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ある実験  作者: 砂川
1/13

前日 ――湯上谷宗助①――

今回は夢ではなく完全オリジナルです

 嘘から出た(まこと)という言葉がある。


 言うまでもなく、嘘をつきまくっていたらそれが真実になったということわざだ。


 たとえば、ある銘柄の株が下がると言い続けていたら、それを皆が信じ、本当に株価が下がってしまった、とか。


 それほど噂の影響力は大きく、恐ろしいとさえ言える。


 しかし、それを逆に利用できればこれはとてつもない武器になるのではないか。


 過去そう考えて、それを実践した人々が大勢いた。


 今ではそれが職業にさえなっている。


 SNSが広がり、その力は昔よりさらに強大になり、今では噂=口コミがなければほとんど売れないような世界になっている。


 ひどいものになると、実際に自分で体験した上での感想より、ネットの不特定多数の感想が正しいと思い込んでしまう事すらある。



 そしてここに一人の男がいる。



 彼の名前は湯上谷宗助。


 A大学で教授をしていた。


 専門は行動学。


 子供の頃より人間に興味があり、その心理面より実際に起こす行動に深い関心があった。


 初老のこの男は、科学者として優秀であり、人間としてはありていに言って問題があった。


 その彼が、とある偶然からある非人道的な実験をすることになった。


 それは彼にとっては今までしてきた実験の一つにすぎなかったが、関わってしまった人間達の大部分にとっては悲劇であった。


 全ては学生達のある勘違いから始まった――。



 その日、宗助が講義のため教室に行くと、受講しているはずの30人以上の学生が誰一人いなかった。


 出席は毎回必ず取り、それが単位に関わっているので、宗助の講義はそこまで出席率が悪いわけではない。


 また、近くで大規模な事故が起こり遅延が発生したわけでもない。


 朝に電車の遅延はあったが、講義の開始時間である午後になれば影響は皆無だ。


 首をひねる宗助。


 何らかのボイコットかとも思い、心当たりを探してみたが、思い当たるものは何もない。


 彼なりに講義は行動学に基づいて工夫して行い、それなりに評判も良く、また学生達につらく当たったこともないと自負していた。


 それから数分しても誰も来ず、理由はわかないがそろそろ宗助が教室から出ようかと思い始めた頃、1人の男子学生が恐る恐る教室に入って来た。


 ゼミでもないので教え子の顔は全員覚えてはいないが、微かな記憶から彼が受講生であることは理解できた。


「君は……」


「え、あ、毛受(めんじゅ)です。あの……今日講義あります……か?」


 男子学生――毛受の質問に宗助は首を縦に振る。


 毛受は「ですよねぇ……」と小声で言いながら、前とも後ろとも言えない席に座った。


 宗助としては、たった一人のためにいつも通りの講義をするのもバカバカしい。


 何より、なぜこんなことになったのか是非にでも知りたかった。


「毛受君、君は今日何故ここまで人が少ないのか、知っているのかな?」


「え、あ、はい、まあ……」


「ふむ、そうか。では私についてきてくれたまえ。残念ながらこの状況ではまともな講義はできない。おそらくこれから学生が来ることもないだろう。そこで今回は君だけに対して()()()()をすることにした」


