後日1 ――不破海音④――
よほど疲れが溜まっていたのか、それとも実はかなり重い風邪だったのか、海音は2日以上眠ってから目を覚ました。
入院費は湯上谷先生が払ってくれたのか請求されることはなく、スマホも病室に置かれていた。
ただし充電してくれるほどのサービス精神はなく、さらに充電ケーブルもなかったため、海音は退院と同時に大慌てで充電スポットを探す羽目になった。
幸いにも空港内のコンビニで急速充電を行う事ができ、海音は一日千秋の思いで充電が終わるのを待ち続けた。
せめて待っている間食事でもすればよかったのだが、それすら頭になく、コンビニでずっと待機し、充電が終わると同時に海音は店を出てLaplaceに繋いだ。
そこでようやくこれまで自分がどんな扱いを受けていたのか、そしてなぜ湯上谷先生があそこまで申し訳なさそうな態度をしていたのか知った。
「……なんで数日間いなかっただけで、死人扱いになるんだよ」
すさまじいスピードでメッセージを読みながら、海音はあまりの非現実さに思わず笑いだした。
空港のロビーで異常にやせ細った不健康で不潔そうな男が人目も気にせず笑う姿はまるでホラーのようであったが、当人は気にせず一字一句逃さないつもりで全部読む。
そして読み終えてからこうメッセージを入力した。
"地獄(北海道)の底から帰って来たぜ!"
このメッセージに、最初は誰も反応しなかった。
グループのメンバーは入院していたり、Laplaceから距離を取ったりと、あまり活発でなくなっていたのだからそれも当然だ。
それでもまだ熱心にチェックしていたのか、毛受がこのメッセージに気付く。
"死んだんじゃんなかったの?"
"いや勝手に殺すなし ただ湯上谷先生に頼まれて北海道まで行ってただけ"
それから海音はなぜ通信できなかったのか、その理由を説明する。
やがて頻繁に起こる通知が気になったのかグループのメンバーも次第に戻り、全員がこの馬鹿げた一連の出来事の顛末を知るようになった。
その事実に誰もが呆れる。
結局、ネットの噂が現実を凌駕することはなかった。
集団講義ボイコットも、ただサボりたい学生が怠ける理由付けで使ったにすぎない。
幽霊騒動に関しても、日々退屈に思っている学生達が盛り上がるための燃料。
後に湯上谷先生は、論文で今回の実験をそうまとめていた。
話がある程度落ち付いてから、海音は気になったことを質問する。
"それにしてもそんなに俺の亡霊出たんか? ていうかなんで俺と実際に会ったことない奴まで、俺の亡霊だってわかるんだよ笑"
しばらくの間、答えは返ってこなかった。
ようやくまともな答えを言ったのはある女の子だった。
武人が最も多いように思われがちだが、実際は意味のある発言を数回しただけで、ただ無意味に騒いでいるだけのにぎやかしの方がはるかに多かった。
発言したのは、その中でも特に多かった子である。
……多かったはずであった。
"今まで黙ってたけど 私のメッセージ半分は自分が入れた奴じゃない"
「へ?」
海音は思わず声に出して言った。
一方で指は反射的に的確な質問を入力する。
"乗っ取り?"
だが海音の現実的な確認は女の子によって否定された。
"違うと思う 私がログインしている最中にも書き込まれてたし"
"私も同じようなことがあった!"
そのメッセージを皮切りに、次々と賛同する声が上がる。
ではなぜそれを今まで誰も訴えなかったかと言うと、しなかったわけではなく、しても無視されたためだという。
何故か乗っ取りに関するメッセージは誰の心にも残らなかった。
現にちゃんと見返したつもりの海音でさえ、言われるまで気づかなかったほどだ。
乗っ取りのメッセージで特にひどかったのは、武人の妄想に関連したものだった。
称賛したメッセージはほぼすべて、誰も書いた覚えのないものだったのである。
そもそも武人自身が、あんなもの書いた覚えがないと言っているほどである。
さらに、以前盗聴器の録音をアップロードしたことで追放された友人は、別のアカウントでこんな事も言っていた。
"俺前に盗聴器仕掛けたことあったじゃん 実はアレ一切盗聴できないまま速攻で見つかったんだよ 教授室の前にこれ見よがしに捨てられてたし でもここでありもしない音声を俺のアカウント乗っ取ってアップした奴がいたんだよ それで追放されたんだから超迷惑なんだけど"
極めつけが。
"集団ヒステリーがあったって話だけど実際なかったよな?"
