第2話 死の森
「ぐあっ!!」
身体を動かすと激しい痛みが生じ、失っていた意識を叩き起こされた。
「うっ、ぐぅ、痛い……こ、ここは……」
身体で痛くないところを探すほうが大変だ。周囲には木と葉しか見えない……ゆっくりと身体を動かすと自分がどこにいるのかがわかる。低木にめり込んでいた。
「ぐっ……」
突き刺さった枝を腕から抜く。全身細かな傷や打撲は数え切れない。頭もガンガンと痛む。一番ひどいのは今枝を抜いた腕だ。血がダラダラと流れるので抑えて、なんとか木から地面に降りられた……が、痛い。右足首が地面に触れる度に激痛、叫びそうになる。なんとか近くの枝を服を引きちぎって巻き付けた。傷も押さえて止血する。痛い痛い痛い、そして、あまりの痛みに意識が飛びそうになると……
「お兄ちゃん、なんで助けてくれなかったの」
「アレス、お前は母さんを守らなかったのか」
「アレス、どうして私達を置いていったの……?」
「アレスー、お前一人生き残って……」
そしてキメラの人を見下した顔……凄まじい悪夢が襲いかかる。
「があああっ!!」
怒りをぶつける相手もいない……鬱蒼と茂る森の中を、目的もなく、ボロボロの身体を引きずって歩く。なぜ歩みを止めなかったのかは僕にもわからない。ただ、歩いていないと、あの悪夢に襲われるのが恐ろしかった。体の痛みよりも、あの光景が繰り返され、怨嗟の念をぶつけられる悪夢を見たくなかった、ただそれだけだったと思う。
「……水、の、音……」
どれくらい彷徨ったのかはわからない。遠くに聞こえる魔物気配、足音、雄叫びに怯えながら、見かけた木の実を口にして、その場で嘔吐するほど不味いもの、しばらくすると激しい嘔吐下痢に襲われたり、なんとか食べられそうな物を見つけたり、真っ暗な森で恐怖に怯えながら夜を過ごしたり、傷に齧り付く虫を潰したり……酷い時間を過ごしたが、僕はまだ死んでいなかった。そして、水の流れる音を聞きつけた。初めて目的が出来た。水を飲みたい。僅かな果実はあったが、とにかく水を飲みたい、浴びたい、僕の目的はそれだけだった。
「ああ、み、水っ!!」
小川にたどり着けた。僕はガブガブと水を飲み、身体を水に晒した。頭がボーっとするほど火照った身体に、水が心地よい。ズキズキと痛む傷に水の冷たさが本当に気持ちよかった……ずっと張り詰めていた気が、抜けたんだろう、そこでまた、気を失ってしまった。危ないことだが、今の僕にはそんな事に気を回すほどの余裕もなかった。
気を失うように眠りこけている俺を見下ろす人物がいても、俺は気がつくこともなかった……
夢を見ていた。楽しかった村での生活、そして、それが理由もわからないまま全てが壊されてしまった。燃え上がる炎、倒れた人々、そして、宙を舞う父親、切り裂かれる母親と妹、あの瞳の光が消えていく瞬間、それからの森での過酷な日々、時間。そして、見下す魔物の表情……大切なものを奪い、俺に苦しみを与えた魔物への怒りが、グツグツとマグマのように満たされていく。絶対に、許せない……父さん、母さん、妹、村の人々が受けた苦しみ、僕が受けた苦しみを全てあの魔物に味あわせてやりたいっ!!魔物は、絶対に許せない!!殺してやるっ、絶対に、魔物は全て殺してやるっ!!