「はあ……」


 毛受はその締まりのない顔で、気のない返事をした。


 たいして親しくもない教授から、マンツーマンで講義するなどと言われればそれも当然か。


 宗助は苦笑する。



 それから毛受を教授室まで連れて行き、中央のテーブルに座るよう促し、2人分のコーヒーを入れてから自分は向かいに座った。


 宗助の教授室は本だらけで少し黴臭く、慣れない環境と相手に毛受の体は小さくなる。


「まあそう畏まることもない。講義と言っても、世間話に毛が生えた程度だ。単刀直入に聞くが、何故今日私の講義がないと思ったのかね?」


「え、あ、はい。その、グループから今日休講だって噂が流れてきて……」


「グループと言うのは?」


「え、あ、その、Laplace(ラプラス)のグループです。先生の授業とってる友達限定の……」


「申し訳ないがそういったものは専門外でね。Laplaceについて詳しく説明してくれないかね」


 初老に差し掛かっている宗助は、最近のSNS事情についてほとんど知識がない。


 ただ、頑迷な年寄り学者にありがちなハイテク恐怖症から拒絶していたわけではなく、本当に知る機会が得られなかっただけにすぎない。


 むしろ行動学を学ぶものとして、むしろ率先して理解しなければとさえ思っていた。


 彼にとって今がいい機会だ。


 宗助に頼まれ、毛受は不承不承といった様子かつたどたどしい口調で、恐縮しながらLaplaceについて説明する。


 ほとんど知識ない分野であったため宗助は何度も質問し、教師と生徒の立場は確実に逆転した。


 それでも地頭の良さと知識に対する貪欲さから、短時間である程度理解する。


「……つまり特定多数と文字による即自的な情報伝達をするのに使用するアプリケーションソフトと言うわけか」


「難しい言い方だとそんな感じだと思います……」


「しかし解せないことがある。君も知っているだろうが、休講情報は大学の公式ホームページで通達される。そこに記載がないのに、なぜ君は仲間内の休講情報を信じたのだ? ホームページが見られなかったのか?」


「え、いや、むしろ、僕個人は見たから来ました。みんな休講言ってるけど、ホームページにないのは変だなって……」


「なるほど、そういうわけか……」


 宗助は顎に手を当てる。


 そして、今回の件を頭の中で簡単にまとめてみた。


 理由は分からないが、Laplaceの学生達の会話において、今日が休講と言う誤情報が流れた。学生達は大学当局のホームページより、そちらの情報を信じ、ホームページを確認すらせず休講と決めつけた。中には毛受のように実際見た学生もいただろうが、ホームページの方を間違いだと決めつけたのだ。


 そうなると俄然その理由が気になってくる。


 悪意があるにせよ無いにせよ、誰が何のためにそんな出鱈目情報を流したのか、行動学者として是非とも知りたかった。


「毛受君、物は相談なのだが、君の力で誰が何のために偽休講情報を流したのか、探してくれないかね?」


「え、あ、それは……」


 毛受は複雑そうな表情をして、イエスともノーとも言わなかった。


 彼としては教師の命令とはいえ、仲間を売るようで後ろめたいのだろう。


 長年の経験からつぶさに内心を読んだ宗助は、交換条件を持ち出す。


「これは命令ではなくお願いだよ。もし私の頼みを聞いてくれたら、来年君が入りたいゼミの教授に口利きをしてあげようと思うのだが、どうかね?」


「マジですか!?」


 毛受は思わず立ち上がる。


 どうやら効果は覿面だったようだ。


「……わかりました、やります。でもすぐにはできないと思います。明日以降になってもいいですか?」


「構わないよ。あくまで私の個人的興味を満たすためのもの。急ぐことでもない」


「分かりました。それじゃあ……」


 そう言って毛受は教授室を出た。


 宗助はふぅと息を吐く。


 学生と専門分野以外のことで面と向かって話すのは、想像以上に体力を消耗した。


 ほぼ一方的に話している講義より疲労感は強い。


 だが、そこまでしても、彼は早く答えが知りたかった。


 たとえそれが自分の想像だにしない、望まざるのだったとしても――。



 翌日の夕方頃、予想以上に早く毛受が教授室にやってきた。

 

 今回は彼以外にも男子学生、おそらく今回の首謀者がいた。


 けれど、宗助が見た限り毛受以上に気が弱そうで、大それたことができる人間には見えなかった。


 全ては話を聞いてから。


 そう思って宗助は毛受に話を促した。


「その、問題の噂を流したのはこの不破です」


「すみませんでした!」


 不破と呼ばれた男子学生は勢い良く頭を下げた。


 頭頂部が年の割には少し寂しいあたり、かなり神経質な性格なのかもしれない。


 対照的に傍若無人で、今まで好き勝手に生きてきた宗助は年の割に髪も豊かだ。


「不破君と言ったね。残念ながら私は君の事をよく知らない。それにもかかわらずあんなデマを流したのは、いったい何が理由なのかね?」


「その……休講にするつもりなんてなかったんです……」


 不破は頭を下げたまま弁解する。


 小声の上、顔が舌を向いていると余計聞こえづらいので、宗助は頭を上げてから改めて話すように言った。


「その日の朝、電車が遅れて、その、先生最初の講義が少し遅れたじゃないですか」


「そうだな、そこまで遅れたわけではないが」


「それ、俺外から見てて、グループに『電車事故ったから1眼休講になるかも』って書いたんです。そしたら、それを見た一部の奴らが、先生が電車で事故に遭ったみたいに解釈して、そこから休講が確定したみたいな噂が広がって、それをみんな信じちゃって……」


