フードコートは知らない人たちと家族みたいになれる場所
武 頼庵(藤谷 K介)さま主催『繋がる絆企画』参加作品です。
あたしは毎週末、ショッピングモール内にあるフードコートに足を運ぶ。
特に贔屓にしているお店があるわけではなく、行くたびに色々なお店で食事を選んでいる。
今日はハンバーグ気分だった。
『ニクニク食堂』というお店の前の券売機で食券を買い、給水器で紙コップに水を注ぎ、席を探した。
時間は11時半。ぼちぼちと混みはじめていたが、カウンター席も二人掛けの席も空いている。
でも私は故意に四人掛けの席を選び、テーブルの奥側に水を置いた。
腰掛けて料理を待っていると、口ひげを蓄えた品のよさそうなおじさんが向こうから、手に紙コップの水を持って歩いてきた。
「ここ、よろしいですか?」
英国紳士みたいな笑顔で、私の斜向かいの席を示して立ち止まる。
「あっ、どうぞどうぞ」
私は胸を踊らせてうなずいた。
次にやってきたのはキャリアウーマンという感じの、50歳ぐらいの婦人だ。銀行員っぽい動き方で素速く歩いてくると、紳士の隣の席の後ろで立ち止まった。
「こちら、よろしいかしら?」
「ええ、どうぞ」
「どうぞ、どうぞ」
私と紳士が笑顔で勧めると、婦人は嬉しそうに席に着いた。
一番注文の早かった私のデミグラスハンバーグプレートが出来上がった。
取りに行き、席に帰ってみると、私の隣の席に中学生ぐらいの男の子が座っていた。
「姉ちゃん、ハンバーグかぁ」
男の子が気安い口調で言った。
「うまそうだね、それ」
「あんたは何にした?」
「俺、ラーメン。っていうか外食はいっつもラーメンって決めてるんだぜ」
散髪したてみたいなおかっぱ頭がかわいい印象の子だ。なかなか自分の弟にしてみたい感じで、私はすぐに心を許した。
「ラーメンばっかり食べてると野菜が不足するわよ」
男の子の向かいで婦人がたしなめる。
「ネギしか入ってないじゃないの。バランスのいい食事を若いうちから摂っておかないと、背が伸びないわよ」
「うっせーな、かーちゃん」
男の子が少し反抗的な口調になった。
「好きなもん食べるのが一番健康なんだよ。心にも、体にもな」
「まぁまぁ……。喧嘩はせずに、楽しく食事をしよう」
紳士が場を和ませようと笑顔になる。
「栄養のことを気遣うのもわかるけどね」
「それじゃ、お先にいただきまーす」
私はお箸とナイフを使って、ハンバーグとライスを交互に食べはじめる。
「おいしい?」
「おいしいかい?」
婦人と紳士が続けて聞いてくれた。
「うんっ、おいしいっ!」
私はほっぺたを膨らませておいしい顔をして見せた。
「今日はハンバーグ気分だったんだけど、自分の気分に従って正解だったよっ」
婦人と紳士が並んでにこにこと笑ってくれる。
「姉ちゃん、一口くれん?」
横から男の子が、私の使ってないフォークを奪い取ると、それで私のハンバーグを指す。
「もぉっ……。じゃ、後でラーメン一口ね」
「よしっ! 交換条件成立!」
婦人と紳士の注文が同時に出来上がった。
二人が席を立っている間、男の子と私で会話をする。
「うっま! なるほど外食にハンバーグもありだなぁ」
「あの女のひと、あんたのほんとうのお母さん?」
「ううん、違う。全然知らんひとだけど、いかにも俺のかーちゃんって感じじゃん?」
「確かに」私は思わず笑わされ、口からハンバーグのかけらを少し飛ばしてしまう。
「いやぁ、これはおいしそうだね」
そう言いながら、紳士が天ぷらそばを慎重に運びながら、戻ってきた。
「あたしのも見て? ほら」
婦人のは高そうな和定食だった。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……11品も入ってるわ。やっぱり食事はバランスよく摂るのが大切よぉ」