あそこまで騒がれた事件が、実は存在しないものだった事を今になって全員が知らされる。
皆当事者でなかったため自分のいない所であったのだと思い込んでいたら、そもそも当事者など誰もいなかったのだ。
ただ、この点に関しては武人だけは否定していたが。
海音は考えた。
今までは1番の当事者でありながら完全に蚊帳の外だった。
今回その謎を解けば、多少は面目も回復できるのではないか。
そう思えた。
海音は友人達の話を聞いて、実際に自分が書いたメッセージと誰かがアカウントを乗っ取って書いたメッセージを選り分けていく。
その結果、今回の事件の理由をオカルトに求める意見のほとんどが乗っ取りによるものだと分かった。
それは恐ろしいほどの量であった。
本来アカウントの乗っ取りは1グループでいてもせいぜい1人か2人程度なのに、ほぼ全員が乗っ取りを受けていた。
まるでサーバー全体でハッキングされたかのようだ。
さらに調べると、本人のメッセージの大部分はそれを疑問に思い静観するか、野次馬のように騒いでいるだけであることも分かった。
ただし、アカウント自身は本人のものなので、他人には自分以外の大部分がこの妄想を肯定的にとらえていると見えていたのである。
何故そんな事態を煽るようなメッセージが赤の他人によって、不正まがいの手段で書き込まれたのか。
「……全然わからん」
Laplaceで目立ちたかっただけの海音には、そこまで考える知性はなかった。
その代わりに、もう1人の当事者である武人がある推論を立てる。
"実はちょっと前にLaplaceに問い合わせしたんだけど システム上は何の問題もなくて なりすましの可能性は0で 無意識に投稿したとしか思えないって言われたんだ"
"それでもし本当に自分自身が書き込んだと仮定した場合 ひょっとしたらそれは別の世界の自分だったんじゃないかなって 現に集団ヒステリーは実際にあったのにここでは誰もないって言ってるし"
「別の世界……」
海音にはいまいちピンとこなかった。
それは他の友人達にしても同様で、次々に"どういうこと?"と聞いてくる。
武人の説明がこうであった。
"今いる世界とはよく似ているけど微妙に違う世界があって あの書き込みはそこにいる俺達と全く同じ俺達が書き込んだんじゃないかって つまりLaplaceは世界を超えたやり取りができるアプリだと思うんだ"
「……マジか」
武人の説明に海音は素直に驚く。
また納得できない友人もいたが、海音は武人の説明をほぼ鵜呑みにした。
思い込みが激しく、根は単純なのである。
だが、今回はそれが完全に正しいと言えた。
なぜなら、今目の前にスマホを持たずに歩いている武人本人がいたのだから。
海音は慌てて武人を呼び止める。
「毛受! お前今までLaplaceで話してた!?」
「え、いや。ここに来るまでずっとゲームやってた。ていうか、湯上谷先生に言われてお前の様子見に来たんだけど大丈夫そうだな」
「まあ大丈夫といえば大丈夫だけど頭が………」
海音はそう答えるとそっとLaplaceを終了し、スマホからアンインストールした。
これ以上このソフトに関わっていると、自分の魂まで別の世界につれていかれそうな気がした。
SNSは他にもまだいろいろある。
一つにこだわる必要もない。
友人達とは多少疎遠になるかもしれないが、それ以上に恐怖心の方が強かった。
あれほど執着していたLaplaceに対する関心が、スイッチが切り替わったかのように一瞬で無くなる。
この世界の毛受武人は、そんな友人をただ不思議そうに見ているだけであった……。