「ふむ、経緯は分かった。ただ二点腑に落ちないことがある。まず一点目は何故あやふやなLaplaceの話を信じて、公式の発表を軽視したかだ。冷静に考えなくともどちらが信頼性が高いかは明らかだろう」


「それは……まあ……そうなんですけど、みんなLaplaceばっかり見てるから、そっちの方はあんまり見てないんで。Laplaceで言われてることが全部事実だって思い込んじゃってる感じです、かね……」


「釈然とはしないが、理由としては理解できた。では二つ目の疑問点だ。聞いた話によるとLaplaceは過去のやり取りもいつでも見られるというじゃないか。そうだとしたら、君の他愛もない憶測が誤解の発端だと誰でも分かったはず。それにも拘らず誰も確認しなかったうえ、その張本人である君自身が休講を信じ、来なかったことが理解できないのだ。その点について説明してくれたまえ」


「えっと、あの……どういえばいいか……」


 不破は即答できず、指を組んでぐるぐると回した。


 そのあまりに頼りない仕草だけでも、彼が意図的に悪意のこもった嘘を吹聴する人間でないと宗助には分かった。


 それと同時に愚かな学生であることも理解できた。


「……えっと、最初は俺も変だなって思ったんです。でもみんなが言ってるのを見ているうちに、本当にそうじゃないかって思えてきて、講義の直前ぐらいは自分が原因であったことも忘れて、本当に休講だと思い込んでいました。でも一応、みんなで講義の時間には教室には見に行ったんですよ。そしたら先生はちゃんといて、なんか休講じゃなさそうな感じだったけど、でも周りが休講だって言ってたから流されて……」


「つまり、私の姿を見てなおあやふやな噂を信じたわけか。なるほど、よく分かった」


「・・・・・・」


 不破はそれから黙って上目遣いに宗助を見ていた。


 おそらく処分内容が気になっているが、自分からは怖くて聞き出せないのだろう。


 最近の、本当に気弱で軟弱な学生だ。


 宗助はため息交じりに言った。


「今回の件の処分に関しては追って伝える。用は済んだのでもう帰って結構」


「わ、分かりました……」


「じゃあ俺も……」


 毛受と不破は揃って教授室から退室しようとした。


「ああ、少し待ちたまえ」


 そんな2人を宗助が呼び止める。


 2人は一瞬で無様に体を硬直させた。


 宗助は苦笑する。


「たいしたことではない。ただキミの着ているシャツの背中に日ハムのマークがあったからね、てっきりファンなのかと思って」


「あ、はい、大ファンです!」


 不破が振り返り、ここにきて最も大きな声で答える。


 今までの借りてきた猫のような態度とは大違いだ。


 どうやらかなりの熱狂的なファンらしい。


「私も実家が北海道でファンなのでね。ただ気になっただけだ。ああ、つまらない事で呼び止めてすまない。もう行っていい」


「は、はあ……」


 日ハムの話ならいくらでもしたかったのか、少し残念そうな顔をして不破は毛受と共に教授室を出た。


 1人教授室に残った宗助は、ふっと息を吐き、不破の話したことを改めて考える。


「愚かな学生達の、愚かな過ちと決めつけるのは簡単だ……」


 そう独り言ち、2人が来るまで飲んでいたコーヒーを飲み干す。


 2人分を出すのは面倒だったので、今回はサービスなしでの対応だった。


(だが、究極的には愚かな人間の方が世の中の大多数を占める。彼らを無視する事こそまさに机上の空論、愚かな学者のする事だ)


 次の考えは、頭の中で反芻した。


 聞かれて困る相手もいないが、宗助の場合、たいてい頭の中だけで物事を考える。


(彼らは仲間内だけの情報を重視し、公の情報は軽視した。さらに、その情報の真偽を確認すらせず、大多数かつ最新の情報を盲目的に是とし、それを基にした独りよがりの決断が正しいと確信した)


 宗助は空になったコーヒーカップに、再びインスタントコーヒーを入れる。


 彼にとってコーヒーは思考の潤滑油だった。


(だとしたら一行動学者として知りたい。果たして彼らは仲間内の妄想にすぎない憶測だけで、どこまで愚かな決断が下せるのか。Laplaceにはどこまで無理がある噂を信じさせる力があるのか。ぜひ実験してみたい!)



 この瞬間、宗助によるある実験の計画が萌芽し、それは数日後に実行に移された。


 愚かしくも恐ろしい、Laplaceとそこで流される噂を使ったある実験が――。

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