「君はそういうとこ、うるさいんだね」
「大切なのっ、栄養バランスは。あなたももう若くないんだから、そんな油っこいの、ほどほどにしといたほうがいいわよ」
二人の口喧嘩みたいなのを聞きながら、男の子がひそひそ声で言う。
「喧嘩するほど仲がいいっていうよね!」
「ふふ……。ほんとうの夫婦みたいよね」
私がそう言うと、紳士も婦人も、男の子も、黙った。
冷めた他人のまなざしで私をみんなが見つめてくる。
「……あっ」
私は慌てて取り繕った。
「ほんとよねー。喧嘩するほど仲がよい! うちの両親、安泰だなー……。あっはっは」
取り繕ったつもりがわざとらしかった。私の一言で場がよそよそしくなってしまった。
紳士も婦人も会話がなくなり、男の子は困ったように横を向いて鼻歌を唄いはじめた。
そのままふつうに相席した他人同士のように、食事をする音だけをしばらく響かせていると、ラーメンが出来上がった。
「おっ! やっと出来た」
男の子がリズミカルに立ち上がる。
「ラーメン、ラーメン♪ 俺のラーメン〜♪」
「へえっ!」
「ほぉっ!」
男の子がテーブルに置いたラーメンを見て、紳士と婦人が笑顔で驚きの声をあげた。
ラーメンにはレモンがたっぷり乗っていた。スープは透き通った塩ラーメンだ。
「へへっ! 俺、いっつもコレだからね」
男の子が得意げに胸を張る。
「どーだい、かーちゃん? 思ったよりヘルシーだったろ?」
「負けたよ、あんたには」
婦人は鼻からおおきく息を吐き出すと、笑って負けを認めた。
「それ、おいしいのか」
紳士があまり興味はなさそうに、そう聞く。
「うん、うまいよ。とーちゃん、一口いる?」
「いや、私はいいよ。食べなさい、食べなさい」
「約束だよ? 一口ちょうだい」
横から私はデミグラスソースと自分の唾のついた箸を、男の子のラーメンの中に突っ込んだ。
男の子は一瞬、照れたような表情を見せたが、すぐに馴れ馴れしい口調に戻ってくれた。
「あっ、ねーちゃん、それ取りすぎ! 俺、ハンバーグ一切れしかもらってねーのに!」
「家族カーストだよん」
おどけてそう言いながら、麺をごっそり自分のライス皿に運び、ついでにレモンも一切れ盗んでやった。
「どう?」
「おいしい?」
紳士と婦人が並んで私に聞いてくる。
「こっ……、これはうまいー!」
正直な感想を私は口にした。
「決めた! 今度これ食べよ! 今度これ食べる!」
「だろ? ねーちゃん! うまいだろ?」
家庭的な笑い声をみんなであげた。
「どれ……。かーさん。私たちも……」
「そうね。おそばを少しちょうだい。天ぷらはいいわ。私のから好きなものを取ってね」
「じゃ、この鶏の照り焼きを……」
「あっ、だめ! それはあたし楽しみにしてたの。切り干し大根にしなさい?」
「あはは」
「ふふふ」
楽しい昼食の時間は過ぎていった。
食べ終えるのは紳士が一番早かった。
その次が私で、続いて男の子もラーメンを汁まで飲み干した。
「見て、見てー? ほら、これエスカルゴじゃない?」
婦人は楽しそうに、お喋りをしながら食べるので、一番遅かった。
「写真撮っとこ」
スマートフォンを取り出すと撮影をはじめる。
「かーちゃんはお喋りが多いなぁ! 黙って食えねーのかよ」
「あら。食事はいちいち感想を口にしながら楽しむものよ。あんたみたいに一心不乱に食事するのもまぁ、見ていて気持ちいいけどね」
婦人が食事を終えるのを、私たちは待った。
「ごちそうさま」
ようやく婦人が食事を終え、手を合わせた。
「お待たせしてごめんなさいね」
「いや、楽しかったよ」
紳士がそう言いながら、懐にしまっていた帽子をかぶった。
「そんじゃ、ありがとねっ!」
