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ある実験  作者: 砂川
2/13

1日目 ――湯上谷宗助②――

 その日、宗助は再び毛受と不破を教授室に呼んだ。


 ただし2人は別々に呼ばれ、まず不破が教授室の扉をくぐる。


 部屋に入ってきた不破は、顔面蒼白であった。


 彼は、放置されたことによって処分が忘れられたと安堵するタイプではなく、時間が経てばたつほど不安が積もるタイプなのだろう。


 少し悪いことをしたかと宗助は反省しながら、不破に話す。


 その反省が全く活かされていない、ある事件に巻き込むことになる提案を。


「不破君、君がしたことが故意でないのは明らかだが、その結果こうして私は被害を被った。そして世の中には過失と言う考えがある。分かるね?」


「は……はい……」


 消え入りそうな声で不破は答える。


 そのあまりの情けなさに宗助は思わず吹き出しそうになった。


 もとより彼を責める気などなかった宗助は、笑いを堪えながら話を続ける。


「そこで提案がある。もし君が私の実験に協力してくれるなら、今回の件を不問にしよう」


「ほ、本当ですか!?」


 不破の顔がパッと明るくなる。


 彼にとっては渡りに船の提案だったようだ。


 実際は彼のような小心かつ単純で利用しやすい学生こそ、宗助にとっての渡りに船であったが。


「男に二言はない。それで実験と言うのはこれだ」


 宗助はテーブルに白い封筒のようなものを取り出した。


 不破はそれが何かすぐに理解した。


 それは彼が人生において、たびたび見てきた物だったのだから。


「チケット……日ハムの?」


「その通り、エスコンフィールドで行われる三連戦全ての日程のチケットだ。実験と言うのは大まかに言うと、君に9泊10日の北海道旅行をしてもらい、この試合の観戦をしてほしいのだ。もちろん旅費は私が出す」


「マジですか!?」


 宗助の提案は、とても実験とは思えない破格の条件だった。


 だからこそ不破は訝しんだ。


 これではご褒美以外の何物でもない。


 失態をチャラにするような実験の協力には到底思えない。


 それでも相変わらず気が小さいので疑問は口に出せず、ただ宗助の出方を待っていた。


 この小心者の学生の内心が手に取るようにわかっていた宗助は、望み通り本題である条件に付いて話す。


「もちろんただの旅行をさせる気はない。その間君のスマートホンを預からせてもらい、友人達との連絡を完全に絶ってもらう。この情報から隔絶された状況を君に体験してもらう事が実験の目的だ。実験が始まったら勝手に実験を切り上げ、北海道から帰ることは許さない。その場合、旅費は全て君に負担してもらう」


「スマホを……」


「まあ、実験目的を分かりやすく言えば、強制的なデジタルデトックスの効果の確認といったところだ。この実験は懇意にしている企業からの案件のようなもので、かなり多くの人間が関わっている。だから、途中で止められると、関係者に多くの損害が出るのだよ。もちろん君が北海道に行っている間、君の講義を担当している教授達には私から説明して、出席扱いにしてもらう」