「殺し……て、やる……っ!」
目を開くと、天井がある。森ではなかった。
「なっ……ぐぅ……」
全身に何か葉っぱのような物が貼り付けられ布でぐるぐる巻きにされていた。
「目が覚めたか」
低くしゃがれた声がした。身体を動かそうとしたが、上手く身体が動かない。
「無理をするな、いつ死んでもおかしくないぞ」
ぬっと人影が現れた。豊かなヒゲを蓄えた初老の男性だ。
「運が良ければ回復する。今は寝てろ」
冷淡とも取れる言葉。だけど、僕はこの人物に助けられた。
「あ、あり、がとう」
「礼はいい、さっさと直して動けるようになったら出ていけ」
取り付く島もない。しかし、人がいる。屋根の下にいる。その安心感が、俺を眠りに引きずり込んだ。
一応俺を死なせるつもりはないようで、その男性は食事と傷の治療をしっかりとやってくれた。そして、ようやく名を教えてくれた。
「ガラハッドだ」
「アレスです」
「お前の名前に興味はない。あんなところに何故いたのか? 頭がべらしか?」
「村が、魔物に襲われて」
「ふん、珍しくもない話か……」
「崖から落ちて、気がついたらここに」
「崖の上、坊主、領主の名は?」
「ヴィルヘルム大臣」
ベキンっ! ガラハッドが持っていた匙がへし折れた。
「……坊主、魔物が憎いか?」
「憎い!! 全ての魔物をぶち殺したい!!」
「お前の村が襲われたのは領主であるヴィルヘイムが適切な治世を怠ったからだ」
「確かに、税ばかり高く何もしてくれないと父さんも言っていた」
「そうだ、ヴィルヘイムはそういう奴だ。そのせいでお前の村は滅ぼされた」
「ヴィルヘイム、そのせいで魔物に」
「魔物とヴィルヘイム、こいつらがお前から全てを奪ったんだ」
「許せない……」
「くくく、まずは傷を癒せ。魔物を殺す術を俺が教えてやろう。お前はいくつだ?」
「10歳だ」
「いいな、よし、早く怪我を直せ。これからお前は復讐のために生きるのだ」
「魔物を、ぶち殺す」
「それと、領主ヴィルヘイム。さぁ寝ろ」
「はいガラハッドさん」
「これからは師匠と呼べ。お前に俺の全てを教えてやる」
この時、師匠の瞳に宿った狂気に僕は気がついていた。しかし、そんな物を気にしないほど、僕の復讐への炎は燃え盛っていた。
それから数ヶ月、僕は師匠のもとで傷を癒やした。吐き出したくなるほどの薬草の汁や薬臭い食事も我慢して全て食べた。お陰で傷は順調に回復していった。
そして、地獄の訓練が開始された。
とにかくはじめは走らされた。森の未開の道をガラハッド師匠と走る。初老の男性だとは信じられないほど、師匠は強かった。僕が吐いて根を上げるほどの距離を走っても、息一つ上がっていない。そして、この森に住む危険な魔物も師匠の前ではただの食材となる。
「やつらは野獣であって魔獣ではない。魔獣に比べれば少しやんちゃな動物でしかない」
そして知識も豊富だ。日々繰り返される肉体の酷使、そして薬臭い大量の食事、それからこの世界の座学、日が出てから沈むまで、毎日毎日訓練の日々は続けられていく。とにかく体作り。徹底して身体をいじめ抜く日々が続いた。
12歳になった。初めて剣を持たせてもらった。そして、改めて師匠の強さを思い知る。見えない。剣が見えない。動きが見えない。同じ人間とは思えない。毎日毎日ぼっこぼこに打ちのめされる日々が続く。薬草の勉強になる。
「魔物は殺せ、憎きヴィルヘイムを殺せ、村の敵を討て」
苦しい訓練の日々を乗り越えるために俺は毎日怒りの炎に燃料を送り続けた。13歳になると野獣を狩る方法や解体方法を学んだ。肉体の鍛錬も剣術の鍛錬もどんどん厳しくなる。そして、魔法も学び始める。
「自然に存在する力を利用する精霊魔法、それと原初の文字を利用するルーン魔法。精霊魔法は生まれ持っての感受性というものがある。残念ながら俺にもお前にもその資質はない。だからまずはルーン魔法を徹底的に学べ」
「なぜ師匠はこのような知識までお持ちなのですか……?」
「いずれ話してやる。今はとにかく学べ」
「はい」
15歳になる頃には基本となるルーン魔術も全て修め、森の野獣も全て倒せるようになっていた。
「今日からは森の深部で魔獣を狩るぞ」
「ついに、魔物を」
頭がカーっと熱くなるが、すぐに冷静さを取り戻す。戦場で冷静さを失うやつはすぐに死ぬ。俺は師匠からそれを徹底的に叩き込まれている。
死の森の深部は、死の匂いがする。まともな生物は生きていけない。魔素と言われる魔物が生み出す穢れた空気が淀んでおり、ルーンで浄化していなければ普通の人間は時間とともに命を落としてしまう。
「汝、穢れしものよ、光の力にて浄化せよ。
太陽の輝きよ、我に力を与えたまえ、暗闇を払い、邪悪を浄めるべく。
Sowiloのルーンよ、目覚めよ、清浄の炎よ、燃え上がれ。
闇よ、光に屈し、邪悪よ、浄化の光に消え去れ。
ルーン・オブ・ピュリフィケーション!その輝きにて、全てを清めたまえ!」
浮かび上がる聖なる文字、そこから発する光が俺と師匠を包み込む。
「詠唱を破棄してもいいが、きちんと詠唱をこなせば長時間持続が可能になる。時と場合によってきちんと使い分けろ」
「はい師匠」
俺たちは死の森最奥を進んでいく。