する。
やりとりの量が増えてきたので、早朝と夜の2回に分けて、教授室で確認するようにしていた。
学生達にとっても不破の一件はかなり興味を引かれるテーマらしく、未だに話題の中心だ。
ただ、その中の書き込みの1つに、無視できない物があった。
(盗聴、か……)
学生の1人が、不破失踪に関して自分が関係しているという噂を妄信し、教授室に盗聴器を仕掛けると言い出したのである。
そんな事をする前に、まず話を聞きに来ればいいのにと宗助は心の底から思ったが、今の学生にとっては教授に直接話を聞くより、盗聴器を仕掛ける方がハードルが低いようだ。
いくら実験のためとはいえ、さすがにこれを黙認するわけにもいかない。
宗助はさっそく例の友人に電話をかける。
『またなんだ?』
「学生が私の部屋に盗聴器を仕掛けるつもりらしい」
『おいおい、最近の学生はおとなしいとか言っておきながら、すごいことをするな!』
「行動のふり幅が極端すぎるのだ。口を開けばプライバシー、プライバシーと言っているくせに、やってることは迂闊の一言にすぎる。Laplaceはログが消せないから、犯罪の証拠はしっかり残るのに、こんなことを書き込むなど……。実践的なことを教えてきたつもりだが、私の講義からいったい何を学んでいるのやら」
宗助の中にある教師としての部分が、ため息を吐かせる。
彼らはあまりに教え甲斐のない生徒だった。
『ははは、お前も大変だな。で、どうする。盗聴器の発見器でも貸すか?』
「そうだな……」
宗助は即答せずに少し考える。
常識的に考えれば盗聴器を見つけて取り除くべきではある。
Laplaceを監視しているので犯人は一目瞭然だが、監視がバレてしまうので罪に問うことはできない。
結果的にお互い痛み分けのような形で、内々に処理するのが大人としての常識ではある――
――――が。
「首謀者の学生に罰を与えるのは簡単だ。しかし、それでは私が実験に過剰に介入したことになり、その意義は失われる。何より口だけの可能性もある。とはいえ念には念を入れなければならん。何か相手に気付かれずに盗聴器を無効化できる物はないか?」
『なるほど……』
友人は宗助の頼みを全面的に受け入れ、使えそうな装置の名前と売ってそうな店を教えた。
さらにその友人は、最後にこんな事を言った。
『オカルトを馬鹿にしているお前は知らないだろうが、その教授室には古くから噂があってな、特定のある場所が、異世界に通じてるって話だ。そこに電子機器を置くと、誤作動を起こすってもっぱらの噂だ。誰かが印をつけたからすぐにわかると思うが、そこには装置は置かない方がいいんじゃないか?』
宗助は鼻で笑った。
「愚にもつかんな。そもそも私は今その噂を研究しているのだ。その噂が事実であるなら、むしろ率先して試したいぐらいだ」
電話はそこで宗助から切られた。
その後、講義の空き時間を見つけ、指定された店に買いに行った。
幸いにもその装置にはそこそこ需要があるのか、すぐに買うことはでき、1時間とかからずに教授室に戻ってこられた。
教授室に入ると、宗助はすぐに違和感に気付く。
物の配置が微妙に変わっていたのだ。
離れていたわずかな間に、盗聴器が仕込まれたようだ。
もしものために用意したものだが、すぐに実行に移されるとは完全に想定外だった。
可能性としては半々どころか、9:1で口だけだと思っていた。
その行動力をもっと有意義なことに使えなかったのかと宗助はため息を吐きながら、買って来たばかりの装置を取り出す。
その時、電話で友人に言われた目印が目に留まった。
あの話を聞くまでは無意味な落書きだと思っていたが、どうやら噂に踊らされたどこかの馬鹿な学生か教授が意図的につけたものらしい。
「・・・・・・」
落書きのある場所は、教えてもらった装置の有効範囲を考慮しても問題の無い位置ではある。
噂が現実になるかと言う命題について、こういったアプローチから試してみるのも悪くない――
――――と、一瞬思ったがすぐに考えを改めた。
行動学は完全に科学の分野だが、こちらは完全なオカルトだ。
オカルトを学問とすら認めていない宗助には、本来考慮する価値すらない事象である。
これは愚にもつかない気の迷い。
噂についての研究をしているため、自分自身もその影響を受けてしまったのかもしれない。
そんな事を考えながら、宗助は装置を机の中にしまった。
おそらく犯人はこの装置の事を知らないだろうが、念には念を入れて、だ。
効果があるかどうかは、今日の夜Laplaceのやり取りを見ればわかるだろう。
宗助はそれを分かりやすくするため、あえて「ロータスで決着をつけるって、子供か君は」とか「ココアで痩せてみせるよ」といった意味がありそうで、実際は無意味な独り言を言った。
そしてその日の深夜、妨害装置が予期せぬ結果をもたらした事を知る。
「さすがにこれは……」
そのやり取りを見て、宗助は思わず呟いた。
装置は友人が説明したとおりの効果を発揮し、宗助の独り言も完全に聞かれることはなかった。
装置はノイズを発生させ、声の大部分をかき消したのである。
盗聴器を取り付けた学生は、Laplaceにおいてノイズしか聞こえなかったことに困惑していた。
しかし、次第にその学生はそのノイズ交じりの音声から聞こえる部分を抜き出し、さらにその理由を科学的なものではなく、オカルト的なものに求めた。
「死んだ不破君の霊によるもの、か……」
宗助はため息交じりに言った。
もちろん装置の存在を知っていれば、それが電波妨害によるものだと分かっただろう。
しかしこの学生はそのノイズを死者の霊によるものと断定した。
その死者は数時間前まで北海道の野球場で野球を見ていたが、彼にとっては関係のない話だったようだ。
宗助は、せめて大学生ならもっと現実的な理由を考えろと本人を前にして言いたくなったが、その話に他の学生達は馬鹿にするどころか乗ってきた。
やがて不破による霊障がほぼ事実と認定され、たった5日しか経っていないというのに、不破は立派な死者となった。
宗助はそこで実験の中止を考えた。
噂が作った虚構の人間が、現実の人間とどれだけかけ離れているのかが知りたかったのに、殺されてしまっては比較しようもない。
だが。
(とはいえ、だ――)
やり取りを考察した限り、学生達にとっては死んだ不破もまた現実に存在している人間なのである。
幽霊に人格を与えるのもバカバカしい話だが、比較対象としては死んでいてもそれほど問題はないのでは、と思い始め、当面実験は継続させることにした。
さらに読み進めると、盗聴した学生はノイズを聞いたため、何か悪いことが起こるのではないかと真剣に悩んでいるようであった。
全ての理由を知っている宗助からすれば、馬鹿馬鹿しいにもほどがあるが、このグループ内に茶化すような発言をする者はいない。
彼らにとってSNSで連絡が全くつかなくなったの人間は、現実の人間から話を聞く前に死者として認定しても問題はないらしい。
同じ人間がしているとは思えない支離滅裂な発言も見られたが、おおむね話はオカルト方向に進んでいく。
(話が噛み合っていないのに、止まることなく流れていく。この場を支配しているのは彼らの誰かではなく、目に見えない"空気"なのかもしれない。それが予定している破滅の未来へ学生達を誘っているようにさえ思える……)
宗助これまでの一連の流れをそう考え、今日もレポートに変遷をまとめる。
その漠然とした支配者に、宗助は今日すら覚えた。
そしてパソコンに文章を打ちながら、
(不破君が帰って来たら、自分が死んだことにされていたどう思うだろうか)
と、最後にかすかに笑うのだった。