 宗助はそう紳士的な口調で言った。


 当然大嘘だ。


 この実験は宗助の独断であり、本当に不破にしたいこと――不破本人ではなく周りの人間に試したいことは全く別にあった。


 そうとも知らずに、不破は真剣に宗助の提案について考える。


 宗助はさらにもう一押しする。


「もし君が断った場合、当然他の学生に頼むが、代わりに君には反省文をレポート用紙50枚ほど書いてもらう。期限は……そうだな、旅行日数と同じ10日としようか」


「え、それは……」


「ちなみにこの実験は今日から、できるだけ早く開始しなければならない。そのため返事は今から3分以内にしてくれ。さあどうするかね!?」


「ああ……」


 不破が一瞬で滝のような汗をかく。


 これほどわかりやすく困っている人間を、宗助は今まで見たことがない。


 負の感情が何ともわかりやすい学生だ。


 もちろんそうなるように仕向けたのは、ほかならぬ宗助であるが。


 宗助は急かすように腕時計を見た。


 実はもう数秒オーバーしていたのだが、締め切り時間は考える余裕をなくす事が目的であって、さして重要ではない。


 そもそも不破が目的である以上、代わりの学生など存在しないのだから。


「や、やります! やらせてください!!」


 都合2分ほどオーバーしたところで、不破は絞り出すように言った。


「そうか、ギリギリの時間であったが、決断してくれたか。では早速準備しよう!」


 宗助は翻意など一切許さないよう強引に話を進め、すぐに不破のスマートホンを回収する。


 まさかいきなり取り上げられるとは思わず、不破は唖然とした。


「あの……旅行のこと友達にLaplaceで言っておきたいんですけど……」


 さすがにこのことに関してだけは黙ってもいられず、なけなしの勇気で言った。


 それを宗助はにべもなく却下する。


「君が私の提案を受けた時点で、実験は始まっているのだ。言っただろう、今後10日間、一切の連絡を絶ってもらうと」


 それから宗助は、不破の荷物チェックまで行い、宿泊先の旅館と野球の観戦チケットを渡すと、羽田空港まで、まるで監視するかのように自分もついて行った。


 まさかそこまでされるとは思わなかった不破だが、結局抵抗らしい抵抗もできず、空港でのチェックイン終了後、待合室のソファーに呆然と座ったまま、宗助から冊子を渡される。


「ではよろしく頼むよ不破君。ホテルには公衆電話があるので、今日はホテルに到着したらすぐ、そして明日からは毎朝私に対する電話は欠かさないようにしてくれたまえ。私やホテルの電話番号含め実験に必要な事項はその冊子に書いてあるから、飛行機に乗っている間に読んでおくといい。それでは失礼する」


 そう一方的に話すと、宗助は自分だけモノレールに乗って、大学へ戻る。


 彼には実験のために、今日もう1人会わなければならない人間がいるのだ。



 浜松町でモノレールを降りると、宗助はその人間――毛受に対して教授室に来るよう連絡する。


 それから電車に乗り大学まで行くと、教授室ではすでに毛受が宗助を待っていた。


 大学にいない事を考えて早めに連絡をしたが、どうやらその必要はなかったらしい。


 ただ待っている間ずっとスマートホンを見ていたようで、それほど退屈しているようには見えなかった。


 そこまで依存していると宗助としては本当に()()()()()


 扉が開く音で宗助が帰ってきたことを知ると、毛受は勝手に座っていたテーブルのソファーから立ち上がる。


「あの、何の用でしょうか?」


「ああ、実はまた君に頼みたいことがあってね」


 宗助は再び毛受に座るよう言い、自分は向かいに座った。


「2つ頼みがある。1つは不破君の事だ。彼はずいぶん気に病んでいたようなのでね。君たちの方で()()()()()それとなく気をかけてやってほしい」


「あ、え……何か処分とかは……」


「今のところ考えていない。まあ彼も悪気があってやったことでもないしね。生憎私では使いこなせないので、君の方でLaplaceで他の学生達にもそれとなく伝えてくれたまえ」


「は、はい」


 宗助は表情を全く変えずに、明らかな作り話を言った。


「2つ目の頼みは実験に関することだ。君のスマートホンにこのアプリケーションソフトを入れてほしい。今進めている実験のデータとして必要なのでね」


 そう言って宗助は毛受にSDカードを渡した。


 さすがにどんなソフトかもわからずインストールするのは不安があったので、毛受は尋ねる。


「これは?」


「精巧な万歩計と言ったところかな。具体的にどこに言ったかまでは私には分からないから、プライベートの侵害にはならない。インストールすれば毎日一定時刻に、君がどれだけ行動したかのデータが私のパソコンに自動で送られる。特に操作は必要ない。まあどうしても通信費はかかるが、そこはこれで納得してくれ」