男の子が元気よく立ち上がり、すぐに背中を向けて歩き出した。
「ご縁があったらまた会いましょう」
私は笑顔で会釈をすると、自分の食器をもって返却口に向かった。
そのまま私たちは見ず知らずの他人に戻り、それぞれ別の方向へ、ショッピングモールの中から消えていった。
その翌日、午後の仕事を終え、一人暮らしのアパートの部屋に戻ると、すぐにスマートフォンが鳴りだした。
待ち受け画面を見ると母だ。私が帰宅する時間をさすがによく知っている。
どうせいつもの同じどうでもいい話だろう。面倒臭いので居留守を使おうかと思ったが、『あんたはいっつも電話に出んわ』とまた言われるのが嫌だったので、仕方なく出た。
『もしもし? 佳奈恵?』
私はため息をついた。
「私のスマホに私以外の誰が出るっていうのよ……」
『元気でやってる? 困ったことはない?』
「何も変わらないよ。仕事は忙しいし、変わったことが入り込む余地もない」
靴を脱ぎながら、玄関の鍵をしめながら、私は母の大袈裟でワンパターンな心配っぷりに、少しだけ、くすっと笑ってしまう。
『体も大丈夫? あんた、昔から弱かったから』
やっぱりいつもの同じどうでもいい話だった。
私が体が弱かったのは小学生の頃までだ。母の中で私は永遠に子供のままなのだろうか。
中学生になって卓球部に入って、ずっと補欠だったけど、でもそれで結構健康になったのだ。食欲も凄いぞ。
『ちゃんと食べてる?』
その言葉に、昨日の昼の家族ごっこを思い出した。
いつもあのフードコートでそれは行われている。誰が始めたかは知らないけれど、寂しいひとたちが一人ずつ集まって、家族のように食事を楽しんでる。
私もハマって、週末になるとあそこへ行く。本来なら何の繫がりももたず、言葉すら交わすことのないひとたちと、あそこでは一時だけ家族になれる。
あそこで出来る家族は気楽な関係で、ただみんなで笑っているだけでいい。重たいものは何もない。それがとても楽しかった。
でも、たとえば私が苦しい時、あのひとたちは助けてくれるだろうか。
助けてくれるのかもしれない。でも、真っ先に私を探して飛んできて、何が何でも助けようとしてくれるのは、今、電話をしているこのひとだ。そう思ったら、母のことが愛しくなった。
家族は、重たい。
だから私はあのフードコートで、色んなその時だけの家族を作り、気楽な家族ごっこを楽しんでいる。
そんな関係は楽しい。笑顔しかそこにはない。ほんとうの家族もこんなだったらなと思ってしまう。しかし絆は特にはなく、食事を終えれば別々の方向へ別れ、きっともう二度と会うことはない。
そんな関係もいい。人間のことが愛しくなる。
ほんとうの母は、いつも同じ話をし、はっきりいってつまらない。中学生の頃には殺し合う手前の喧嘩もした。
「お母さん……」
私は電話口で声が優しくなった。
「ちゃんと食べてるよ。いつも心配、ありがとうね」
嫌になる時もある。
でも、私にとってほんとうの母親はこのひとしかいない。
そんな当たり前のことを改めて思うと、電話の向こうの母に思わず『愛してる』とか言いそうになった。
『あんた結婚はまだなの? もうあんた……何歳だっけ。27?』
「……26だよ」
『早く結婚して、子供を産んで、こっちに帰ってきなさい』
「はいはい」
いつもの話題のループに『はい』が2回になった。
『あんたは体が弱いんだから。しっかり健康に気をつけてね』
「はいはい。これからお風呂に入るから、切るよ?」
『また帰ってきなさい。いつ帰る?』
「その時になったら電話する。じゃあね」
うんざりしながら電話を切って、すぐにカレンダーを確認した。
聞かなかったけど母のほうこそ元気なのだろうか……。来月の連休には帰れそうだなと思い、お土産に何を買おうか考えはじめていた。