 宗助は財布から1万円を取り出し、それを毛受に渡そうとした。


 毛受は手を振ってそれを断る。


「さ、さすがにそこまでかかりませんよ!」


「ではこれは協力費ということで受け取りなさい」


 宗助は強引に1万円札を渡した。


 教師にここまでされると、あまり覇気のない学生である毛受には嫌とは言えない。


 渋々SDカードを受け取り、宗助の目の前でわざわざスマートホンにインストールする姿を見せ、ようやく退出を許される。


 全ての作業が終わり、宗助はほっと息を吐き、深く椅子に座った。


 毛受に半ば無理やりインストールさせたソフトは、言うまでもなく万歩計などではない。


 IT企業でSEを長年務めていた友人に頼んで作ってもらったウイルスソフトで、起動するとLaplaceのやり取りが自動で送られる仕組みだった。


 あまり詳しくない宗助は知らなかったが、その友人によると案外簡単に作れるもので、頼んだ翌日には完成品がメールで送られてきた。


 こんなものを平気で作るあたり、宗助だけでなくその友人も倫理観が欠如している。


 だからこそ彼らは気が合った。


 くだらない倫理観に縛られて目的を諦めるような、真っ当で惰弱な精神はしていない。


 そこまでして宗助が行いたかった実験。


 それは、


(果たして噂がどこまで現実に作用するか――)


 という事にあった。


 宗助は教え子達が公式情報や目で見た現実より、仲間内の噂を信じてそれに大勢が流される、文字通りの()のような存在であること知った。


 彼らにとって百聞は一見に如かずではなく、一見は百聞に如かずなのだ。


 であるならば、それがどこまで現実の人間を変えることができるのか、それをどうしても試してみたくなった。


 だからといって、宗助自身が噂の出どころになり、荒唐無稽なものやひどく啓蒙的なものを学生達に吹聴しても広まることはないだろう。


 宗助が今回の件及び、ネットに溢れている信頼されたデマを分析したところ、まず核に真実、それも身近に起こったものが必要であることが分かった。


 休講の件を例にすれば、宗助が遅延で1限に遅れた事がこれに当たる。


 次の段階として、その事実をスタートとし、彼ら自身の手で妄想を膨らませる必要がある。


 当然妄想である以上自発的でなければならず、それは宗助側から無理やり発生させることはできない。


 さらに発生する妄想は、休講といったように彼らにとって都合のいいものか、ネガティブポジティブ問わずとにかく興味を掻き立てられるもののどちかに限られる。


 そして増え続けた集団の妄想は集まって噂となり、やがてそれは彼らにとっての真実となる。


 それが宗助がこの短期間で考察した、最近の若者達による噂の発展形式であった。


 今回の実験はそれをある程度人為的に発生させるというものだ。


 まず、核となる事実は言うまでもなく不破だ。


 彼が何も言わず姿を消した事は学生達にとって紛れもない事実である。


 ただし、それだけでは大した妄想も生まれないので、ここで宗助の手が入る。


 宗助は学生達が妄想しやすくなるよう、毛受に不破の精神がだいぶ参ってるよう印象付け、本人は隔離し、真偽が確かめられない状況を作った。

 

 彼らにとって同級生である不破の突然の失踪は身近で興味のもてる分野であり、妄想は燎原の火のように広がっていくだろう。

 

 その妄想はやがて口……ではなく今は指を伝わって噂となり、現実の不破とは全く違う噂の不破が作られる。


 その存在がどこまで現実の存在と乖離しているのか、行動学者として興味が抑えきれなかった。



 宗助は愚かな振る舞いをしたから教え子を切り捨てるような、無責任な教師ではない。


 愚かなら愚かなりの教え子として認め、接してきた。


 そのため、学生の評判はいい方であったが、そこに情愛はなかった。


 ただ行動学者として、冷徹なまでに分析し、その対処法を実践してきただけである。



 究極的には不破がどうなろうが、実験が成功さえすればどうでもいいのだ。



 この宗助のあまりの無責任さが後々悲劇を生むことになる。


 だがそれは彼にとって()()()()()ではなかった……。


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